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そこは無限回廊に近い雰囲気を持っていた。違いがあるのは無限回廊ほど広さがなく、すぐに壁が見えるという事だった。
そして、真人達が今立つ場所からは同じようなストーンヘンジ擬きが四つあり、この場所には合計五つの転移ゲートがある事が分かる。
「ここは…… 」
「門の中心、起点であり回帰点よ。
真ん中の門を除き、周りの四つは行き先が分かっている」
「── んっ! 真ん中は使用された事はないのか? 」
おかしな話だと思った。
人は知る事に欲を持つ存在だ。この転移ゲートが過去の遺物であり、セルディアの魔術士が全てを把握していない物だとしても、周りの四つを使用している。つまり、試して理解しているという事に他ならない。
効果効能が分かっている物を使用していないはずがないのだ。
「そんな事はないわよ。ただ、真ん中の門を信用した者が一人も戻ってこなかったってだけよ。
あ、当然だけど、有りとあらゆる方法を模索して試した結果だからね」
「一方通行の門か」
単純に考えても、行って即座に戻る程度の事はしているだろう。そして、それでも戻って来ないという事は帰り道には使えない。その上、歩いても戻って来れない場所に繋がっているという事なのだろう。
─── 案外、行き先は異世界(俺の世界)だったりしてな。
立っている場所の雰囲気から、可能性はないとは云えない。
無限回廊を越えてしまった先に出るのであれば、魔術士では魂の川を越えるのは難しいのだから、戻って来ないのも頷ける。
「この門だけど、精霊使いは使った事はないのか? 」
「無いと思うわ。
元々、門は序列一位か二位の宮廷魔術師しか核に触れないし、精霊使いはそれほど多くはいない。
調査の為に精霊使いが出るなんて、一寸考えられないわね」
「なるほど、ね」
含み充分に真人が頷くと、
「何、行き先に思い当たる事でもあるの? 」
「まあ、な。けど確信がある訳じゃなし、今はそれどころじゃないだろ」
無限回廊を渡った後、真人は帰り道が分からない事に気付いていた。だが、父である信司が向こうとセルディアを行き来しているのだから、と軽く考えていた。
─── けど、帰り道が分かるならそれにこした事はないはずだ。
それが何時になるかそれは分からないが、信司に会う前に必要になるかもしれないのだ。
「謁見が終わったら、この件について少し時間をくれ」
「ま、それでいいよ。今は目の前の事に集中だね。
んじゃ、行こうかライズ」
「了解」
スティルが先行し、真人がそれに続いて歩いて、扉を出ると螺旋階段になっていた。
「地下なのか? 」
周りは薄暗く、光源が入るような窓もない。そして何より、ジメジメとした不快感があった。
「そうよ。地下20Mといった所ね」
「結構深いな」
「最高技術の保全だからね。門の存在を知ってても、この場所を知ってる者は少ないわ。
だからこの場所の事は他言無用よ」
階段を昇りつつ、二人はそんな話をしていた。
多愛の無い会話だったが、真人はスティルが階段を昇る度、その緊張を高めていると感じていた。
「あまり時間は無いみたいだな」
「ええ、上にレイが待ってる。合流したらそのまま謁見の間に向かうわ。
流石に『契約の儀』無しに契約しているなんて、前代未聞の事だからね。私の言葉が何処まで受け入れられるのか、一寸だけ不安もあるのさ」
「おいおい…… 頼むぜ」
「ま、神官承認は問題ないよ。ただ私が望む結果になるかどうかだね」
スティルは色々企んでいると云っていた。
頭の中で描いているビジョンは、真人一人を相手取れば完成するといったものではないのだろう。
「あまり多く望まない方がいいんじゃないか」
「女の子は欲張りなのだよ、ライズ」
「女の子…… ねぇ」
「何か? 」
無理があるだろ、とは口が裂けても云えない真人。
「別に── けど、勝算はあるみたいだな」
「無ければ欲張りはしないわ」
どんな強固な家でも、小さな白蟻に倒壊させられる事もある。だが、実際はそんな事態になる事は稀な事。スティルが抱く不安はそんなものなのだろう。
緊張はしているが、余裕を完全に無くしていないスティルに、真人が云える事は何もない。
「あっ、そ。── なら、俺は精々足を引っ張らないようにするわ」
「そうそう、互いに自分の事だけ考えましょ── 今はまだ」
─── 下手な考え休むに似たりだな。
真人は、スティルが一時を境に情報規制を強めたと感じていた。軽口は叩いても、その一言は吟味を重ねている。
言葉から思考を読み取る事は出来ない。だから、何が不安材料なのか全く知る事が出来ない。
出来る事は与えられた役割をこなす── それだけだった。
「ライズ」
踊り場で足を止めたスティルが真人を呼ぶ。
スティルの背中には、おそらく外に出る為の扉があった。
「ああ、分かった」
真人を一瞥すると、スティルは振り向き扉を開け。
開けられた扉から光が入り、スティルの影が真人に重なる。そして、重なった影が消える。
「時間一杯、待ったなしだな」
先に外に出たスティルを追い掛け、真人は外に向かって歩き出した。
◆
「ただいま、待たせたね」
「姉様、あいつが…… 」
表に出た真人がまず目にしたのは、スティルと話す少女だった。
── レイサッシュ・ミルレーサー、スティルの妹。
前以て聞いていただけに、その少女が誰なのか迷う事はなかった。ただ、持っていたイメージとは違った。
栗色の髪をショートに切り揃え、その瞳は大きく丸みを帯びていて愛らしさを醸している。そして何より、身長は150cm程度と小柄だった。
つまり、スティルが男装の麗人であるなら、レイサッシュはボーイッシュな美少女といった感がある。
「ああ、そうだよ」
レイサッシュの問いに、スティルは頷く。
すると、レイサッシュは改めて真人の顔を値踏みするように凝視し、
「認めない」
と、云った。
「は? 」
「レイっ! 」
突然の事に唖然とする真人と、怒気を含ませて名を呼ぶスティル。だが、レイサッシュは、しれっとしたまま真人から視線を外し、
「失礼しました。どうぞこちらへ」
何の感慨もないように、城内へ歩みを進めた。
「なあ、俺いきなり仕出かしたか? 」
あまりの展開に、何か禁忌に触れたのでは、と動揺を隠せない。
「否、そんな事ないよ。悪いのは私さ。多分、あの子の思いを昇華させてあげられなかったんだ。
まったく駄目な姉だな、私は…… 」
「よく分からんな」
「そうだね。でも、すぐ分かるさ」
スティルは初めて見せた憂いの表情のまま、レイサッシュを追って行く。
真人も消化不良気味ではあったが、そこに立ち尽くす訳にもいかず、後に続いたのだった。
先ほど真人が出てきた場所は、おそらく中庭に当たる場所だった。本来であれば、物珍しさも手伝って御上りさんよろしくとばかりに、周りを逐一確認していただろう。
しかし、レイサッシュの先制攻撃に合い、現状確認をする事なく城内をスティルと並び歩いていた。
「これは城だな」
外観を全く見ていなかった真人は、その分、城内を落ち着きなく見渡して当たり前の事を呟いた。
大理石の柱に、飾られた絵画、鎧、剣── そして、長い廊下。どれをとっても日本の城とは一線を画する。だが、確かに城だった。
「そうね。城以外の何物でもないわ」
「いや、そーなんだが…… 」
実物では見た事がなく、絵や写真でしか知らない中世ヨーロッパの城。残念ながらその中を堂々と闊歩出来るほど、真人の肝は据わっていない。
「こりぁ、マズいな」
浮き足立っている自分を自覚し、冷静に事を進める自信がない。
「ダメかもと自覚してるなら、開き直れるわよ。
頭の中が真っ白になったら、改めて進言してね。顔を叩くか、尻を炙ってあげるから」
「…… 遠慮します」
スティルに叩かれたら、数本歯を持っていかれ話す事が出来なくなり、火で炙られたらそれこそ王の前には立てない格好になる。
「どちらにしても、タイムオーバーよ」
スティルが向けた視線の先に大きな扉があり、兵隊が二人っている。そして、二人の兵の中心でレイサッシュは足を止めた。
「戦闘開始か── しゃーないな」
ゴクリと喉を鳴らし、真人は扉の前まで歩くと、レイサッシュは兵に合図を送った。
扉が開かれた後、真人は真っ赤な絨毯の上をスティルとレイサッシュの後ろを頭を下げてついていった。
そして、玉座の手前で二人が膝を折るとそれに合わせた。程なくして、
「面を上げなさい」
王というには優し過ぎる声が三人の耳に届く。
「「はっ」」
スティルとレイサッシュは、声を揃えて応じた。そして、真人は二人が顔を上げた事を気配で悟ると、声を出す事なく顔を上げて王を見た。
声を聞くまで全く想像していなかったが、真人が玉座を確認すると、そこには軽くウェーブが掛かった白髪の女性がそこに居た。そして、その右側に文官、左側に騎士が立っている。
文官は白を基調としたローブを纏い、年の頃なら六十代。どちらかというと柔和な顔立ちをしていた。そして、騎士は白銀の鎧を纏い、三十代の精悍な顔立ちをしている。
─── なるほど、有り得る話だったな。
セルディアの一国、ラフィオンは女王が治める国だったのだ。
「スティル、ご苦労様でしたね」
「勿体無いお言葉です。ファリス様」
女王ファリスは、スティルに労いの言葉を掛けると、真人に視線を向ける。
「それで、その者が」
「はい、契約の儀を行わずして精霊と契約をした異質の精霊使い。筆頭宮廷魔術師マルガ様の星読みにて、予言された西の森で発見し連れてまいりました」
「では、この度の謁見は、神官承認という事で間違いありませんね」
「はい、相違ありません」
淀みなくスラスラと報告をしている様を、真人は黙って見ていた。
そして思う。
予定調和だな── と。
ファリスとスティルのやり取りは、あっさりとし過ぎて無駄がない。二人で前以て決めた事を、そのまま行っているだけなのが丸分かりだった。
ファリスの横で聞いている騎士と文官の顔も「コイツら」と、いうようなものになっている。
だが、そんな事を行っている二人が、意味もなくやっていると考える者はここにはいなかった。
─── ここからがスティルの色々企んでいる事になる訳だ。
これからファリスより聞かれるであろう事に備えて、真人の顔が引き締まる。
「新しい神官候補よ。名は?」
「ライ── っ! 」
ライズと云いかけて、真人は言葉を呑み込んだ。
「ライ? 」
ファリスを筆頭に、文官や騎士も怪訝な表情を浮かべていた。
「陛下に失礼ですよ。早くお伝えなさい」
戸惑う真人にスティルは急かすように云う。
「い、いや…… 」
真人が云い澱んでいるのは、自身で選んだ名前にラストネームが無いという事に気付いたからだった。
図書館で秀明が云っていたが、状況が状況だっただけに覚えていない。
─── 適当に云って有り得ない名前だったら、どうしようもないな。
少し悩んで真人は「ライズです」と、そのまま伝える事を選択した。しかし、
「「─── なっ!」」
騎士、文官の顔色が変わる。その一方でファリスは平然とし、スティルはしたり顔。そして、レイサッシュは苦虫を噛んだような顔をする。
「貴様っ! その名が持つ意味を分かって口にしたのだろうな」
「へっ…… 」
文官は怒りを超え、憎悪まで昇華させた顔で真人を睨む。
――― おいおい、何だよそれは。
ラストネームを名乗らないから失礼だと云うなら理解出来る。だが、ここに居る者達が反応をしたのが「ライズ」という固有名詞になのだ。一瞬、スティルに担がれて大変無礼な言葉を発したのかとも思った真人だったが、もっと重い何かを感じていた。
「スティル殿。これは些か悪乗りが過ぎるのではないか? 」
意外な事であったが、文官より騎士の方が落ち着いているようだっだ。だが、その身に感じている不快感を隠そうとはせずスティルを糾弾する。
「悪乗りとは心外ですね。デュランダル将軍」
そして、スティルは高みにいる騎士デュランダルを見上げ一歩も退かない姿勢を見せた。
「ほう、我が国を守護する英雄の名前を持ち出しておいて、それか。神官を纏める立場にある貴殿とてその罪は許されるものではないぞ」
スティルはニヤリと不敵な笑みを浮かべ「罪? 」と聞き返す。それは、自分の非を認めないとする主張でもあり挑発行為でもあった。
「紅の焔、己が二つ名に掛けて恥じる事はないと云い切れるのか? 」
「ええ、当然ですわ。今更と云われるかもしれませんが、マルガ様に星読みを依頼したのは私ですから」
「云っている意味が今一理解出来んな」
デュランダルが分からないのであれば、それ以上に真人には分からない。
話題の中心にありながら、迫害されているようで気持ちの良いものではなかった。それでも、話はどんどん進んで行く。
「簡潔に申し上げれば、このラフィオンに英雄の加護はもはやありません。
これは本人から、私が確認した確かな事です。そして、もう一つ── 」
─── ちょっ、ライズは存命なのか?
スティルの言葉で真人が固まる。
裕司は真人がライズの生まれ変わりだと、云って憚らなかった。
真人は、生まれ変わりはあるとしても、自身がそんな英雄などとは思っていなかったが、そう信じる者には根底から全て覆される事だった。
「ここに居るライズは、間違いなくライズ・クラインの転生者である保証も賜りました。
嘘偽りない報告をして、恥じる事はありませんわ」
「なるほど── しかし、そうなると陛下も人が悪いですな。
既に報告を受けていたにも関わらず、私とウォッカ殿に隠していたのですから」
ウォッカと呼ばれた文官は頷き、ファリスに視線を送る。
「残念ですが、私は詳細の報告は受けておりませんよ。── ねぇ、スティル」
「はい」
皆の視線が、ファリスからスティルに変わる中、真人だけが完全に蚊帳の外だった。
それでも、着いていけないからといって話を聞かなければ、少しでも分かる事すら無くなる。
真人は一言一句聞き逃しをしないように、スティルに意識を向けた。
「私は、全て一任して頂けるよう陛下に嘆願しただけですわ。
それ以外の事は、全て事後報告と云う事で快く了承頂きました」
「まったく、陛下はスティル殿に甘過ぎます」
ウォッカは参謀のプライドからか、憮然と云い放った。
「そう云われると返す言葉はありませんね。
しかし、スティルは伝説の精霊使いと唯一コンタクトが取れる者。敵対しないのならば、その意思は尊重すべきだと考えているわ」
「心配り、痛み入ります」
「ただね。── この場で必要な答えを返さないのであれば、その特権は剥奪せざる負えない。
分かるわね、スティル」
『─── !』
その時、その場に介した全ての者が息を呑み、ファリスの前で膝を折った。
これまで感じられなかった王の威厳が、確かにそこにある。
王という概念の薄い真人ですら、立ち尽くすのは失礼と皆と同時に動いたのだから恐れ入る。
「はっ! これまでの経緯を余す事なく、お伝えする事を炎の神官スティゴールド・ミルレーサーの名において誓います」
「ええ、お願いするわ」
スティルの宣誓後、ファリスの威厳は嘘のように消えた。だが、だからと云ってスティルは嘘や偽りで濁すつもりなどない。
スティルは、英雄であるライズとの会話をその時のままに話し出したのだった。
◆
「── 師匠。隠れてないで出てきてくださいよ」
ラフィオンの北に広がる森の中、大岩がある場所でスティルの声が響く。
ラフィオンは、四方森に囲まれている国だが、北と南には守護者がいるとされていた。
されていたというのは、それまで守護者の確認をした者が居なかったからなのだ。しかし、この三百年、ラフィオンは北と南から侵略者の進行を許した事はない。
また、今は同盟している国からの情報で、ラフィオン侵略の際、たった一人に敗走したという記録が残っていたのが、その信憑性を高めていた。
そして現在、その存在を認識する者がスティゴールド・ミルレーサーだった。
とある事件に巻き込まれたスティルを助け、その時の縁にて今は師匠と弟子の関係にある男、ライズ・クライン。
三百年前の世界に生き、伝説の精霊使いとして名を残す存在── そんな居るはずのない存在が、守護者の正体だった。
「また、こんな所まで来やがったな」
そう云って、大岩の側に現れる男。
「そんな事云われても、ここに来なければ師匠に会えないじゃないですか」
「存在しない存在に会いに来るな」
「もう、またその問答ですか。云うだけ無駄なのに」
スティルの台詞に、ライズはやれやれという表情を浮かべる。そしてその顔は、この時は分かるはずもない神城真人と全く同じものだった。