7月・真夜中に漂う愛
時は7月中旬の真夜中。
普段スタイリッシュな服装の多い彼も、暑さと深夜ゆえシンプルにタンクトップを着用。
2階の自室から降りてくると、ダイニングルームの戸口で一度足を止めた。
復讐すると言って屋敷に住み着いてしまった女の姿を室内に見たのだ。
長身の青年アッシュは視線の先の女がお気に入りだった。
顔立ちがよく胸は小さめだがスタイル抜群で、性格も優しく時に短気と魅力的で悪くない。
彼女は真剣な表情をさせて窓の外を眺めている。
夜半を過ぎた現在、視界に入る景色と言えば塀と向かいの住宅くらい。険しい表情を浮かべる理由など本来ないはずだ。
アッシュの顔にはニヤリと人の悪い笑み。一見不思議な態度の理由を知る彼は一時それを胸に封印。
アーチ型の戸口をくぐって女の名を優しく口にした。
「シエラちゃん」
「きゃっアッシュ!驚いた!」
しんと静まる室内に突如沸いて出た声。怖がりなシエラは大げさなほどビクリと全身を震わせて振り返った。
怖がりだとは知らぬアッシュ。どうやら驚かせてしまったようで、予想以上の反応に肩までの髪をサラリと揺らしてフッと笑みを零した。
シエラはやはりかわいい。どうせ暑くて寝苦しい夜なら彼女との裸のつきあいで朝まで起きていた方が断然いい。
そう望むも、彼女が眠りにもつかず起き続ける理由を知る身。ここはすんなり我慢し、ふたりきりでの会話を楽しむことにした。
「真剣な顔して誰を待ってるの?」
からかい半分の指摘にシエラは冷静を装い反論する。
「待ってなんて……外を、見てただけ」
「隊長は優しい?」
「…………」
真っ先に出た「隊長」という固有名詞。故意の発言であるのは明白。
シエラにとってはカタキだが、隊長ことウィルを待っていた事実は気づかれていて、隠しきれなかったと頬を染めて俯く。
アッシュが詐欺師ゆえ見破られたと本気で思うシエラだ。残念ながら屋敷の住人なら誰でも気づく、もはや常識だった。
憎いはずの男ウィル。だけどシエラの中で温厚な彼の存在は日に日に恋心へと変わり葛藤に悩む毎日。
その様子を知るアッシュを含めたウィルの部下たちはふたりの仲をそっと応援していた。
わかりきっていた答えだ。これ以上追求する気はアッシュになく、ドカッとイスに腰を下ろして先ほどからちょくちょく名の上がる人物の話題に移す。
冷めた口調であるもこれがいつもの彼。相手を嫌っているわけではない。
「あの人おもしろいよな。何であんなに温厚なのか不思議だよ。怒鳴ったの見たことない」
「長い付き合いなの?」
ソファに座り、シエラは対面する濃紺の瞳に問いかけた。
アッシュもカタキのひとりであるが今や友人のような存在。気さくで話しやすく、遠慮がちな彼女が積極的に近寄れる相手だ。
見つめられ男は嬉しそう。視線を絡ませ質問に答えた。
「まだ数年だよ。君と隊長の関係とそんなに変わらない。でもあの人はあのままだ。容姿も性格も本当に不思議なくらい何も変わらない」
シエラの瞳が真剣だ。恋しい男の話題に興味があるのだろう。
遠い過去でもない。はっきり言って最近だ。だがアッシュも懐かしむような眼差しでどこか一点を見つめた。
ウィルとの出会いをぼんやり脳裏に思い起こす。そう、あれは3年近く前……。
*
アッシュがウィルと出会ったのは、自身最初の合同任務となったシエラの故郷レスタ襲撃の半年前だった。
首都ベランクリーの夜。タバコを買うため繁華街のコンビニに入店。店先で女を待たせ、戻ったとき女と綺麗な顔の見知らぬ男が談笑していた。
負けず嫌いで短気なアッシュだ。どうでもいい一夜限りの女だが今は自分の同伴者。奪われたと思い瞬時に不愉快になった。ふたりに近寄る。
「それオレの女なんだけど」
「そうなの?返すよ」
あっさりした口調。自分の美貌を認め、次の女がすぐに手に入るとの自信。
でもイヤミは感じない。どこまでも温厚で自然体だ。
この短時間でアッシュが注目したのはもっと別の点だった。
美貌の優男が恐れもなく夜中の裏町を一欠片の恐怖も見せずに歩いている。
黒い瞳で見返す堂々とした態度。何の気配すら感じさせない玄人の技。
ただ者でないことは若いとはいえアッシュも犯罪一家の長男。
それなりにしつけられた裏世界の住人として読み取れた。
同伴者の存在など忘れていた。得体のしれないスリルを感じ、胸を高鳴らせた。
「アンタ強いだろ」
「うん強いよ。勝負する?」
即答にアッシュは気持ちの良さを感じた。ジョークではないだろう。先ほどから隙も見つからず、確かに強いと疑いなく信用した。
負けず嫌いだが無駄な争いは避ける。それがアッシュの持論だ。勝負は断り名前を尋ねた。
黒い髪と瞳の美青年は躊躇いなく笑顔を見せて本名を名乗った。
「ウィルだよ」
「ウィル?へえアンタが噂のウィルさんか」
よく通うバーでチンピラたちが時々話題にする名前だった。
「腕のいい殺し屋がいて仕事が回ってこない」とグチっていた。十中八九、話題のウィルと眼前のウィルは同一人物だろう。
アッシュにたいした興味はなかった。「若い色男」と聞いて結婚詐欺もしてるのかな、詐欺師の自分のライバルになり得るかもなと盗み聞きしながら笑った程度である。
いまは違う。目と鼻の先にいるこの男に興味津々だ。合コンで質問攻めを繰り返す女の気持ちが何となく理解できた。聞きたいこととは意外に多いものである。
しかし納得はしても自身はそんな恥ずかしい真似は行わずに、厳選した質問をひとつ投じた。
「普段からひとりで動いてるのか?」
暗殺者として名高い男だ。大きな組織の一員なのか一匹狼なのか……。一緒に仕事をしてみたくての問いかけだ。
明らかに年下からの生意気なタメ口。けれどウィルに嫌悪は生まれない。これまた穏やかに返答だ。
「部下がどこかにいると思うけど、たいていひとりで動くよ」
部下がいるのか
アッシュは内心呟いた。ということは組織がありリーダーであるとの証だ。それを踏まえ何度目かの質問である。
「入隊テストみたいなのある?」
「ないよ」
「へえ、ならオレも集団にいれてよ」
「部下になりたいの?好んで上司を得たいの?」
ネオンに浮かぶウィルの妖艶な美貌に初めてはっきりとした変化が表れた。
プライドの高そうなアッシュの申告に驚いたのだ。
「アンタおもしろい」
それがアッシュの理由で、ウィルも同様の理由で仲間に加えた。
これがアッシュとウィルの出会い。今も続く、少しおかしな主従関係の始まりであった。
*
過去から現在へと意識を戻したアッシュ。
寝起きのような、どこか頭の冴えない気分。すぐには現在に馴染めそうにない。
気だるげな男にシエラが気遣いの視線を送る。
話を聞かせてもらった謝礼にビールでも届けようかと腰をあげかけ、玄関扉の開閉音を聞いた。
「あ……」と無意識の声を漏らし、気持ちは一気にソワソワだ。
視線はダイニングの戸口から離れない。忘れ去られたアッシュは苦笑である。
そしてアッシュの濃紺の瞳にも出会った頃と変わらぬ容姿が映った。上司ウィルの帰宅だ。
ウィルは男女の迎えを受けて嬉しそうに微笑んだ。
「ふたりでオレを待っててくれたの?」
「まさか。仲良く話し合ってたんだよ」
「どんな話?」
「アンタの悪口」
「酷いな。いい上司のつもりなんだけどなあ。何が不満なの?」
「給料」
アッシュはニヤリと笑う。金に困ったことはないが増額は嬉しい。
とはいえ言うだけ言ってみただけで、本心は単に上司をからかっただけなのだ。
いまひとりの部下ケイの苛めを毎日のように受けているウィルにとってこれは序の口。
アッシュの性格も遊ばれていることも承知であるし、この程度でベソはかかない。
我が儘で困った眼前の部下に苦笑いを返して黒い瞳を愛しい女へ固定させる。
彼女はどんな悪口を言っていたのか。まあアッシュの口から出任せだとは思うが反応が楽しみ。
戯れに気づいたアッシュは「また鬼畜なことを」と肩をすくめて呆れたものである。
そしてウィルの質問開始だ。
「シエラはどんな悪口を?」
「え、ワタシ?ワタシは……」
口下手なシエラである。アッシュの嘘は理解していても、まさか質問を振られるなんて予想外。とっさに言い返せない。
真面目な彼女にアッシュが助け舟を出した。
「重度の欲求不満なんだよな?」
「アッシュ!」
助けてくれるにしてももっとマシな発言があるだろうに。
抗議を込めた眼差しに、アッシュはとぼけて視線を逸らした。事実だよな、と内心では開き直っている。
ウィルに関してはどっちつかずの反応で、確認を取るため美しい復讐者を見つめた。
「そうなの?」
「本気にしないで!アンタなんかに」
「優しいキスじゃイヤ?今夜は触れてほしい?」
怒声を遮り新規の確認を取る。
シエラの強がりは日常茶飯事。本心にも気づいている。だから現状を利用して彼女の愛を引き出すチャンス。
キスや抱擁が欲しくてたまらない、心の底から欲求不満のはずだから。
そのための後押しとしてウィルは次の会話を持ち出した。
「キスしてよ。疲労回復にはオマエのキスが一番の薬なんだ」
「疲れてるの?」
仕事帰りだと思い出し心配するシエラ。もはや黒い悪魔のペースである。
こうなった彼女に拒絶はできない。ウィルのためにと無防備になり唇を許すのだ。
ウィルの腕がキャミソールに身を包んだ女を抱きしめる。
細さを実感し、シャワー後の芳香に酔い、欲情を高めていった。首を傾けて唇を重ねる。
口づけは彼女を試すように優しく。興奮を認めると濃厚に。
ウィルの方が興奮すると唇は彼女の剥き出しの首筋や鎖骨を這った。
アッシュの眼前で展開される情事。まったく抵抗を見せず、自ら抱きしめ表情は幸せそうなシエラ。
そんな彼女を見ていると悔しくなった。こんないい女に愛されたウィルにわずかに嫉妬した。
見ていたくなくて退室を決めた。シエラへの思いを少しずつ芽生えさせながら。
残された男女はキスを続けた。心地良い感触にシエラは甘い吐息を漏らした。
無事に帰宅したウィル。それだけでも安心で喜ばしいのに、留守番のご褒美みたいなこんなキスまで。
これで今夜は安心して眠れる。穏やかな気持ちで、この温もりを思い出しながら……。
真夜中のダイニングルームでシエラは愛を深めていった。
復讐より愛にはまだ至らないが、愛しいウィルの甘美な抱擁に知らず秘めていた欲求を解消させた夜であった。
end.




