【五】
エピローグ的なね。
三月になった。
三年生が卒業して、ちょっとだけ広くなった学校。
朝の教室。
私はいつものように、その子に声をかけた。
「おはよう、たかね」
「お、おはよう」
常葉たかねさんは、恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、雪ちゃん――と挨拶を返してくれた。
「もう慣れようよ。私まで恥ずかしくなる」
「ご、ごめんなさい」
あのあと、常葉さんは病院に運ばれ検査を受けた。目を覚ましたのはその日の昼頃。キラーに憑かれていた間のことは記憶が曖昧らしい。
私は彼女を「たかね」と呼ぶことにしたわけだけれど、はじめはかなりの勇気を要した。
特に、千歳さんや深川さんの前で呼ぶのは。
常葉さんはそのあともなかなか「雪」とは呼んでくれなかったけれど、執念が上回りついに最近、呼ばせることに成功した。ちゃんづけだけれど。ぎこちないけれど。
こうやって少しずつでも、常葉さんともっと仲良くなれたらいいなと思う。
「たかね、おはよう」
遅れて教室に入ってきた春は、こともなげに「たかね」と呼ぶ。
「あ、おはよう、春ちゃん」
常葉さんも「春」で返す。ぎこちなさはない。なぜだ。
今回の件で、私は天神に目をつけられた。私の力はかなり珍しい力だ。今までは訓練してもどうにもならなかったが、覚醒を知った天神が放っておくはずがない。
今後、何かと面倒なことがあるかもしれない。
もしかしたら危険な目に遭う可能性もなきにしもあらず――だ。
そして常葉さんは、依然として天神の監視下に置かれている。何か問題が見られればすぐに研究所行きとなってしまう。ただでさえ、研究所の連中は変容体となったにもかかわらず復活を遂げた常葉さんに対して、目を光らせているのだ。それだけ稀有な例なのだろう。
それに今後、キラーと接触したことで常葉さん自身になんらかの影響があるかもしれない。超能力に目覚める可能性もありうる。だが、天神にはこれ以上、常葉さんと関わらないでほしかった。もう、友達を危険な目に遭わせたくはない。
黎さんは、私の監督者でもあるにもかかわらず無許可であの力を使わせたことで、天神から厳重注意を受けたらしい。本当は注意じゃ済まないと思うけれど、黎さんはどこ吹く風と無視を決め込んでいたし、被害が出なかったことと結果的にうまくいったことで大目に見られたのかもしれない。
あれ以来、黎さんはよく家に帰ってくるようになった。
以前のように何も知らなかった時代に戻ることはできないし、全てなかったことにするなんてできない。
私の人生は黎さんによって歪められ、黎さんによって正された。
黎さんが敷いた軌条から脱線した今、私は自分の意志で、あの人と一緒にいるのだ。
だから今日も――そしてこれからも、私はあの人の妹でいる。
雪はいずれ解け、花を咲かす。
けれど犯した過ちは――決して消えることはない。
やっぱり私は――たとえ黎さんが仕組んだことだとしても――自分を許せないし、赦してはいけないと思う。
それは私が――私と黎さんが、死ぬまで背負わなければならないものだからだ。
黎さんは私を、殺人者だと言った。
人殺し。
私には、人を殺せる力があるのだ。
人を殺せる力――自分がなぜこの力を使えるのかはわからない。
だが、化物の言いなりにだけはならない。
最期に殺すのは――お前だ。
朝の教室。
窓の外では桜の木が、気持ちよさそうに風に揺られていた。
◆
私達は歩いてゆく。
「春」
「なんだ、ユキ」
織り重なった世界の上を。
「どうして一年生の教室に編入してきたの。春なら二年生の授業でも余裕でついていけるでしょ」
「その話か――考えてもみてくれ」
私達は旅している。
「あたしは学校に通ったことがない。ずっと施設で教育を受けていたんだ。そんなあたしがいきなり二年生の教室に入って、うまくやれると思うか」
果てしない荒野の、地平線を目指して。
「ふーん――つまり年齢をごまかしてまで、私と同じクラスになりたかったってことか」
「そんなことは言っていないだろ。それにごまかしてもいない。ただ話していなかっただけだ」
「お姉ちゃんは怖がりなんだね」
どんなに彷徨っても、決してその向こうへ辿り着くことはできない。
「生意気な妹」
「だって、いきなり一つ年上って言われてもさ――ずっと同い年だと思ってたから」
けれどきっと、私はそうやって生きてゆくのだろう。
不確かなものを手に入れようと、足掻き続けて、もがき続けて。
――柔らかく、穏やかな風が駈けていった。
早く早くと急かすように。
「なんて紹介しようかな――」
雪が解け、草木が芽を出し花が咲く、夜明けの光。
季節は、春。
(アカン)