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その八年後 過ち

 そもそも美山さんは僕に何一つ嘘などついていなかった。本当に僕と同じ大学に通い、社会学部で、テニスサークルに入っていた。あのコンビニの近くに住んでいたのも本当だった。彼女はやはり、嘘などついていなかったのだ。


「なんとか大学で馴染もうとしたんだけどさ、無理して大学デビューして周りとつるんで。でもそれが結構しんどくて。本当は私もっと地味なのに、当時無理してたんだよね。だから勝手に立川君に親近感を覚えてたんだ。大学一緒だって分かって、いつか声掛けてみようって思ってた。立川君の前なら地味な私のままでいれるかもって」


 全てが驚きだった。だから彼女は自分から僕に声をかけてくれたのだ。あれから八年も経っているのに、当時の気持ちが甦って心臓が少し脈打った。


「でもある日、私の家に変な手紙が届いたの」


 差出人はなし。中には簡素だがはっきりとしたメッセージが残されていた。


『立川学に関わるな。あいつはただの変質者』


「え、何それ……そんなの、僕」

「送ってないよね。だって私の部屋なんて立川君知らないはずなんだから」


 そしてその翌日以降から手紙は頻繁に届くようになった。

 しかし一つ変わったのが、差出人に”立川学”という記載が付け加えられていた事だ。


「今日も可愛かったねとか。お釣りを渡す時ドキドキするとか、そんな事が書かれていた」


 なんだそれ。なんだそれ。


「正直気持ち悪かった。何で? どうして立川君こんな事するのって。それがまずコンビニに行かなくなった原因」


 どういう事だ。僕はそんなもの書いていない。という事は、誰かが僕を騙って彼女に?


「それからなんだか怖くなって違うコンビニに通うようになったの。その頃ちょうど学部に変な男がいるって噂が耳に入るようになった。友達が携帯で写真を撮ってくれたのを見たら、そこに映ってるのは立川君だった」


 そうだ。これは紛れもなく僕の行いだ。これに関しては弁明の余地はない。

 ただこの時、彼女が心配でとった僕の行動は、彼女にとっては全くの逆効果になっていた。いや、正確に言うなら逆効果にさせられていた。


「本当に立川君がストーカーなんじゃって思ったら、学校に行くのも怖くなっちゃってあまり外にも出れなくなった。でも買い物とかどうしても外に出ないといけない事もあって、それであの日コンビニに行った所で、立川君に見つかったの」


 彼女からすれば怖くて当然だろう。ストーカーが自分に向かって猛然と向かってきたのだから。


「パニックになってすぐに警察を呼んでもらって、私も警察に色々話を聞かれた。その時に手紙の事も伝えた。証拠品にもなるので出来ればそれを見せて欲しいって」


 全く謎なのがこの手紙だ。僕が記憶から消去してしまったのか。いやそんな事はない。薄れたとは言え、自分のやった事は覚えている。僕はやはりそんな事などしていない。


「一度部屋に戻って確認したの。でもその時やっぱりどうしても違和感があったの。どうして家を知ってるんだろう。ひょっとしたら知らないうちに私の後をつけてたのかな。そんな事も考えた。でもね、どうも文字に違和感があったの」

「文字?」

「立川君って商品のPOPも書いてたでしょ? かわいらしい丸っこくて綺麗な字だったからすごく印象に残ってたんだ。それで手紙の文字を見た時に、同じような字体なんだけど、なんだか歪だったの。なんとか必死で真似してるみたいな、素直にパッと見て綺麗で可愛いとは思えないような字だったの」

「やっぱり誰かが僕を偽って……」

「それにね、そこで当たり前の事を思ったの。どうしてこんな回りくどい事するんだろうって。だって普通にしてれば、きっと私と立川君は自然に仲良くなれた。なのに、なんでこんなあからさまに自分が犯人だみたいな事するんだろうって」


 そうだ。この犯人のやり方はひどく稚拙で横暴で乱雑だ。ただ一つ、僕の動きを見越した上で動いている事を除けば。


「確証はなかった。実際怪しい動きをしている立川君がいるのも事実だった。でもすごくちぐはぐな感じもした。でも何よりその時の私は怖かった。それをどうにかしないといけなかった。だから手紙の事を言えばはっきりすると思ったの。立川君が認めなければ、やっぱり偽物がいるんじゃないかって。それが分かるんじゃないかって」

「でも……僕は……」

「そう、反論しなかった。どうしてって思った。示談にしたのは裁判できるほどのお金もなかったし、何より大事にしたくなかった。立川君を信じたかったから。これでもし私が間違っていたら、完全に立川君の人生がめちゃくちゃになってしまう。正直、警察を呼んだ時点でそれは手遅れだったかもしれないけど……でも、時間が経って落ち着いて考えれば考えるほどに、全ての出来事に作為があるように思えてならなかった。手紙が来たタイミング、立川君が私を待ち伏せたりするようになった時期。まるで立川君をストーカーに仕立ててるような……」


 そうだ。そいつは僕がほんの一押しでストーカーに成り得る素質をおそらく見抜いていた。ぽんと一押しすればいいだけだった。それぐらい僕は愚直でまっすぐでーー。


ーーまっすぐ……?


 一瞬自分の中に僅かな引っ掛かりを感じた。だがそれが何かは分からなかった。


「結局あの日以来手紙は来なくなった。私の周りに変な人間がいたりする事もなかった。途端にいつも通りになった。それがまた妙に感じた。立川君を排除する為だけに行われたような、そんな風にも思った。でも、でも……」


 そこで彼女はまたより顔を伏せて、ぐっと言葉に詰まった。


「立川君に、散々ひどい事言っちゃって……確かめなきゃって、ちゃんと立川君に違うよねって……でも、ごめんね。正直可能性がゼロじゃなかった事が怖くて、何度もコンビニに顔を出そうと思ったんだけど、行けなくて。でも、行かなきゃって決心して行ってみたら、立川君もう辞めちゃってて」

「いや、仕方ないよ。実際僕は、ストーカーみたいな事を君にしてしまってたんだから」


 すれ違いもいい所だった。結局僕も彼女も暗い靄を抱えながら数年を過ごしてしまった。

 でもーー。


「でも、ありがとう」

「え?」

「怖がらせてしまったのに、美山さんから話してくれて。僕からは絶対に、君にはもう一生近付けないと思ってたから」

「時間のおかげかな。それと、立川君を改めて見た時に、やっぱりこの人がそんな事するわけないって、そう思ったから」

「時間か……あの時、美山さんとこうやって二人で過ごしたいなって、実は思ってたんだ。それが、こんな形で実現するとはね」

「なんだか、皮肉だよね」


 そう言ってお互い苦く笑った。でも初めて今日二人でこうしていられる事を素直に嬉しいと思えた。

 

 ーーでも。


 結局犯人は誰だったんだろう。あれから彼女の身に何も起きていないのであれば、今更ほじくり返す事はないのかもしれない。八年も経って今更犯人探しはおそらく不要だ。こうして二人まともに人生を歩めているのだから。

 


「立川君は、彼女とか出来たの?」

「え……あ、いや、いないけど」

「そっか、昔よりカッコよくなってキリっとしたから、てっきりもう彼女出来てるんだって思ったから意外」

「あ、ありがとう」

 

 ーーこれは、まさか……?


「美山、さんは?」

「ん?」

「彼氏、とか」


 途端に気持ちが八年前に戻ってしまう。なんだよ。僕は何も成長していないじゃないか。


「ああ。うん、いるよ」

「……あ、そうだよね」

「うん、というか、結婚もしてて」

「そうなんだ。おめでとう」

「ありがとう」


 久しぶりに彼女のあの優しい笑顔を見た。でもなんて皮肉なんだろう。また僕はあの時と同じように淡い期待を抱いてしまった。やはり僕は、何も成長していない。


「でね、子供もこの前産まれたんだ」


 そう言って彼女はスマホを取り出し僕に向けた。


「ほら、かわいいでしょ」


 笑顔で赤ちゃんを抱く彼女は幸せそうに微笑んでいた。


 ーーえ。


 しかし僕はそれどころではなかった。可愛いね、幸せそうだね。そんな言葉を準備していたのに、それらは一瞬にして搔き消された。


 ーーなんで。


 今見せられているものの意味が分からなかった。

 なんで、なんであんたがそこにいるんだ。


『真っすぐ過ぎるんだと思う』


 その瞬間、僕の中で感じたあの一瞬の違和感の意味に気が付いた。

 どうしてこんなまわりくどい事をしたのか。細かい事は分からない。ただ、僕という人間をある程度理解しているという意味では、僕の疑惑は一気に晴れていく。


『立川君、なんだか雰囲気変わったね』

『ひょっとして、彼女でも出来たのかな』

『はは、何その漫画みたいなリアクション。まあ仲良くね』


 何故美山さんを知っていたのか。

 何故僕と美山さんに接点がある事を知っていたのか。


 彼はよくそれを見ていた。

 ずっと見ていたのだ。彼は映像越しでその姿を。


「いい人なんだ。すごく優しくて、私の事だけずっと見ててくれて、理解してくれる人なんだ」


 彼女の言葉が全く素直に入ってこなかった。

 それはそうだろう。文字通り、ずっと君の事を見ていたのだろうから。

 

「そうなんだ……」


 僕は、どうするべきだろう。

 どうしたらいいのだろう。

 このままでいいのだろうか。

 このままにしてしまってもいいのだろうか。

 八年が過ぎた。過ぎてしまった。

 僕は間違えた。そして彼女も間違えた。

 僕ははっきり否定するべきだった。

 彼女も追及するべきだった。


 ーー僕は、僕は……。


 彼女の横で微笑む店長の姿を見て、僕は何も言えず動けなかった。


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