第九十八話 応援団のお迎えだったのですけど
応援団はホールにいてギリギリまで練習をしているとのことでした。
時間はまだありますので、静先輩にホールに早めに行く旨を伝えてテントを出ました。
倉庫の横の狭い道を通ってホールの入り口へと向かうと風紀委員の方が立っていて私を見ると何も言わずに通してくれます。
いよいよ応援団解禁ですね!
上靴は持ってきていないので、スリッパを履いて中へと入ります。
扉を開けると丁度最後の練習を終えた所でした。
「あ、水崎さん。もう時間?」
「いえ、早めに来たのでまだ大丈夫ですよ」
結城先輩がこちらへ来て満面の笑みです。
「最高にしあがってるから。楽しみにしてて」
時間まで休憩! と結城先輩が声をかけると、シンとしてたホール内が少し穏やかになりました。
「団長二人を紹介しておくね」
紅組白組両方の団長を呼んで私に紹介してくれました。
「こっちが紅組団長の甲田晴来」
「こんにちは、何度か君を見かけたことあるよ」
甲田先輩は二年四組で修斗先輩と同じクラスだそうです。
赤茶色の髪でこれでも地毛なんだよと笑って言いました。
中学で苦労したそうで、あちこち学校を調べて泉都門にたどり着いたのだとか。
まぁ確かに泉都門は髪の色に関してあまりとやかく言いませんね。
髪の長さも自由です。
「こっちは白組団長の日向凛樹」
「ふうん、君が噂の生徒会補佐か」
日向先輩は二年七組で図書委員長だそうです。
本当なら三年生がまだ委員長をやっているはずなのですが、何でもその三年生は面倒だからという理由で日向先輩に早々に譲ったのだとか。
サラサラした短い黒髪で黒縁めがねをかけています。
そして、二人とも難関をくぐり抜けた男子外部生でした。
「こちらは日向君も言ったけど、生徒会補佐の水崎陽向ちゃん」
「どうも、水崎陽向です」
ごきげんよう…とか言えば良いのでしょうけど。
外部生のお二人には言いにくいといいますか、大変恥ずかしいです。
二人はまだ長ランを着ておらず、白いシャツが眩しいですよ。
「へえ。ひなたって言うんだ? 僕の名字は日本の日に向かうと書いて“ひゅうが”と読むんだけど。たまに“ひなた”って間違えて読む人がいるんだ。だから僕たちは“ひなた”だね?」
「私の名前は太陽の陽に向かうで陽向です」
「あぁ、そっちの方が君に会っている。とても可愛いね」
破壊力満載の笑顔で言われました。
隣で結城先輩が倒れそうになってますよ。
「何、日向。それ口説いてるの?」
甲田先輩が驚いた顔で言いました。
まさか、そんなことないですよね?
「気のない女性に可愛いなんて僕がいうとでも?」
んっ? 耳がおかしくなったのでしょうか?
日向先輩、何か変なこと言いませんでした?
隣で結城先輩が「はわはわ」言ってます。きちんと空気吸ってください。大丈夫ですか? 酸欠ですか?
「本人にスルーされてるよ」
甲田先輩、ちょっと余計なことを言わないで!
キッと睨みつけると、甲田先輩がニヤリと笑いました。
「何だ、わかっててスルーしたんだ?」
肯定も否定もしません。沈黙は金、雄弁は銀です。
「ふうん。僕の言葉を聞かなかったことにするつもりなんだ?」
何故か日向先輩がどんどん迫ってきます。
だめですだめですよ、口を開いたら負けです。
「狙った獲物は逃さない主義なんだ」
壁際のしかも角に追いやられて、両手で逃げ道を塞がれました。
早々に逃げる機会を失いました。大失態です。
しゃがんで逃げようと考えましたが読まれていたようです。
ただの壁なら両方に逃げる隙間があります。
でも、今いるのは角です。
角に追いやられる前に逃げ出すべきでした。
「日向!」
「甲田は黙っててくれないか」
「今日会ったばかりだろ」
「時間は関係ない」
「無理強いは良くない」
「無理強い? 何処が? 僕は逃げる道を残しておいたよ? 一分も」
一分もあったら確かに逃げる機会はありました。
でも、どこから一分だったのでしょう。
助けを求めるように甲田先輩の後ろに視線をやりましたが、結城先輩は何故かキラキラしている目でみていますし、他の応援団員の方々は動こうとする人が一人もいません。
目があった生徒にアイコンタクトを送ってみましたが、慌てたように首を横に振られました。
誰も助けてくれないようです。
こんなことなら出がけに言われた「俺もついていこうか」という静先輩の言葉に頷いていれば良かったのです。
あぁ数十分前の私よ、考えを改めて!
などと心の中で思っていても、もはや後の祭り。
すでに遅し。
「陽向。僕は…」
その先の言葉を聞いてはいけないような気がしました。
なので、見ざる言わざる聞かざるの精神で私は目と口を閉じて両手で耳を塞ぎました。
でも、ここで目を開けて置くべきでした。
全て踏襲せずに、目を開けていれば良かったのです。
腕をつかんで耳を塞いでいる手をどけられそうになったら、必死で堪えようと考えていました。
でも日向先輩はあっさりと私の両手を耳から外してしまったのです。
自分の両手で、私が必死で押さえている手の小指を外側に軽く引いて。
腕ならば、そう簡単に動かなかったはずです。
でも、小指を捕まれて外側に引っ張られると手首が動いてしまい、あっさりと聞かざるが崩壊しました。
そして目を閉じたままの私の右の耳元に、低い声が囁いたのです。
「愛してる」
ギャーーーーーーーと応援団には少ない女子の悲鳴が聞こえました。
キャーではありません。ギャーーーーーーーでした。
結城先輩は声がそこまで出なかったのか、「ひゃあああ」と言っていました。
随分と余裕がありそうに聞こえるでしょう。
ええ、ええ。
ただいま絶賛パニック中です。
耳元で囁く様にと言われたのは初めてなんです。
立っていられなくなった私は壁に背中を預けたまま、ズルズルと下がっていき床にへたりこんでしまいました。
今ここで「何を」とか「誰を」とか尋ねるとさらに恐ろしいことになりそうで。
口をつぐんだままうつむいていると、私の小指をつかんだままの日向先輩が視線を合わせるようにしゃがみました。
「白組で残念だな。紅組だったら、鉢巻で小指と小指を繋げるのに」
「それ赤い糸じゃないじゃないですか」
思わずツッコミを入れてしまいました。
「糸なんかじゃすぐに切れてしまう」
潤んだ瞳と目が合って。
どうした、どうした! 水崎陽向!
しっかりしろ!!
しっかりと見据えて言ってやるんだ!
「何を!?」
自分の心の声にツッコんでしまって、もはや冷静でいられない自分がそこにいました。
何かを言わなくては。
そう思うのに言うべき言葉がみつかりません。
結城先輩がようやくハッとしたらしくホールの時計を見ました。
「大変! そろそろ長ラン着ないと時間がなくなるよ、みんなも鉢巻と手袋忘れないでね!」
はいっと声がそろって、全員が用意し始めました。
日向先輩以外。
お願いです。
手…放してくれませんか。
周りにハッキリとした表現をする人が今までいませんでした
押しが強い人の登場です