ミッション1【勇者の剣でボスドラゴンを倒せ!】
栗栖升三太は苗字が特殊であることを除けばごく普通の根暗な高校一年生である。
成績も運動能力も平均的で友達のいない帰宅部のコミュ障。
趣味はライトノベル小説、アニメ、漫画、ゲーム。
通っている高校は私立栗之森学園高等学校という進学校でもFランクでも無い至って普通の高校。
街で探せばどこにでもいるなんの変哲もない男子高校生。
そんな彼は今、目の前に浮遊する人語を喋る小動物に常人では考えられない程のストレスを溜めていた。
「やあ! ンガの名前はキツネリスモモンガの妖精キリモンであるンガ!」
なんだこのバスケットボール大のウザい存在は。
リスなのかキツネなのかモモンガなのかはっきりしろ。
あと語尾と一人称をどうにかしろ。
大声を出すな。
六時間目という一日の最後にして一番だるい枠である上、嫌いな教師の授業であるということもあり心の中で罵倒する三太。
これだけ三太には大声に聞こえているキリモンの声に教室の誰も反応しない。
三太は幻覚を疑った。
「ンガは幻覚じゃないンガ! これは現実ンガ! 君には隣の席の清晴ちゃんを救って欲しいンガ!」
三太の身体が固まる。
思考を読まれたからではない。
いつも本人と周りに悟られぬよう視界の端でちらちらと見ていた美少女の名が出たからだ。
博多清晴。
頭脳明晰スポーツ万能容姿端麗の擬人化みたいな女子。
その清楚さから“清澄の乙女”と呼ばれ、学年のカーストトップは勿論のこと次期生徒会長に最も相応しい人物であると言われている。
三太は一週間前の入学式の日、彼女に一目惚れをし勝手に失恋した。
理由は彼女が男子を極端に嫌っていたから。
元は男子禁制の超有名女子校を受験していたが落ちて仕方なくこの学校に来たという噂もあるくらいの男嫌い。
三太は彼女に話しかけることすら諦めた。
でも未練がないわけではなく、リスクがありながら今日も今日とてヘタレの三太はバレないように彼女をチラ見している。
そんな完璧な存在である博多清晴を救って欲しい?
この毛玉は何を言っているんだ。
「ンガは清晴ちゃんのイメージから生み出された妖精ンガ! 清晴ちゃんには“妄想の世界を具現化させる超能力”が生まれつき備わっているンガ!」
「今までは器、つまり身体や精神より超能力の方が強力だったから超能力が発動することは無かったンガ! でも中学に進学したせいかこの一週間で精神が急激に発達して超能力が発動する条件が揃ってしまったンガ!」
「このままだと清晴ちゃんは無自覚に発動した超能力で周りから仲間外れにされて心に大きな傷を負い、超能力を制御できなくなってしまうかもしれないンガ! そうなるとこの街は、国は、いや、世界は大変なことになってしまうンガ!」
そんなバカな話がある筈がない。
無視をして授業に集中しよう。
三太は黒板に視線を向けた。
彼が異変に気付いたのはその時だった。
黒板の端にある古い温度計と気圧計。
その針がどんどん動いていく。
気温と気圧が急激に下がっている。
季節は春。
外は桜が満開で、白と黄のモンシロチョウが仲良く飛んでいる。
おかしい。
教室の気温と気圧だけがみるみる低下していっている。
「妄想世界の具現化が始まったンガ!」
キリモンが慌てたように机の上をクルクルと回る。
「早く清晴ちゃんの妄想をどうにかしないとこの教室の全員が高山病で死ぬンガ!」
「妄想の具現化を阻止するためには清晴ちゃんの妄想世界に潜り込んで清晴ちゃんを満足させるしかないンガ!」
「清晴ちゃんの妄想世界に潜り込めるのはンガのことを認識できている君しかいないンガ!」
「さあ! 早くンガの手に触れて清晴ちゃんの妄想世界に入り込むンガ!」
キリモンがその小さな手を差し伸べる。
三太は考えた。
こんな怪しい奴を信用していいのか。
でも、気温と気圧が低下し続けているのは事実。
そして不運なことに、教室はドアも窓も全て閉められている。
この密室状態、ドアを開けなければ高山病や低体温症で命に関わるし、ドアを開ければ室内外の気圧差で暴風が発生し怪我人が出ることは目に見えている。
頼みの綱はこのウザい謎生命体のみ。
三太は覚悟を決めた。
何もしないよりは限りなくゼロに近い可能性に賭けるほうがいい。
三太はキリモンの手に人差し指を押しつけ、ゆっくりと目を閉じた。
目を開けると、三太は遥か上空にいた。
「んじゃこりゃあああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
三太の声は空の彼方に消える。
「ここは高度一万メートルンガ!」
三太の制服の背中からもぞもぞと現れて頭の上に乗っかるキリモン。
「んなこと聞いてねえよ!! 殺す気か!?」
「いいからよく聞くンガ!」
キリモンは頭の上から三太の頬を両手でぶにゅっと潰した。
「今、君の魂は清晴ちゃんの妄想世界にあるンガ! つまり! 君の肉体は腑抜けンガ! もし三分以内に清晴ちゃんを満足させられなかったら君は死ぬンガ!」
「そういうことは前もって言えよ!!」
「ンガッ!」
三太に殴られるキリモン。
「大体、清晴のことをどやって満足させんだよ! 俺今落ちてるんだけど! パラシュート無しでスカイダイビングしてるんだけど!?」
「その辺は安心してほしいンガ! 清晴ちゃんを満足させるための【ミッション】を言うためにンガがいるンガ!」
「だったら早く言えー!!」
「待つンガ! あれを見るンガ!」
キリモンが指差す方を目を細めて見る三太。
そこには、一振りの剣があった。
三太と剣の距離、約10メートル。
「あれを先ずは掴むンガ!」
「遠すぎるわ!!」
「大丈夫ンガ! ンガはキツネリスモモンガの妖精ンガ! このくらいの距離どうとでもなるンガ!」
キリモンが両手をパタパタと羽ばたかせる。
「モモンガってそうやって飛ぶんだっけ?! あっでも確かに剣に近づいてる! あと少し! あともう少し前! あとちょっとで指先が触れる……お、おい! どうしたキリモン!!」
「疲れたンガ! あとは自分でなんとかするンガ!」
「おいこのクソ畜生がああああああ!!!!」
「因みにその勇者の剣は使用者を不死身にする能力があるンガ! それを手に入れられないと地面と衝突した時に死ぬンガ!」
「た゛か゛ら゛そ゛れ゛を゛は゛や゛く゛い゛え゛よ゛!!!!」
「ほら! はやく剣を掴むンガ!」
必死に手を伸ばす三太。
指先が触れ、剣が離れ、触れては離れを繰り返す。
「ッデリャアアアアアアアアアア!!!!」
なんとか剣を掴んだ三太。
大地が彼にぐんぐん近づいていく。
「それじゃあ、【ミッション】を言うンガ!」
キリモンの両目が光る。
「【勇者の剣でボスドラゴンを倒せ!】」
「いやどこにいるんだよボスドラゴン! 見渡す限りの青空と大地だぞ!!」
「下を見るンガ!!」
「下ぁ?!」
真下を覗く三太。
彼が見たのは草原を埋め尽くすかのように飛ぶ赤いドラゴン。
その隙間から黒いドラゴンが三太を見ている。
「あの黒いボスドラゴンをその勇者の剣で倒すンガ!」
「よし! この剣を持っている限り不死身だから長期戦に持ち込んで相手の体力を削り……」
「因みに妄想世界に入ってから既に2分30秒が経過してるからなるはやで頼むンガ!」
「一撃しか与えられねぇじゃねえか!!!!」
「まずいンガ! 赤い雑魚ドラゴンがボスを守ろうとこっちに飛んできてるンガ!」
「ちょ! 頭の上で暴れんな! バランスがッ!!」
体勢を崩し、縦横無尽に錐揉み回転をする三太はそのまま赤いドラゴンの群れに突っ込む。
幸運にも回転エネルギーがかかりドラゴンを次々と斬り捨てていく彼は気が付けばボスドラゴンの全体像を目視できる高度にいた。
ボスドラゴンは、大きく口を開けてエネルギーを溜めていた。
「え゛?」
どす黒いブレスがドラゴンの群れごと三太を覆う。
一瞬で融解し蒸発する赤ドラゴン。
三太は勇者の剣を盾にすることでドラゴンと同じ末路を回避していた。
それでも、ブレスに押し返される三太。
「まずいンガ!! あと残り10秒ンガ!!」
叫ぶキリモン。
「ぬううううううううううううううう」
叫ぶ三太。
「あと9秒!!」
少しずつ三太がブレスを押し返す。
「うおおおおおおおおおおおおおおお」
剣を基点に二つに分かれるブレスが雲を消し飛ばす。
「あと8秒!!」
ドラゴンの足元がクレーターのように陥没し、ブレスの威力が増す。
「おあああああああああああああああ!!!!」
極太のブレスに包まれて大きく押し返される三太。
ぐんぐん高度が高くなり、体力を消耗していく彼の顔は苦痛に満ちていた。
もうだめだ。
俺には無理だ。
そんな考えが三太の頭をよぎる。
その時、彼の脳裏にある人物が浮かんだ。
博多清晴である。
彼女の悲しむ姿を見たくない。
彼女の笑顔が見たい。
彼女を守りたい。
その思いが、三太の心を強くした。
剣を握る手に力が入る。
やってやる。
たとえ俺がここで果てようともあの子を守るんだ!!
三太の決意が彼の心臓を激しく鼓動させ、全身に血を滾らせた。
「あと7秒!! あと言い忘れてたけどその勇者の剣は一見すると両刃剣に見えるけどよく見ると片刃剣になってるンガ!! だからさっきから剣の峰と刃が逆ンガ!!」
「それを早く言えええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
刹那、ボスドラゴンがブレスごと一刀両断された。
斬られた状態で硬直するボスドラゴンを眺める三太。
「これで【ミッション達成】ンガ! お疲rンガッ!?」
三太はキリモンに勇者の剣を突き刺した。
「次はてめぇの番だクソ畜生!!」
「痛いンガ痛いンガ! それに早く逃げないとボスドラゴンが爆は」
次の瞬間、ボスドラゴンの切断面からエネルギーが漏れ出て大爆発を引き起こした。
「のわああああああ!!!!」
飛び起きる三太。
無事に彼は現実世界に戻ってこれた。
チャイムが校舎に鳴り響く。
授業はとっくに終わり、生徒も先生も全員教室から出ていっていた。
……かのように思われた。
三太の目の前には博多清晴。
そして三太は思いっきり清晴のまだまだ成長の余地がある左胸を右手で鷲掴みしていた。
赤面し涙ぐんだ清晴。
その右手が大きく振り上げられる。
彼女の特大ビンタが炸裂した。
顎ごとビンタされ、盛大に吹っ飛ぶ三太。
耳まで真っ赤にしてつかつかと教室を出ていく清晴。
「……大丈夫ンガ?」
三太の顔を覗き込むキリモン。
「なあ、キリモン」
左頬に真っ赤な手形のついた三太が床に大の字になって尋ねる。
「あれって博多さんの妄想世界なんだよな?」
「ンガ」
「博多の頭ン中ってことだよな?」
「ンガ」
「……博多さんってなろう小説とか異世界漫画とか大分読む感じ?」
「………………ンガ」
「本人、絶対に趣味趣向がバレるのを嫌うよな?」
「ンガ」
大きくため息をつく三太。
「じゃあ言えねぇよなぁ……」
三太のボヤキは教室を吹き抜ける春風にかき消された。