その八年後(2)
「元気そうで良かったよ」
「美山さんこそ」
近くの喫茶店に入り僕らは向き合っていた。
あの頃、こんなふうにお茶する機会なんてなかった。当時の僕なら心臓が飛び上がる程喜んだシチュエーションだろう。でも今決してこの場は心地良いものではなかった。沈黙とお互いがコーヒーを啜る音が断続的に流れる気まずい空気が流れ続けていた。
そうなる事は分かっていた。それでも僕は彼女の言葉に応じた。何を思って彼女が僕に声を掛けたのか、その理由を確かめたい。単純にその思いが強かった。
「立川君」
数分続いた空気を断ち切ったのは美山さんだった。
絞り出すような声。そして彼女は机に額をこすりつけんばかりに頭を下げた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「え、ちょ、ちょっと美山さん?」
逆だろうと咄嗟に思った。僕が謝る事すらあれ、彼女が僕に謝る理由なんてどこにもない。なぜ彼女が謝る必要があるのか。
「ごめんなさい。あの時本当に色々迷惑かけて、本当にごめんなさい」
彼女は頭を上げたが、顔は伏せたままだった。目には涙を溜め、今にも零れ落ちそうだった。
「あの時? あの時って、大学の時の事だよね。その、それって、僕がそ、その……ス、ストー……」
言いたくない。認めたくないわけではないが、それを自分で口にするのは今でもやはり辛い。悔やみ続けてきた事なのに、いざはっきりと刃を突き立てられると情けない程に狼狽した。
「そう、あの時の事。でも、違うの。違うんだけど、あの時、とにかく怖くて……」
「それは当然でしょ。だって僕は、君を怖がらせてしまっーー」
「違うの!」
声は抑えていたが、それは完全に叫びだった。ずっと言いたくても言えなかった、そんな彼女の叫びだった。
「……おかしいと思わなかった?」
おかしい? おかしいとは何がだろうか。
「私は違うって。立川君が否定するって思ったの。そうしたら、警察が動いてくれるんじゃないかって。もっとちゃんとしてくれるんじゃないかって」
「……どういう事? 何を言ってるのか、よく分からないんだけど」
否定する。警察が動く。もっとちゃんと。彼女が言おうとしている事の意味が分からない。
「立川君。私が当時どこに住んでるか知ってた?」
「いや……知らない」
「そうだよね。そうだよね? 言われたでしょ? その事も警察から言われたでしょ? 手紙の事も聞かれたはずだよ? 私がちゃんと警察に言ったんだから」
“彼女の家にも、もう近づくな。妙な手紙を入れたりもするな”
そうだ。言われた。当時の記憶は段々と薄れている。思い出したくもない記憶。だが確かに彼女の言う通り、警察もその事を口にしていた。あの時も、そんな覚えはなかったが、そもそも当時の自分はストーカーの覚えすらない状態だった。まともな思考が働いていない状態で、もう全てがどうでもよくて、分からなくて、ただただ僕は首を縦に振るしかなかった。
「だから、全部君のせいになっちゃったの」
全部が君のせい。
「違うの。そんなの分かってたはずだった。立川君はそんな人じゃないって。でもあの日、立川君と会っちゃって、私も気が動転して、ストーカーの事が重なって、訳分かんなくなって……」
彼女の断片的な言葉は僕をただ混乱させた。
何を言ってるんだ? 僕がそんな人間じゃない?
じゃあ、僕がストーカーをしていたという認識は彼女にもなかった?
でもそれならなぜ警察を呼んだ?
「やっぱりそうだったんだ……立川君じゃなかったんだ……」
僕はそこで、八年前の真実を初めて知った。