金の王との邂逅
長身で、細身の人物だった。
だが細身に見えるだけで、全身黒づくめの服からでも、しっかりと鍛えられた体であるのが分かる。
上下とも動きやすいシンプルな服装だけに、それが際立って見えた。腰には恐らく使い慣れた獲物なのだろう長剣。
短髪は濃い鈍色。月の光を反射した部分は淡く輝いてプラチナ色に見える。目の色は深い黒曜石。
ただ、とても整った顔立ちに反して仏頂面とも見える無表情、極め付きに眉間に深い皺。
それがとても他者を圧倒し近づき難い気配を放っていた。
佳奈は何故かそれがとても勿体無いと思った。
「怪我はないか。」
恐らくだいぶ長いこと惚けていたのだろう。
目の前の人物から声をかけられて、佳奈はようやく自分を取り戻した。
思わず見入ってしまったのは、ただ単に力を使い果たして脱力していたからなのか、それともこの美丈夫に見惚れてしまったからなのか。
突然凄まじく恥ずかしくなり、佳奈は思わず正座をして居住まいを正し、
「はい!なんともないです!」
授業で当てられた小学生の様な返答をしてしまった。ますます恥ずかしくなり、赤くなる顔。穴があったら入りたい。
俯いてしまったのを誰が責められようか。
「いやー、良かった良かった!お前が落ちちまうかと思ってヒヤヒヤしたぜ!」
自称センパイにも言いたいことは色々あったが、もうそんな気力もない。
ぐったりしつつ重い体をなんとか起こして立ち上がると、やはりその男性は背が高かった。
自分が狼だったから、だけではなかったようだ。
視線に気づいたのか、佳奈が問う前にカイが口を開いた。
「この人はジーンさん。村で一番強えんだぜ!だからこうして村の入り口で番人をしてるんだ!」
「あ、あの、初めまして!篠宮佳奈です。さっきはありがとうござ…」
佳奈としては、先ほどの助言のお陰で助かった様なものなのだ。
しっかりと頭を下げてお礼をしかけていたのだが。
「来い。村長が待っている。」
最後まで言う前に踵を返されてしまった。
びっくりして顔を上げると、もう広い背中しか見えない。
その背中が、佳奈を拒絶しているようで、それ以上言葉は繋げなかった。
川を渡る前には夜闇であまり見えなかったが、絶壁に見えた崖は太い円柱型だった。その周りを沿うように、蛇行して川が流れている。
その崖の半周を回る様に、急な坂道が上に向かって伸びていた。
ジーンと呼ばれた男性は、迷いのない足取りでその坂道を登っていく。
何か失礼があっただろうか。
自分の失態もあり、すっかりしょげてしまいながら佳奈がとぼとぼと坂道を登り始めると、横に並んだカイが小声で話しかけてきた。
「あんま気にすんなよ。ジーンさんはいつもあんな感じなんだ。お前のせいじゃねぇよ。」
すっかり見慣れた銀の毛並みの先輩は、何故か神妙な顔つきで語りだした。
「なんつーか、ココウの戦士っつぅの?すげぇ強いし村でも頼りにされてんだけど、そっけないってか、あんま人と馴れ合わないってか。」
そういうとこも、すげぇカッコいいんだけどな!などと一人で盛り上がりだした。
どうやらカイにとっては憧れの人物らしい。
自分のせいではないと知ってほっとしたものの、今度はまた別の感慨をもってその背中を眺めた。
佳奈には、あの真っ直ぐな目が深い悲しみを内包しているものに見えた。
月はすっかり中天を過ぎ、空は少しずつ白み始めてきた。長い夜が明ける。
「うわぁ…!」
急な坂道を登り終えて見えた景色に、佳奈は思わず声をあげた。
無骨な岩肌を登った先には、意外と広い空間が広がっていた。
楕円に近い形の地面に、簡単な山小屋の様な家がぽつぽつと建っている。
地面の空いている場所には畑らしき土の盛り上がりが見える。
だいぶ早朝に近い時間だが、起きて活動している者がいるのだろう。うっすらとした人の気配がある。
下を見下ろすと、さっき渡って来た川がだいぶ小さくなっていた。
川以外には深い森に囲まれた場所のようだ。
こんもりとした深い森が、見渡すかぎりに見える。
質素な村だが何処かホッとするのは、そこかしこにある篝火のせいか、同族の場所にいるからなのか。
そろそろ夜が明けるとはいえ、まだ暗い空を照らす橙色の炎は安らぎさえあった。
「村長の住んでるとこはあそこだ。真っ正面で分かりやすいだろ?」
カイの視線を追いかけると、確かに正面に他とは違う建物が見える。
大きさこそ他の家と同じぐらいだが、篝火のせいだけではない朱塗りの壁に、高床式。
どことなく古い社の様な印象を受ける。
カイと佳奈がそちらへ向かって歩き出したと同時に、ジーンは元来た道を戻り始めた。
気づいて振り向いた佳奈が問うよりも早く、
俺は番に戻る、という答え。
「あの、色々とありがとうございました!」
先の雪辱とばかりに勢い良く頭を下げた佳奈をちらりと見て、まっすぐ坂道を降りていく。
佳奈の気のせいでなければ、今小さく「あぁ。」と返答があったような…?
ぐんぐん先を行っていたカイに呼び止められるまで、佳奈はぼんやりと遠ざかっていくジーンを眺めていた。
銀狼の一族は夜行性なのか、それとも朝が早いのか。
村長の家に向かう途中で、何人か村の住人にすれ違った。
どの人物もカイにも佳奈にも気軽に声をかけ、佳奈には長旅を労い、カイにはからかい半分に無事新入りを連れて来たことを褒めた。
皆人の姿だったが、銀狼の姿のカイを見ても当然ながら驚かない。
簡素な動き易い服装をしていたが、髪や目の色はまちまちだ。黒に茶色に銀髪に違いもの、などなど。
佳奈も黒髪に焦げ茶の瞳だが、銀狼だからといって全員銀色な訳ではないようだ。
佳奈は、この銀狼という種族をもっと詳しく知りたくなった。
村長の住居の前の階段を登ると、中から招かれた。
出迎えた人物は、ジーンとは真逆の、でもとても美しい人物だった。
白に近いほど薄い銀髪に、色素の薄い瞳の色。
腰まで届くかという髪は後ろで一つに束ね、両頬にかかる一房が蝋燭の灯火できらきら光る。
長身ではあるが、ひょろっとして華奢な印象を受ける。
ともすれば鋭くなりがちな切れ長の目は、柔和な笑みで細められていた。
「ようこそ、銀狼の村へ。長旅で疲れたでしょう?まずはゆっくり休んで下さいね。」
室内もそう広くはなかったが、いくつも灯された蝋燭のお陰か、息苦しさはない。
磨きあげられた木の床は、飴色に光っていた。
村長は佳奈とカイにふかふかの敷物を勧め、暖かい飲み物を淹れてくれた。
香草の様な香りの強いお茶に、甘みがほんのり付いている。
器を両手で持ちながら、佳奈はようやく人心地がついた。
「私はこの銀狼の村の村長をしているシイロと申します。これからよろしくお願いしますね。」
「あ、篠宮佳奈です。初めまして!」
にっこりと微笑んで自己紹介され、佳奈も慌てて頭を下げた。隣のカイはすっかり寛ぎだして丸まって欠伸などしている。羨ましい。
「カナさんと仰るのですね。改めて銀狼の村へようこそ。ここへ来るまで大変ではありませんでしたか?ちゃんとカイは案内出来たでしょうか?」
「えっと、それは…」
案内出来てたようなそうじゃないような。
逡巡する佳奈をよそに、当のカイは得意げだ。
「バッチリだったって!な、カナ!」
「あー、うん、どうにか着いたことは着いたんですけど…。」
その様子を見て、シイロは大体の事情を察したようだ。
小さくため息をついた。
「カイはとても素直でいい子なんですが、少々調子に乗りすぎるところがありますからね…。カナさんが無事で何よりですが。」
「あっ、ひでーよ村長!オレだってちゃんとやる時はやるって…」
長くなりそうなやりとりを止めたのは、外からのただならぬ物音だった。
「村長!大変です!!」
血相を変えた村人が数人、駆け込む様に室内へ入って来た。
「何事ですか、騒々しい。」
只事ではない様を感じ取ったのだろう。
シイロもそれ以上は咎めずに先を促した。
「そ、それが、今外に…!入口のとこに…!」
余りに動揺して言葉がつかえているのを辛抱強く待っていると、
「金の王です!手勢も何人か連れています!!」
その瞬間、村長の顔から穏やかな微笑が消えた。