穏やかな日々
昨日はめまぐるしい一夜だった。
カイが初めて新入りを村に迎えに行ったと思ったら、金の王の来訪。そしてあの佳奈という少女の謎の力の発現。
確かに金の姫の再来かと信じたくなるのも分かる気はするが、どちらかといえば危険なものだとジーンは考えていた。
まるで、あの忌まわしい金の王と同様の。
隙なく周囲の気配に気を配りながら考えに耽っていたジーンだが、まさか件の人物の方からやってくるとは思いもよらなかった。
「ジーンさん!お昼ですよー。」
にこやかに持っている包みを抱えて駆け寄ってきた佳奈を見て、ジーンは知らぬ間に眉間の皺を深くした。
「いっぱい食べて下さいねー。と言っても、作ったのはスミさん達ですけど。」
きっとスミに使いを頼まれただけで、昼食を渡したら帰るだろう、という予想は、残念ながら外れたようだ。
現に彼女は少し離れたところに座りこんで、にこにこしながらあれこれと話しかけてくる。正直苦手なタイプだ。
いつも美味しいスミの食事だが、あまり味が分からない。
「…昼食は食べたのか?」
相手は子供、ましてや少女だ。下手に強く言って泣かれでもしたら非常に困る。
ジーンとしては精一杯の、食べていないなら戻れという意思表示だったのだが。
「はい!さっき頂きました!」
ダメだった。
こうなれば、早く食べてしまうに限る。手持ち無沙汰になれば戻るだろう。もしかしたら、妙な使命感で食べ終わるまで見届けたいだけなのかもしれない。
もともと食事は食べられる時に手早く済ませる方だったが、それと気づかれないように普段より早いペースで口に詰め込む。
そんなジーンに気づいてか、佳奈がまた話し始めた。
「あの、ジーンさん、昨日は本当にありがとうございました!」
「…?礼なら昨日聞いたが。」
「そうなんですけど、それでもちゃんとお礼を言っておきたくて。ほら、あの金の王が来た時も庇ってくれたでしょう?」
「お前は一番の新入りで、まだ不安定だ。狙われているなら当然のことだ。それに…」
相手はあの金の王だったしな。
その言葉だけは、とても苦く響いた。
「もういいだろう、お前は戻れ。」
誤魔化すように追いやる。どうにか昼食は摂り終えたし、もういいだろう。
すると意外にもすんなりと立ち上がった。服の裾をぱたぱたとはたき、にっこりと笑って、
「はい!それではまた明日!」
とんでもない爆弾を落として坂道を駆け上がって行った。小さいのによく動く。いや、そうではなく。
「なんなんだ、一体…」
思わず声に出してしまったのを、誰が咎められよう。
ジーンの願いも虚しく、それから佳奈は毎日昼食を届けにやってきた。
ジーンがどれだけ強く言っても、食べ終わるまで決してその場を動かない。
自分が今最も危険な人物に狙われている自覚がないのか、村の入り口は危険だと言ってもどこ吹く風だ。
ジーンとしては不本意だが、村長に進言もしてみた。が、こちらも緩く笑って受け流されてしまった。
当然ジーンの眉間の皺はどんどん深くなり、その意に反してジーンと仲良く昼食を摂っている(様に見える)風景は、村人達の格好の噂の元となり和みとなってしまった。
始めはあまりにも強烈な第一印象だけに、村人達も遠巻きにこわごわ眺めていたが、もともととても人懐こい佳奈だ。あっという間に村に馴染んでしまった。
そんな佳奈が、村で一番人を寄せ付けないジーンに構うのは、とても興味深く見えた。
現にスミは完全に面白がっている。
ただ、カイだけは少し不満そうに、
「カナのやつ、先輩のオレを差し置いてジーンさんに懐くとか、どういうことだよ…。」
などとぼやいていた。折角出来た後輩に先輩風を吹かせずにいるのが面白くないようだ。
そんなカイの心情には全く気付かずに、今日も佳奈はジーンの元に昼食を届けに行くのだった。
今日もとてもいい天気だ。村と森とを隔てる川は、相変わらず急流だが太陽を反射して水面がキラキラ光る。
初めて村へ来た時は冷たく感じたこの流れも、今では自分達を守ってくれる心強いものに映る。
隣では、ジーンが黙々と食事を摂っている。
佳奈が何を言われても頑なに通うのを辞めないので、すっかり諦めたらしい。
その代わり、ささやかな抵抗なのかすっかりだんまりだ。
だが、佳奈はこの沈黙も嫌いではなかった。
不思議と落ち着く気がする。
流れる水音に耳を澄ませ、風に香る木々の匂いを嗅いでいると、とてもゆったりした気分になる。
こんな穏やかな日々は初めてだった。
「…何故だ。」
食事を摂る手をふと止めて、ジーンが問う。
視線は佳奈同様、川の辺りのままだ。
彼の方を振り返った佳奈に、
「何故俺に構う。」
更に重ねて問われる。
それは佳奈を拒絶しているというより、心底分からないという戸惑いが見て取れた。
「スミさんに聞いたんです。」
その一言で、ジーンの体が僅かに強張ったのに気づいたが、素知らぬふりで続ける。
「ジーンさん、いつもお昼は一人で食べてるって。」
「…は?」
何を言われるのか身構えていたのだろうが、予想もつかない言葉が返ってきたのだろう。
思わず、という感じで、ジーンは佳奈を振り返った。
普段仏頂面が多い彼にしては珍しい、虚を衝かれた表情。
それがとても珍しく、なんだか可愛らしく見えて、佳奈は思わずクスリと笑ってしまった。
ジーンは、気まずそうにまた眉間に皺を寄せた。視線もまた川の方へ戻ってしまう。
「ご飯は一人で食べちゃダメです!美味しくないですし、寂しいです。」
「…それがお前の家の方針か?」
「そんなようなもんです。家というか施設ですけど。」
今度こそジーンは心底驚いて佳奈を見た。
こんな他人に愛されて育ったような少女が孤児?
佳奈の方は慣れているのか、穏やかな表情のままだ。その笑顔が、少し苦笑気味になる。
「そこでいつも言われてたんです。『ご飯は決して一人で食べてはいけない。美味しくなくなってしまうし健康にも良くない。』って。」
まぁいつも大人数で食べてたから、一人で食べることの方が難しかったですけど…と笑う。
ばつの悪い顔をして、ジーンがまた川岸へと視線を戻す。
それでも気になって仕方ない様子で、恐る恐る問いかけた。
「…両親は?」
「分からないです。小さい頃施設に預けられてそれっきりなので。なんか『こんな気持ち悪い子は育てられない』って言ってたらしいです。」
「そんなことを言われたのか?」
「らしいですよ。最も施設の人が話してるのを、たまたま聞いちゃっただけなんですけど。」
こんなに明るくて優しい良い子なのに、あの子のご両親はどうしてあんなことを…。
そんな風に話していた先生達を思い出すと、今でも胸の奥がチクリと痛む。
しばらくは悲しくて悲しくて、布団に入るたびに泣いてしまっていた。
施設のみんなはどうしているだろう。
突然いなくなって心配しているか、それとも…。
不思議と戻りたいと思わないのは、この村がとても居心地がいいからなのか。
勿論、施設の皆もとても良くしてくれたが、ここには同族の場所に戻れた、という安心感があるのだ。
思えば、あの夢の話をしても理解されないたびに、自分の居場所はここではないと思っていたのかもしれない。
「…妙なことを聞いてすまなかったな。」
「いえ、別に隠してることでもないですし。それに私今凄く幸せだから、」
だから大丈夫です、と、ジーンの方を見てにっこり笑う。
今度は視線を逸らされなかった。
いつの間にか食事はなくなっていた。
初日とはまた違う意味で、味は分からなかった。
ちょっと暗くなった空気を振り払う様に、さて、と佳奈は勢いよく立ち上がる。
「そろそろスミさんのお手伝い行って来なきゃ!私もう戻りますね。」
「…あぁ。」
「…なんか変な話しちゃってごめんなさい。私のちょっとしたお節介なんですけど。」
「確かにお節介だな。」
「あはは、すみません。でもお仕事の邪魔はしませんから。」
じゃ、また明日!と坂道を登りかけた佳奈だが、ジーンから呼び止められて振り返った。
(遂にもう来るなって言われちゃうかな…。うっかり余計な事まで話しすぎちゃったかも…。)
キツい言葉を覚悟して待っていた佳奈だったが、聞こえて来たのは予想外の言葉だった。
「…お前はいつもどこで昼食をとっている?」
「え?えーっと、スミさん達と準備して、一足先に頂いちゃってます。」
「…そうか。」
そこで言葉を切ったきり、そっぽを向いてしまった。珍しくどこか落ち着きがない。
しばらく沈黙が続き、そろそろ佳奈の頭が疑問符でいっぱいになった頃。
「…それならここで食べればいい。」
思ってもみなかった言葉がやってきた。
びっくりして佳奈が固まっていると、慌てた様子で更に続ける。
「どうせ来るなと言っても来るんだろう。それならここで食べた方が効率がいい。」
佳奈が満面の笑みで元気よく頷いたのは言うまでもない。
ようやく分厚い壁の中へ一歩踏み出せた、そんな気がした。