10
目が覚めた時、まだ空は白み始めたばかりだった。
寝台の薄布越しに、朝の気配が静かに滲んでいる。
リーゼはしばらく、どこにいるのかわからなかった。
腕の中に熱がある。
背中を支える重みがある。
首筋に落ちる呼吸が、ひどく近い。
それでようやく思い出す。
昨夜のことを。
告白して、泣いて、笑って、呪いが解けて。
そして、ようやくこの腕の中に落ち着いたことを。
リーゼが少し身じろぐと、すぐ背後の気配が動いた。
「……起きたか」
かすれた声だった。
眠たげなのに、妙に低く甘い。
リーゼはゆっくり振り向いた。
ルシアンがすぐ近くにいた。
黒髪が少し乱れて、いつもより年相応に見える。けれど、その金褐色の目だけは、目が覚めた瞬間からはっきりとリーゼを捉えていた。
その視線に、胸の奥がどくんと鳴る。
「おはよう」
小さく言うと、ルシアンは返事の代わりに、リーゼの頬へ手を伸ばした。
指先がそっと触れる。
まるでまだ夢ではないか確かめるみたいに。
「……どうしたの」
「いや」
ルシアンは少しだけ眉を寄せた。
「変だ」
「何が」
「全部」
言いながら、ルシアンはゆっくり息を吐く。
その吐息さえ、昨夜までよりずっと濃く感じる。
匂いも、熱も、体温も。
リーゼはそこで、ふと気づいた。
昨夜、呪いが解けたあとから、ルシアンの存在がひどく鮮烈だ。
ただ近いだけじゃない。
もっと深いところで、はっきりとわかってしまう。
この人だ、と。
ルシアンの方も同じだったらしい。
リーゼの首筋へ顔を埋めかけて、はっとしたように止まる。
「……まずいな」
「何が?」
「君の匂いが、前よりずっと駄目だ」
「駄目って何よ」
「理性に悪い」
真顔で言われて、リーゼは思わず吹き出した。
ルシアンは笑わなかった。
笑わないまま、目を細める。
「笑い事じゃない」
「でも」
「本当に」
そこでふと、ルシアンの表情が変わった。
驚いたみたいに、自分の手を見て、次にリーゼを見る。
空気が少し張る。
「……ルシアン?」
「力が」
低く呟く声が、わずかに震えていた。
リーゼは身を起こした。
「どうしたの」
「増えてる」
「え?」
「はっきりわかる」
ルシアンはゆっくり拳を握った。
寝起きだというのに、周囲の空気が少しだけ密になるみたいな感覚がある。押しつけられるような威圧ではない。けれど、以前より明らかに強い。
アルファとしての圧が、静かに増している。
リーゼは息を呑んだ。
「……本当に?」
「ああ」
ルシアンはまだどこか信じられない顔をしていた。
けれど視線が戻ってくる。
まっすぐにリーゼへ。
「君が俺の運命の番だ」
朝の静けさの中で、その言葉だけが異様に鮮やかに響いた。
リーゼの喉が、ひゅ、と鳴る。
ルシアンはかすれた声で続けた。
「フェロモンなんかなくても、俺はずっと君を……」
そこで一度、言葉が途切れる。
いつもなら皮肉に逃げるのに、今日は逃げなかった。
逃げられないみたいに、じっとリーゼを見ている。
「ずっと、好きだった」
リーゼは目を見開いた。
昨夜、確かに聞いた。
昔から好きだが、って。
でも今のそれは、昨夜よりずっと静かで、ずっと深く胸に落ちてくる。
呪いがあったからじゃない。
匂いに惑わされたからでもない。
ずっと、好きだった。
その事実が、朝の光みたいにじわじわと心へ満ちていく。
気づけば、リーゼの目にはまた涙が浮かんでいた。
「……朝から泣くなよ」
ルシアンが少し困ったように言う。
「泣かせてるの、そっちでしょうが」
「俺か」
「あなたよ」
声が震えて、うまく怒れない。
ルシアンは仕方なさそうに笑った。
その笑い方があまりにもやわらかくて、リーゼはもうだめだった。
自分からその胸へ飛び込む。
ルシアンが、今度はためらいなく抱きとめた。
強い。
昨夜より、さらに。
でも怖くはない。
苦しいくらい心地いいだけだ。
「……困ったな」
ルシアンがリーゼの髪へ顔を埋めたまま言う。
「何が」
「たぶん俺、前よりもっと君に甘いぞ」
「知らないわよ」
「知ってくれ」
「嫌」
そう言ったのに、リーゼは笑っていた。
ルシアンも低く笑う。
その振動が胸に伝わってくる。
こんなふうに朝を迎えられるなんて、一周目の自分は想像もしなかった。
血と泥の夜の先に、こんな静かな朝があるなんて。
ルシアンは少しだけ身体を離して、リーゼの顔を見た。
「……リーゼ」
「なに」
「今さら確認するのも変だけど」
「うん」
「本当に、俺でいいんだな」
その言葉に、リーゼは少し目を見張った。
昨日あれだけ言って、抱きしめて、好きだと告げたあとでも、まだ聞くのだ。この人は。
疑り深くて、不器用で、でもそういうところが、どうしようもなく愛しい。
「いい」
リーゼは迷わず言った。
「あなたがいい」
ルシアンが目を伏せた。
長い睫毛の影が落ちる。
照れている。
そんなことあるんだ、と少し可笑しくなる。
「……あんまり何度も言うな」
「どうして」
「理性が死ぬ」
真面目に返されて、リーゼはとうとう声を上げて笑った。
「知らない」
「ひどいな」
「あなたも散々ひどかったでしょう」
「それはそうだ」
そこは認めるのか。
また笑いがこみ上げる。
笑って、それからリーゼは思った。
この人といると、自然に笑える。
気を張らなくていい。
愛想笑いで場を保たなくていい。
ただ嬉しくて、可笑しくて、息がしやすい。
ルシアンはリーゼの涙の跡を親指で拭った。
「今日は出たくない」
ぼそりと言う。
「何それ」
「誰にも会いたくない」
「公爵家の跡取りがそれ言う?」
「言う」
「だめでしょう」
「君も一緒にさぼるなら考える」
「もっとだめ」
「冷たいな」
「普通よ」
でも実際、自分も誰にも会いたくなかった。
この朝を、もう少しだけ、誰にも邪魔されたくない。
そんなリーゼの顔を見て、ルシアンが小さく笑う。
「同じ顔してる」
「してない」
「してる」
そのやりとりさえ、なんだか甘い。
窓の外では鳥が鳴き始めていた。
朝はもう、本当に来てしまっている。
それでもルシアンはもう一度だけリーゼを引き寄せ、額へ口づけを落とした。
「もうしばらく」
「うん」
「こうしてていいか」
リーゼは目を閉じて頷いた。
「いいよ」
それは短い返事だった。
でも、今の二人にはそれで十分だった。
アルファ覚醒して、この後は世代交代人狼公爵になりますが、後日談は体力があればまたの機会に
お読みくださりありがとうございました。
できれば感想くださると作者とてもとても喜びます!
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