村での日常
伝説では、金の姫は見事な金髪に金の瞳をしていたらしい。
髪色こそ違うものの、その神々しさはまさに金の姫そのものだった。
光りだした錫杖に引きずられる様にして佳奈の瞳が金色に輝いたのを、その場の者は信じられない気持ちでただ呆然と見るしかなかった。佳奈のまわりもうっすらと金の光に包まれている様は、近づき難い気配すら放つ。
ただ一人、金の王だけは高揚を隠し切れないようだった。
「素晴らしい…!お前こそ金の姫の生まれ変わり!私に相応しい存在!我が元へ来い!どんなことでも思うがままだぞ!」
ギラギラした眼差しから佳奈を守ろうと、ジーンが佳奈を背に庇う様に立ったが、それを押し留めたのは他ならぬ佳奈だった。
否、佳奈の姿をした“何か”だった。
「私は貴方とは行きません。」
穏やかな口調なのに、凛とした威圧感。
とても佳奈とは思えない。
振り返ったジーンは、全ての感情が抜け落ちた様な佳奈の顔を見て、らしくなくぞっとした。
纏う金の光が攻撃的に煌めく。
今にも目障りなものを焼き払うかのように。
そしてどうやら気圧されたのは金の王もだったようだ。
気色ばんで腰の剣に手を伸ばした部下を手で制して高らかに笑うと、
「まぁ今日は確認に来ただけだ。この村と事を構えるつもりはない。金の姫はいったん預けるが、しかるべき時にまた迎えに来よう。それまでせいぜい大事にしておくがいい。」
周りのものが罠ではないかと疑うほど、あっさりと踵を返してまだ薄暗い森へと消えていった。部下達も慌てて後を追う。
神官の少年だけは、小さく会釈をしてその後に続いた。
その気配が完全に消えた頃だろうか。
佳奈のまわりを包んでいた金色の光が段々と消えていき、佳奈は糸の切れた人形のようにばったりと倒れた。
何処からか鳥のさえずりが聞こえる。
目の裏が凄く眩しいんだけど、私カーテン閉め忘れたっけ?今何時だろう?
パチリと目をあけた佳奈が見たものは、見慣れた孤児院の年季の入った天井ではなく、ログハウスの様な木の天井だった。
(あれ、私なんでこんなとこにいるんだっけ…?えっと、昨日は学校に行ってバイトして、それから…)
しばらく状況が掴めずにぼんやりと天井を眺めていたが、そこまで思い出して、
「そうだった、昨日…!!」
と勢いよく上体を起こしたのと、すぐそばの扉が開いたのはほぼ同時だった。
「おや、目が覚めた?気分はどうだい?」
突然の強い日差しに目が慣れず、目をしぱしぱさせている佳奈のそばに、声をかけた人物が屈み込んだ。女性の声。
佳奈がようやく目が慣れてきた頃を見計らって、腹は空いてないか、よく眠れたか等矢継ぎ早に質問される。
何とか質問に答えつつ、佳奈はこっそりと相手を観察した。恰幅のいい年配の女性だ。佳奈に母親がいたら、このぐらいの年齢だろうか。
健康な樹木の木肌の様な焦げ茶色の髪に、明るい茶色の瞳。動きやすい様に腕まくりをする様がとてもしっくりくる。
「あたしはスミ。この村の細々したことを預かってる。なんか困ったことがあったら、なんでもあたしに聞きな。」
「あっ、初めまして、佳奈です。これからよろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げた佳奈を微笑ましく見守っていたかと思うと、スミと名乗った女性は豪快に笑い出した。
「知ってるよ、昨日からうちの村がその話で持ちきりだからね。なんでも夕べは金の王相手に大立ち回りだったそうじゃないか!」
大立ち回り?そんな大層なことをした記憶はないのだが。一晩のうちに話に尾ひれが付いてしまったのだろうか?
そもそも、昨夜の記憶が途中からはっきりしない。金の王が来たところは覚えているが、その後自分はどうしただろう…?
本格的に考え込み始めた佳奈にまた一人、外から声をかける人物が。
「おっ、やーっと起きたか!気分はどうだ?」
やたら気さくに声をかける少年が。年は佳奈と同じくらいだろうか。
こちらは明るい茶色の髪に、濃い灰色の瞳。
人懐こい笑顔は、ついこちらもつられて笑顔になるような暖かさがあった。
とはいえ、この村にそう知り合いはいないし、一体誰だろう?と悩んでいるのを目ざとく気づき、おいおい…としょんぼりしながら少年が名乗った。
「なんだよ冷てぇな…オレだよ、カイ!もう忘れちまったのかよ…。」
「えっ、先輩!?あれ、今日は狼じゃないんですね…?」
「当たり前だっつの!あれはあれで便利だけど、普段はやっぱりこの姿のが楽だしな!」
「なんだいカイ、あんた一丁前に先輩なんて呼ばれてんのかい?まだまだひよっこのくせに。」
「あっ、ひでーよスミさん!オレだって結構やる時はやるんだって!」
やんちゃ盛りな子供をからかう母親みたいな和やかなやりとりを微笑ましく見守っていると、佳奈の腹の虫が悲しげな音を立てた。
恥ずかしさに顔を赤くして俯くと、まぁまずはご飯だ!と勢い良く背中を叩かれた。
銀狼の食事は、一体どんなものだろう?まさか血の滴るような生の塊肉が出たらどうしよう…などと心配していた佳奈だったが、幸運にもその心配は杞憂に終わった。
村のちょうど真ん中辺りに敷物が敷いてあり、そこに簡単な食事の用意がされていた。
並んでいるものは、何かの野菜、果物や木の実に素朴なパンなど。生肉はなさそうだ。
ホッとしたと同時にとてつもない空腹に襲われて、佳奈は有難く食事にありついた。
考えてみれば昨晩は夕食も摂らずにあのめまぐるしい事態に対処していたのだ。
それに空腹のせいだけでもなく、食事はとても美味しかった。
素朴なものばかりだが、小さな木の実やパンにしてもとても味が濃い。新鮮な卵もある。
聞けば、僅かだが村で鶏を飼っているそうだ。
スミは甲斐甲斐しく給仕してくれたが、食べるのは佳奈一人だ。
村の人達は大体が一緒に食事を摂るが、佳奈があまりにもぐっすり寝ていたので、起こさずに先に食べたらしい。
なんだかすごく恥ずかしいしいたたまれない。
それでもお腹がいっぱいになって満足すると、落ち着いて昨日の状況を聞くことが出来た。
金の王の突然の訪問に帰還。佳奈の身に起こった良く分からない現象。
その大半、主に後半にかけてはほとんど覚えていなかった。実際に見ていたカイも別人のようだったと言うし、あれは本当に金の姫だったのだろうか…?
それに、意識が途切れる直前、倒れそうな佳奈を慌てて抱きとめようと手を差し伸べるジーンを見たような気がする。
虚ろな意識が見せた幻だろうか?
考えに没頭し出した佳奈をよそに、スミはてきぱきと片付けをし、さて、と席を立った。
「そろそろ昼食の準備に入らなきゃね!狩りに行った連中も戻って来るだろうし。」
あんたも手伝いな!と、すかさず逃げようとしたカイの首根っこを掴むのも忘れない。
「スミさん、お昼ってみんなここで食べるの?」
「まぁ大体はね。ジーンは見張り場所で食べることが多いけど。」
「それなら、私がジーンさんにお昼持っていってもいい?」
昨日のお礼がしたいし、と告げるとスミは納得したようだった。
そういうことなら、と快く請け負ってくれた。
明るい中で見る銀狼の村は、美しかった。
高台にあるとはいえ、周りを深い森に囲まれている為に木の香りがするし、つつましく並ぶ家達は素朴で暖かい。
時折放し飼いの鶏が散歩しているが、崖から落ちたりしないのか聞いてみたら、強い結界に守られているのでその心配はないそうだ。
流石に試す勇気はないが。
村の入り口、急な坂道の辺りまで来ると、今度は濃厚な水の香り。水の音もしっかりと聞こえる。
ジーンの姿を探すと、昨晩見かけた場所、川を渡ったすぐのところに座っている。
佳奈はそちらへ向けて駆け寄った。