01
とある村。そこにリクヤという青年がいる。
剣術はそこそこの腕前で、朝はちょっぴり苦手。
エビフライと飲み物はコーヒーが好物の、どこにでもいるような普通の青年だ。
ただちょっと突っ走り気味で、そしてとても方向感覚が良いなんて特徴ともいえないちょっと優れた部分もある青年だ。
そのリクヤは妹のマイヤに起され朝食を取ったあと、村長に頼まれていた村の外の森の見回りに出かけた。
村は美しい森に囲まれていた。しかし、この森は詳しい者でなければ抜けることが出来ないとされる樹海だった。
村の者からすればこれ以上ないほどの盾であるが、森の抜け方を知らない者達からは死の森とさえ言われているほどである。
故に森には人の手はほぼ入っておらず、様々な動植物が独自の進化を遂げている。
その中には魔物と呼ばれる知能が高く不思議な、魔法とも呼ばれる力を持った者も生息している。
魔物はさまざまな姿かたちをしている。犬のような姿のもの、人間と変わりがないくらいの姿の者など、多岐にわたる。
その魔物は、中には厄介なものもいてたまに人も襲う。とくに獣型の魔物からすれば、人間は他の動物と同じ捕食対象になりえる。
特に人型の魔物なら理解しあえるものも少なくないが、被害が少なからずあるのは事実だ。
襲われてしまうものの大抵の人間はうっかり森の抜け道から逸れ、彼らの縄張りに足を踏み入れてしまったから攻撃される、というものである。
たまに縄張り争いにただ巻き込まれるのようなものもあるのだが。
リクヤの仕事は迷い人を村や森の外に案内したり、襲われている人を助けたり、村にマーキングをしたりすることである。
方向感覚や剣術に優れ、村のことも森のことも熟知しているからこそできるリクヤの大切な仕事である。
「今日も平和だなー…」
木漏れ日が優しく降り注いでいる。空は青く雲ひとつ無い。
視界も良好で森は何事も無く平和のように見えた。
「うしっ異常なし!帰るか!」
そういってリクヤが村へ帰ろうとしたときだった。
ぶにゅっと。
何か生暖かいものを踏んだ。
直後、「ぎゅえっ」という、何とも形容し難い変な声のようなものが聞こえた気がした。
「………」
何かを踏んづけたままの体制でリクヤは固まった。
激しく下を見たくない!
リクヤはそう思った。
きっと踏んだのは人。奇妙な声が聞こえたが、ちゃんと人間の喉から出された声だと分かる声だった。
リクヤの仕事は迷っている人を助けたり、襲われている人を助けたりすること。
なのだが、その「人」を踏んだ。
一瞬無言の間のあと。
「うっわああああ!!すみません!!気付きませんでした!!」
人とは思えぬほどのスピードでその場から離れて頭を下げる。
(俺何やってんの!倒れてる人を踏むなんてある意味トドメさしたじゃん!)
リクヤは思ったより仕事に誇りを持っている。
なのに(理由はわからないが)倒れている人を踏ん付けてしまって申し訳ない気持ちが溢れるほどわいてきた。
「……?」
瞼を持ち上げて踏んだ人を改めてみる。というのも反応が無いからだ。
「………」
「…………」
「……………」
(何。この間)
先程よりももっともっと嫌な汗がリクヤの背中をつうっと伝う。
まさか…と嫌な予感がした。
(え、ちょっと待って、マジで俺トドメさしちゃった!?)
冗談だったのに!
そう思うも反応はやっぱりない。
(マジ待てよ!踏んでお陀仏だなんて死んでも死にきれねーよ俺なら!!)
リクヤは踏ん付けてしまっただろうその人物にそっと近づく。
その人物―10歳半ばくらいに見える少女―はうつ伏せで倒れていた。
白いワンピースみたいなものを着ている。ボロボロで原形をとどめてない時点でリクヤはとんでもない事件を目の当たりにした気分だ。
くわえ靴も履いていない。足は小さな擦り傷でいっぱいだった。
ワンピースは太ももがギリギリ隠れるくらいの長さで、露出している足は物凄く細く、折れてしまいそうだった。
傷だらけで一見したら捨てられた子供かとも思われたが、肌は絹のように滑らかで白い。箱入りお嬢様のようにも感じる。
どうやらこの森でつけた傷のようだった。
髪は腰まで伸びた空色をしていて土などで汚れているもののそれほど痛んでいるようには見えない。
ほんの少し前までは普通に…いや、そこそこ良い生活していたと思われた。
(ワケありか…?)
自分よりも一回りも二回りも小さい少女に心を痛めながら、リクヤは彼女の肩を揺すってみた。
とりあえず意識を確認する。先程踏んで声を出したのだから、ちょこっと気絶しているだけだと思われる。
「…ん…」
リクヤに三回ほど揺すられて漸く彼女は気付いたようだ。
(良かった、気付いた!)
「…こ、…こは…」
透明な声だった。
高すぎないアルトの、小さな声がリクヤの耳にすうっと入ってくる。
リクヤは安心させるように柔らかな笑みを浮かべながら、その質問に答えた。
「ん?…俺の村の周りの森ん中。見回り中にお前倒れてんのを見つけたんだ」
踏んだことを覚えていらっしゃらないらしいのでリクヤはあえてそこは言わないで置く。当たり前だ。
「…」
無言のまま少女はゆっくりを身体を起した。
彼女はまさに美少女というような整った顔をしていた。
リクヤは思わず彼女に見惚れた。
けど何か違和感を感じる。
(……ん?)
可愛いというより綺麗って感じの彼女を改めて見る。
お人形のように整った綺麗な子見たこと無いからだろうか、と思ってリクヤは気付く。
(こいつ…男!!)
睫は長いし、肌は白いし、髪は腰まで伸びてるし、華奢であるが、起き上がった彼女…いや彼をよくよく見れば気付けた。
骨格など細かいところを見れば中性的な感じではあるがちゃんと男の子だ。
ワンピースのようなものを着ている上に髪が腰まで伸びていたからリクヤは女の子だと思い込んでいた。
(か、重ねて申し訳ないじゃんか…!!)
「君みたいな女の子がこんな森でどうしたの」と聞く前に気付いてよかったと胸をなでおろしながら、改めてリクヤは彼に尋ねた。
「どうして…倒れてたの?村に行くにせよ森の外に行くにせよ、送るけど。それより手当てが先だな!ったく…きれーな肌してんだからこんなに傷作っちゃダメだろー」
魔物に襲われた人のための救急箱は見回りの際常備している。
それを取り出し手当てをしようとしたときだった。
「触らないで」
ぴしゃり、と彼が言い放つ。
一瞬何を言われたのかわからなくてリクヤは目をぱちくりさせて彼を凝視してしまった。
(やややや、やっぱり踏んだこと覚えてて怒っていらっしゃる!?あああしくった。誤魔化さないできちんと謝るべきだった!!)
リクヤは心の中で勝手に反省会を始め、無意識に顔が青くなった。
焦るリクヤと比例して、彼もとたんに焦り始めた。慌てた様子で立ち上がりながら首と手をぶんぶん振り………。
「あ!ち、違う!そういう意味じゃなくて!ぼ…僕に関わらないでってこと!」
(……はい?)
リクヤは彼の言葉を反芻する。
彼が居心地悪そうに視線を少しふらふらを彷徨わせ、そして俯いた。
力ないその姿を見て、リクヤは気付いたらごめんと呟いていた。
そういわれても仕方の無いことしか思い当たらなかったのだ。
え?と彼がゆっくりを顔を上げる。
「なに…?どうし………」
「最初に謝るべきだった本当ごめん!でも悪気があったわけじゃないんだ…!」
「え?」
「見回り終わったと思って気い抜いて下見てなかったんだ!」
勘違いということもしらず、リクヤは地面に手を付いて土下座して謝った。
明らかに困惑し始めた彼にさえ気付かない勢いで続ける。
「踏んづけてごめんなさい!だから手当てくらいはさせて!」
…踏んづけて?そう、疑問しか浮かんでいないような様子で彼は、リクヤをとめに入った。
「そうじゃなくて!ちょっと聞いて!」
「はい…なんでしょうか…」
申し訳ない気持ちがあるからか、正座しなおしてリクヤは彼見上げる。
彼ははぁ…と小さくため息のような息を吐いた。
「そんな格好しなくていいです…。別に僕は不快に思ったとかじゃなくて、ちょっと言えない事情があって時間がないの」
だからすぐ行くから、と、詳しく説明する気はあまりないらしい彼は、短く答えにならない答えを残してくるりと方向転換して森の奥に行こうとする。
「まったああああ!!」
それでは意味がない!とリクヤは心の中で続けて叫び、彼の腕を掴んだ。
その瞬間ビクリと肩を震わせた彼にリクヤは気付く。怯えとも取れるその反応に、しかし気付かないフリをして彼が振り向くか向かないかという所でリクヤは叫ぶように言った。
「ここは、知っている人でないと抜けられない樹海なんだ!迷路とも言われてる!怪我をしてるなら尚更迷うだけだ!」
「…いいの。迷路なら尚更。………だって見つけられないもの」
「え、何?」
最後の言葉はリクヤには聞こえなかった。
首を傾げるが彼は答えるつもりは無いらしい。リクヤの腕を振りほどく。
「心配してくれて有難う。でも大丈夫」
「大丈夫じゃない!怪我をしている人をほっとけるほど俺非常じゃないんだよ!大丈夫とか言われてはいそうですかって見送って、もし君に何かあったら…そう思うと見送れないってば!」
「だから…ってちょ!」
埒が明かないとリクヤは彼の腕を再び取るとその場に座って綺麗な水とタオル、消毒液や包帯などを取り出した。
彼が何かを言っているが、全てスルーした。
ちょっと抵抗を見せた彼も、リクヤが聞く気がないのがわかると、諦めたようだった。
大人しく手当をされる。
「傷は浅いな…ここいらの木々で掠ったか…これなら水で洗うだけで大丈夫だな」
下手に消毒や包帯を巻きつけると逆に雑菌が入りそうだ、そう判断したリクヤはうっすらと線が入った傷を丁寧に洗う。
「…ねえ、人の話聞く気はないんだね…」
「ああ、聞いてる聞いてる」
反対の耳に流してるけど。とは言わない。
「…はあ」
彼はもう観念したのか、口でも何も言わなくなった。
それにリクヤはふっと笑うと、代わりに口を開いた。
「そういえば…君の名前は?オレはリクヤ…キサラギ リクヤってんだ!」
「…な、まえ?」
当たり障りの無い質問のつもりだった。しかし彼は首を傾げた。
リクヤが顔を上げると彼ははっと我に返ったように取り繕う。
「あ、ああ!名前、名前ね、えっと…」
取り繕えていない。リクヤは眉を顰めた。
何を言っているんだろうか、と。まさか彼には名前がないのだろうか。とすると捨て子の可能性が高い。
しかしそうだとは少しも思わなかった。リクヤ自身根拠などないがそう思った。
そのかわり心の奥で何かがチクリと痛みを覚える。
彼の名前がないことに対してショックを受けたのかなとリクヤはぼんやりと考えていた。
否、コレは警鐘。
その意味に気付かないまま、リクヤは彼に続けた。
「まさか、名前がないのか?うーん、それじゃあ不憫だな…」
「…好きに呼んでいいよ…」
先を読んだように彼が小さく呟くように言った。
ぱっと振り向いたリクヤは優しく微笑んでいた。
「そっか!…んー…じゃあ『レイファ』って呼んでいいか?」
「れいふぁ?」
「いやーお前の空色の髪!オレの母さんの好きな花と一緒の色でな!ぴったりだって思ったんだ!」
「レイファ…うん、それでいいよ。太郎とか名無しの権兵衛とか言われたらどうしようかと思ってたから」
「お前ー…オレはそんな残念なネーミングセンスだと思ってたのかよー」
ははは、とリクヤの笑い声が森に響いた。それに釣られたかのようにレイファ、と呼ばれることになった彼も微かに笑った。
「お、笑ったな!」
リクヤは傷を洗っていた手を止めてくしゃ、とレイファの頭を撫でた。
汚れててもなおさらさらと指の間をすり抜ける彼の髪は気持ちよかった。
「その方が全然いいぜ、何があったかしらねーけど暗い顔してるより笑ってた方が何事も上手くいく…そう思うだろ!」
理想論だ、と片付けられるかもしれないと思ったが、レイファはそんなことは言わず、ただ静かにそうだねと頷いた。
少しして、レイファの治療が終わる。
「さって!これで終わり!傷は全部掠った程度で出血もないといっていいくらいだ。直ぐ塞がると思うぜ」
「…ありがとう」
「じゃーオレの村に行くか?昼近いしめしでも食ってけよ」
治療の間リクヤはレイファに倒れていた理由は聞かなかった。リクヤはどちらにせよはぐらかされると思っていたから。
しかし放っておけないのがリクヤの性分だ。
靴もないし、着ている服も軽装過ぎる。せめてもう少し何かを持たせようと思っていた。今は手持ちがないが家にはある。
だからこそ誘ったのだが、レイファはゆっくりと首を横に振った。
「…いいよ、そこまでしなくても」
そう言うことはわかっていたから、リクヤはレイファが答える前に既にレイファの手を掴んでいた。
にっこりとリクヤがレイファに微笑みかければ、レイファは意味が分かったらしい、小さくまた溜息をついた。
「いいからいいから。好意は素直に受け取っておけって」
「やっぱり…人の話、聞く気ないでしょ」
「あはは、ごめんなー。それはそれとして、靴は流石にもってねーんだわ…だっこしてもいいけど…流石に…」
「嫌に決まってるでしょ!」
「だよなー…」
裸足で歩かせるのも本当に申し訳なく思ったリクヤだが、幸い村は近い。多少我慢してもらうことにした。
その間はいろんなことを話した。と言ってもリクヤが殆ど一方的に喋っていた。
自分の村のこと。
家族のこと。
仕事のこと。
それをレイファは小さくとも確かに相槌をうっていた。
薄らと木々の間から村が見えてくるところまでやってきた。
「ほら!村が見えてきたぞ!」
「……」
リクヤが指差してレイファに振り向いたときだった。
レイファが顔面蒼白に、リクヤの顔を見ずに前方を凝視していた。
「え」
リクヤの小さな声さえかき消すかのように。
轟音が鳴り響いた。