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7月5日・闇夜のキス



昨日から続く高熱やダルさといった体調の悪さを受け、シエラは情けなさに溜め息を漏らしつつ今日も自室のベッドから離れられずにいた。


この屋敷へ来て5日目のことである。



ベッドの傍らでは病人に遠慮して昼食を抜いた美貌の男ウィルがイスに座り看病していた。


ただしふたりの仲は友人でも恋人同士でもなく、女の一方的な思いによるカタキ関係であった。




昨日より具合は大分いいので、シエラはベッドの上で上体を起こし男と最低限のみの会話で時間を過ごしていた。


慣れ慣れしい関係になるのは御免なので会話は弾まない。それでも男は嬉しそうに語り続けた。



そんな空気のなかシエラが重い吐息をひとつ漏らした。体の具合がまた悪くなってきたと自覚した。


調子にのって起き続けていたのがよくなかったようだ。



「少し休ませてほしい」



横になりながら口にし、傍らの男を見つめて補足する。



「アンタも好きなことしてていいよ?」



看病してもらいさすがに申し訳なく思ったか、寝ている間は自由時間にしてあげたいと考えた。



勧められたウィルははじめ首を横に振った。心配で席を離れたくなかったのだ。しかし彼女の困惑顔に態度を改めた。



「オレみたいな男はいない方がいいかな。休まらないよね?ごめん、気づけなかった」



しょせん自分は復讐相手。残留が存在を嫌がる彼女の不快を誘っていたと受け止めたのだ。


完全な誤解に「違う」とシエラは言いたかった。でも声に出せなかった。意地っ張りな彼女がそこにいた。


立ち上がった男の背中を無言で見送るしかなかった。





2時間が経って目覚めたシエラは、周囲を見回しウィルの不在を確認するとまた着替えをはじめた。


体はずいぶん楽になっていた。熱も高くなさそうだ。これなら第三者の支えなしで歩けるかもしれない。


下着もあることだし洗濯物を出しに隣の脱衣室までなら……。


そもそもカタキ討ちに来た身。寝てばかりでは望みは叶わない。




ベッドから足を下ろし床の感触を確認。サンダルを探しに立ち上がろうとして、部屋のドアが開いた。



現れたのはやはりウィルで、奥に視線を向けるなり足早にベッドに近づき声をあげた。



「無理しないで。用事ならオレがするから。これ洗濯?回してくるよ」



腕の中にはシエラが脱いでベッドの上に無造作に置いていた衣類。



せっかく熱が引いたというのに彼女は情けなさと羞恥に頬を赤く染める。口からは文句の言葉しか出ない。



「そこまでしなくていい。アンタ、カタキ相手にこんなことしてバカだと思わない?」


「バカでもいい。やりたいんだ」



真剣な顔をさせて、はっきり口にしたウィル。シエラの鼓動はみるみる高鳴り泣きそうになった。




病弱で入退院を繰り返した初等科のころ。精神を病んで入院していた3年前。そのとき誰が彼のように面倒をみてくれただろう。


病院や児童施設の関係者は普通に優しかったが、病室でシエラの心はひとりだった。寂しくても我慢の日々を過ごした。心に響くこの温かさに憧れていた。


憧憬は現実となり、それをくれたのはカタキ相手だった。




関係にこだわり意固地になっていたシエラは心の中で自分の発言を悔いた。優しくしてくれる彼に失礼な仕打ちをしてしまった。


非礼を詫びなくてはならない。そうしなければ自身への苛立ちが抑まらない。



「ごめん。言いすぎた」



ウィルは内心おかしい。シエラの方こそカタキ相手に謝罪などして人の良さを証明している。復讐などできる女ではないのだ。



「気にしないで。……元気になってきたみたいだね。よかった」



そうして温厚なカタキ相手はうつ向く女の頭を慰めるように何度も撫でた。



5つも年下の短気で我が儘な女など彼には子供にしか見えないのだろう。


何に対しても動じない、バカ呼ばわりにも怒らない。ウィルは大人だなとシエラは思い、撫でられる行為に癒しを感じた。




その後、一緒に夕食や軽い会話の時間を過ごし、このときを境にシエラの態度は少し変化した。



警戒しながらも口数は増え、彼に対する嫌悪感はほとんど消えた。


そして女の具合を気にしたウィルの配慮から、いつもより格段に早い就寝となったのである。





成り行きからウィルを隣に寝せることになったシエラ。自分で決断した結果とはいえ多少の動揺を感じていた。


ひとつには上着を脱ぎタンクトップ姿になった男によって。



綺麗な顔に騙されがちだが、バランスのとれた筋肉質な体。


この逞しい胸にいつも包まれているのかと思うと、急に異性と意識しドキリとした。




そんなシエラの緊張をよそに、ウィルはベッドに入りシーツに頭部をうずめる。枕はひとつ、当然シエラが使用しているためだった。


寝心地の悪さを感じつつ手にしたリモコンで部屋の灯りを消す。


窓がなく屋外の灯りや音は入らない。室内は誰もいないかのような静寂に包まれた。




ウィルは隣にいるはずの女の気配を盗む。


仕事柄、闇にもすぐ慣れる瞳には仰向けになって瞼を閉じた女の姿。何かを探るかのように息を殺して動こうとしない。



彼女は眠りに落ちることを恐れている。身の危険を案じてと、的確に理由を察しキスがしたくなったひねくれウィルは、遠慮なく動くことにした。




シエラはウィルのように気配を上手に読めない。


それでもできる限り彼の動きを捉えようと集中していた。


なのに気づいたときには男の顔は頭上にあり、横たわる体は馬乗りの姿勢に覆われていた。




闇に溶け込む黒い髪。黒い瞳。黒い服。そことは分離され浮かび上がって見えるくすんだ色の肌。


闇に慣れたシエラの目には浮世離れした妖しい美貌。ずっと見ていると甘い世界に堕ちてしまいそうになる。



それは許されない行為であり、抱いてはいけない感情。


かといって状況が個人の戒めだけで変わるはずもなく、これから起こり得る出来事に不安を募らせる。




ウィルの長い前髪がシエラの顔に落ちた。至近距離で見つめあうふたり。闇の中であろうと、これなら細かい表情も確認できる。



「オマエは綺麗だね」



愛しそうに語ったウィルの心からの賛辞は、相手自らによって否定された。動揺が彼女にそれを語らせた。



「うそ……見ないで。ろくに顔も洗ってないし」



顔を背けるシエラ。それでも男の視線を感じ、もう一度呟いた。



「見ないで……お願い」



男言葉を忘れた女らしい口調。素の状態なのだろう。強がらず、ただ脅えている。これこそが本来の姿なのだ。



「こっちを向いて?」


「いや……向けない……怖い」



どこか一点を見つめる瞳。硬まる体。震える唇。わななく声。それらにウィルは男として強く高ぶりを覚えた。


色気の塊のようなこの女を目の前にして欲情せぬ方がおかしい。想像以上の、なんて女なのかと嬉しくなった。



「キスしていい?」



そっぽを向いたきりシエラは何も答えない。


彼とは何度もキスを交わしている。でも明るい部屋で、きちんと体を起こしている時。


華奢に見えてもやはり男だ。覆い被さる体が重い。この重さと本調子でない体調では何をされても抵抗できないだろう。


とにかく彼を信じるしかない。シエラにはそれしか残されていない。




返事をウィルは待たなかった。キスは実行され互いの唇が重なる。すぐにシエラの口内に男の舌先が侵入してきた。



「んぅ……」



女の口から声が漏れる。そしてふたりの舌先が触れ合ったとき異変は起こった。



どうしたのか、ウィルは体を離して消灯直後のように彼女の隣で横になる。闇色の瞳は閉ざされ体は動かない。




たったいま起こした行為、体感から得た欲情とジレンマを振り返る。


顔に吹きかかる温かい吐息。それとともに耳に聞こえた甘い声。すぐにキスをやめなければ我慢がきかなくなる。彼はそれを悟った。



シエラと交わした『本人の許可なしには抱かない』という約束を破りたくなかった。だから身を引いた。


セックスはまたお預け、とばかりに内心で自分を嘲笑った。




この時点でのシエラはまだ彼への恋心を自覚していない。


わかっているのは優しさや温もりを求める自分が時々心に現れること。



先ほどのウィルの逃げるような行為。『約束』を守ってくれたのだろうと推測する。


また我慢させてしまった。彼の心情を思うと切ない気持ちが込みあげる。胸が痛い。



数日後にはウィルに全身を愛撫され心の痛みと引き換えに喜ばせたシエラも、いまは彼のためにしてやれることを何も見出だせなかった。己の唇をただ噛みしめるだけだった。




end.




今回の話はLOVERS8話『7月5日・看病』から内容の一部をピックアップして掘り下げた話。


LOVERS内ではふたりの心情が抽象的になってしまったので、今回そこらを具体的に書いてみました。



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