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7月・誰より優しく



「自惚れないで!アンタなんか大嫌いっ!」



屋敷内のダイニングルームに響いた子供の負け惜しみのような文句は、21歳になる女の口から出たものだ。



黒髪の美青年ウィルにコーヒーを頼まれ素直に彼の待つテーブルへ運んだ。


ここまでは平和的であったのだが、男は喜びのあまり無謀な願望を話してしまったのだ。



「毎朝オマエのベッドでコーヒーを飲みたいな」



部下たちが聞いたらドン引きするであろうセリフを真剣に語って無邪気に笑い、これに対する返答が先のシエラの怒鳴り声であった。




相手はカタキであり嫌うのは当然なのだが、実は憎悪とはかけ離れた怒声。


肯定はもちろんジョークと捉えることも柔軟に切り返すこともできず、本心を見透かされたと慌てた彼女がとっさに起こした、いわば焦りが言わせたもの。


それは珍しい行為ではなく、ここのところ度々見かける態度で、むしろ意外な言動を示したのは男の側だった。


スッと笑顔が消え、やるせない表情へと変化を見せたのだ。



「そっか、カタキだもんね、当然か。でもオレもオマエが嫌いだよ?大嫌いだ」



物静かな、けれど研ぎ澄まされた、まるでアッシュのように冷ややかな口調。


黒い瞳に見つめられたシエラは戸惑いと驚愕に立ち尽くした。




嘘……嘘でしょう?優しい彼がこんなこと言うなんて……




信じられなかったし信じたくなかった。


ショックは大きく、深く心に根付いてまともな言葉が出てこない。



「あ……あ、その……」


「オマエに笑顔を見せるの、もう疲れたよ」



見る見る顔色を青ざめさせる女。


聞きたくないセリフを2度も耳にし、立っているのがやっとの真っ青な顔で唇を震わせる。


彼女の方でも己の立場やウィルと出会って以降の態度を顧み、嫌われるのも当然とパニック寸前の頭で思案した。




無表情で状況を眺め続けるウィルは、やがてやりすぎを認めた。意地悪の本当の意味を打ち明ける。



「ごめんね、嘘だよ。オレがどれほど傷ついたか知ってほしくて」



面と向かって「大嫌い」と言われ寂しい気持ちになった。


シエラの本心や優しい様を知るだけに、早く素直になってくれればと悲しみがわいた。



ウィルはシエラに夢中だ。本気を伝えたくての意地悪だったが、彼女の反応はその思いを裏切った。



「ワタシは嫌われたって平気だもの。それにアンタの気持ちなんてどうでもいい。一緒にしないで!」



頑固なシエラ。嘘だと知り安堵したてのいまだ青白い頬で負けじと叫ぶ。


ところが態度は一変、直後にハッと息を呑んだ。



傷ついたのだろう。ウィルは典雅な顔一面に悲しみをたたえる。


シエラの胸が押しつぶされそうにキリキリと痛んだ。


互いに何度こんな経験をするのだろうか。彼を傷つけたいわけじゃないのに……。


素直になれないもどかしさにイライラが募る。




笑顔のないウィルはウィルじゃない。その原因を作ったのは彼女自身。居たたまれなくなって逃亡を決めた。



「ごめんなさい!アンタの顔、今は見たくない。部屋に行かせて!」



先ほどまでと矛盾する謝罪の言葉を口にして、サンダル音も高らかに室内を飛び出した。



ウィルはひとり苦笑いだ。なかなか素直になってくれない彼女。相思相愛のはずなのに苦難は続く。


やはりカタキという立場では先の見えない茨の道を歩き続けるしかないのだろうか。


いつになったら笑いかけ、名前を呼んでくれるのだろうか……。



溜め息をつきコーヒーカップを手に取る。一口飲んでテーブルに戻し、再び溜め息を零した。


ぬるくなったコーヒーがくだらない言い争いの長さを物語っていた。





カチャッとドア音が響き、同時に窓のない室内の空気が静かに揺れた。


自室のソファに腰を下ろしていたシエラは俯く頭部を上げて開いたドアに視線を向ける。



入室してきたのはウィルだ。予想していたので反応はない。


先刻別れてから約30分。遅かったくらいだと待っていたかのような感情すら抱いていた。




ウィルは無言で彼女の隣に座り、正面を見据えて冷たいオーラを放つ素っ気ない横顔にさっそく話しかけた。



「オマエは心を開かないね」


「……アンタに話すことはない」


「違うね。オマエはオレだけでなく誰にも自分を見せようとしない」



断言する口調は確かに的を得ていた。



見透かされたシエラは正面から逸らした瞳に男の真顔を映した。視線が絡み合う。


揺らめいて安定しない心に、彼の力強い眼差しは信頼をもたらした。


悪意なき無言の圧力に引き寄せられるように本音を告げる。



「……怖いもの。自分を知られるのが怖い。どんな話をしていいかもわからない」


「何でもいいんだよ?今日の天気とか好きな本や場所や……料理が好きなら得意料理だとか」



優しい口調。穏やかな声。包み込んでくる温かい空気。


彼の放つ気配はどれもホッとさせる安らぎに満ちている。



シエラもそれを感じ、温かい光に導かれ肩の力を抜いた。


自然と彼を受け入れ、己のパーソナルな部分を打ち明けた。


孤児ゆえ児童施設育ちである身の上はすでに教えている。内容は主にその頃の私情についてとなった。



「ワタシ……小さい頃は病弱で入退院を繰り返してた。施設の人が見舞いに来てくれたり看護師さんも優しかったけど夜には誰もいなくて寂しくて、でも言えなくて」



子供心に迷惑はかけられないと強がり、しっかり者の良い子を演じていたあの頃。


懐かしいが暗い過去にシエラ自身も憂鬱さを覚えた。



眼前の男も曇った表情を浮かべている。慌てて話を止めた。



「ごめんなさい。ワタシこんな話しかできない。だから誰も側にいたくなかったんだろうな……」



因果応報、自業自得。そごまで大げさではなかろうが、かわいげのない態度に対する仕打ちに自分でも納得だ。


こんな女の側に誰が長居したがると言うのか。




誰もがそうに違いないと独自の判断で信じ込むシエラ。現在に続く発動率の高い被害妄想の原点だ。


だが世の中にはそうではない人物がいると知った。目の前に存在したのだ。



ウィルは微笑み、強がりなくせに2度も謝罪の言葉を口にした女の胸中を察してごく普通に慰めた。



「いいよ、構わない。オマエを知りたい」


「つまらない話を聞きたいの!?」



慣れない対応に戸惑うシエラに、ウィルも不思議さを隠せない。でも何となく理解した。


この女は優しさに接する機会に恵まれず、あるいは信用できず対人関係に不器用なのだ、と。


そこに気づいたからには一方的に突き放したりはしない。



「そうは思わない。嬉しいよ、オマエを知ることができるからね」



そうなのだ。ウィルが嬉しいのは無口な彼女が己の感情を話してくれた心境の変化。少しずつでいい。進歩に満足だ。




シエラはただただウィルを見つめた。


彼は26歳だという。シエラより5歳も年上の大人だ。だがそれとは違う意味でも大人であると思わずにいられなかった。


どんな人物のどんな反応にも冷静に応じ受け入れ受け止める柔軟性。


かといって甘やかさず妥協もせず、社交辞令は使わない。ウィルは精神の強い、飴と鞭、時と場を使いこなすことのできる見習うべき人物である。



しかしカタキだ。暗殺者だ。誉める価値はない。


それなのに惹かれる。カタキとして追い続けたこの男が、これまで出会った人々の中でいちばん優しかったから……。



「アンタは誰より優しい。あの頃アンタに出会っていたら、ワタシこんな性格にならずにすんだかもしれない」


「いまのオマエも素敵だよ。これから変われるかもしれないしね」


「アンタの方が素敵だ。こんなワタシを大切にしてくれる。優しく包んでくれる。抱きしめてくれる」



シエラはずっとひとりだった。だから優しさを欲した。


受けたことのないこの優しさを手放したくなかった。その感情が次の言葉を言わせた。



「寄ってもいい?」



ウィルの側が安らぎであり穏やかになれる場所であると自覚している。


過去を思い出したり彼を困らせたりと、慰められたくて温もりを求めた。



当然ウィルは拒まない。寄り添ってきた彼女のスレンダーな身を抱き寄せる。


頭部を男の肩に預けたシエラは夢心地に呟いた。



「あったかい……。ここならすぐに眠れそう」


「ここで一緒に寝る?」


「お願い」



躊躇いなくの返答にウィルは少し驚くも相手はもう語らない。


避ける理由はもちろん皆無なのでこの状態の継続だ。



寝るといっても肌を重ねるわけじゃない。この狭いソファでせいぜい愛撫がやっと。今日に至っては現状維持だろう。


けれどシエラの気持ちは確実にこちらに傾いている。仇討ちより愛に目覚めている。可愛らしい女ではないか。



彼女の手を握りしめた。柔らかな肌。


近日中にこの肌や心が手に入ると疑わない。彼女がその手を握り返してくれたから。それが確信理由。



不敵に笑うウィル。近日中であろうあとはその時、念願の約束解除の時を待つだけであった。




end.


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