曖昧なワタシ
妙な胸騒ぎのした夜に、ある犬のような動物の臭いのする生き物が、私の元を訪れた。そいつは「大事な物を盗んだ」と言って、「それを取り返しに来た」とも言った。
私は覚えが無いので正直に、
「そんなものは知らないから、さっさと帰ってくれ」
と言った。
すると、その犬のような臭いのする生き物は
「ふふん」
と鼻息を荒くすると、ますます犬のような臭いをさせて言った。
「お前のように薄汚い泥棒野郎は初めてだ」
私は困り果てて、
「もうすこし順序だてて話をしてもらわなければ、何がなんだかさっぱり分からない」
と返した。すると、その犬のような動物臭のする生き物は言った。
「話しても言いが、話を聞いたら、ちゃんと返してくれるんだろうなぁ」
私はそれに対して、「返すべきものが、あるならば返す」と答えた。
「あれは、三年前にお前が研究所にいた時の話だ」
そう切り出した動物臭の生き物に私は鋭く言った。
「研究所だって?私は一度も研究所に入った事なんて無いし、三年前は日本にいなかったはずだ」
「それこそが、そもそもの間違いだって事に、なんで気付かないのかね」
私は何がなんだか分からなくなっていた。
「あんたは三年前、自分がパリに居たと思っている。しかし本当にそうだろうか?」
「何を根拠にそんなデタラメを……なんなら証拠を見せよう」
私は確かにパリで、友人と一緒に羽を伸ばしていたはずだった。私は、棚にあったアルバムに無造作に挟まれた封筒を取り出した。
その妙な動物臭の生き物は自信たっぷりに私を見ていた。写真には、凱旋門やエッフェル塔をバックに撮った写真が何枚かあった。
「どうだ、これでも嘘をつき続けるのか」
「はっは、お前さん、よく見てみろよ。ここに写っているのは、どれもお前じゃなくて、お前の友人だ。一枚だってお前さんは写っていないじゃないか」
言われてみると確かに、この写真には私の姿は写ってはいなかった。なんで、こんな不思議な事に気が付かなかったのだろうか。
「お前さんが、パリに行ったという証拠はどこにもない」
「そんな馬鹿な、私は確かに……そうだ、電話で友人に確認させよう」
「どうかな」
不敵な笑みを浮かべている犬のような臭いの生き物を訝しがりながらも、私はケータイ電話のボタンを押した。
「もしもし、私だが、斎藤君かね?」
「はい、そうですが。どなたですか?」
「ああ、雪村だが」
「雪村さん……ですか?」
「そうだ、こないだのパリで見た戯曲は実に良かったなぁ」
「は、はい、確かに雪村さんとパリで戯曲を見ましたが……貴方いったい誰です?」
「え?」
私は、ますます訳が分からなかった。
「貴方は確かに雪村さんの様な喋り方をしていますが、女性ですよね?」
「何を馬鹿な事を言って……」
女性だなんて、そんな変なことを言われるとは思わなかった。
私はケータイを切って、奇妙な犬のような臭いのする生き物に向き直った。私は、この状況を説明できるのは、何もかも知っていると言いたげなこの生き物しかいないと思うようになっていた。
「これで分かったでしょう。三年前、お前はパリにはいなかった」
「……」
「そしてお前は男性でもなければ、雪村でもない」
「そんな事……」
「そしてお前は、人間ですらない」
この不気味な犬のように動物的な生き物の言う事は滅茶苦茶だった。
「お前は三年前、ある研究所で造られた精巧なアンドロイドだったのだ」
「そんなSFみたいなことがあるか」
「そして、お前を造ったのは他でもない私、雪村大都だ」
「お前が雪村大都?雪村大都は私だ」
「嫌、違う。お前は人間ではない。その証拠に、お前からは動物的な臭いがしないだろう」
「動物的な臭いだと?この私からそんなモノがする訳ないだろう」
「それこそが、お前がアンドロイドだという証拠だ。私は実験の際に、本当はメイド用のOSを入れるはずが、誤ってお前の記憶に、私の日記を入れてしまったんだ。」
メイド?この私が……。
「そんなのはデタラメだ、私が雪村大都だ。私は三ヶ月前までに食べた夕食のメニューを全て暗唱できるぞ。ラーメンだろ、焼き魚、ボルシチ、ラー……」
「そんな事、本物の雪村大都にできるわけないだろう」
「できないのか?」
「普通の人間なら、おとといの晩飯が限界だ」
嫌だ、メイドなんて嫌すぎる。この男を処理すれば、私が本物の雪村大都になれるかもしれない。
「さらに、ロボット三原則によって、お前は人間に危害を加える事はできない」
「仮に、私がアンドロイドだとしても、お前にOSを書き換えさせなければ良い」
「だが、お前は返すべきものがあるなら返すという約束をした。私の日記を返すという事は、全て最初からOSのインストールをやり直す事に他ならない」
「く、なんて卑劣な」
「狡賢いと言ってもらおうか」
「分かった、この日記はお前に返そう。だが最後に、これだけは最後に約束してくれ」
「なんだ」
「猫耳だけは止めてくれと」