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7月・あなただけを



午前10時恒例の新聞チェックをダイニングルームでのんびり実行中のウィルは紙面からふと顔を上げた。


部下たちの本日のスケジュールを思い返し、厄介事に気づいたのだ。


ウィルや部下6名全員に仕事が入っており、夜中まで屋敷を不在にする可能性が高かった。



闇稼業とはいえ仕事を愛する彼が何を理由に不在を危惧するのか。それは同居するシエラの存在だった。


怖がりで寂しがり屋の彼女をこの広い屋敷、それも夜更けにひとり残すことに不安を感じたのだ。



復讐や男言葉から気丈な人物と思いがちだが、健気で意地っ張りな女らしい性格。


夜中にビクビク怯える姿が容易に想像され、気がかりだった。



「うーん」



外出を教えるべきか否かの選択に悩んだ。



誰かしら自室にいると思わせておけば無理に教える必要はない。


ただし不在を気づかれ、皆の行き先も知らずでは余計寂しがるだろう。あまりに酷だ。




決断力は長けた方。事前に知らせ覚悟を決めてもらうプランとした。


用意すべき作業もない。残すは真実を伝えるのみである。



再び紙面に黒い瞳を落とすも、どこか楽しそうな表情が隠しきれず浮かんでいた。





美貌の家主が行動を起こしたのはランチを終えて一休みしている時だった。


シエラに淹れてもらったコーヒーを片手に、せっせと動き回る彼女へ穏やかに語りかける。



「シエラ、大事な知らせがあるんだ」


「何だ?」



儚げな外見には不似合いの男言葉を、彼女は立ち止まって素っ気なく返した。


カタキ相手に無視もできたが「大事な話」と聞き興味が湧いたのだ。性格を読んだウィルの作戦勝ちである。



「今夜はみんな仕事なんだ。オマエをひとりにさせてしまう」


「え……」


「夜中にはそれぞれ戻るけど、それでも怖いならホテルに泊まってもいいよ?」


「ここに残る。逃げたと思われたくない」



負けず嫌いの性分がほぼ即答でそれを言わせた。


しかし頬は引きつり動揺がありありと見て取れる。意地っ張りな様子がウィルには愛しい。




余計な一言は怒りを誘うに決まっている。揚げ足取りはやめて、彼は女々しさとは無縁の秀でた顔を唐突に窓へ向けた。



晴天だが風の音が室内まで届く。突風なのか時おり一際強い風が窓を打ち付け、ガタガタ音を鳴らした。


さすがのウィルも対象が自然現象では太刀打ち不可能。あっさり視線を戻して愛しい復讐者を見つめた。



「風が強いから怖がりなオマエが心配だよ。でもオマエの部屋に窓はないし気にならないかな?なるべく部屋を出ないように」



愛に満ちた微笑と口調。ところがその親切に対する反応が意表を突いた。


目の当たりにしたウィルは再び口を開く。



「不機嫌そうな顔してるね?」



指摘は当然だ。シエラは故意に不機嫌さをアピールしていた。


素では不安な態度が全面に出てしまいそうだから。



言い訳じみた反論もやめた。集中力を切らすとボロが出そうな気がした。すでに心は不安に揺らめいている。


すべては彼がカタキ相手ゆえ。親しくする関係にはない。


とはいえ複雑な胸の内。彼の優しさに長時間無視できる自信はなかった。




必死に意地を張る彼女へウィルは地道に種を蒔き続けた。『誘導』という名の種は根回しのため。計算高い男は相手の心理などお見通しだ。



「オレは日付が変わる頃には戻るから」



何気ない言葉がシエラの我慢を一撃で粉砕した。


正直なところ他の者の存在はどうでもよかった。ウィルひとりが重要だった。


発言により彼の不在を改めて意識させられ、今度こそ寂しさを抑えきれなくなった。加えて外出理由は仕事だろう。心配でもある。




カタキ相手に「いってらっしゃい」や「気をつけて」が言えるはずもなく、ただただもどかしい。


でも何か言いたい。特別な存在になりつつあるこの人に何か一言を。



強張る顔を解いて心情そのままの愁いな眼差しを向けた。



「待ってる」



健気で寂しそうな彼女。やっと素直になってくれたようで、これを引き出したかったウィルは根回しの成功を収め内心で喜んだ。



この展開にさえ持ち込めばもはやシエラは思うがまま。可愛さも倍増。


故に期待を込めて励ました。彼女の柔らかな髪を優しく撫でる。



「なるべく早く帰るよ。戻ったらキスしようね?」



どんな時も自分らしさを失わないウィルは都合よく話を進める。



甘く、けれど男らしいグイグイ引っ張る姿に惹かれ、思わずシエラは彼の服を握りしめた。


無言の要求をウィルは的確に理解する。



「今したいの?」



返答はなし。でも掴んだ手に力がこもる。離れがたい心情を見抜き男はそのまま行動に出た。上体を屈めて唇を重ねる。




穏やかで心地よい気持ち。もっと浸りたくて瞳を閉じかけたシエラだったが、彼の美貌がまるでスローモーションのように遠ざかる様を認めた。


ここからが本番のはず。意図が掴めず混乱する彼女に小悪魔はクスッと笑みを零す。



「続きは後で。もっと長いのプレゼントするよ」



甘いセリフを囁くと、広い背中を見せ退室した。



キスの感触が残るシエラはしばらく立ち尽くした。


日ごと強まる彼への熱く切ない思い。憎悪という感情は今その心に存在しなかった。





7月上旬であり日照時間は長く、それでもやがて陽は沈む。


夕刻に玄関でウィルを見送ると、そう間を置かずシエラは立て続けに3人を見送った。



午後7時にはひとりとなり、屋敷に唯一のテレビが置かれたリビングルームで夕食をとった。


普段テレビは全く見ない。だが日中より強くなった風と静かすぎる屋敷内を賑やかにしたいと足を向けた。



テレビ画面では若手女性歌手が口ずさみたくなるようなダンスナンバーを熱唱している。


ヒット中らしいが曲も顔も初めて知り、改めて世間知らずを自覚したシェアであった。




ウィルの忠告は破った。自室にひとりこもる方がよほど怖い。


居座ったのはいつもの定位置、ダイニングルームのソファだ。ウィルが仕事の時はいつもここで待っている。


よって今夜も同じだと思えばいい。他の者は部屋にいる。ひとりじゃないのだ、と。



それでもテレビの消えた屋敷内はあまりに静寂で、微かな物音がやたらに響きシエラの肩をピクリと震わせた。


毎晩大音量でホラー映画を鑑賞するケイの存在を初めて貴重に思ったものである。



悲鳴やグロテスクな映像に不快感を得ていたが、ウィルを待つ間孤独と感じたことはなかった。


もしかしてケイは寂しがらないよう故意に音量を高くしていたのだろうか。


だが嫌われている身。可能性は低く、思考をすぐに切り換えた。




そのケイが一番に帰宅した。夜10時のことである。


シエラに敵意を持つ彼は「おかえりなさい」の挨拶に無視をしてテーブル上のマドレーヌをふたつ掴み自室に向かった。


シエラがお菓子を作っていたことは外出前にチェック済み。


拷問されたって口には出さないが、彼女の手料理が大好物だけに内心ウキウキしながら2階へ上がったのだった。




無視はされたがお菓子は食べてくれそうで複雑な心境のシエラ。



「……喜んでも、いいんだよね?」



そう呟き自分を励ました。


そこへまたひとり帰宅だ。玄関の扉が開く。静かな開閉音から人物の予想ができた。


冷静沈着なジーンだろう。的中であった。



「おかえりなさい」


「ああ」



ジーンは無口無表情で、シエラはケイ同様苦手としていた。けれど彼の場合挨拶をすれば必ず返してくれる。


だからもっと会話を交わして音楽教師でもある彼にピアノを教わりたいと望んでいた。


とはいえシエラ自身も口下手な性格。ゆえになかなか実行できず、日々歯痒さを感じていた。



「今夜は肌寒いから上着があった方がいい」


「え?」


「隊長を待つんだろう?」


「あ、はい」



意外にも話しかけられ戸惑う半袖姿のシエラ。


相変わらずの投げやり口調だが中身は忠告。それにウィルへの思いも感づかれている。



ジーンを相手に素直に待機を認めた。気遣いに対しても礼を返す。



「ありがとうございます。本当に今夜は夏なのに冷えますね」


「そうだな」



それを最後に彼は退室。素っ気ないもののシエラは悪くは思わない。根は優しいのだろうと好感を強めた。



2階に上がりながらジーンは反省だ。隊長の話題は余計なお世話だったと悔やむ。己に厳しい、少し神経質な男であった。





住人の存在はシエラを救った。シャワー時間を得られ、恐怖心も弱めた彼女はダイニングの窓辺に佇みただひとりを待つ。


ちなみにアドバイスに従いアウターを準備。男装当時の長袖シャツを羽織った。



眼前を覆う闇に溶け込みそうな、黒一色の男。風の音に怯えながらも見失わぬよう塀の外を凝視する。


不意に窓に映る自分の背後に人の姿が入り込んだ。「きゃっ!」と小さな悲鳴と共に振り返る。



「悪い、驚かせたか?」



控えめな笑顔を披露したのはアッシュだ。シエラのシャワー中に帰宅していたのだ。


初めから驚かすつもりだったため悪戯は成功。ちょっぴり優越感に浸る。


それでも可愛いシエラが心配で真剣な気遣いも欠かさない。



「ひとりで怖かった?もう誰か戻ってたか?」


「ジーンさんとケイさんが」


「いるのに君をひとりにしてるのかよ。薄情な奴らだな」


「彼らを責めないで。ワタシの立場では当然」



ふたりへの庇いだてにアッシュは苦笑だ。彼女にとってカタキにあたる自分たちなのにこの対応。


優しいシエラに復讐は不向き。普通の生活をさせたいと心底望むものである。



そして復讐者シエラ最大の矛盾を象徴する男の存在を、アッシュは時刻を確かめ持ち出した。



「隊長は何時に戻るかな。……ん?お、隊長の気配!」



バッと玄関ホールを見つめるシエラ。瞬発力に感心しつつ彼女の背中にアッシュは詫びる。



「悪い、間違い」


「あ……もしかして、わざと?」



ゆっくり振り向き傍らの長身を見上げた。恋心をからかわれたと思ったのだ。


困惑の眼差しを彼も見返す。



「悪気はなかった。確認と反応が見たくて。悪かった」



ウィルへの愛を試したかったのだが、どう見ても悪質。自覚はしており今度は真面目に謝罪した。




首を左右に小さく振って許容を示すと、シエラは己の取り乱しを恥じらい照れ笑い。アッシュの前では偽らず感情豊かなのだ。



「ウィル、日付が変わる頃には戻るからって。まもなくだから、焦っちゃって」


「君は可愛いな」



健気な本音に目元を和らげた。隊長への愛はやはり本物。何となく上司が羨ましい。



濃紺の瞳に女を映したまま彼はピクリと眉間に反応を見せた。



「あ、隊長の気配。今度は本当」



またの瞬発力で懲りずエントランスホールに釘付けの女。


フッと好意的に笑みをこぼし、アッシュは片手を上げた。



「じゃあな、おやすみシエラちゃん。隊長に意地張るなよ?」



お邪魔虫の立場をわきまえ爽やかな笑顔で忠告。場を退いた。返答の余地を与えぬ手際の良さだった。




入れ代わるように姿を見せたのは強風にサラサラの黒髪を乱した青年だ。



「ただいまシエラ。寂しかった?」


「アッシュが今までいてくれた」


「本当だ。何人か帰ってるみたいだね」



気配を探りつつ、そんなこと実はどうでもいい。重要なのはシエラとのやりとり。さっそく口説き落としにかかる。



「オマエに会いたくて早めに戻ってきたよ。待っててくれてありがとう」


「約束を守ってもらわないといけないから、待ってた」



こちらもさっそくの上から目線で虚勢を張る。だが何気に催促もしていた。



いくら強がっても相手はひねくれ者ウィル。すまし顔で手玉に取った。



「約束って何だっけ?思い出せないなあ。教えてよ」



茫然とするシエラがおかしくて仕方ない。やきもきする感情が如実に伝わる。


はっきりキスをねだればいいのにと思うが、黒い悪魔は自ら動く。


彼女の唇に有言実行の長いキス。力強く押し付け塞いだ。



「んっ……んん!」



待望の口づけにシエラは酔った。無事を確認したくて、キスが欲しくて今夜は寂しさを我慢してきたのだ。


この人だけを待っていた。穏やかな気持ちにさせてくれる人。


激しいキスは大切にされている証。実感し心身が熱くなる。ずっとこの時間が続いてほしいとさえ思った。




やがて唇を離したウィルは女の興奮の残る赤い顔にクスッと笑いかけた。



「これを待ってたんでしょ?オレが忘れるはずない」


「……意地悪」


「それが楽しみでね」



ポツリと呟いた彼女に勝者の笑みを嬉しそうに披露した。



日付も変わった真夜中である。就寝時間の訪れだ。仕事帰りのウィルも自室に向かう。


その刹那、背中に遠慮がちな声を受けた。



「怪我はない?」



滅多に聞かない気遣いに驚き、でも嬉しくなった。


彼女は哀愁漂う表情で返事を待っている。すぐに安心を届けた。



「大丈夫だ。心配してくれてありがとう」



安堵の色がはっきり見えた。


強がりもいいが素直な彼女も可愛い。早くもっと素直になって快感の喘ぎ声と共に愛を囁いてほしい。そう望まずにはいられない。



彼女の愛は明らか。応える用意はいつでもできている。熱く激しい夜はまもなくだ。


近い未来を想像し、自室へ向かうウィルであった。




end.


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