クッキーになれなかった公爵令嬢の末路
侯爵子息のランスロットには姉がいる。
侯爵令嬢としては優しく聡明で淑女の鑑と言われていた。だが実際はずる賢く、人を玩具にするのが大好きな人間だった。ランスロットが7歳の時に姉のキャローナが蜂蜜色の髪と瞳を持つ愛らしい女の子の手を引いて帰ってきた。
「ディア、弟のランスロットよ」
クローディアは上品な笑みを浮かべて淑女の礼をした。
「ランスロット様、クローディアと申します。よろしくお願い致します」
ランスロットはクローディアが輝いて見えた。姉とは比べ物にならない純真で綺麗な笑みに見惚れ顔を真っ赤にして、クローディアの顔をじっと見たまま固まった。
クローディアはランスロットを不思議に思いながらも、得意の貴族の笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「ディア、犬を見せてあげるわ」
キャローナは動かない弟を放置してクローディアの手を引いて移動した。
ランスロットはしばらく立ちすくんでいた。侯爵夫人が帰ってくるまでランスロットは放置されていた。
侯爵夫人は息子の初恋に愉快に笑った。
クローディアは公爵家の一人娘だった。
物心ついた時から厳しい教育を受けていた。5歳のクローディアは感情を隠して微笑みを浮かべる淑やかな令嬢だった。
子供らしくない大人びた令嬢だった。
将来、女公爵となるクローディアへの教育は厳しく、同じ年頃の令嬢達とは比べ物にならなかった。
クローディアの周りで後継教育を受けている令嬢はキャローナだけだった。公爵夫人は人一倍厳しい勉強を強いられる娘に家族以外に心強い味方ができるようにキャローナと親しくさせることにした。クローディアは歳の近い令嬢達の中では大人び過ぎて浮いていた。公爵夫人は令嬢達に混ざらず貴族の笑みを浮かべて、夫人の会話に混ざる優秀すぎる娘を心配していた。
侯爵家は後継を決めていなかった。キャローナとランスロットの二人に教育を施し優秀な者を継がせる予定だった。
女侯爵を目指すキャローナにとって公爵家との繋がりは大切にしたい。また年齢よりも大人びたクローディアは手がかからないので公爵夫人の話を引き受けることにした。
侯爵家では動物を飼っていたので、子供の喜ぶ犬を口実にクローディアを誘った。
クローディアは本物の犬を見たことがなかった。
お茶会の席で何度か会ったキャローナの家に遊びに行ってきなさいと母に送り出された。母の思惑には気づかずに、母の邪魔をしないようにクローディアは頷いた。
キャローナに手を引かれて侯爵邸を訪ねた。
案内された部屋で待っていると白い犬が運ばれてきた。キャローナが抱き上げ、触っていいと言われ頭を撫でるとフワフワな毛並が気持ちが良かった。ぬいぐるみにそっくりな可愛い犬にクローディアは自然な笑顔を浮かべずっと撫でていた。
キャローナは子供らしい笑顔を浮かべたクローディアに目を丸くした。
「ディア、お姉様って呼んで」
「お姉様?」
犬に貴族の仮面を壊されたクローディアがきょとんと見つめるとキャローナは微笑みを浮かべた。
「私がディアのお姉様になってあげるわ。お勉強も教えてあげる」
クローディアはキャローナと仲良くしなさいと母に言われていた。
「お姉様、よろしくお願いします」
にっこり笑うクローディアの頭をキャローナは撫でた。キャローナは警戒心の強い動物を手懐けるのが得意だった。
クローディアはキャローナは淑女の鑑なので見習って勉強してらっしゃいと言われていた。母に言われたので、時々キャローナに会うため侯爵邸を訪問した。
クローディアは案内された部屋でキャローナを待っていた。
侍女がクローディアのお気に入りの犬を連れてきたので、抱きしめて頭を撫でていた。
腕の中の犬が吠えたので、クローディアは驚いて腕から犬を落としてしまった。犬は上手に着地し、ワンワンとクローディアの足に寄ってきた。
クローディアは興奮した犬を初めて見た。大きい声で吠える犬が怖かった。
ランスロットは興奮する犬の鳴き声が聞こえ、うるさいので静かにさせようと部屋に入ると目を見張った。瞳が潤んで固まるクローディアと遊んでと足にまとわりつく犬がいた。ランスロットが犬を抱き上げると犬はおとなしくなった。
犬はキャローナとランスロットの前では吠えないように躾けられていた。
「私が落としたから」
自分を吠える怖い犬から引き離され、ほっとしたクローディアがようやく現実を認識した。犬を落とすという自分がどれだけ恐ろしい行為をしたか。犬が怒ってクローディアを噛んでも当然だと思っていた。
「私がいけないんです。けがを、なんて酷い」
蜂蜜色の目から綺麗な涙を流すクローディアを見て、ランスロットは犬に殺意を覚えた。犬よりもクローディアが優先だった。
「遊んでほしかっただけだよ。怪我もしてない。見てて」
ランスロットが抱いている犬を投げると、犬は華麗に着地した。クローディアに近づくのをランスロットが睨んだので、大人しく座った。
クローディアはランスロットの言葉に安心した。心配がなくなったら恐怖が蘇った。
「大きい声が怖くて」
「驚かせてごめんね。よく鳴くんだよ。うるさいよね」
ランスロットはクローディアの涙を指で拭った。クローディアは泣いてる自分に気づいて恥ずかしくなった。公爵令嬢としていけない行為だった。
「ごめんなさい。お見苦しいところを」
「ううん。可愛い」
キャローナが部屋に入るとクローディアの涙をランスロットが拭っていた。弟の初恋を邪魔しないように声を掛けずに静かに部屋から出た。
ランスロットの笑顔にクローディアは見惚れて真っ赤になった。ランスロットはクローディアの変化に慌てた。
「大丈夫?どこか痛い?」
「ち、ちがいます。うぅ」
「姉上、姉上呼んでくるから、待ってて!!」
ランスロットは犬を抱えてキャローナを探しに部屋を飛び出すと廊下にいた。キャローナは勘違いしている弟に手を引かれ部屋に戻ると赤面しているクローディアがいた。
クローディアは二人の顔をきょろきょろ見て、キャローナに抱きついた。キャローナはクローディアを抱き上げた。
恥ずかしくてランスロットを見れずにいる姿に笑っていた。
ランスロットには犬を返してくるように言いつけて追い出した。
恋の話に弟は邪魔だった。それからクローディアはキャローナに懐いた。キャローナはうっとりと弟を格好良かったと話すクローディアの話に耳を傾けていた。
はしたない行為をしたので嫌われると落ち込むクローディアを慰めた。クローディアが来るたびにこっそり見つめていた弟はようやく赤面せずに挨拶ができるようになっていた。ヘタレな弟の想定外の行動は後で母に話して玩具にしようと決めていた。
それからクローディアが侯爵邸を訪問することが増えた。キャローナはランスロットに会いに来ているのに気付いていたので二人の時間を作っていた。
クローディアは必死に勉強を頑張り時間を作っていた。公爵は初めてのクローディアのお願いに勉強が終わるならと侯爵邸への訪問日を増やした。
ランスロットだけはクローディアが自分に会いに来てるとは気づいていなかった。
「ランス、ディアが来るんだけど予定があるの。頼んでもいい?」
「はい」
嬉しそうに笑うランスロットにキャローナはいつ気付くのかと鈍い弟を笑っていた。
「ディア、姉上は用があるんだ。僕でもいい?」
クローディアは出迎えて手を伸ばすランスロットの手を繋いでにっこり笑った。
「ランス様にお会いできて嬉しいです。お邪魔でなければご一緒させてください」
「僕も会えて嬉しい。行こうか」
ランスロットはクローディアの手を引いて飼育小屋を目指した。
公爵家では過保護な両親と使用人によりクローディアは動物に近づけてもらえなかった。
侯爵は美食家だった。侯爵邸には食用にたくさんの動物を飼育していた。
中に入ると檻の中に動物がいた。
「ディア、危ないから見るだけ。触ったら駄目だよ」
クローディアは食用とは知らずに兎と鳥とリスを無邪気な笑顔を浮かべて見ていた。
ランスロットは可愛らしくない動物は別の場所に移動させていた。
「ランス様は凄いです」
クローディアは年上でなんでも知っているランスロットを目を輝かせて見ていた。
「そんなことないよ。ここは危ないから一人では来ては駄目だよ」
クローディアはランスロットの言葉に頷いた。手を繋いで小屋を出ると犬を見つけた。
「クローディア様、抱かれますか?」
使用人が差し出す犬を見てクローディアが怯えたのでランスロットは抱き寄せた。ランスロットの去れという視線を受けて使用人は犬を連れて去っていった。
「ディア、大丈夫だよ。僕が守ってあげるから」
クローディアはランスロットが王子様に見えた。本物の王子様より格好良かった。
「大好きです。ランス様、お姉様がいなくても会いに来てもいいですか?」
「もちろん。僕もディアが大好きだよ」
お互いの笑顔に見惚れる二人はわかりやすすぎた。クローディアはランスロットといる時だけは年相応の少女だった。
使用人達は二人の初恋を暖かく見守っていた。
クローディアがランスロットに会うために勉強を頑張る姿を見ていた公爵はランスロットを婿候補として迎え入れたいと打診した。あくまでも命令ではなく侯爵家の意思を尊重すると伝えて。
ランスロットは両親に呼び出された。
「ランス、侯爵を目指すのとクローディアと婚姻して公爵になるのはどちらがいい?」
ランスロットは父の話に目を輝かせた。
「僕、ディアをお嫁さんにできるの!?」
「たくさん勉強すればな。勉強も仕事も今より大変になるよ」
「ディアをお嫁さんにできるなら何でもするよ。勉強もサボらないし、もっと強くなる。僕がディアを守るんだ」
興奮する息子に侯爵夫人が笑った。
「うちには優秀な跡取りもいますし、安泰です」
キャローナにとってもランスロットの婿入りは有り難かった。
これでキャローナが後継に決まる。キャローナは他家に嫁いで男のために生きるのは嫌だった。扱いやすい婿をもらい自分の好きに家を治め自由に生きたかった。
侯爵家では祝宴が上げられていた。
侯爵家から了承の返事をもらい両親から話を聞いたクローディアはランスロットとの婚約を喜んでいた。
淑やかなクローディアが縫いぐるみを抱いて踊る姿を公爵夫妻は微笑ましく見ていた。
クローディアは強くて優しいランスロットに夢中だった。会いに行くと優しく笑ってエスコートしてくれる姿に惚れ直し、会えば会うほど大好きになっていった。
公爵は試しに、ランスロットが公爵を継ぐとクローディアに話すと、ランス様のお嫁さんになれるんですね!!と目を輝かせる愛娘に複雑だった。公爵はクローディアをずっと女公爵にさせるために厳しい教育を受けさせていた。ランスロットの役に立てれば何でもいいと笑う頭に花が咲いた娘に公爵は務まらないと思いながら抱き上げて頭を撫でていた。
後日ランスロットに公爵になるかと聞くと真剣な顔で頷いた姿に跡取りは婿入りするランスロットに決めた。
侯爵の了承も取り、ランスロットへの厳しい教育が始まった。
念の為クローディアへの教育も続けた。クローディアは恋心さえ絡まなければ優秀だった。
***
ランスロットは公爵邸を訪問していた。
ランスロットを見つけて窓から飛び降りるクローディアを慌てて抱いて受け止めた。
「ディア、危ないよ」
「会えて嬉しいです」
二階の窓から飛び降りたクローディアの嬉しそうな顔にランスロットは何も言えなかった。
「僕も会えて嬉しい」
頬に口づけると嬉しそうに笑うクローディアがランスロットが可愛くてたまらなかった。
「お嬢様!?」
部屋にいるはずが外でランスロットに抱き上げられているクローディアに侍女が悲鳴をあげた。いつも淑やかなクローディアはランスロットがいると違った。どこにいても飛び出して行ってしまった。
「ディア、その姿は婚約者を迎えするのにふさわしい?」
クローディアは母親の声に息を呑んだ。髪は乱れているし服も部屋着のままである。ランスロットの訪問を知らなかったので準備していなかった。
好きな人の前に出る姿ではなかった。ランスロットの胸をぎゅっと掴んで羞恥で頬を染め潤んだ瞳で見つめた。
「すぐに、帰ってしまいませんか?」
「公爵との話が終われば訪ねるよ」
「はい。お待ちしております」
クローディアはにっこりと笑いランスロットの腕から降りて、侍女に差し出された靴を履いて自室に駆け戻った。
「ディアがごめんなさい」
「いえ、」
謝罪する公爵夫人にランスロットは首を横に振った。幸せで堪らないと明らかに顔が緩んでいるランスロットに公爵夫人は曖昧に笑った。
二人がお互いを好きすぎて心配だった。クローディアはランスロットと共に参加する茶会や夜会は決して側を離れなかった。参加を教えなくてもいつの間にか、見つけてしまった。ランスロットもクローディアを追い払わない。二人の交友関係を広げるために少しずつ会う機会を減らした。
ランスロットが学園に入学するまでは週に1回のお茶会と二人で招待させる社交界が二人の時間だった。クローディアの予定は公爵夫人によって厳しく管理されていた。
年を重ねてもランスロットの前だと公爵令嬢らしさが抜け落ち豹変する困った愛娘に公爵夫人は魔法の言葉をかけた。
母に「淑女の嗜みをランスロットの前でも見せないと見捨てられるわ。妹になりたいの?」と言われたクローディアは焦った。クローディアはランスロットの妹ではなく恋人になりたかった。
クローディアは泣く泣く欲望を我慢してランスロットに自分から抱きつくのはやめた。
いつも全力で甘えていたクローディアの態度の違いに戸惑い誤解を生むのは誰も想像していなかった。
クローディアは母の言葉に踊らされ魅力あふれる貴婦人になるために恋愛小説を読んだ。クローディアには押して押しまくるというテクニックしかできなかった。大好きなランスロットに冷たくするのはできなかった。
クローディアは公爵邸に訪問したランスロットに気付いて駆け寄る足を止めた。駆け寄りたいのを我慢してゆっくり歩いて近づいてランスロットの前で礼をした。
ランスロットはいつも抱きつくクローディアの反応に首を傾げた。頭をあげて嬉しそうに笑うクローディアに手を差し出すと手が重ねられた。
クローディアは押しの強さはわかっていたが優しく笑うランスロットに見惚れて考えるのをやめた。今日は心のままにランスロットとの幸せを満喫することにした。
クローディアの変化にランスロットが悩み始めたとは全く気付いていなかった。
二人は互いに惚れ込んでいても、わかり合っていなかった。
***
「ランス様を骨抜きにしたいです。妹ではなく、恋人に」
クローディアの呟きにアンリは笑った。
どう見ても二人はお互いしか見えていない。だから二人に邪な気持ちを持って近づく者はいない。どう見ても誰かが入りこむ隙はない。アンリは鈍いクローディアの話に付き合いながら情けない男をあざ笑った。どう見ても両思いなのに二人は気付いていなかった。最近はさらに歯車が狂っているのに気付いているのはアンリだけだった。
胸やけしたくないならクローディアとランスロットが二人でいるときは邪魔しないが常識だった。
夜会で挨拶が終われば二人に近づく者がいなかった。だからクローディアはランスロットが他の令嬢と二人でいるのを見たことがなかった。自分が特別だと気付かなかった。全てを知っているアンリは空回りする従姉妹を見ながら笑顔でお茶を飲んでいた。
優秀なのにランスロットが絡むと恐ろしいほどおバカな従姉妹を放っておけなかった。
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ランスロットは素っ気なくなったクローディアに悩んでいた。
いつも自分に抱きついてくるクローディアが触れてこなくなった。会うと嬉しそうに笑う顔は変わらない。
悩みすぎて自分が男と見られているか自信がなくなってきた。
父の命令で入学した学園でつまらない生活を送っていた。見聞を広げろと言われ常識の違いに戸惑いながらも適当に生活していた。学園に入学したため会う機会も減り、頻繁に送られてくるクローディアからの手紙だけが楽しみだった。
目の端に恋人同士が映った。会いたいと甘える女生徒を優しく宥める男子生徒。クローディアから会いたいと言われることはなかった。学園での恋人同士のやりとりを見ながらランスロットは悩んでいた。
自分達に甘い雰囲気はなかった。貴族と平民だと距離感が違っていた。嗜みのある貴族は人前で抱き合ったりしなかった。ぼんやりしているランスロットに男子生徒が肩を叩いた。
「なぁ、金稼ぎに興味ない?」
ランスロットは綺麗な顔の男にチラシを見せられた。「一時の夢を」と書いてあった。
学園にはクラブがあった。複数の生徒が集まり顧問の教師を見つければ予算と教室が与えられた。
通称夢クラブは人気のある男子生徒が集まり女生徒に夢を見せるクラブだった。学園内では金銭のやりとりは禁止されていなかった。一定の対価を払い利害が一致すれば指名した男子生徒と夢の時間を過ごせる女生徒に大人気のクラブだった。
「その容姿なら儲かるよ。可愛い女の子に甘い言葉を伝えて甘えられ金も手に入る。美味しい仕事だよ」
ランスロットはクローディア以外に興味はなかった。
「金ならある。それに大事な子がいるから」
「その大事な子は満足させてる?女の口説き方は覚えておくと便利だよ。大事な子がますます君に惚れこむかもよ。自分の好きなことだけすればいい。口づけも強要しないよ。見学だけしてみなよ」
男の言葉にランスロットは心が揺らいだ。クローディアに好きになってもらえる・・。
自身の言葉に興味を示したランスロットの腕を強引に引いてクラブの部屋の隅に連れていった。
男は入ってきた女生徒に微笑みかけ肩を抱き、ソファに座らせた。甘い言葉をかけながら、髪を梳くと頬を染めた女生徒がうっとりと身を預けていた。ランスロットはクローディアで妄想すると赤面した。ランスロットは静かに様子を観察していた。
自分では考えもつかない甘い言葉を男は伝えていた。
休みの日にランスロットはクローディアに会いに行った。
礼をして迎えるクローディアに手を差し出すと嬉しそうな笑みを浮かべて重ねられた。手のひらに口づけて笑いかけると頬を染めたクローディアがうっとりとランスロットを見つめた。ランスロットは見学したことを試すとクローディアが夢中になるのがわかった。自分の腕の中でうっとりしているクローディアが堪らなかった。
「ディア、愛しているよ」
クローディアは囁かれた声に心臓が早くなり自分がおかしくなるのもわかった。初めての言葉に嬉しくて言葉にできなくて、微笑んでいた。頬を染めて瞳を潤ませ幸せそうに笑うクローディアにランスロットが見惚れた。抱きしめると胸にすり寄る姿もたまらなかった。自分から抱きつくのは淑女としていけないと思い込んでいるクローディアは久しぶりの抱擁に幸せそうで死にそうだった。
ランスロットが学園に入学してからは二人の糖度が上がっていた。
クローディアはいつもうっとりしていた。見慣れていたランスロットだけが気付いていなかった。クローディアはいつもほんのり頬を染めてランスロットに見惚れていた。そんなクローディアはランスロットに甘い言葉をかけられさらにうっとりする姿は周りに胸やけを起こさせる光景だった。
ランスロットは両家の父親から絶対に婚姻するまで一線を越えるなと厳命された。現状をわかっていないランスロットは頷いた。成人までは手を出すつもりはなかった。
口づけだけで頭がおかしくなるのにそれ以上のことを進める余裕もなかった。クローディアの前で格好つけたいランスロットは節度は保っているつもりだった。
学園で変な常識を身に付けたランスロットがズレていることに誰も気づいていなかった。
ランスロットもクローディアが一人で他の男と話す姿を見たことがなかった。自分がいかに特別か本人だけが気付いていなかった。
自分にうっとりするクローディアを見てからランスロットは夢クラブに時々顔を出し、悪友達に指導頼んだ。悪友達に指導を受けて、クローディアを骨抜きにする作戦だった。学園にはランスロットの知り合いはいないので、誰にも知られないと思っていた。
クローディアのための行為が本人の逆鱗に触れるのは女心に鈍いランスロットは気付いていなかった。
*****
悪友達は抜け殻になったランスロットを見ていた。
貴族と平民では常識が違う。そしてクローディアは我儘で独占欲の塊だった。
ランスロットはクローディアに睨まれたのは初めてだった。嫌いと言われて動かないランスロットを侍従が回収した。翌日クローディアに会いに行くと避けられた。
連日クローディアには避けられアンリに嫌味を言われて追い払われた。
自分の行為がクローディアを傷つけるとは思っていなかった。
日に日にランスロットの瞳に生気が無くなっていた。
「ディアが。僕はどうすれば」
「そのうちほとぼり冷めるよ。女は放っておけば熱が冷めて冷静になる」
クローディアはランスロットとの夜会を避けた。別行動の方が仕事が捗ると父親を説得していた。アンリも協力した。アンリとクローディアが組めば勝てるのはアンリの婚約者だけだった。恋に溺れていないクローディアはランスロットよりも優秀である。
「あの容姿ならすぐに新しい恋は見つかりそうだけど」
「ランス、指名入ってるけど」
「もうやめる。ディアがいるのに他の奴に使う時間はない。違約金は僕が払うよ。ディア…」
ランスロットが抜け殻の頃クローディアはジェットとお菓子を食べていた。
クローディアはランスロットを忘れると決めた。時間が解決すると本には書いてあった。ただ恋の相手は見つかっていなかった。
「ジェットは恋人はいますか?」
「俺は子供に興味ないから」
「違いますよ。恋に落ちるアドバイスが欲しいんです。声を掛けていただいても、心臓は早くなりませんし、うっとりもしません」
「同じ時間を重ねるうちに芽生えるものもあるんじゃないか?」
「私には3年しかありません。お金を払えば本物が手に入ればいいのに」
ジェットは楽しそうにパイを食べているクローディアに笑った。能天気に木の上でパイに噛り付くのが公爵令嬢には見えない。子供の頃から頑張ったクローディアには良い休息かと笑った。
クッキーを踏み潰さなくなったクローディアの空気が変わった。雰囲気の柔らかくなったクローディアは友達を増やしていった。
「クローディア、賭けにのらない?貴方なら落とせるわ」
女生徒の中で人気な男子生徒を落とす賭けが流行っていた。
「やりません。人の心を弄ぶのは嫌いです」
クローディアは楽しそうに笑うクラスメイトは放っておいて授業の準備を始めた。自分も賭けの対象にされているのは気付いていなかった。新入生の美少女を誰が手に入れるか賭けられていた。
クローディアは手紙をもらい待ち合わせ場所の教室を訪ねた。
待っていても誰も来なかった。
30分待ったので帰ることにした。部屋を出ようとドアを開けると腕を掴まれた。強い力で引っ張られ、ソファに押し倒された。自分の上に跨る男は一度だけ見覚えがあった。
「ご用はなんですか?」
「恋を探しているんだろう。教えてあげるよ。特別に」
「いりません。自分の手で探します」
「体から始まるものもある」
「私に手を出せば貴方の家族も自身も破滅しますわ。どいてください」
クローディアは綺麗な顔で笑う男を睨みつけた。男の顔が近づいたので逃れようとすると腕を押さえられていた。強引に口づけられて不快で堪らなかった。もがいても力が強く逃げられなかった。知らない男に辱められるのは屈辱的だった。たった一人の後継が死ぬのは許されない。忘れたかった顔が思い浮かんだ。全てを捧げたかった人。クッキーとともに踏みつぶした…。クローディアはこぼれそうになる涙を堪えた。
「ディア!!」
ランスロットは襲われるクローディアを見つけて男を殴り飛ばした。
大好きな声に必死に堪えた涙が溢れた。突然、体が自由になり跨る男がいなくなった。
クローディアは起き上がり怖い顔をしているランスロットの胸に飛び込んだ。ゆっくりと背中に回る手に安心して力が抜けた。悔しくても心が動くのはランスロットだけだった。涙を拭う手も大好きだった。
「ディア」
クローディアは顔を上げて、心配そうな顔をするランスロットの頬を掴んで口づけた。ランスロットはクローディアに戸惑った。唇を放して、いつもの口づけをねだる瞳に笑ってクローディアに優しく口づけた。クローディアはランスロットの甘い熱にうっとりとした。口づけて気持ちがいいのも不快でないのもランスロットだけだった。クローディアは諦めた。必死に捨てようとした恋心を。クッキーは踏みつぶして砕いてもなくならなかった。どんなにひどい人でも恋しくてたまらなかった。ランスロットから本物をもらえなくてもいい。でもクローディアの恋心は本物だ。
頬をつたうクローディアの涙に気付いて口づけをやめたランスロットの指が拭った。
「ランス様」
入学してから呼ばなくなった愛称をクローディアは呼んだ。世界で一番愛しい響きの名前を口にした。名前を呼ぶだけで心が温かくなるのは目の前の相手だけである。
「ディア、愛してるよ」
「私は傍にいてくれればそれで良かった。それだけで」
「ごめん。これからはずっといる。だから帰って来てくれないか。僕は君がいないと駄目なんだ」
クローディアはランスロットの言葉に頷いた。どんなに探しても恋は見つからない。クローディアは婚約者以上に感情が動くものがなかった。貴族の仮面を被れなくなるのはランスロットの前だけだった。
二人の初めての喧嘩の終わりだった。
抱き合う二人は気付いていなかった。
笑い声が聞こえて恐る恐る周りを見ると夢クラブのメンバーがいた。クローディアは羞恥で真っ赤になり慌てて胸から離れた。ランスロットは上着を脱いでクローディアにかけた。クローディアは顔が見えないように頭から被ってソファに丸くなった。
羞恥に耐えられない時にするランスロットしか知らない癖だった。こうなったクローディアは熱が冷めるまで動かないのも知っていた。
ランスロットは殴った男を睨みつけた。剣があれば斬っていた。
「ディアに手を出した覚悟は」
「ランス、俺のおかげだろう」
「口づけて愛の言葉を囁けば簡単だ」
「ランスのためだよ。特別料金に」
怒っているランスロットにメンバー達は愉快に笑っていた。
「僕は二度と信用しないって決めた。ディアについてのアドバイスは全く参考にならなかった。間違っていたんだ。言ったよな?僕のディアに手を出したら殺すって」
「クローディア、わかっただろう?俺のおかげで仲直りだろう」
「ディアに近づくな」
クローディアは聞こえる男の声が怖くてランスロットに手を伸ばした。ランスロットはクローディアを抱き上げた。優先すべきはクローディアだった。報復はいつでもできた。
二人になれる場所に移動してランスロットはクローディアを膝の上に乗せて抱きしめた。
「ディア、僕と一緒に卒業しよう。」
クローディアは首を傾げた。
「貴族院を卒業したら成人とみなされる。卒業したら婚姻しよう。ずっと一緒だ」
「ランス様、貴族院の試験は?」
「まだ。ディアが入学したら編入しようと思ってたけど父上達が学園を卒業してからにしろって」
「ランス様が行くなら私も行きます」
「試験だけ受けてくるよ。ディアがいないなら通う必要ないし」
クローディアは笑っているランスロットに首を傾げた。
「僕は君とずっと一緒にいたい。君と婚姻するために公爵の仕事はするけど傍から離したくない」
久しぶりに聞く率直な言葉がクローディアの胸を暖かくした。
本当だったら嬉しくてたまらない言葉だった。
「私は願っていいのでしょうか?もっと一緒にいたくて無理を言いました。本当はもっと会いたかった。好きって言いたかった。でも妹じゃなくて恋人になりたくて、淑女らしく」
「出会った時からお嫁さんにしたい特別な女の子だったよ。僕はどんなディアも好きだけど、会いたかったと抱きつく君が恋しかったよ」
二人はすれ違いに笑った。
「ランス様、愛してますわ」
「僕も愛しているよ」
この日から学園に公害カップルが誕生した。
クローディアは権力を使って進級試験を受けランスロットの同級生になった。常に甘い雰囲気の二人に生徒は胸やけがしていた。慣れているアンリだけが涼しい顔をしていた。
エリーはようやく平常運転に戻った主にほっとしていた。
お互いしか見てないのに両思いまで10年かけた二人の馴れ初めを知るのはアンリとアンリの婚約者だけだった。
ランスロットはアンリの婚約者に相談する相手は選ばないとと笑われて落ち込んでいた。クローディアが抜けてるランス様も素敵です。でも次はありませんと笑いかければ公害カップルは平常運転だった。
このさらに甘くなった二人を温かく見守れるのはアンリ達だけだった。
クローディアはクッキーのようにランスロットへの恋心を砕くことはできませんでした。
また新しい恋を見つけ新しいクッキーを作ることも。
そのかわりクッキーよりも甘いカップルが誕生しました。
本編はこれで終わりになります。もう一話おまけがあります。甘い気分を壊しても良い方だけ覗いていただけると幸いです。
読んでいただきありがとうございます。
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