⑤
貴方の声が好きだった、体温が好きだった、優しさが好きだった。例え顔が見えなくても、風の匂いに漂ってくる匂いに恋い焦がれてしまった。胸の苦しみから逃げる事も出来ずに、自分の中でひっそりと温めているのです。
臆病――そう思われるかもしれません。しかし私の中で想いを封じる事が貴方の負担にならないと感じているからこその選択と言ってよいでしょう。
貴方がどうお思いかは分かりません。
(お慕いしております)
言葉にしない方がこの関係性を保つ事が出来る、そう信じてやまない私の気持ちをかき消すかのように、剣と剣がぶつかり合う音が激しくなっていく。
音一つでお二人の気持ちが手に取るように分かる私は変なのかでしょうか。
『独尊。本気で来い』
嵐のように乱れている独尊様の声が響いていく。それに引き換え物静かに刃を受ける唯我様の華が咲き乱れていく。
何故、このような鍛錬をしているのか疑問に思いながら、ドクリと心の臓が予兆を感じながら脈拍を加速させる。ただの鍛錬であり、戦いではないはずなのに、悲しい音が宙を舞いながら私の耳元へと姿を現して、消えてくれません。
「独尊様……そのような戦い方は……」
続きの声はキンと交わる音に邪魔されてしまいます。その代わりに独尊様の声がはっきりと聞こえました。
『別によいが、たかが鍛錬で本気を出していいのか?怪我ではすまないと思うが』
緩やかな舞いを披露しているのでしょう。風を切る音が唯我様と違い、流れに乗るように音を私に届けようとしている。そんな気がしました。
本当は止めたい、こんな戦い方をしていては身が持たないからこそ、私が止めるのがよかったのでしょう。唯我様は勿論独尊様も手を止める気配はなく、感情をぶつける戦い方をする唯我様と手合わせする事への喜びを感じているようでした。
『ふぬけが。日々の鍛錬を積んでいればそのような事にはならぬ。それとも私に勝つ自信がないのか?独尊』
『言ってくれるな、唯我。その減らず口、叩き切ってくれよう』
ゆらりと瞳の奥に闘志の炎が揺らめいた。唯我様の挑発に乗ってしまった独尊様を止める術はない。虎と龍、その名の通り二人は自分の剣術の中で命の火を灯していくのでしょう。
「やめてください」
泣きそうな声で叫ぶと、安心させようとする独尊様の優しい音が鳴りました。
『気にするな、実名嘉。聞きたくないのなら、奥の部屋へいなさい』
まるで本当の兄のような口調に、自分の非力さを感じる。落胆する私を置いて、二人は自分の志のまま、剣を振り下ろすのです。いつもは模擬刀なのに、今日に限って神剣。少し掠るだけでも血が流れてしまう恐ろしい存在。
私は知っています――その残酷さをその痛みをそして悲しみを……
「……嫌です、お二人の手が止まるまでここにいます」
毀れ落ちる涙を着物の袖で拭き取る私もまた決意を抱きます。そうする事しか出来ないのだから。
『女は黙っておればいい』
『唯我……貴様』
『ふん。誑かされた未熟な剣術など私に敵うと思っているのか?腑抜けるのもいい加減にしろ。それでも龍と歌われた男か』
『……それ以上口走ると後悔するのはお前だ、唯我』
冷たい空気が流れ始めた。静かな怒り――これは。
『龍須井我』
父上がおっしゃっていた独尊様の持ち技『龍須井我』
目の見えない私の為に、言葉で教えてくださった人を暗殺する技の一つ。これを打つ事がある時は自分も死ぬ時と覚悟をしていると聞いていたので、震えが止まりません。私の知っている独尊様はどこにもいない、私の前で剣術を打つ、貴方は別人のような声で冷たさを纏いながら、唯我様という獲物に食らいつく。
(私では止める事が出来ない……どうすれば)
いくら考えても答えはないのです。あるのは焦りと空虚感だけ。
瞼の裏に映るのは二つの影になった唯我様と独尊様の戦っている姿。目で見る事が出来なくても感じる事は出来る。瞼の裏側の姿は脳の中で形になり、二人の動く音でより鮮明になる。独尊様の
龍須井我は右足をすり合わせながら、飛び出すと共に心の臓を目掛けて打つ、真っすぐでありながらも、刀の角度を上手く使いながら、刃先で首の後ろへと手首を回す、二か所で殺傷する型でもあると聞いた事がある。
自分の中で音に合わせて具現化していく姿を見ていると、冷や汗しか出てこなかった。
簡単に受け止める刃の音が指すのは唯我様の刀の音。
『落ちたものだな、まだ本気ではないのか』
『……本気になる必要などない、殺傷する気は一切ないからな』
『その割には龍須井我を打つとはいい度胸をしている』
『こうしないと、お前は止まらないだろう、唯我』
『威嚇のつもりで打ったのなら早計よ。本当に始末したくなる』
物騒な会話が続く中で、花の香りがした。視覚以外が人より発達している私はすぐに気づく事が出来た。なんと言う花かは分からないけれど、この匂いは。
(来てくれたのですね、止めに)
すっと現れたのは私を守る為に育てられた忍びの右黄。彼が姿を現す事は滅多にないのですが、この状況に我慢ならなかったのでしょう。右黄は私の耳元で呟いたのです。
その瞬間、唯我様と独尊様の刀がぶつかり合うのを遮るようにくないの音がします。一つは唯我様の刀を抑え、もう一つは独尊様の刃先を捉えています。
『おやめください――姫様を泣かないでくれませんか』