第百八十八話 重い言葉side華
実際のカウンセリングとは異なります。
ご了承ください。
「陽向ちゃん。陽向ちゃんは今、何が欲しい?」
椅子に座って話をする先生の顔を見て、陽向が不思議そうな顔をして首を傾げた。
「欲しい…もの?」
「そう、何かあるかな? して欲しい事でも良いよ」
「うーんとね。私は、いっぱい持ってるから、欲しがっちゃいけないんだよ?」
幼い頃に聞いた、たった一度の言葉が。
陽向の心の中に重くのし掛かっているのだと。
今更、私たちは知ることになってしまった。
私の隣に立っていた学の口から「くっ」という押し殺した呻き声が聞こえて見上げると、唇をかんで震えていた。
学の背中に手を添えてさすると、ギュッと目を閉じて何かを堪えるように拳を握りしめる。
「いっぱい持ってたら、欲しがっちゃいけないの?」
「うん。せかいのしあわせの数は、きまっていて。コップのお水みたいに一人ひとつってきまってるのに、お水があふれるほどほしがる人がいるから、他の人のコップにお水がいかないんだって」
叫び出したかった。
誰よ! そんなことを教えたのは!!
「わたしはお父さんがいて、ハナさんもいて。リッパなおうちにすんでて、困ったことがない。そんな生活をしているのにほしがっちゃいけないって。ヒナタのコップはいっぱいなんだから、ぜいたくだって」
私は悔しくて涙が出た。
龍矢が抱きしめてくれたけれど。
今、抱きしめてあげたいのは陽向。
抱きしめられるべきなのは陽向なのに。
「陽向ちゃんは、お父さんが好き?」
「うん、大好き! ……でもね、お父さん私がいたらダメなんだって」
先生が学を見た。
学は驚いたように首を横に振る。
当たり前よ。
どうしてそんなこと…。
「どうしてダメなのかな?」
「えっとね」
ちらりと学を見て、言い淀む。
「すみません、お父さん。一度病室を出ていただけますか?」
学は堪えたような顔をして頷き病室を出ていく。
たぶん、先生は学のことも考えてくれたのでしょう。
「さぁ、お父さんは外へ出たよ。話してくれる?」
「あのね、お父さんはわたしがいるせいで、けっこんできないんだって。だからマトワリツクナって」
あの当時、学にまとわりついていた女の顔を思い出す。
自分をっ棚に上げてよくもっ!
「けっこんってねしあわせなんだって、だからじゃましちゃいけないんだって」
「お父さんが結婚したら陽向ちゃんは幸せ?」
「うーん、わかんない」
「どうしたら幸せかな?」
「……私はいっぱい…もってるから…」
「うん、でも。考えるだけだから、大丈夫だよ」
「ほんと?」
「寝る前にチョコレートを食べちゃだめだけど、食べたいなって思っても食べてないでしょう? そう考えただけ」
「うん」
陽向は笑って頷く。
「それじゃ、陽向ちゃんはどうしたら幸せ?」
「あのね、あのね。わた…し。お父…さんとね」
「うん」
「お父さん…と。ただ…手をつないで…あるきたかった…の。みんなのお父さんみたいに…手をつないでふつうに歩きた…かった」
「うん」
「手って温かいでしょう? だからね…わたしはシアワセだから、お父さんにもとめちゃいけない…お父さんのじゃまになるから。だから、だから。…でも、欲しかった。大好きだよって抱きしめてくれる手が欲しかった」
陽向の目から大粒の涙がこぼれていく。
もういい、もうそんな悲しいことを言わせないで。
私の視線に、先生は首を横に振った。
「お父さんに話してみようか」
「ダメです。お父さんを傷つけるだけだもの!」
「手を繋いで走りたかったんだよね?」
「はい」
「そう、言おう」
「ダメです。それに今言ったところで、何も変わらない。変えられないっ」
「榊さん。学さんを中へ」
「わかりました」
龍矢が病室を出ていく。
「ダメっ、呼ばないでっ、呼ばないでーっ」
暴れる陽向を先生と看護師さんが押さえる。
「落ち着いて」
「やだっ、やだあああっ、お父さんにきらわれたくないよおっ」
学が病室に入ってくると、陽向がそう叫んだ。