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7月・悪魔の遊戯



シエラの愛を確かめたい。




欲求不満が引き金か、ウィルは気まぐれにひとつの悪だくみを計画した。


負傷したフリをして彼女の反応を試すというもの。



同じベッドに眠らせたり、キスを許したり。


なのにはっきりしない彼女の態度を試し、あわよくば本心を語らせる狙いだ。



素直に心配してくれるか、強がって無視をするか。どちらの反応も想像できた。



何れにしても優しい女なので心配するのは目に見えているが、どのようなリアクションを示すか、興味津々のウィルであった。




協力したのはヒマ人のケイだ。むしろ彼が計画しそうな案なのだが、大嫌いなシエラを虐げるチャンスとあって、青い瞳を輝かせ喜んで計画に加わった。


復讐するとかふざけたことを吐くくせに隊長ウィルを気にかける素振りを見せ、それが本音であるのか真意は何なのか見極めるいい機会でもあった。





午後8時のダイニングルーム。夕食を終えたシエラはまだその場に残っていた。


ケイが食事中で、お代わりへの待機と食器洗いのため食べ終わるのを待っていたのだ。



嫌われていると自覚しているので話しかけないし、当然相手も無言。会話は一切交わされない。


それでも気持ちよく食べてほしいと、彼女はソファで静かに読書しながら待っていた。




不意にユーモラスな音楽が室内に流れた。ケイのスマホからだ。


シエラは知らないがウィル専用にしている着信音である。


彼はシエラ手作りの食事を中断させて、スマホを手に取った。




自然と耳に入る口調は気さくで、通話相手はウィルとシエラは予想。仕事だと本人から聞いており、彼は屋敷を留守にしていた。


仕事先からの電話なのだろう。これもケイの発言により判断できた。




演技力抜群の上司に似たのか詐欺師の同僚を手本としたか、ケイは巧みに声色を変えた。ここからが計画の開始、本番だ。


実は2階の自室にいるウィルとの予定通りの電話。シナリオに添って会話は進む。



「隊長、どうしたの?怪我?アハハ、だらしないなあ。うん……うん、わかった。じゃあね!」



電話を切ったケイの耳に即座に聞こえた女の声。


顔を緊張させたシエラと視線を交える。



「電話の相手、ウィルですよね?」


「オマエには関係ないよ」


「彼、怪我を?」


「うるさいなあ。ざまみろって思ってるくせに」



色仕掛けで隊長をたぶらかし復讐のチャンスを狙う悪女。それがシエラに対するケイの見解だ。だから眼前で見せる心配も演技であると疑わない。


隊長はそれをうまく利用しキスや抱擁を楽しんでいるようだが、ケイには生理的に不快な行為でしかない。




彼の発言はシエラを愕然とさせた。酷く胸を痛ませ一瞬言葉をつまらせた。



「そう……ですね。ワタシ、カタキだから……気にするの変ですね」



悪女と認識され、そこまで嫌われているのかと思うと返す言葉もない。


火に油を注ぐ気がして異を唱えられず、悲しみに沈み意味なく同意するのみ。だが次の問いだけは譲れなかった。



「怪我の具合はどうなんですか?」



返答は沈黙だった。シエラはしばらく待ったが、ケイは食事を再開させてだんまりを貫く。



「すみませんでした」と彼女は一言を告げて室内から身を消した。


肩の落ちた頼りない背中を、ラピスラズリの瞳を持つ男は見えなくなるまで追っていた。





深夜、趣味のホラー映画鑑賞を終えたケイはビールを求めて厨房へ向かった。


手前のダイニングルームに先客を認める。暗い窓の外を眺めるシエラの姿。たちまち機嫌は悪くなる。



「まだ起きてたの?何してるのさ。もしかして隊長を待ってるの?」


「そんなわけじゃ」



図星であってもケイが怖くて首を縦に振れない。


否定を試み、だが無駄な抵抗だった。彼は聞く耳を持たず話を続ける。



「隊長なら戻らないよ?」


「え?」


「女のところに寄るってさ。明日の昼まで来ないよ」


「あ……そう、ですか。そうだよね、優しい女性のところで看病してもらってるのかな」


「怪我を理由にオマエに襲われたくないんだよ。負けるはずないけど鬱陶しいだろうからね」



意地の悪い口調でケイは語る。普段ウィルをいじめる時のような冗談は含まれない。


ただし言いすぎた。『女の家に泊まる』と必ず話に組み込むこと。ウィルとの約束はそれだけだったのに、独断の補足発言がシエラの心に巨大な亀裂を走らせた。



「彼が……そう言って?だから帰らないの?」


「たぶんね。隊長にいい格好を見せたくて待ってたんだろうけど残念だったね。隊長はオマエの浅知恵なんかに騙され……」



それは音もなくケイの視界に入り込み、言葉を失わせた。


シエラの瞳からポロッと落ちた一粒の大きな涙。真珠のように綺麗な輝きだった。


その顔も美しかった。そしてすぐさまはらはらと大粒の涙を流し出した。



「わかってます。そんなの……わかってる。ワタシはカタキだもの。信用も、本気で好きになってくれるはずないもの」



視線を落として涙ながらに声を漏らす。頬を伝う滴はこぼれて胸元を濡らした。まだまだ泣き止みそうにない。



「彼、優しいから、嫌な顔もしないで……ワタシを嫌いなら、それらしくすればいいのに。ワタシだって諦められるのに」



喉を鳴らし両手で顔を覆った。湧き上がる感情を抑えきれないようだ。室内に嗚咽が高く低く響いた。




泣き続ける女のスラリと細い抜群のスタイル。だがこの状況ではただただ弱々しい。


そして凄まじい色気。ウィルでなくとも普通の男なら抱きしめたくなるだろう。ケイだから我慢できるのだ。



けれど彼とて男である。己の発言が原因だけに女嫌いのはずがイラつきもせず、見守るような視線を送っていた。




ふと泣き声が止んだ。それでも顔は上がらない。出された声もわなないていた。



「彼……怪我の具合はどうなんですか?」



おそらくずっと気にかけていたのだろう。無視された数時間前と同じ質問を繰り返す。


ケイはまた無言だ。シエラは耐えきれず瞳に涙を溜めて嘆願する。



「お願い、教えて……」



いまのケイは嫌がらせで無視しているのではなかった。余裕がなかった。


このまま嘘を続けていいのか悩んでいた。シエラの言動は明らかに真剣だ。



そう、ウィルを見つめるシエラの瞳はいつも真剣だった。


昼間屋敷内での生活が長いケイは誰よりそれを見てきた。悲しそうに寂しそうに、でも熱い眼差し。


シエラの気持ちはただひとつだ。ケイも把握してはいた。認めたくなかっただけ。


隊長の方が恐らく遊び。女も失恋は覚悟しているだろう。両思いはあり得ない。それなら彼女の思いを認めてやる時期なのかもしれない。



それに今回のこの出来事、今さら嘘だとは言いづらい。泣き続ける彼女の心配をひとまず取り除くことが優先だ。



「……たいした怪我じゃないよ」


「あ、良かった。良かった……」



顔をあげ頬の筋肉を少し緩めて胸を撫でおろすシエラ。傍らのケイにもはっきり確認ができた。彼も我知らず安堵する。



「良かった……。教えてくれてありがとうございます。色々…すみませんでした。失礼しますね」



手短に用件を述べ、サンダルを響かせて廊下へ駆けて行った。



「……部屋で、また泣くんだろうな」



ひとりで泣くシエラを想像し、ケイは何となく切なくなった。


柄にもないなと己を皮肉り、ビールの件はすっかり忘れて長身を室外へと移動させた。




そうして自室に入るより先に隊長ウィルの質素な部屋を訪問した。作戦の結果報告のためだった。



「隊長、あの女泣いてたよ」



深夜であり長居するつもりはなく立ちながらの会話だ。


ソファでそれを受けた隊長は決して女々しくはない、同性も納得の美貌に笑みを浮かべた。



「へえ、嬉しいな。やっぱりオレは愛されてるんだね」


「アイツ…落ち込んでたよ」


「あれ?オマエも落ち込んでる?」



いつも陽気な部下が見せた異変。原因を察してもいたが言及は避けた。


とはいえ隠し事を嫌うケイは曖昧だが自ら理由を口にする。



「別に。少し後味が悪いだけだよ」



他人の不幸を好むウィルの鬼畜な性格を知る部下は、これ以上の会話を避けて退室した。




脳裏で女の声が再生される。「本気で好きになってくれるはずがない」「諦められる」。彼女が抱えているのはウィルへの唯一で一途な思い。


ひたむきなシエラの涙。戯れに利用されただけの涙。早く忘れたいと、自室のベッドをケイは重い足取りで目指した。





「シエラ」



ノックもせず当然のように入室してきた男の姿を、部屋主シエラはソファから茫然と見つめた。



「え、どうして!?泊まりに行ったはず……」


「オマエが良くて帰ってきたよ」


「……ワタシは、何もしてあげられないよ?」


「顔を見るだけでいい。他のどんな女よりオマエの側にいたい」



真摯に語るウィル。足は前進を続け、戸惑う女を無視して隣に座った。



「起きて待っててくれたの?」



もう深夜である。とっくに夢を見ている時間だ。ベッドにいた形跡もないし、これまでの彼女の行動をウィルは気遣う。



相手の視線を感じつつ、正面を向いたままシエラは言葉を返した。



「暑くて…寝つけなかっただけ」



強がって見せるも嘘は通用しなかった。


明らかに泣き続けていた瞳。覗き込むウィルの黒い瞳に赤く腫れた目が映る。



「ごめんね。心配させたんだね」


「自惚れないで!アンタの心配なんてしてない」



勝手な憤りを表すシエラ。そんな女を眼前にしてもウィルの感情は乱れない。冷静な声がシエラの耳に届いた。



「ケイから聞いたよ。たくさん泣かせてしまったみたいだね?」



ビクリとシエラは体を震わせた。ケイがどこまで話し、どんなフェイクを加えたか定かでないが、ウィルは初めから様子を承知で入室してきたようだ。


優しい彼の性格だ。仕事帰りだというのに話を聞いて慰めに来てくれたのだろう。




胸が苦しい。また泣きそうになった。ウィルの言動はシエラの偽る心を溶かし素直にさせた。


心配や嫉妬、悲しみ、苦しみ、焦り。抱えたすべての感情を含め切々と打ち明ける。



「もうこんな思いしたくない。こんな思いさせないで」


「ごめんね?」


「怪我は平気?」


「腕の捻挫だよ。少し痛むけど大丈夫」



痛そうな顔を作りヌケヌケと言い放つ。



そう、すべては彼の作った嘘。シエラへの愛のためなら何だってする。


悲しみを与えることも彼には極上の戯れだ。こうして慰めに来てキスや抱擁ができるのなら一石二鳥である。



さっそく女の体めがけ腕を伸ばす。しかし意外にも拒絶された。



「やめて。腕が痛むよ?」


「いいんだ。この腕はオマエを抱くためにあるんだから」



羞恥心の欠落した彼は恥ずかしげもなく口にする。


シエラも笑いもせずに受け入れる。寄り添い、温もりを確かめる。


今日感じた心の傷もこれで報われるとばかりに。騙されたことに最後まで気づかずに。




ウィルが好き。でも怖い。認めたくない。仲間を裏切りたくない。そんな時期のシエラである。


数日後にはその愛しい男とはじめて肌を重ね結ばれるのだが、ウィルの戯れは今後も続く。


ケイが危惧したシエラの苦悩はまだまだ終わらないのだった。




end.


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