幕間1
── 私は一体何をしているのだろう?
四森美沙は、宛もなくただ街中を散策しながらそんな事を考えていた。
目的がない訳ではない。
美沙の中にある人影── 顔も声も性別も分からず、ただ美沙を遠くから見つめる視線。その主を見つける為だけに、毎日こうして街を歩いている。
その行為は、無策で無意味なものだ。
本当にそんな人物が居るのか、保証も確証もなく自分の領域をただグルグルと回っている。そんな事をすでに一年続けてきた。
三ヶ月ほど前からは、学校に行く時間を割き、毎日歩き回っている。それでいて進展は何もない。
貴重な高校三年間という時間を無為に過ごしている事に、今更ながら焦燥感を抱いている。
だが、だからといって自分の行動を止める事が出来ない。
幸か不幸か、美沙は私服を着ていると大人びている為、高校二年という年齢には見られず誰からも咎められない。また、両親は既に他界して家族は祖母のみ。その祖母は美沙の選択を尊重し、口を挟む事はなかった。
だから、この行動を止める事は美沙自身にしか出来ず、本人が止められないのであれば八方塞がりだった。
朝から家を出て、決まったルートを八時間かけて歩く、既にルーチンと化していた行動の中で生まれた自分への問い。
── ホント、何やってんだろ。
今日この時に湧いてきた問いは、美沙の足を止め俯かせた。しかし、それすら運命の環に記載されている決定事項だった。
悩むくらいなら前に進め── 落ちた気勢を自ら引き上げ、頭を上げる。すると、その視界に流す事の出来ない背中が映った。
「ちょっ、待ってっ! 」
弾かれたように、瞳に映った背中を美沙は追いかける。そして、その背中が間近に迫ると、躊躇いなくその腕を掴んだ。
「おろっ── 」
前に進んでいた力が塞き止められ、後ろに引かれる。そんな不可解な状況に男は思わず声を上げ、振り返る。
「はぁ、はぁ、はぁ…… ま、待って」
約300Mの全力疾走を隔て、美沙の息は乱れていた。その様子に男は「参ったな」と残った右腕で頭をボリボリ掻いていた。
「で、落ち着いたかい? 」
少し離れた公園のベンチに座る美沙に缶コーヒーを手渡しながら、男は自分のプルトップを開けてコーヒーを啜る。
息が戻った後も美沙は何も語らず。かといって、男の腕も離さなかった。ただじっと困ったようにあたふたしている男の顔を見上げている。一方、男もその女性の追い詰められたような表情を見て、無碍に扱う事も出来ず。宥め賺し、その場を離れて今居る公園に連れてきた。
「はい、突然すいませんでした」
「いやいや、君のような美人に突然腕を掴まれるなんて経験初めてだったからね。
吃驚と驚きが一緒にお祭り騒ぎだったよ」
「クスっ── 吃驚と驚き意味被ってますよ」
「ま、それくらい驚いたって事だよ。── で、俺に何か用だったのかな? 」
その質問に美沙は、答える事が出来なかった。
それも当然だ「貴方、私の事を見てましたか? 」なんて聞けるはずもなく、また男が美沙を見る目から面識がないのも分かる。
「あ、えっと…… 」
何を云えば良いのか分からず、また俯いてしまう美沙。その様子から、
「ふむ、単なる逆ナンではないか── そりゃ、残念だな。だがしかし、このチャンス、名前ぐらい聞くっ! それが男ってもんだ。
俺は神城信司── 君は? 」
「あ、え…… 四森美沙── です」
「美沙ちゃんか── うむ、善きかな善きかな」
信司はふざけているようで、その目は真剣だった。だが、美沙を焦らすような真似をせず、緊張させないように心配りをしている。
「あ、あの── 」
「ん? 」
「全然話は纏まってないし、支離滅裂な事を云うかもしれません。それでも、相談に乗って頂けますか? 」
「無問題さっ! 」
親指を立ててサムズアップ。笑いながら信司は美沙の横に腰を下ろしたのだった。
◆
「これが信司さんと初めて会った日の事。この状況に至る切っ掛けだったわね」
瑞穂の前で美沙は、遠い目をしている。
「お母さん…… お父さんが全然出て来ないんだけど、どうなってるの? 」
美沙は父親の事を話すと云っていたにも関わらず、これまでの話に父親はまったく出てこなかった。その上、美沙が信司に抱く思いが伝わってきてあまり良い気分ではなかった。
「うん? 真樹さんとは、信司さんを通して知り合ったからね。まだ出会いは先なのよ」
「真樹── あ、お父さんか…… 」
瑞穂が物心つく前に結城真樹は亡くなっている。だから、その顔や名前はうろ覚えになっていた。
「そうよ、真樹さんは信司さんより三つ歳上だったにも関わらず、女子高生を口説いたロリコンさんなのよ」
「ろ、ロリ…… 」
余りにも簡単に、そして楽し気に話す美沙。
その様子から、何で今まで一度も話そうとしなかったのか分からなくなる。
「そ、でもね。出会ってからの真樹さんは、真摯な姿勢はずっと貫いてた。だから減点は少な目にしてあげてね」
「減点なんてしないわよ。── ま、加点もしないけど…… 」
「あらあら、真樹さんが聞いたら泣いちゃうわね」
「知らないわよ」
話は本道なはずなのに、瑞穂は反れているような感覚がある。それは、美沙が本当に話そうとしている事から外れているからなのだが、瑞穂には気付く事が出来なかった。
「で、どうする瑞穂? このまま真樹さんの事だけ話していいんだけど」
「えっ? 」
「真人君の両親である信司さんと舞さんが、真樹さんとの出会いには欠かせない存在なのよ」
真人の両親と云う言葉に「ピクっ!」 と瑞穂が反応を見せる。
その様がまるでご主人が帰宅した時の犬の様で、美沙は思わず「ぷっ」と吹き出してしまう。
「何よ? 」
「ほんとに貴女は分かり易い娘ね」
「う~」
「ま、瑞穂がそう望んでいるなら、順を追って話して行くわね。── でも、その前に」
そう云って美沙はソファに手を充てた。
「お母さん? 」
「一寸、喉が渇いちゃったわ。お茶を淹れてくるから、待っててね。
── あっ、そこの君も呑むでしょ? 」
立ち上がり様に美沙がそう云うと、一つのソファを占拠していた良雄が申し訳なさそうに体を起こした。
「あ、良雄君起きたんだ」
「すいません。起きてたんですが、目覚めたって云うタイミングがなくて…… 話、殆ど聞いてました」
黙っていれば良いのに馬鹿正直に答える良雄。
美沙と瑞穂にしてみれば、横で寝かせている所で話していたのだから、聞かれて困る話ではない。それでも、良雄の態度には好感が持てた。
「別にいいわよ。けど、この先を聞くなら正々堂々聞いていきなさい。
── どうせ後悔するなら堂々と、ね」
「えっ、…… は、はい」
良雄は素直に頷くと、足をソファから下ろして正しい姿勢で座り直した。
「じゃ、コーヒー三つね」
美沙が奥へ消えると、その場には沈黙が訪れた。瑞穂も良雄も互いに聞きたい事はあるのだが、どう切り出して良いものか迷っていたのだ。
── 何でお兄ちゃんに攻撃をしたの?
── 俺は何でここにいるんだ?
それが互いに聞きたい事。だが、それは切り出される事はない。多少話した事があるとはいえ顔見知り程度の関係なのだから、ある意味当然と云えた。
そして、その沈黙は美沙がコーヒーを持って戻るまで続くのだった。