7月31日1・列車にて
前日の嵐が嘘のように、天気に恵まれた3泊4日の旅行初日。
目的地・南部ボカドアへと向かう列車内での出来事である。
屋敷を出てから二時間。発車してから一時間が経過した昼下がりの車内。
少しの会話のあと、また無言になってしまったシエラとウィルは、個々に時間を過ごしていた。
ただし女はぼんやり車窓から外を眺め、男は昼寝をしているだけ。
それでもふたり掛けシートに座る両者の手は男の膝の上でかたく握られ、それだけであってもふたりは幸せだった。
ほどなくして停まった駅で、向かい側の空席が埋まった。シエラたちと同年代のカップルだった。
女の方はウィルの完璧な容姿を一目で気に入ったらしく、席に着くなり発した挨拶を皮切りに、彼氏そっちのけで会話をはじめた。
彼氏は「すみません」とばかり、同性でも見惚れる青年へ小さく一礼し、ウィルは苦笑を返した。
話好きの女と無口な女。お互い大変な恋人を持ったものだと悪意を含む一方、翻弄されることに喜ぶ自身を加えた世の男の愚かな性も込めて。
会話の下手さを自覚するシエラは場の雰囲気を壊さぬようにと無言を決め、同行者からもらった缶コーヒーを口にしていた。
楽しそうなウィルを彼女は時おり探るような眼差しで見つめていた。嬉しさと安堵の気持ちが胸にある。
存在感の薄い女といても彼はつまらなかったことだろう。話し相手が来てくれて本当に助かった。
眼前の女の陽気な笑い声が響く。笑顔の似合う明るい女だ。
恋人だけでなく、多くの友人がいて好かれているのだろう。羨ましいなと眩しいものでも見るようにシエラは瞳を細める。
相変わらずのネガティブ思考は続き、尚も物思いにふけこんだ。
いつもサプライズを計画しては喜ばせてくれるウィル。反応の薄いシエラ。
もっとうまく話せたら。もっと明るい性格なら。もっと鮮明なリアクションができたら。
コミュニケーションに長けた人格だったら彼を喜ばせてあげられるのに。
こんなに好きなのに、好きでいることしかできないなんて……。
不意にシエラの手に温かく柔らかい感触。
缶コーヒーを開けるため離したそれに、対話中のはずのウィルがさり気なく自分の手を重ねたのだ。
まるでシエラの心を覗いていたかのような絶妙のタイミング。ひとりじゃないと、側にいるよと教えてくれる、おそらく心情を読んでの彼らしい行為。
優しい人……。ウィルと出会えてよかったと心から彼女は思い、その手を握り返した。
ふたりきりなら口にしていたかもしれない。ありったけの思いを込めて「好きです」と。
*
列車は速度を変えず走り続ける。次の停車駅は終点。しかし到着にはいま少し時間がかかりそうだ。
若者とはいえさすがに話し疲れた二組。対面するカップルはそれぞれスマホを操作し、ウィルは途絶えていた隣人との会話を再開させた。
「あ、シエラ、腰は痛くない?」
長時間座りっ放しで確かに疲れてきた。ウィルはそれを心配してくれているのだろう。シエラは純粋にそう捉えた。
だが嫌な予感も捨てきれず、「どうしたの?」と質した。
その後の彼の発言はシエラを唖然とさせ、後悔の海に深く沈めた。
「ほら、昨夜はシャワールームの硬いタイルの上でヤったでしょ?シエラ激しいのが好きだか」
「何言い出すの!こんなところで言わない!」
ウィルの特技『爆弾発言』が投下された瞬間であった。
小声だがきつく叱られたウィルは、勢いに負けとっさに通路側へ上半身をのけ反らせた。
体調への気遣いはなぜか彼女に届かなかったようである。
向かいのカップルがクスクス笑っている。ハッと気になりシエラは素早く周囲も観察。
ウィルの普段から小さめの声と乗客の話し声にかき消されての無反応に安堵はするも、頬を赤く染めてうつ向いた。
恥ずかしくてたまらない。ウィルに対し、この羞恥心のなさと仕事さえ変わってくれたらと願わずにはいられない。
それにしても「激しいのが好き」とはどういう意味合いだろうか。
どうやら情事そのものを好きと思われているらしい。恐ろしい事実に体を硬直させて、彼女は真剣に考え込む。
昨夜は雨に濡れて、それでふたり一緒にシャワーを浴びた。
確かにタイルで抱かれて腰は痛かったけれど、彼が強引だから興奮して気を失いそうになったけれど、たくさん喘いだ気もするけれど……。
回顧するシエラの結論は、次の通りである。
まあでも……嫌いではない……かも
何となく認めたくない気もするが、本心はそれにつきた。
ともあれ確かなのはウィルの前で認めてはいけないという点。
調子にのって何をしてくることか。この件をしつこく話題にあげることは避けるべきと判断した。
その結果、シエラは窓の外を眺め終点までウィルとの会話を控えたのだった。
彼女の行為に漆黒の前髪をかきあげつつ、ウィルは苦笑する。おかげで考える時間だけは増えたようだ。
ウィルや部下たち、そしてシエラが現在暮らすロベリートスの屋敷。
あの街での仕事も一段落を迎えた今、活動拠点の首都ベランクリーへ戻るため退去するとウィルは決めていた。
まだ何も知らず、ひとり首都ではない地に自宅を持つシエラ。
皆が屋敷を離れると聞いたとき、一体どんな反応を、答えを示すのだろうか。
愛してしまったばかりに、また悩ませ悲しませてしまうとウィルは嘆く。
シエラの答えが何となく彼には想像できた。シエラなら別離を選ぶだろう。ラベリーズの自宅に戻るだろう。一緒にいられる時間はわずかしかないはずだ。
ウィルは思い出を作るためここへ来た。思い出は楽しい方がいい。
この列車での出来事も笑い話としていつか語ることができるだろう。残る日々もそうありたい。
まもなく終点。そしてシエラとの初めての旅行。
楽しむことだけを考えよう。そうウィルは締めくくり、彼女の横顔を見つめた。彼が愛した女の顔は今日も美しかった。
姿勢を正すフリをし彼女の耳元で囁いた「愛してる」。それがウィルの真実だった。
end.




