7月・強情女は純粋女
「勝手なまねするな!頼んでない!」
夏の日射しが差し込む昼下がりのダイニングルームに威勢の良い怒鳴り声が響く。
勇ましいがどう聞いても女性の声で、口調もぎこちなくどこか迫力に欠けた。
怒声を浴びたこの屋敷の主で犯罪者集団の隊長ウィルは、イスに座ったまま身をよじって声の方向を見つめる。
同席する部下アッシュは双方を濃紺の瞳に興味深く映し、そして上司の穏やかな声を聞いた。
「ごめんね、今度からはオマエの許可を取るよ」
謝罪はしても内心では好意的な笑み。
彼女の下手な男言葉が可愛らしくて、ついつい目元と口元に緩いカーブが滲んでしまう。
怒鳴った人物は明るい室内に儚げな容貌とスリムな長身を晒す若い女。
色白の頬を紅潮させたシエラという名の21歳になる女は、飛び出してきた厨房の前でカタキ相手を睨みつける。
原因は単純で些細な出来事。彼女が洗うはずの食器をウィルが洗った。それだけ。
善意のつもりがまさかの怒声。けれど優しすぎる男なので何をされても怒気は沸かない。
個人を尊重し、それが先の謝罪へと繋がった。
ウィルはシエラの立場も性格もほぼ完璧に把握している。
カタキ相手から親切や情けを施され、バカにされたと捉えてムキになったこと。
頼まれもしないのに普段から敵の食器を洗ったりと、本当は優しい性格だけに怒鳴りつけて後悔していることを。
故に彼は嫌悪感もなく平然としていられるのだ。
反面そこを指摘し更に怒らせる楽しみも存在する。しかし今回は我慢。アッシュの目もあるし胸中に封じた。
今後を期待して現状維持を選んだウィルは、飲みかけのコーヒーを綺麗に空けると麗しき復讐者にまた視線を向けた。
「このカップはどうすればいいかな?」
「そのままでいい。片付けておく」
「うん、お願いするよ。ありがとう」
無愛想ながら内容は親切。意地っ張りな彼女のキュートな性格が垣間見えてウィルは謝礼と同時に微笑を送った。
それを最後に静かに退室する。
陽光に反射して綺麗な光沢を見せる黒髪の男を、シエラは背後から物悲しく見送った。
「後悔してるなら謝れば?」
傍らからの不意の声に彼女はピクリと反応した。
声に驚いたのではなく内容に敏感に反応したのだ。
憂いな表情をパッと消して声の主へ反論する。
「彼はカタキだもの!ワタシからは謝らない!」
強気に攻めてみたがテーブルの向こう側のアッシュは冷笑を浮かべて余裕の表情。シエラの抗議にも冷静だ。
「君はそんな意地悪な子じゃないだろ?」
「どうして!?ワタシは復讐するような醜い女なの!アッシュはワタシを美化してる!」
ひねくれ者の上司が更なる揚げ足取りを避けたように、手段は異なれアッシュは空気を読んで得意の皮肉を避けた。
ただし冷ややかな口調に含まれる明らかな嫌悪には誰であれ怯んでしまう。
それでもシエラは反論した。清楚な外見からは想像外の短気で負けず嫌いな女だ。不利を承知で噛みつくのである。
気の強い女は好みだ。それにアッシュに彼女を特別視しているつもりはない。
無意識なのだろうが、例えば今のような卑下も美徳とばかりの発言には舌打ちしたくなる。
本人がそう主張しているのだからそれだけの人間でしかないと興味が失せるのだ。
しかしながら対象者がシエラだとその考えも弱まる。よって見捨てずに会話を続けた。
「美化なんかしてない。君は欠点も多いよ。そこも可愛いだけだ」
シエラの卑下や遠慮がちな性格は確かに短所。だけどそこも魅力的で守ってあげたくなる。日に日に彼女への思いが深まる理由だ。
真顔を残し脳裏に上司の背中を見つめる彼女の眼差しを思い起こす。
辛そうで切ない、やるせない思いに満ちた眼差しだった。
「君は後悔してる。謝りたくて、でも復讐心が邪魔して素直になれない。その葛藤に苦しんでるんだろ?」
アッシュがすべきはシエラを素直な言動へと導いてやること。
表情は明らかに変化を見せているし、すぐに決断してウィルの元へ駆けつけると信じている。
ただし惜しむらくは。
「君を慰めるのがオレでなくて残念だ」
これもアッシュの本音。傷心の彼女を慰め励まし甘い雰囲気を作りたいと切に望む。
今すぐ抱きしめたい。でもシエラはウィルに夢中で付け入る隙はない。
それでもこれまでの会話が彼女の変化を促すベストなアドバイスとなっていたなら満足。アッシュは己にそう言い聞かせる。
男の優しい眼差しからそっと顔をそらしてシエラは足元へ視線を落とした。
様々な思いが渦巻く。気持ちを整理したくてもまとまらず、もどかしさにますます感情は乱れる。
結論をつけられぬまま、ポツリと声が零れた。
「彼は、カタキだもの……」
思いは彼女に通じたはず。ただ実行に移せるかどうか。
耳にやっと届いた呟きからは、判断しきれぬアッシュであった。
*
自室に戻ったシエラはソファに座り肩を落とす。
窓のない部屋なので日中でも暗く照明は必須。にも関わらず灯りも点けずぼんやりと思案を重ねた。
抱える葛藤に心は揺れる。ウィルは大切な故郷と仲間を奪ったカタキ。復讐だけに専念し憎悪を向けるだけの存在。本来ならそれでいい。
だけど彼はいつも穏やかな言動を見せ、温かく包み込んでくれる。攻めの抱擁とキスで胸を熱くさせる。
認めたくない恋心を抜きにしても、食器洗いの謝礼も言えず、怒鳴りつけた罪や悲しませた行為への謝罪もできぬまま。
アッシュにも気遣いされて心配やら迷惑をかけた。
大きな吐息をひとつ。人として礼節を欠いた行為にシエラは自己嫌悪だ。
「……あ」
ふと呟き、表情に活力を引き寄せた。
今回だけはウィルをカタキ相手と見なさず、世話になってる屋敷の主として扱えばいい。これなら謝辞に苦悩せず告白可能のはず。
手前勝手な理屈である。でも謝辞を返したいシエラにとって何であれ貴重な一歩となったのだった。
やがて、強情な彼女の苦肉の策はダイニングルームで実行を迎えた。
準備をしてあげただけの無言の夕食後、ウィルが「ごちそうさま」と席を立った時だった。
「あの……!」
ガタッとイスを鳴らして腰を上げるも、それきりシエラは黙り込んだ。
瞳だけは唯一生き残り、彼のものと絡み合う。
言いたいのに言えない。でもウィルは文句ばかりのこんな最低女に穏やかな瞳を向けてくれる。
それが後押しとなり意を決して言葉を続けた。
「あの、昼間はごめん!協力してもらえるのは幸せなはずで、してもらえなくなるのはひとりだってことで。恵まれた環境にいて、自分だけで生きてきたような言い方をしてごめんなさい!」
必死な彼女を黒い瞳に映して、ウィルは昼間の自分の気まぐれを思い出した。
傷心の彼女に更にダメージを与えたくて意図的にあのタイミングで哀愁を漂わせ部屋から退いたのだ。
落胆を見せつけて彼女をますますの自己嫌悪に落とし入れるために。
そして謝罪に来るであろうそのとき激励し、いたわり、秘めた愛に刺激を与えようとしたのだ。
美貌の黒い悪魔の読みは的中した。純粋なシエラは彼の掌の上にいるとも知らず信頼を寄せる。
「ワタシ、どうしていつまでも子供なんだろう。アンタを見てると凄く実感する。甘えてばかり」
切々と語る彼女をじっと見つめていたウィルが会話から新たな事実を知り反応を示した。パチパチと2度まばたき。
「そっか、甘えが文句を言わせてるのか。少しホッとしたよ。嫌われてるわけじゃないんだね?」
真実と嘘を見事に使いこなす男。前半は本当に驚いたから。後半は彼女の愛を知りつつ犠牲者ぶって同情を誘う。
すました顔で堂々とやり遂げるのだから性悪度は天下一品。善人のシエラが太刀打ちできる相手ではないのだ。
仇討ちのためシエラが屋敷を訪ねて2週間。だがウィルへの気持ちはここのところ頻繁に別方向へ向かう。
なめられぬよう始めた男言葉はいま頭の片隅にもなく、素の状態を見せた。
「あなたは色々な指摘をしてくれる」
「オレみたいな男に偉そうなこと言われて気を悪くさせるね」
申し訳なさそうな微笑にシエラは身を乗り出して小麦色の髪を振った。
「そんなこと!誤りを指摘してくれるから自分の短所を見つめ直せる。ワタシまだまだ子供だから我が儘ばかりで」
「深く考えないでよ。短所は長所。オマエの短所はどれも微笑ましくて好きだよ」
「迷惑ばかりだよ」
「そのネガティブ思考はダメだな。過剰な気遣いが周囲には重い。ポジティブに、素直に、そして甘えればいいんだよ」
優しく諭すウィルである。内に酷評を抱えていても、発言だって偽りない本心だ。
鬼畜だけでなく時に優しい悪魔。黒い天使にもなる。純血の天使になれない理由は下心という名の毒が強すぎるためだ。
「さっき甘えが反論を言わせてるって話したよね?それができるのなら普段から純粋な甘えを取り込みなよ。相手にも自分にもね。ゆとりを持てたら気持ちも楽になると思うよ?オマエは何に対しても頑張りすぎ」
決して偉ぶらず上から目線でもなく、美貌の青年は丁寧なアドバイスでシエラの心を掴む。
スレンダーな身を佇ませシエラは男の秀麗な顔立ちを見つめ続けた。
出会いは2年前だ。髪型こそ変わったがその容姿は美しいまま不変を保つ。不老不死のモンスターであるかのように。
そんな彼は現在26歳だと言う。外見も素晴らしいが内面にも深い溜め息。しんみりとシエラは己を省みる。
「5歳差って大きいね。あなたを見てると本当に自分が子供に思えてしまう」
「オレは中等科しか出てない学歴なしの男だよ?賢くないよ」
「学歴なんて関係ない。あなたはそんなものなくても立派だもの」
「犯罪者だけどね」
「あ……」
真実が現実を蘇らせた。その通り、彼は人を殺め反省もしない冷酷非情な犯罪者。シエラのカタキ相手でもあるのだ。
憎むべき人物。だけど惹かれてしまう。抱きしめられると時間を忘れてしまう。側にいてほしい人になりつつある。
彼本人が自らを犯罪者と語った口調もどこか皮肉げで、シエラの心にやるせない風を吹かせた。
ウィルが犯罪者であること。シエラとの因縁。これらはもう修正できない現実なのだ。
「誉めてくれてありがとう。光栄だし嬉しいよ。でもね、オレは犯罪者なんだ。立派だなんて思ってないし、オマエも口にしない方がいい」
誰よりもウィル自身が犯罪者である事実を自覚している。その上で仕事を愛し、やめる気は一切ない。
このような男だと認識しつつシエラは持ち前の健気さで真摯に訴える。
「それでもワタに間違いがあったら教えて。どんな人の言葉でも正しければ受け入れたい」
「ならさっそく一言。泣きたい時は自分に甘えた方がいいよ?」
さり気なく図星を指され、大きな優しさにシエラは頬を歪めた。
ただしこの男の前で涙は禁物と決めている。それでも溢れる感情は止められない。葛藤に揺れながらも堪えられずに行動を起こした。
そっと近づき逞しい胸に頬を寄せた。ギュッと服を握りしめて離さない。
すぐに彼の腕に包まれた。抱かれる体が心地いい。温もりに癒される。安らげる。
ウィルの存在はシエラの一部になりつつあった。彼の言動に一喜一憂する。
彼中心に日々は回り、何もかもが気になって不安になると情を求めた。
「側にいて……」
拒否権行使などもってのほか。復讐者の矛盾や葛藤に嘲笑いながらもウィルは柔らかな唇に濃厚なキスを贈った。
彼にとっても愛しいシエラ。強がりだけど愛に飢えた女。
早く素直にオレのモノになれ
そう思い、でもカタキ相手との愛に悩む姿も捨てがたい。この鬼畜さこそが彼の本性である。
見えない未来に望みを託す傍ら、侵入させた舌で遠慮なく口の中まで貪り尽くす不敵な男であった。
*
深夜、廊下で偶然顔を合わせたアッシュにシエラはウィルとの件を報告した。
シャワーあがりで半乾きの髪のまま彼は涼しげな目元をフッと緩めた。
「そっか。謝罪できてよかったな」
「ん、彼が優しくて大人だから。ワタシはいつも悩んでから行動して、悔やんでばかり」
「それでも実行できたんだ。偉いよ」
ポンと彼女の頭部に手を置く。翳りの消えた表情にアッシュも安堵の一言だ。
心に余裕のできたシエラは、先刻の温もりやキスと共にウィルの包容力を始めとする憎みきれない魅力を思い、ぼんやり結論づけた。
「ウィル、不思議な人……」
「あの人はオレが唯一一目置いてる人だしな。尊敬と興味と……本当に不思議な人だよ」
頷いて感慨深く語る一方、隊長とシエラがカタキ同士でなく、平凡な形で出会い惹かれあっていたならと想像する。
そして自分もウィルより早くシエラと出会いたかったと、ままならぬ運命の歯車に奥歯を噛みしめるアッシュであった。
end.




