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7月・鈴の音(ね)の喜劇



チリン…チリリーン……




廊下から微かに聞こえる澄んだ音色。


シエラがそれを耳にしたのはシャワー上がりの自室でのこと。



「……何の音?……ベル?」



何度か聞いて空耳ではないと確信し、思わず呟いた。


夜も深い時間帯、睡眠には不向きな、精神を刺激する嫌な音色だ。



屋敷内にはシエラ以外に7人が住まう。今夜の滞在が何人なのかは不明だが、彼女は初め通過した誰かのカバンや雑貨のアクセントに付けたベルと思っていた。


しかし音はやまず、嫌でも耳をそば立て気にしてしまう。


怖がりだけにソワソワと落ち着きをなくし、真夏に加えシャワー上がりだというのに寒気すら覚えた。




気乗りはしないが確認のためソファから腰を上げる。


ドアに向かい、ふと音がやんだことに気づいた。それでも足は尚も前進し、深呼吸のあとノブを回す。



少し前のめりになり廊下に上体だけをそっと出した。


恐る恐る左右を見回すも、実は心臓バクバクのシエラだ。




24時間照明は点けっ放しの長い廊下には誰の姿も見当たらない。


物音ひとつしない、怖いくらいの静寂に包まれた屋敷。



ブルッと身を震わせた。今夜は皆、不在なのだろうか。


それを思うと怪物屋敷にひとり取り残されたような恐怖に駆られ動揺が広がる。



「きゃっ!」



突然またビクリと肩を揺らした。リビングルームの方向から大音量が響いたのだ。屋敷に唯一のテレビから流れる音声である。



恐らくはケイ恒例のホラー映画鑑賞の時間なのだろう。それとわかると全身の力がふっと抜けた。強張りを解いて安堵する。


誰でもいい。住人の存在が判明しただけでも明るい材料だ。



「刺激的な格好だね。オレに見せたくて?」


「きゃあああっ!」



背後から聞こえた穏やかな声。


にも関わらず思いがけないそれに驚いたシエラは甲高い悲鳴で返答だ。



髪を乱して振り向いた瞳に映るは黒髪を濡らした男の姿。


美しい顔立ちだが表情は唖然としている。悲鳴に驚いたのだ。




シエラの部屋の隣に位置するバスルームから現れたのは、汗ばむ体を洗い流してきたウィル。愛しい彼女を偶然見かけての声かけだった。


黒い瞳にはキャミソールとスラリと長い脚によく似合うショートパンツ姿の女。


思わず触れたくなる肌の持ち主だけに抱きしめたくてたまらない。



なのに場の雰囲気を一瞬で崩壊させた先の悲鳴。さすがのウィルも下心を吹き飛ばして立ち尽くしていた。




シエラの方ではそんな男に構ってなどいられない。


己の悲鳴への照れ隠しか彼のセクハラ発言への怒りか、一言を乱暴に投げつけた。



「バカっ!」



廊下に罵声を響かせてバタンと音も高らかにドアを閉める。



残されたウィルは長い睫毛をパチパチ瞬かせてドアをしばらく見つめ、やがて静かに歩を進めた。


「彼女は廊下で何をしていたのかなあ」と内心呟く。


とはいえ冷蔵庫からビールを取り出した頃にはすっかり忘れていた26歳の若い家主であった。





翌朝それぞれの部屋で男女は同じ出来事について頭を悩ませていた。



シエラは一夜明けても昨夜の鈴の音が忘れられず、同じ時間に1階にいたであろうケイとの情報共有を望んだ。


それに今まで何度か彼の嫌がらせを受けている。まさかとは思うが実行犯の可能性も捨てきれない。


ただし道のりは険しい。その疑惑をゴーストと同じくらい怖い彼にどう切り出すか、最大の悩みどころであった。




同じ頃、ケイも作戦を練っていた。全ての元凶はやはりと言うべきか、シエラを嫌うこの青い瞳の青年。



もちろん目的は嫌がらせ。廊下に置いた鈴に糸を結び付け、リビングルームから手でゆっくり引いていたのだ。


途中には曲がり角も存在し引っ掛かったりとハプニングも生じたが、それが音の強弱を見事に作り上げリアルな恐怖へと誘導した。


悲鳴も聞いたしと、地道なアナログ作業は実を結び成功に満足だ。今なおご機嫌気分を引きずり、自室を離れて鼻歌まじりに厨房へ向かっていた。




タイミングが良いのか悪いのか、厨房でケイは大嫌いな女と鉢合わせた。


しかし口が裂けても言えないが彼女の手料理は大好き。ウインナーの香ばしい臭いにさっそく心惹かれている。


決断は早い。無視よりも欲望を優先させた。



「朝食ならオレのも作ってよ」



高圧的な物言いはいつものこと。不快感も露に勝手を命じる。



嫌われているとシエラ本人も自覚しているので苦手な男ではある。


けれどこうして調理を頼まれると嬉しくなるのが正直な気持ちだ。


憎いが優しいウィルの部下。悪い人物であるはずがない。そう信じ、普段からケイへの調理を断らずにいた。



今回も「はい」と短く返事をして、自室での疑惑を思い出した。


いい機会と尋問を決め、彼の澄んだ青い瞳を見つめる。綺麗な色だなとそのたびに思うシエラである。



そんなお人好し女の心情などお構いなし。ケイはズカズカと足早に近寄る。作戦名『先手必勝』の時間だ。




意外にも相手から話しかけてきそうな気配。


表情は重く、何を言われるのかとシエラは緊張を高め反射的に身構える。



戸惑いの滲む女を長身から見下ろし、ケイは仲間に見せるいつもの陽気さとはかけ離れた慎重な態度を取った。


もちろん演技。内心ではワクワクが止まらない。



「あのさ、オマエ最近おかしな音聞かない?」


「え……」



それはシエラにとって様々な意味で恐ろしい内容だった。



問いつめようとしていた内容を問われたのだ。彼も疑問を感じているから。


つまり関わりがないから。原因は彼ではない。となると……。




青ざめる様に優越感を満たし、10代でも通用する童顔青年は演技にますますの磨きをかける。



墓穴や疑惑を取り沙汰される前に被害者を装いしれっと作戦続行だ。


昨夜が初回なのに数日前から起こっていたかの言動で丸め込む。



「ここのところ夜中に廊下から」


「ベルですか?」


「それそれ!やっぱり聞こえてた!?」



声高に賛同するケイに対しシエラは血の気を引かせて沈み込んだ。


正体不明の鈴の音は恐怖以外の何物でもない。今夜もかと想像し気が遠くなった。




沈黙する女にケイは彼にとって重要な一言を放った。



「ねえ早く朝食作ってよ」



場違いすぎたか無神経なそれに返事はなく、シエラは無意識にシンク台に向き直り調理を始めた。


大好きな料理で気を紛らせようとしたのだ。



何はともあれ調理の再開。ケイは安心してテーブルに着き、楽しそうにメニューを思案するのであった。





シエラの嫌な予感は的中した。それも夜の闇が忍び寄るより早く。



夕刻の厨房で背後からチリンチリンと鈴の音が響く。ケイが面白がって通りがけに廊下から鳴らしたのだ。



鳴っては野菜を切る手を止めて、彼女は包丁片手にビクビクと振り返る。


この恐怖体験は短時間に終わり、その後の夕食時、話題には当然鈴騒動が持ち上がった。




席にはシエラとウィルとケイ。黒髪の隊長は意外なことに騒動を知っていた。


脱衣室で昨夜聞いたという彼の言い分はこうである。



「ベルの音ならオレも聞こえてたよ?近所のペットの首輪じゃなかったんだね」



冗談とも本気とも取れる発言であったが、ケイは疑いなく本気と捉えた。


突き刺すような冷ややかな視線を真顔の上司に向ける。



「屋敷内から聞こえるはずないだろ!隊長は呑気過ぎ!」



遠い目のケイだがウィルの呑気さにはシエラも呆れるばかり。そんな風に考えられたらどんなに楽か。


ふうっと吐息を漏らして今夜の安眠を切に望んだ。



シエラのどこかしら不安な表情。効果アリと味をしめしたケイである。


楽しくて仕方がなく、二夜続けての嫌がらせを張り切った。





午後11時。シエラのシャワー中に罠を仕込むと、ケイはリビングルームで待機。


何も知らずに浴室から出た彼女は真っ直ぐ向かった厨房で鈴の音を聞いた。



幼稚な罠だ。窓の外側に糸で鈴を吊しただけ。


風が吹けば鈴は揺れ音を鳴らす。曇りガラスと夜闇で判断しにくいしと、この程度の作戦で十分。


何より相手は風すら悪魔の声と信じかねない怖がり女。想像以上の効果を生んだ。



「きゃあっ!ケイさん来て!」



悲鳴には満足。しかし名指しに驚いた。テレビの音が滞在を知らせたようだ。



「何でオレ?……隊長あのペット発言で見下されたかな」



敬愛する隊長ウィルをバカにして、しかし彼もドジを踏んだ。


嫌々向かったダイニングルームで彼女と対面し、糸の垂れる鈴を握っていることに気づいた。


吊す途中に片づけ忘れたひとつで、悲鳴後シエラが見つけたものだった。



彼女は無言で、でも何か話したそうな疑惑の眼差し。とっさに言い返せずケイは立ち尽くす。



問い詰められるのは確実で、すぐさま開き直って言い訳思案に勤しむ。


そんな彼の背後からどこからともなくチリン。またもチリン。



バッと振り返り戸口を睨む姿を嘲笑うように、チリンチリンと2階から輪唱の如く鈴の音は響く。



鈴は外に吊るされたまま。もうひとつはシエラの手中。それ以外の予備はない。


では誰が?本当に怪奇現象が起きたのだろうか。



愛用の拳銃を片手に握って真剣に警戒するケイ。ただ事ではないと察し、本気で彼にしがみつきたいシエラ。




鈴の音は階段を下り近づいて来る。そしてシエラたちのいるダイニングルームに異なる音を響かせて飛び込んできた。



「みゃあーーっ!」



素早い動きの黒い小さな珍客は、シエラの足元でサンダルの大きなひまわりにじゃれついた。



「ね、猫ぉーー!?」



拍子抜けした口調をケイが漏らす。呆気に取られるふたり。


首輪の鈴を罪なく鳴らす黒い仔猫を間の抜けた表情で見つめた。




おそらく1歳にも満たない仔猫だ。愛らしさにやがてシエラはそっと抱き上げ、柔らかな体を胸に抱いた。



「あれシエラちゃん、猫好きなの?」



不意のアッシュの声にシエラは顔を上げる。


視界には間違いなく彼の目元涼しいすっきりした容貌。背後にはウィルの姿も。



驚く様子もないアッシュ。何やら事情を存じているようだ。


それは的を得、シエラたちは仔猫の素性を知った。



アッシュが逆ナンパされた女から数日預かった飼い猫だという。自室のドアを開けて遊ばせていたら室内から飛び出したらしい。


それ以上は何も語らないが、シエラはここ数日の鈴騒動は全てこの仔猫が原因とした。


来たばかりの猫は昨日からの騒動とは無縁なのだが、人間を責めたくない彼女は都合良く解決させてしまった。


そのうえで可愛らしい犯人に小言である。



「もう脅かさないでね?今夜は一緒に寝て見張っちゃうからね?」



そうしてチュッと鼻に優しいキスをして頬ずりをした。


その様子をウィルが羨ましそうに見つめ、ケイが横やりを入れる。



「隊長、猫に嫉妬しないでよ!?情けないなあ」



いつものいじめっ子ケイであるも、猫に救われ疑いを回避した身だと認めている。


猫様々だ。後で謝礼のミルクを贈ろうと善人めいたことを考えた。



「シエラ、ケイがいじめる」



慰めを求めたウィル。しかし彼女は仔猫に夢中だ。


真夜中も近く、腕の中の愛らしい友人と安眠しようと自室に向かう。



「おやすみなさい」



すっかり恐怖心を無くし機嫌のいいシエラである。室内の男たちに挨拶を残して退室した。



「隊長はあの猫のこと知ってたの?」



夕食時の発言を受けて、ふと浮かんだ疑問をケイは質す。


美貌の隊長はゆっくり首を左右に振った。



「いま初めてだよ」


「あ、やっぱり?」



やはり発言は本気であったようだ。


このような呑気さだからシエラも猫を選ぶんだよな、と何となく納得した。




先入観からバカにされたが、ウィルは本当に鈴の音を聞いたのだ。自室やトイレやバスルームでも。


そしてここからが実に呆れる部分なのだが、彼はそれに何の疑問も抱かないのである。



この事実をケイやシエラが知ったならウィルの鈍感さより鈴の行方を気にしたことだろう。


ケイでも猫でもない、屋敷内で何度も聞こえたという鈴はどこから来てどこへ行ったのか。顔を見合わせて苦い表情を浮かべたに違いない。




周囲が呆れるウィルの言動。心配は的中し、彼がシエラと結ばれるのはもうしばらく経ってから。


しかし責任は彼だけでなくシエラの愛と復讐の板挟みも原因。前途多難なふたりであった。




end.


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