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7月4日・嵐の前



日の出の早い夏の朝だというのに、窓がないため暗い室内。慣れないせいもあり、シエラは寝坊した。


ラベリーズの自宅なら6時には起床して出勤準備や弁当作りなど欠かさず続けていた彼女なのに。


ちなみにこのロベリートス訪問前まで勤めていた勤務先は探偵事務所。ウィルたちを探すために選んだ仕事であった。



いま時刻は8時。だらしないなと己を誹謗しつつ、内部は敵だらけのこの屋敷。


緊張に疲れての深い眠りだろうと、多少甘い見解を自らに下した。


彼女を敵視するケイなら「よく寝れるよなあ。図太い女」と毒気たっぷりに評したことだろう。




カタキの男ウィルを追って彼と彼の部下が暮らすこの屋敷へ住み着いてから今日で4日。


その間してきたことと言えば復讐ではなく彼らのための食事作り、そしてウィルとの何度ものキス。



彼の顔が自然と浮かび、シエラはぼんやりと唇の感触を思い出した。


強引で、でもキスは優しくて、抱きしめてくる温もりも心地よくいつも拒めずにいた。



何をしにここへ来たと昨夜も心に思ったが、ウィルの不思議な魅力に引き寄せられる自分を否定できずにいた。




スラリと背が高くスタイル抜群のシエラ。なのにベッドから下りて着替えた服は男物だ。夏にも関わらず青の長袖シャツとジーンズ。



カタキ相手にバカにされないようにと数年前から実行し、本人は完璧な男装のつもり。


しかし騙される者は世間も含めどこにも存在せず。線が細く美人と言ってもいい容貌すぎたのだ。



そうした格好をしてシエラは部屋を移動。洗顔をすませた後は屋敷内での日課になりつつある住人たちの朝食作り。


それに今日は来て間もない屋敷なので色々覚えようと内部探索の予定を立てていた。





悪党のアジトである。夜の仕事が多く、9時を過ぎた朝でもまだ誰も起きてこない。


しんと静かな屋敷。とても8人が暮らしているとは思えなかった。



広い内部を歩き、あちこち目立つのは床のシミや埃。屋敷の顔であるエントランスホールでさえそんな有り様だ。


掃除する者もおらず、せっかくのアンティーク家具も汚れたまま。シエラの出番である。



一通り屋敷内は見たしと覚悟を決めた。バケツ、モップ、雑巾……素早く用意をし、腕捲りをして掃除の開始だ。


復讐者にあるまじき姿。これこそが元来の優しく几帳面な彼女の姿であった。




床だけでなく階段の手摺りなど細部にも雑巾をかけ、徹底した掃除に励む。エアコンの効いた空間だが額には汗が滲んだ。


顔付きも真剣で、好意を寄せてくるウィルが見たなら惚れ惚れしただろう。



「ふぅ……。ん、んっ……あれ?」



雑巾をしぼり立ち上がった刹那、違和感を覚えた。何となく全身がダルい。


それでも掃除の疲れのせいだろうと軽く流し、バケツを手に移動する。



次はトイレにバスルームにと午前中のほとんどを掃除に費やした。この二ヶ所には掃除用洗剤が設置されシエラは驚きと安心の両方を胸に抱いた。


悪党たちの個性をまだ知らぬゆえの偏見。ジーンとアッシュという労をいとわず綺麗好きな男が存在したのだった。



掃除を終えた頃には体は熱くて重たくて、けれども彼女は久しぶりの労働に疲れたのだと疑わず、張りきりすぎたと苦笑した。




表情が一変したのはダイニングルームでひとりの男と鉢合わせた時。見る間に表情は険しくなる。


しかしそれは故意であり無意識でありと、複数の感情によるものだった。そして一番の理由は……。



「ん……」



再び感じた体の違和感に瞳を閉ざした。スポンジの上にいるような不安定な感覚。男の顔も二重に見える。実は朝の寝坊も体の不調が原因だ。



眼前でその男ウィルも美貌を曇らせた。会えて嬉しい愛しき復讐者。けれど様子がおかしい。



「どうしたの?具合良くない?」



心配を含む声。ただし思いは報われない。相手は明らかに辛そうな態度で冷たく言い放つ。



「目眩だけだ」


「大丈夫?熱中症?長袖、暑いんじゃない?」



体調を気遣いつつ、今日も男装の彼女にさり気なく改善を促す。



再三の優しさにもシエラは態度を改めない。一貫して反論だ。



「アンタに関係ない!放ってお……んっ」



声を張り上げたせいかまた目眩。言葉は続かず無意識に手は顔半面を覆い、ギュッと瞳を閉ざして立ち尽くした。



具合の悪さは一目瞭然。ウィルは抵抗覚悟で彼女の肩を抱いて表情を覗き込む。



「無理しないで。具合本当に大丈夫?」


「目眩だけ……あ、んっ悪いけど、体……貸して」



声と動作どちらが早いか、グラリと倒れ込む。


弱みは見せたくないが歩行の自信もないシエラは男にそっと身を寄せた。




頼られてウィルは嬉しい。大切な女に優しく接するのは彼の中で当然の行為。


故に返事を省いたのだが、腕の中のシエラはそれを酷く気にした。



沈黙は嫌な思いをしているせいと判断し、支えの確認を取る。被害妄想の激しい彼女ならではの発想だった。



「寄りかかって、いい?」



気弱な瞳ですがるように見上げてきたシエラ。ウィルは体を抱く腕に力を込める。


あまりの色気にゾクゾクした。興奮した。ベッドで早くこんな彼女を見たいと切望した。




ジーンズの上からヒップを撫でる。弾力がありそうで揉みたくなった。


男装のくせにブラジャーはしっかり身につけているし、何だか歯痒い。


しかし表立っては信頼を裏切らない抱擁と温かい言葉を返すのみ。



「ああ、構わないよ。良くなるまでここにいて」


「……もう少し、借りる」



告げたい謝礼や謝罪を胸に秘めての上から目線。


強情な自身に嫌悪しながらポツリと呟いて、男のかたい胸に頭部をうずめもたれかかった。


力強い腕と穏やかな空気に安堵した。その反面気づいた点もある。



かなり鍛えているのだろう。体重をかけてもビクともしない強靭な体。こんな男に復讐なんてできるのだろうか。


現実を思い、それでも温もりからは逃げようとしなかった。



「立ってるの辛くない?ソファ座る?」



秀でた顔に心配を滲ませウィルが気遣う。



「このままで……」


「わかった」



そうして、どれくらいの時が経過したのか、シエラは華奢な身を優しい犯罪者から離した。全身はダルく熱いが目眩は治まっていて安心した。



「もういいの?無理しないでね?」



ウィルの語る内容に疑いもせず、抱擁に名残りすら感じたシエラ。


けれど彼は、綺麗な顔で安らぎをくれるこの男は家族同然の仲間を殺害したカタキ。これ以上の行為は仲間への背徳。許されない。



思いは胸を支配した。介抱してくれた人物だろうと恩返しはできず、口調は攻撃的な物となった。



「見返りなんて期待しないで。アンタがカタキである事実に変わりはないのだから」



黒い瞳にウィルは哀愁を漂わせた。わかってるとばかりに同意し、苦笑を漏らす。



「そうだね、オレは憎まれるだけのカタキだ。いつでも攻めには応じるよ。反撃は容赦しないけどね」



手加減なしもまたウィルだ。皮肉げに口にし、いったん会話を止めた。それから再び彼らしい温厚さを放つ。



「まだ本調子じゃなさそうだね。部屋でゆっくり休みなよ。オレはこれから自室で仕事だから面倒見れなくてごめんね?じゃ、お大事に」



誰もが見惚れるとびきりの笑顔を披露して室内から退いた。ひとつの嘘とともに。



自室というのは嘘で屋外での仕事が真実。暴力行為ではないが、シエラがそう思い自分と重ねて不快やら激昂するかもしれない。心身への負担を避けてあげたのだ。




遠ざかる背中を眺めるシエラの気分や気持ちは最悪だ。恩を仇で返した相手に彼は怒りもせずいたわりの言葉をかけてくれた。



己にイライラし罪悪感に胸が痛い。それでもせっかくのウィルの心遣い、せめてそれは受け入れたいと自室で休もうとし、だが叶わずに終わった。



その後のシエラはダイニングルームに残ってエルとオーウェンのためにランチを用意。休むタイミングをなくした。



そして高熱により意識を失ったのは数時間後のこと。


3日間をベッドで過ごし、看病してくれたウィルとの距離を縮めて、限りなく愛に近い恋心を深めていくのだった。




end.




今回の話はLOVERS7話『7月4日・熱』の数時間前に起きたプロローグ的な話。


この頃の男言葉のシエラは意地っ張りでかわいい。LOVERS後半の彼女は……。



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