第九話 腐葉土
朝から強い日差しが照りつけてくる。この国も夏に入ったのだ。ただ、日本ほど湿気はなく、適度に風が吹いてくれるので過ごしやすい。夏が好きな義行は毎日、裏庭の畑に出ている。
そんな中、あの人がやってきた。
「魔王さま。フリッツ殿が来られました」
「量産の目途がついたのかな?」
「それはわかりませんが、いい表情でしたよ」
執務室に向かおうとしたところで「グエッ」と変な声が響いた。シャツで首の締まった義行から漏れた声だ。
「ま・お・う・さ・ま。お客様と会うのに、その服装ですか~?」
クリステインが美しい低音を背後で響かせる。
(いいか、振り返るなよ、今なら気絶する自信がある)
襟首を捕まれ、義行は引きずられながら自室に連れていかれた。勿論、着替えのためだ。
「ねえ、これ厳つくない?」
「なにか?」
クリステインには逆らえず、着替えてから執務室のソファーに座っていると、サイクリウスと笑顔のフリッツさんが入ってきた。
「魔王さま、まずはこちらをお納めください」
フリッツさんから出されたのは、木桶いっぱいに詰まった塩だった。
「正直に言いますと、城下からも距離があり、若干見放された村でした。しかし、このような特産品もできて村は活気づいています。これは村民からの御礼です」
その後、塩づくりの現状を聞き、義行は一つだけお願いをした。
「海水を蒸発させるとき、大量の薪を使っていると思います。薪として伐採した分、新たな苗木を植えてください」
「わかりました、なにか理由があるんでしょうね」
多少の間はあったものの、フリッツさんは「必ず」と約束してくれた。
「サイクリウス、フリッツさんに偽造できない公認許可証って作れる?」
「かしこまりました。フリッツ殿、こちらへどうぞ」
二人が執務室を揃って出て行った。
事後処理は、サイクリウスに丸投げだ。
再び作業着に着替えた義行は、ノノと秋からの畑の相談のため裏庭へ向かった。
「お待たせ」
「あら、お客様はよろしいのですか?」
「小難しい話はサイクリウスに任せた。外で作業してる方が百倍楽しいよ」
「フフッ。以前は嬉々として対応されてましたのに。魔王さまとは思えない発言ですわ」
義行はヒヤッとした。最近は地が出てしまうことが多くなっているのは気付いていたが、本当に慣れとは恐ろしい。
「さて、秋の畑だな」
「ポテの量産はしたいですわ。主食として十分いけますから」
「絶対とは言えないけど、ポテは秋植えもできたはずだ。試してみよう。ただ、収穫が十一月頃になるけど大丈夫?」
「そうなるとコムギとオオムギが難しいですわね……」
ここの食糧事情を考えれば、できるだけ畑を遊ばせたくないのは義行も理解できた。
「どのくらいの畑で作りますの?」
「今回は試験栽培みたいなものだし、次の年の春植え用種芋と、自家消費する分を考えると、十メートル四方の畑かな」
「それだと、他の作付けを減らすことになりますわね」
「じゃあ、思い切って開墾するか?」
「そうですわね。今後のことを考えると畑は必要になりますわ」
そんな話していると、森の入り口にヴェゼの姿が見えた。ちょいちょいっと手招きすると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「あらヴェゼちゃん、いらっしゃい」
「魔王さま、ノノ。遊びに来た」
義行は裏口を開けて、「マリー、ちょっと来てー」と声を掛けた。
「なにか用っすか? って、ヴェゼちゃんじゃないっすか。遊びに来たっすか?」
「ああ、麦茶を四つ頼む。あと、バスケットにパンをいくつか詰めて持ってきてくれ」
お茶が来るまでの間、森の様子を聞いてみると、「変な病気はない。元気」と力強い答えが返された。
その後、麦茶を飲みながら畑を広げる話をしていたら、ヴェゼが畑を見たいと言うので、一緒に見てまわった。
ヴェゼは葉っぱに触ったり、土に触れたりしながら畝の間を飛び回っている。
「魔王さま ノノ。ここ 元気がない」
屋敷に近い区画に来たときだった。ヴェゼが悲しそうな顔でつぶやいた。
「どういうことでしょう?」
「元気がないというのは、このままだと作物が上手く育たないということじゃないかな?」
「魔王さま 正解」
義行は、ヴェゼが立ってる畑の土に触れてみた。
「単純に養分だけの問題じゃないなー」
「あら、他にも問題ですの?」
「うん。土が固くて、掻き取り難くいな」
義行は、ネットで読んだ情報を思い出していた。
「ヴェゼ、他の畑はどうだい?」
「他は まだ大丈夫。森の近くは 元気」
その言葉を聞いて、義行は森の入り口へ向かい、表面を掘ってみた。
「ヴェゼ、いい仕事してるな」
「なにも してない。いつもの こと」
「自然の営みってことか」
後ろから不思議そうにのぞき込むノノに、義行は森の土を見せる。
「ノノ、触ってごらん」
「あら、フカフカですわ。色も違いますわね」
「腐葉土だよ。葉っぱが微生物たちによって分解されて積もっていったものだ」
「土なんですの、土じゃないんですの? タマネギの葉と茎みたいな意地悪は止めてください」
以前のトラウマが蘇えったのだろうか。不貞腐れるノノがちょっと可笑しかった。
ただ、義行もネットで聞きかじった程度の知識しかなく、腐葉土を詳しく説明しろといわれても困ってしまう。
「取り敢えずは、混ぜると土の状態がよくなると覚えておいて」
「でもそれは、森だからできることじゃないんですの?」
この疑問が出てくるのは当然のことだ。
「まあ、それはね。でも、似たことはできるよ」
義行は立ち上がり、裏庭を見回した。
「そう仰るということは、腐葉土を作りますの?」
「手間はかかるけどね」
そう言って義行は納屋に向かった。その納屋から、荷馬車を改良した自作リヤカーを引っ張り出す。
「これはなんですの?」
「リヤカーだよ。荷物を載せて引っ張るんだ。鍬にスコップ、篩に妖精となんでも運べるぞ」
言った傍から、ヴェゼが荷台部分に乗っていた。
義行はスコップと大工道具、小屋を作ったときに出た端材を積んで森の入り口に向かった。
「あら、ヴェゼちゃん楽しそう」
「ノノ。これ らくちん」
「ノノは重いから勘弁な」
「あらあら、うふふ。なにか仰いました~」
ノノからどす黒いなにかが出ている。
思わず、「あぅ……」と声が漏れた。最近、やばい方向へ向かっている自分を実感している義行だった。
「なあヴェゼ、腐葉土を少しもらってもいいかい?」
「いい場所が ある」
森の入り口に端材や大工道具を下ろし、一行は森に入った。
リヤカーの幅ギリギリだが、暫く進むと、いい具合に日差しが入り込んだ空き地に出た。
「ここ 元気」
義行とノノの二人でリヤカーに腐葉土を積み込む。ヴェゼはリヤカーの上が相当気に入ったのか、そこからずっと見ていた。
リヤカーの三分の一ほどに腐葉土を積み、戻ろうとしたがリヤカーが相当重い。後ろを振り返ると、ちゃっかりノノも座っていた。
(さっきのこともあるし、乗せたまま戻るか。いや待て。さっきと同じことを言って、あの目で見てもらうのも……)
そんなことを考えている最中にも、ヴェゼとノノの楽し気な会話が聞こえてくる。いまそれをやると総スカンを喰らうと思い義行は自重した。
森の入り口まで戻り、義行は楽しそうな二人はそのままにして、端材を使って二メートル四方の囲いを作った。
「ノノ、腐葉土をここに下ろすぞ。それが終わったら落ち葉集めだ」
ただ、時期が時期だった。落ち葉なんて落ちてない。
しかし、良い物がうずたかくつまれているのが見える。
義行はニコニコしながら、リヤカーを曳いてその集団に近づいた。
「お疲れ様」
「ま、魔王さま。お、お疲れ様です」
魔王自身がリヤカーを曳いてやって来るなんて、職員は微塵も思ってなかっただろう。
「いつも奇麗にしてくれて助かってるよ。この刈り取った雑草、もらっていい?」
「雑草ですよ?」
「いいの、いいの。今後は、整備で出た雑草なんかは、あの箱の近くに捨ててくれればいいから。よろしくね」
義行は山積みにされた雑草をせっせと集め、ノノたちのところに戻った。
「雑草が使えますの?」
「ああ、問題ない」
義行は、元気のない畑から土を運んでくるようにノノに頼み、自分は桶に水を汲み、厚手の布を持ってきた。
「まず箱の中に土。そして、雑草をサンドイッチするように入れていって、水で湿らせる。で、最後に布で覆ってやるんだ」
「これで腐葉土ができますの?」
「週に一回くらいかき混ぜて、乾燥してるかなと思ったら水分を与えてやる。少し葉っぱの形が残ってるか、全部分解されたら完成かな」
道具を片付けようとした義行の服の裾を引っ張る小さな手があった。
「ヴェゼ、どうした」
「魔王さま これほしい」
「気に入ったのか? でも、森の中じゃ自分で曳くことになるぞ」
「大丈夫。これ 便利」
「わかった。森の中でも曳けるように少し小さいリヤカーを作ろうか」
「魔王さま すき」
「あらあら、魔王さまのすけこまし」
ノノにそんなことを言われるとは思いもしなかった義行だった。
だいぶ日も傾いてきていたので、アニーと食べるようにとパンの入ったバスケットをヴェゼに渡してその日を終えた。
(注):春秋植えに適さないジャガイモもあります。また、自身で栽培したイモを次の種芋にする場合は、病虫害等に十分な注意をお願いします。可能であるならば、種苗店等で種芋を購入することをお勧めします。
次回の更新は、一月十七日(金)十七時三十分前後を予定しています。