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二十年前(3)

「このPOPって立川君が書いたの?」

「え、うん。そうだよ」

「へーそうなんだ。女の子みたいで可愛いね」

「そ、そうかな……」


 それからというもの、コンビニで会う度にささやかではあるが美山さんと雑談をするようになった。大学で会う機会はなかったが、それもそのはず。文学部の僕と社会学部の彼女とでは通う校舎が全く違う。昼食や広い学校内を歩いている最中にどこかですれ違ってる可能性はあるが、今のところ大学内で彼女を見かけた事は一度もない。


「ちょうどいい距離なんだよね、このコンビニ。ついつい来ちゃうんだ」


 やはり彼女はこの近くに住んでいるらしい。さすがにどこに住んでるかまでは教えてくれなかったし、僕から聞く事もなかった。

 まさに夢のような日々だった。つまらない僕の日常を美山さんが明るく照らしてくれた。

 生きている。これまでの孤独で無味乾燥な毎日が潤いに満ちていった。

 

「立川君、なんだか雰囲気変わったね」

「え、そうですか?」

「ひょっとして、彼女でも出来たのかな」

「いや、そ、そんなんじゃ、ないです」

「はは、何その漫画みたいなリアクション。まあ仲良くね」


 おかげさまで店長にまでそんなふうにいじられる程には、僕は日々に幸せを感じていた。


 ここに来てよかった。

 何の信念もなく目標としたこの大学に受からなければ、彼女との出会いはなかった。大学に受かったからこそ僕は一人暮らしを始め、その為にバイトを探しこのコンビニで働き始めた。しかも僕の今までの歩みと性格があったからこそ夜勤帯を選んだ。その全てが積み重なったからこそ、美山さんと僕は出会えた。


 運命。


 言葉にした途端酷く陳腐に聞こえる。だがこれまで辿った軌跡を考えれば僕にとっては陳腐であろうと何だろうと運命だ。と、全力で陶酔する程ではなかったにしても少なからずそう感じている自分がいた。


「またね、立川君」


 またね。その言葉が嬉しかった。

 またがあるんだ。またと出会える明日があるんだ。


「うん、また」

 

 運命は少し大げさでも、希望と言えば恥ずかしげもなく口に出来る自信があった。

 彼女は僕にとっての明日で、生きる希望だった。とても些細で、ささやかな、それでいて僕の人生にとっては大きな光だった。


 だからこそ。

 光が失われた瞬間の闇は、今まで見てきた闇とは比べ物にならない程暗く深かった。





 美山さんは急にぱったりとコンビニに現れなくなった。

 一週間、二週間。僕はいつも通りのシフトで、変わらず夜のレジに立っていた。これまでと同じ。彼女と出会う前と同じ日常がふいに訪れた。

 だがそれはもはや日常ではなかった。もともとぽっかりと空いていた穴を塞ぐかのように存在していた彼女が消え、再び僕の心には穴が空いた。

 

 穴がそこにあるのが当然だった毎日。でもその穴を塞いでくれる人がいるんだと知ってから残った穴。それは全く違う事だ。

 人とは何て脆いものなんだろう。残った穴は明確に僕に不安をもたらし僕自身を蝕み始めた。


 どうして来ないんだろう。何かあったんだろうか。


『またね、立川君』


 そう言ったじゃないか。じゃあまた君はここに来るつもりだったんだろう?

 じゃあどうして来てくれないんだ?


 何をしていても彼女の事が頭の中心に居座り、思考と意識の全てが彼女に囚われ何も手につかなくなり始めた。


 彼女はどこだ。


 彼女と連絡先を交換出来ていなかった事は不幸。だが幸いにも彼女のヒントは多く残されていた。

 まず同じ大学である事。そして彼女が社会学部に在学し、テニスサークルに所属している事。そしてこのコンビニ付近に住んでいる事。彼女を見つける情報は十分にあった。


 どこだ。どこだ。


 そこからは思考だけではなく、行動の全ても彼女を中心として廻り始めた。

 僕は朝9時に大学に来ると、経済学部ではなく彼女のいる社会学部の校舎に入り浸った。夕方までそうやって時間を過ごした後は、テニスサークルが使用しているコート付近のベンチに陣取り様子を見守った。夜はバイトで彼女が来るのを待った。バイトのない日の夜は付近を歩き回って彼女の姿を探した。


 二週間ほどそんな毎日を過ごした。だがそれでも彼女は見つからなかった。

 おかしい。コンビニに来なくなったとはいえ、大学にはいるはずだ。なのに大学でも彼女の姿は見つからない。テニスサークルに関してはその時自分も分かっていなかったが、そもそも真面目に毎日テニスをするような真面目なサークルではなく、ほとんど飲み屋に行ったり遊びに行ったりで、テニスをするのは月二回程度のお遊びサークルであった事で、僕の行動はその点については無駄であった事だ。


 だとしても彼女が見つからないのはおかしい。これまでも鉢合う事はなかったにせよ、彼女は大学にいる僕を何度か目にしていたという。ならば、これだけ彼女に時間を使っている自分がどうして彼女を見つける事が出来ないのか。


 ーーまさか。


 僕はそこで微かに感じていた不安に向き合わざるをえなかった。


 ーー嘘、だったのか。


 彼女は嘘をついていた。そう考えれば説明がついてしまう。

 彼女は社会学部なんかじゃない。テニスサークルにも入っていない。そもそもこの大学に通っている生徒ですらない。彼女が見つからない理由を考えれば、その方が納得がいった。


『またね』


 ーーあれも、嘘だったのか。


 彼女はどこまで本当だったんだろう。

 沸々と言いようのない感情が込み上げてきた。

 

 ーー裏切られた。


 行き着いた先にあったのは、彼女への落胆と怒りだった。

 こちらにおいでと光で導いていたかと思い近づいたら、ふっと灯りを消され漆黒の闇が全てを覆った。最初からそんなものなどなかったかのように。まるで光に群がる羽虫を弄ぶかのように。

 残されたのは黒一色の世界。どこに向かって羽ばたけばいいのかも分からない哀れで矮小な存在。所詮お前の人生はこの程度なのだ。そう突きつけられているようだった。


 ーーどこだ……どこだ……。


 もう彼女には会えないのだろうか。

 周りの視線が明らかに不審者を見る目に変わっていった。だがそんな事など知らない。所詮お前達とは住む世界が違う人間だ。そうやって見下げていればいい。


『またね』


 僕にはまだ明日がある。

 がむしゃらにでも飛べば、いつかまた彼女にぶつかる日が来る。

 彼女に会ったら僕は何て声をかければいいんだろう。そんな事も分からぬまま、ただ僕は必死にがむしゃらに飛び続けた。

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