村の秘密
「待って下さいよ、ジーンさん!」
ジーンはすこぶる虫の居所が悪かった。
佳奈が後ろから小走りでついて来ているのは分かっていたが、とても速度を緩める気にはなれなかった。
こうなれば早く用事を済ませて戻るに限る。
そうに違いない。
時間は少しだけ遡る。
スミから佳奈を連れて森へ行くことを頼まれたジーンは、猛然と反対した。
「こんな時期に何を考えている!あいつを連れて森へだと!?」
「だから、ほんのちょっとだけだって。すぐそこまででいいんだよ。」
「それならば俺一人で行く。用事ならそれで十分だろう。」
「それなら他の男衆にでも頼むさ。そうじゃなくて、あの子にも少し気晴らしさしてやりたいのさ。ほら、村へ来てからろくに外に出てないだろ?」
そこの静かなる森でいいからさ、と拝まれたが、冗談ではない。
この厳戒態勢は村の為でもあり、佳奈の為でもあるのだ。
「断る。危険過ぎる。」
「だからこそ、あんたに頼んでるんじゃないか。村長は少しなら構わないって言ってくれたよ。」
「村長が?」
スミと村長に結託されれば、実質逃げ場はない。周りの男達を見回しても、勢いよく目を逸らされてしまった。深い溜息が出る。
「最近あの子ちょっと塞いでたっていうか、煮詰まってる感じがしてね。少し森の外へ出てみれば、元気出るんじゃないかと思ってさ。」
確かに、先ほどの彼女は少し元気がなかった。単に狼になれなくて落ち込んでいるだけかと思っていたが、自分よりも機微に聡いスミが言うのなら考えられる。
「…本当にすぐそこまでだからな。」
そうしてジーンは気の進まないお使いをすることになった。
村を囲む様に流れる川、その川沿いを南に向かい、川を渡ったすぐの場所が通称“静かなる森”だ。
その名の通り、大きな獣もおらず有用な草も生えている為、女性だけで行くことも多い。
こんな事態でなければ、別段問題視はしなかったのだが…。
渋るジーンを見兼ねて、周りの男達も宥めにかかった。
聞けば、今金の王は軍勢を率いて遠く離れた海の近くの村を攻めているらしい。
流石にそこまで遠くにいればしばらくは戻れないだろうし、いかな大軍といえども二手に割く様な愚策は取らないだろう、というのだ。確かに一理ある。
そして冒頭へ戻る。
川沿いの道をいっそ鬼気迫る表情で大股で歩くジーンの姿があった。
「待って、くだ、さいってば…!」
追いかける佳奈の息が切れ始めたところで、やっとジーンは我に返った。八つ当たりをするべきなのは佳奈ではない。
「…すまん。」
「ジーンさん、なんか怒ってます?」
「…そんなことはない。」
見上げてくる佳奈の表情が心配そうで、ジーンは極力険しい顔をしないようにした。
自分は佳奈の気分転換も頼まれたのではなかったか。
逆に気遣わせてしまえば、意味がない。
「えーっと、傷薬と火傷直しと解熱に使える草でしたね。その森は近いんですか?」
「あぁ、川を渡ればすぐだ。」
そこまで言って、はたとジーンは気付く。
川幅は何処も一定で、徒歩で渡れる場所はない。
銀狼の姿になればすぐなのだが、佳奈は未だうまくその姿を取れないでいる。
「川を…。」
現に川を見て青ざめてしまった。まずい。
これでは余計落ち込むばかりではないか。
「…えっと、やっぱり私村に戻ってますね。ジーンさんが一人で行った方がきっと早いし!」
無理矢理笑ったのだろう、笑顔も強張ってしまっている。
スミは佳奈に気を使わせまいと、森へお使いに行って欲しいと言っただけだった。
こんな落ち込んだまま帰しては後味が悪い。
その時、ジーンに妙案が浮かんだ。
「待て。その必要はない。」
振り返った佳奈の前で、意識をゆっくりと集中させる。深く、自分の力を呼び覚ますように。
そして、ジーンの体の輪郭はゆっくりと滲んでいった。
半ば村へ帰る気になっていた佳奈は、突然の変化に驚いた。
佳奈の目の前で、ジーンの形が変わる。
空気に溶けていくようにふんわりと光りながら、その体は確実に移ろっていく。
その光が収まった時、そこには一匹の美しい銀狼がいた。
「うわぁ…!」
落ち込んでいたのも忘れて、佳奈は見惚れた。
カイの銀狼の姿は見たことがあったが、それよりもだいぶ大きい。中型犬と大型犬ぐらい違うだろうか。
ましてその時は夜中だった。月光に反射する銀狼も美しかったが、明るい場所で見るそれは更に別格だった。
そろそろ太陽が真ん中を通り過ぎた頃の、強い日差しを受けて、キラキラ輝く銀の毛並み。
力強い四肢はしっかりと地面を踏みしめ、目の輝きも常より強い気がする。
それは初めて見るジーンの銀狼の姿だった。
「ジーンさんのその姿、初めて見ました!カッコいいですね!」
あまりにも佳奈が凝視するので、居心地が悪くなったジーンは目をそらした。
そして、目線で背中を指す。
「えっ、背中に乗っていいんですか!?」
「そうしなけば川は渡れないだろう。」
「私、乗っても大丈夫ですか?重くないですか…?」
「お前一人ぐらいどうということはない。」
そ、それでは失礼して、と言いつつ、わくわくした表情を隠し切れないままで、そうっと佳奈が背中に乗る。
その顔を見て、人知れずジーンは口元を緩めた。やはりこの少女には明るい表情の方が似合う。
ジーンは、いつの間にかささくれ立った気分が消えている自分に気付いた。
思えば、自分はいつもこの小さな少女に与えられているばかりだったように思う。
たまには借りを返すのも悪くない。
なんだか少し愉快になってきて、ジーンはしっかり掴まっていろ、と告げ、目の前の川に向かって翔んだ。
「あー、楽しかった!風に乗るのって気持ちいいですね!!」
すっかり満面の笑みで歩く佳奈を見て、ジーンは苦笑する。
ちょっと川を飛び越えただけで、ここまで喜ばれるとは思わなかった。
最も、すっかりはしゃいだ佳奈に毛並みを撫でられるのは想定外だったが。
「毛並みも意外とふわふわだし!自分じゃ触れないですしね。」
そんなすぐに戻らなくても良かったのに、と残念そうな顔をされたが、こればかりはいただけない。
「…薬草を探すんだろう。」
「あっ、そうでした!ちゃんと探します!」
そうして、しばし二人で足元を探したり木を見上げたり。
柔らかな木漏れ日が降り注ぎ、囁きの様な葉擦れの音。
それはとても穏やかな時間だった。
「やっぱりジーンさんはさすが!って感じですねー。」
頼まれた薬草を大体摘み終えた頃、ぽつんと佳奈がこぼした。
「なんだ、急に。」
「銀狼の姿も様になってたし、剣も強いし!私はまだ何も…。」
「お前はまだ目覚めたばかりなんだ、焦る必要はない。」
「それでも、私は何が出来るだろう、って考えちゃうんですよね…このままだと迷惑かけるばっかりで…。」
スミの直感は当たっていた。佳奈は佳奈なりに、今の事態に責任を感じていたのだろう。
「お前はまだ子供だ。子供は何も気にせず大人に守られていればいい。」
「もう子供じゃないですってば!あ、でも私や先輩より年下の子っていませんね?」
「…あぁ。」
そう考えると子供か…などと納得する佳奈の横で、ジーンは苦い記憶を思いだしていた。
「銀狼の子供って、いないんですか?それとも、私とか先輩みたく、ある日急に目覚めるものなんですか?」
「…そうだな、銀狼には二種類いる。
お前の様にある日目覚めが来るものと、銀狼の親から生まれてくるものだ。」
「へー、それじゃ生まれながらの子もいるんですね!じゃ、もしかしてジーンさんも小さい頃から村に?」
「いや、俺は違う。というより、この村で生まれ育った者はいない。」
「え?それってどういう…?」
「何故なら俺達は全員、それぞれ金の王に滅ぼされた村の生き残りだからだ。」
佳奈は頭を殴られたかと思った。そのぐらいの衝撃だった。
言葉は聞こえているが、理解が追いつかない。
呆然とする佳奈を見て、ジーンは近くの大きな木の根元に腰を下ろした。目線で佳奈にも促す。
震える足でどうにか佳奈が座った頃、ジーンは淡々と話し始めた。
「この村は出来てまだ間もない。だから大人ばかりしかいない。」
だから子供は新入りのカイや佳奈しかいない。
混乱する頭を必死に動かして、佳奈はやっと問いかけた。
「村の人達は、みんな金の王に…。」
「あぁ。皆それぞれ違う村で生活していたが、ある日金の王の襲撃を受けてな。行くあてもない俺達を助けてくれたのが村長だ。」
「…ジーンさんも、ですか…?」
「…あぁ。」
大して楽しい話でもないが、聞くか?と問われる。
佳奈は震える声ではい、と頷いた。