婚約破棄された王子と文通していた悪役令嬢は、ゲーム終了後にヒロインとエンカウントしました。
閲覧いただきありがとうございます。
番外編第一弾の「王子と文通していた悪役令嬢は、ゲーム終了後にヒロインとエンカウントしました。」を元に作り直したものです。タイトルは連載版と少し異なっています。御了承ください。
クリストファーとクレマンの本心を知ってから一年。
乙女ゲームの舞台はヒロインが入学した一年間。つまり、ゲームはもう終了したのだ。
無事にゲーム終了を迎えた私は悪役令嬢としての役割を免れたことに安堵しながら、日々を過ごしていた。
そして、今日、私はクリストファーが素性を隠して、働いているカフェに足を運んだ。
勿論、私も素性を隠している。
カミーユとセシリア曰く、クリストファーは、カミーユとセシリアに説教され、クレマンという最大のライバルが出来た為、レティシアの信頼回復の為、あらゆる側面で努力をしていたらしい。
このカフェでのアルバイトもその一環のようだ。
私との婚約破棄で、色々考えることがあったのか、クリストファーは視野を広げる為、社会勉強の一環として、カフェで働くことを決めたらしい。
ズレている気もするが、クリストファーがこうして努力している姿を見るのは嫌いじゃない。
昔から国王候補として、あらゆる面で努力しているのを一番間近で見てきた。
なんだか、昔に戻ったみたいだな、と私はメニュー越しにクリストファーの姿を覗き見た。
しかし、こういったカフェに訪れるのは前世以来だ。
よく、幼なじみとカフェで仕事の愚痴を言い合ったものだと、思い出して、胸がちくりと痛んだ。
私は考えを断ち切るように、首を振り、久しぶりのメニューをまじまじと凝視する。
いつもはコースメニューだから、色んな種類から選ぶということをしないので、迷ってしまう。
私が何を注文しようか迷っていると、クリストファーがこちらにやってきた。
「迷ってらっしゃるようなので、お声がけささていただきました。宜しければ、オススメを紹介しても?」
私は頷き、クリストファーにオススメを聞くことにした。
「当店のオススメは、厳選された茶葉をブレンドしたオリジナルフレーバーティー。こちらはさっぱりとしているので、オレンジタルトと凄く相性が良いですよ」
美味しそう。
私はクリストファーのオススメ通り、オリジナルフレーバーティーとオレンジタルトをセットで頼んだ。
私はカフェで流れる音楽に身を委ねながら、ゆっくりしたひとときを味わった。
「お待たせしました。オリジナルフレーバーティーとオレンジタルトです」
クリストファーが運んできてくれた紅茶に口をつける。
爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
私はほっと息を吐く。
オレンジタルトも絶品だ。
さっぱりしたオレンジと甘すぎないジュレ。
甘い物が得意でない私好みの味だ。
もしかして、クリストファーは私の好みだと思って、選んでくれたのかな?
私がクリストファーの方に目を向けると、視線に気がついたクリストファーがにっこりと笑った。
タルトを食べ終わった私は持ってきた本を手に取り、読み始める。
今日は、クリストファーの仕事が終わった後に、クリストファーに周辺を案内してもらう約束をしている。
私はそれまで本を読んで、待つことにした。
2時間後。
本に没頭していた私は、クリストファーに肩を叩かれ、驚きの声を上げてしまった。
「待たせたな。行くぞ」
私は差し出された手を取って、カフェから出ようとした。
すると、クリストファーの同僚達が嬉しそうな表情をして、こちらに駆け寄ってきた。
「君がクリストファーの幼なじみか。クリストファーがいつも君の話をしているから僕達気になっていたんだ」
「給料が入ったら、大好きな幼なじみにウチのとっておきをサービスするんだって、マリアージュを試してたんだよ」
揶揄うように話す同僚達を、クリストファーは睨む。
そんな同僚達は、そんなクリストファーに臆せず、おお怖い、と笑った。
そんなクリストファーと同僚のやりとりを見て、悪戯心を起こした私は恭しく同僚に挨拶をする。
「クリスがいつもお世話になっております。幼なじみのアニエスです」
「アニエスさん、よろしくな。また来てくれよ!」
やはり、身元が判明するといけないと思い、私の詳細までは話していなかったようで、同僚はすんなりと受け入れた。
当のクリストファーはというと、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
私は笑ってしまうのをぐっと堪えた。
私達は、この一年で婚約者としていた時よりもずっと気心が知れた仲になった。
そう思うと、あの時の私達はお互い本心の探り合いをしたり、信頼関係が全然築けてなかったのだと思う。
クリストファーは同僚達を一瞥し、お疲れ様、と言って、カフェを出た。
相変わらずの不器用な性格に私は思わず笑ってしまいそうになる。
カフェを出た私達は、街を散策した。
ふと、私は一つの店に目が留まる。
その店は、アクセサリーショップでショーウィンドウに飾られたバレッタに目を奪われてしまったのだ。バレッタに嵌め込まれた碧い石はクリストファーの瞳の色にとても似ていた。
「なんだ、あれが気になるのか。じゃあ、入るぞ」
私の様子に気がついたクリストファーは、店に入るよう私に促した。
店に入ると、クリストファーは店員にバレッタを試したいと頼み、私はバレッタをつけてみた。
つけたバレッタは、キラキラと輝き、とても綺麗だった。
綺麗、だけど私に似合っているだろうか?
気後れしている私をよそに、クリストファーは店員に告げた。
「じゃあ、これください」
私が驚くようにクリストファーを見ると、クリストファーは無邪気に笑った。
「ある程度、給料が貯まったんだ。自分で働いた金で、お前に何かプレゼントを贈りたかったんだ。貰ってくれ」
なんでもない日にプレゼントを貰ったことがなかった私は嬉しくなる。
私はこのまま着けて帰ろうと、梱包してもらわずに、そのまま受け取った。
店を出た私はありがとう、とクリストファーに言った。
すると、クリストファーは私の頭を撫でた。
そういえば、前世の私は幼馴染に頭を撫でられるのが好きだったな。
仕事を頑張ったり、成果を出したりすると、いつも労ってくれて、頭を撫でてくれた。
今まで、乙女ゲームの記憶以外、あまり思い出せなかった私は急に思い出した幼馴染の存在に、懐かしくなり、胸がぎゅっとなった。
「レティシア!」
慌てたようなクリストファーの声と同時に、私はクリストファーに引き寄せられ、抱き締められた。
バシャッという音とともに、馬車が走り去る。
恐る恐るクリストファーの方を見ると、そこには、びしょ濡れになったクリストファーがいた。
「クリス!ごめんなさい、ぼうっとしてしまって…」
「いや、いい…お前は濡れてないか?」
私は慌てて首を振る。
乙女ゲームの記憶ではなく、昔の自分の記憶に思わず気を取られていた私は、馬車に轢かれそうになってしまった。
あ、危なかった…でも、こんなこと前もあった気がする。
私は既視感を覚えたが、それ以上の記憶が思い出せず、気のせいだと判断した。
暫くして、迎えに来た護衛達は、びしょ濡れになったクリストファーの姿に驚いていた。
馬車に乗り込んだ私は、車窓を眺めた。
今日はなんだか、昔のことをよく思い出す。
ぼうっとしている私は、クリストファーの言葉に殴られたような衝撃を受けた。
「そういえば、兄上に婚約者が出来たらしい。母上と姉上が婚約パーティにレティシアを呼ぶと言っていたから、近々招待状が来ると思うぞ」
私は、クリストファーの言葉に頭が真っ白になった。
兄上、それは第1王子であり、攻略対象の1人であるリシャール・ウィルソンのことだろう。
昔、クリストファーとの婚約の際に、会ったことがある。でも、基本的に乙女ゲームの世界と関わりたくなかった私は社交辞令での会話しかしたことがないので、彼の恋愛事情など全然知らなかった。
私は嫌な予感がし、背中に冷たい汗が滲むのを感じた。
「クリス、リシャール様の婚約者の名前は何ていうのかしら」
その質問にクリスは興味なさそうに答える。
「確か、フローラ・ローレンスという名だったかな。男爵家の一人娘らしい」
私はその言葉に絶望感を抱いた。
フローラ・ローレンス。
それは、乙女ゲーム『ジェム・ランコントル』のヒロインの名前だった。
顔が青ざめていたのか、クリストファーは心配そうな表情で、私の頬に触れた。
「レティシア、大丈夫か?」
私は我に返り、笑顔を作り、大丈夫だと答えると、クリストファーは納得がいかなかったようで、私の頭を自分の肩に置いた。
「私の前では、無理をするな。辛かったら辛いと言ってくれ」
私は昔のクリストファーでは想像が出来なかった彼の優しさに驚く。
クリストファーは、婚約破棄の一件から、自分の想いをストレートに表現するようになった。
そんなクリストファーの想いを私は応えることも断ることもなく、受け流してしまっている。
それがどんなに罪深いことが分かっていながらも、自分の本当の気持ちが定まらない私はこうやってクリストファーと友人関係を続けてしまっている。
私はクリストファーとクレマンの告白を保留にしていることの罪悪感と、突然のヒロインの出現に胸を痛めながら、クリストファーの温もりを感じた。
乙女ゲームの舞台は終わったはずなのに、ヒロインに遭遇することになるなんて、私はどうなってしまうのだろうか?
数日後。
アンジェ・テイラーの状況を確認する為に、私はディアモン国に訪れていた。
仕事に集中しなければいけないのに、頭の隅では、乙女ゲームの最大要素であるヒロインのことを考えてしまっていた。
一通り調査を終えた私に、クレマンは、私にレモネードを淹れてくれた。
ありがとう、と私がレモネードを受け取ると、クレマンは私の向かいに座った。
「今日はどうしたんだ?何かあったのか?」
薄々気づいているのだろう。
クレマンは困ったような表情で私に尋ねてくる。
「グルナ国の第1王子であるリシャール様に婚約者が出来たみたいで、今度その成約パーティに呼ばれるみたいで…久しぶりの公の場に出席するから緊張しているの」
とりあえず、私は無難に回答した。
転生者ならではの悩みを言っても、流石に便利屋のクレミーと呼ばれるクレマンでも、困ってしまうだろう。
「レティシアは礼儀作法もしっかりしているし、見た目も華やかだし、全然問題ないと思うけれど、久々のそういう場って緊張するよな…よし、俺がまじないをかけてやろう」
じっとしていて、と言われ、私は咄嗟に身体を強張らせた。
クレマンは何かを取り出し、私の髪に留めた。暫くすると、クレマンは私から離れて、近くにあった鏡を渡した。
鏡に映る私の髪には、菫色のドライフラワーで作られたヘッドドレスが付けられていた。
「綺麗…クレマンが作ってくれたの?」
綺麗な物や可愛らしい物をつけて、心が高揚するのは、乙女心だろう。
少し興奮したように尋ねると、クレマンは得意げに応えた。
「ああ、この色とデザイン、レティシアに似合うと思ってな。気に入ってもらえて何よりだ」
「私の好みだわ。流石、クレマン。私のことよく分かっているわ…」
アンジェ・テイラーのビジネスパートナーとして復興を遂げてから、一年以上が経ち、クレマンは民衆の好みだけではなく、私個人の好みもバッチリ把握している。
そんなクレマンの優しさに、私はなんだか擽ったい気持ちに駆られた。
私はそう言って、髪を崩さないように、髪飾りに触れた。
すると、クレマンは、そんな私の手を取り、キスをした。
「俺ほど君に似合うコーディネートを考えられる人はいないと思うよ。これは俺からの勇気のおまじない。だから、自分らしくいてね、お姫様」
私は顔を紅潮させて、頷く。
本当にクレマンは大人だし、優しい。
私はクレマンに甘えてしまっている。
それが少し申し訳ない。
すると、クレマンの同僚らしき男が、作業場に新聞を掲げて、入ってきた。
「クレマン、聞いてくれよ…って、悪い、邪魔したか?」
遠慮して、戻ろうとした男をクレマンは引き止める。
「構わない。何かあったのか?」
クレマンが話を促すと、男はしどろもどろに答えた。
「い、いや。大したことじゃないんだ。グルナ国の王太子様に婚約者が出来たらしい」
「えっ…」
私は男の言葉に思わず硬直する、
「第一王子のリシャール様に婚約者が出来たそうだと、新聞に載ってたんだよ。しかも相手は男爵令嬢!身分差の恋ってやつだよ」
クレマンは、男の話に苦笑いで返した。
もう乙女ゲームの世界から完全に離れた私には関係のないことだと、動揺を隠せない私は自分自身にそう言い聞かせた。
「ここには詳細は書かれてないが、きっと魅力的な女性なんだろうなあ」
男は見ず知らずの他国の婚約者に想いを馳せる。私は男の話を聞く余裕はもうなかった。
何故だろう、どんなに自分を諭しても、不安が拭えない。
なんだか、どこまでも乙女ゲームの要素が悪役令嬢である私を追いかけている気がして。
ふと、私達は、店の方が騒めいていることに気づいた。
「何だ?店の方が騒がしいが…」
男は不審そうに首を傾げる。
クレマンは私のそばを離れて、店に続く扉に向かう。
「様子を見てくる。レティシア達はここで待っていてくれ」
男と私は頷いた。
数分経っても、騒ぎは収まらない。
どうやら、騒ぎは外にまで広がっているようだ。
「レティシアお嬢様、気になりませんか?」
そわそわした様子で男は、店に続く扉の方を指差し、尋ねる。
その表情は小さい子が悪戯を思いついたような無邪気なものだった。
「でも、クレマンにここで待っているように言われましたし…」
「ちょっと覗きましょうよ!クレマンにもバレないように、ちょっとだけ…」
男の好奇心はどうやら鳴りを潜めることが出来ないようだ。私は半ば強引に覗きに付き合うことになった。
扉を少し開け、隙間から覗き見て、私はまた硬直した。
そこには、グルナ国第一王子のリシャール・ウィルソンとゲームのヒロインであるフローラ・ローレンスがいた。
私は思わず声が出そうになり、口を手で抑えた。
何故ディアモン国に2人がいるのだろうか。
とりあえず、落ち着け。
動揺をしていたら、覗いていることも気づかれてしまうかもしれない。
「責任者のクレマンです。遠い所から良くいらしてくださりました。本日は何をご所望で?」
クレマンは和かな笑顔を浮かべて、2人を出迎えた。
そんなクレマンにフローラは笑顔で応える。
「私、レティシア様の大ファンなんです。レティシア様がこちらのブランドを復興したと聞いて、興味があって、旅行先はディアモン国にしたんです」
フローラが私のファン?
フローラの発言に困惑しつつも、私は男と盗み聞きを続ける。
「興味を持って頂けて光栄です。ここはディアモン国の中でも観光地として有名なだけではなく、刺繍、宝石やコーヒー、紅茶など沢山の特産品がありますので、是非色んなところを巡ってくださいね」
興奮しているフローラとは裏腹にクレマンは淡々としている。
さりげなく、ディアモン国を宣伝しているところを見ると、流石商人の血筋を引く人だ。
「確かにディアモン国の物はどれも質が良いな」
リシャールはストールを手に取り、質感を確かめながら、感心したように言う。
そんなリシャールに、クレマンはありがとうございます、とビジネススマイルを浮かべた。
「ところで、クレマン様とレティシア様はどういった関係なのでしょう?どこかの噂で、2人は恋仲だとか…」
キラキラとフローラは、私達の関係を掘り下げようとする。
私は思わず鼓動が高鳴るのを感じる。
結局、あれから私達の関係はビジネスパートナー止まりだ。
私はクレマンの厚意に甘えて、返事を保留にしたままにしてしまっている。
すると、クレマンは少し声のトーンを落として応えた。
「申し訳ありません。完全なプライベートのお話は応えることが出来ません。私にとって、ここは、プロの真面目な職場なので」
そうクレマンが告げると、フローラは少し動揺したように謝る。
リシャールは、そんなフローラを背後に隠し、クレマンに話し始める。
「連れが気分を害したようですまない。私達はここへ冷やかしに来た訳ではない。貴方の腕を見込んで、注文をしに来たんだ」
「いえ…御注文ですか。どんな物をいつまでにご所望ですか?」
すぐにいつものクレマンに戻り、私はホッとする。
「1ヶ月後に成約パーティで彼女の御披露目会がある。その時に私と彼女が着る服を作って欲しいんだ」
「1ヶ月後に、タキシードとドレスですか…」
クレマンは、パラパラとスケジュール帳を確認し、少し考えた後、承諾した。
「分かりました。本日はお時間ありますか?簡単に採寸をさせていただきたいと思います。そして、3週間後に一度そちらにお伺いして、最終確認をしていただこうと思います。宜しいでしょうか?」
「ああ、構わない」
最近、新作を出して、生産量も増やして、忙しいはずなのに、オーダーメイドの注文なんて受け持って大丈夫なのだろうか。
ふと、男の方を見ると、男も不安そうな表情をしている。やはり、普段アンジェ・テイラーで働いている人からしても、オーバーワークになるのだろう。
そんな私達の心配をよそに、クレマンは作業場に続く扉に向かった。
「では早速、採寸させていただきます。狭いところで申し訳ありませんが、こちらの作業場で採寸させていただきます」
しまった、こちらに来る。
私と男は慌てて、扉の前から離れようとしたが、一足遅かった。
扉を開けたクレマンと私は目が合ってしまう。
少し驚いた後、クレマンは優しい表情をして、小声で囁いた。
「悪い、あっちの休憩室で待っててくれ」
そう言った後、クレマンは男に目で合図をし、私を案内するよう促した。
男は頷き、私を急ぎ足で休憩室に案内しようとした。
「レティシア様?」
振り向くとそこには花が咲いたように満面な笑みを浮かべたフローラが立っていた。
私が固まっているうちに、フローラはどんどん私との距離を縮めていく。
「私、レティシア様にずっとお会いしたかったんです…」
フローラは白魚のような華奢な手で、私の手を掴む。あまりの急展開に、手汗が伝わらないといいな、なんてどうでもいいことを考えてしまう。
「初めまして、レティシア・アングラードです。お褒めに預かり、光栄ですわ…お名前をお伺いしても?」
まあ、私は名前を知っているのだが。
フローラは慌てて自己紹介をした。
「ご紹介遅れました。フローラ・ローレンスです。そうだわ、是非レティシア様に採寸してもらいたいですわ」
何て無茶振りをするんだ、このヒロインは。
前世の学生時代に、家庭科でワンピースを作ったくらいしかないぞ、私。
私は、ヒロインの手を離して、眉を下げて、申し訳なさそうに告げる。
「はい…と言いたいところですが、私はあくまでアンジェ・テイラーの経営に関わっているだけであって、恥ずかしながら技術的な面は全然です。私の勝手な行動でアンジェ・テイラーの評価を落とすわけにはいきませんので、それはお受けすることができません…」
そう告げるとフローラは残念そうに、そうですか、と呟いた。
「では、デザイン案を考えていただけませんか?私に似合う服を見定めてほしいんです」
フローラはどれだけドレス制作に、私を携わらせたいのだろう。
返答に迷うと、クレマンが助け舟を出した。
「そうしましたら、デザイン案を作成する際、彼女の意見も取り入れることにします。レティシア様もそれで宜しいでしょうか?」
不意に話題を振られ、私は咄嗟に頷いた。
クレマンは心なしか申し訳なさそうにする。
「フローラ、あまり皆さんを困らせるな。ただでさえ急なお願いを受けていただいたんだ」
リシャールがフローラを諌めると、フローラはハッとした表情をして、申し訳なさそうにした。
「ワガママを言ってごめんなさい。憧れのブランドにオーダーメイドでドレスを作ってもらえることに興奮してしまって…」
そう言うフローラに、クレマンはカーテンで区切られた試着室に促す。
「そう言っていただけて、私達としても作り甲斐があります。只今、女性スタッフを呼んできますので、こちらの試着室でお待ちください」
休憩室で待っていると、少し疲れた様子のクレマンが顔を出した。
「クレマン、大丈夫?」
私がそう尋ねると、クレマンは頷く。
「俺は大丈夫だ。レティシア、迎えがきた。バタバタして、ちゃんと見送りが出来なくてすまない」
いつの間にクレマンは迎えを呼んだのだろうか。両親と喧嘩している状態で、すぐに帰るのも気まずかったが、ここで駄々をこねてもクレマンの迷惑になるだけだ。私は頷いた。
すると、クレマンは私の頭を撫でた。
「リシャール様とフローラ様の服は、ある程度工程が終わったら、グルナ国にいる知り合いの工房で行う。レティシアからも、意見を是非聞かせてくれ」
「ええ、勿論。私で良ければいつでも手伝うわ」
「ありがとう。もし、この注文が成功すれば、ブランドの名前も大きく広まるだろう…それに、上手くいったら、レティシアに相応しい男になれるかもしれないしな」
冗談めかしてクレマンは言う。
本気で言ったら私が困ることを優しいクレマンは知っているから。
私は無理しないでね、とだけ言い残し、クレマンと別れた。
1週間後。
私はクレマンが滞在するグルナ国のとある工房に向かった。
クレマンの知人に案内され、作業場を覗くと、そこには、いつも以上に作業に集中しているクレマンがいた。
…プロの顔だ。
私は思わず、立ち止まってしまう。
なんだか、どんどん成長していくクレマンと未だに変わらない私の距離がどんどん離れているような気がして、私は少し怖くなった。
そんな自分勝手な考えを断ち切るように、私は自分の頬を叩いて、気を引き締めた。
今日は、少しでもクレマンの役に立てるように頑張らなければ。
私は気合を引き締め、邪魔にならないようにこっそりと作業場に入り、机に置いてあったデッサン案に目を通した。
これは、フローラ用のドレスか。
デザイン案の殆どは、赤を基調としたドレスが多かった。グルナ国のナショナルカラーだからだろう。
でも、この赤だとフローラの肌に合わないのではないだろうか。ナショナルカラーとは、少し違ってしまうが、もう少しピンクがかった物もいいかもしれない。
私はそんなことを考えながら、隣のデザイン案にも目を通した。
こちらは、リシャール用か。
黒のタキシードに、ガーネットの石が嵌め込まれたカフス。赤いハンカチーフと合っていてとても良い。リシャールは、よく黒いジャケットを着ているからイメージにも合う。
でも、今回は特別な日に着るものだ。
白だと結婚式みたいになってしまうから、グレーなど新鮮で良いかもしれない。
もし、ドレスをピンクがかった物にするなら、そちらの方が釣り合いが取れるだろう。
釣り合いといえば、グルナ国の国花である薔薇を遇らうのも良いかもしれない。
デザイン案を見ながら、熟考していると、不意に後ろから抱き締められた。クレマンだ。
すっかり集中しきっていた私は思わず情けない声を上げてしまった。
「流石、俺の見初めた人だ。デザイン案見て考えてくれてたんだ。どう?俺の案」
ち、近い…!
クリストファーは婚約破棄をした手前、こういったスキンシップは滅多に取らないが、クレマンは事あるごとに、スキンシップを取ってくる。
私はドキドキしながら、先程考えていた案をクレマンに告げる。
クレマンは私の案を聞くと、少し考えた後、慣れた手つきで、デザイン案を描く。
数分後、クレマンが見せたデザイン案は、私のイメージそのものだった。
「よし、これで行ってみよう」
クレマンはデザイン案に近い色の布を取り、製作を再開する。
「私のアイデアで良いの?」
そう告げると、クレマンは自信満々に頷く。
「良くないと思えば、良くないって言うよ。この案はプロの目から見ても、良いと思ったから採用したんだ」
ありがとうな、と告げるクレマンの笑顔に私は微笑み返した。
ふと、作業に集中しているクレマンの側に、無造作に置かれたドライフルーツの存在に気がついた。
まさか、それしか食べてないのだろうか。
手持ち無沙汰だった私は、クレマンのために、軽食を作ることにした。
工房の人に許可をもらい、私はキッチンに入り、冷蔵庫を覗き、考えた。
大事な服を作る場だ。
中身の溢れにくいカルツォーネにして、具もトマトベースではなく、バジルとハム、チーズにしよう。油を切って、服につかないように工夫して…
メニューを決めた私は、調理に取り掛かった。
料理を作るのは前世ぶりだ。
よく、餃子の皮を使って、カルツォーネ風とか言って、幼馴染と一緒に酒を飲むときに、つまみとして作ったな。
…あれ、そういえば私には幼馴染が居たんだ。
不意に懐かしい思い出が蘇りそうになり、首を振る。今は料理に集中しよう。
15年以上ぶりの料理なのだ。
腕が鈍ってないといいのだけれど。
クレマンに美味しいと言ってもらえるようなクオリティにしたい。
そして、2時間後。
無事、カルツォーネは完成した。
オーブンで焼いて、ちゃんと加熱したし、味も良かったから、クレマンに、ちゃんと出せれるクオリティだ。
包み紙に来るんで、私はトレイに載せて作業場に戻る。
「クレマン、ある程度目処が立ったら、これ食べて」
私がそう言って、カルツォーネを差し出すと、クレマンは少し驚いたような顔をした。
「レティシアが作ったのか?これ」
確かに普通の伯爵令嬢は自分で料理などしないだろう。
「ええ、料理経験はあるの。味見もしたし、味は保証するわ」
前世でだけどね。
クレマンは作業をやめ、包みを開けて、カルツォーネを口にする。
「うまい…」
私はクレマンの言葉にホッとする。
「良かった。付け合わせにピクルスもあるから、食べてね」
そう言うとクレマンは嬉しそうに笑う。
「なんだかいいな、こういうの。夫婦みたいだ」
私は思わず顔を赤らめてしまう。
そんなことを言われると、思わず想像してしまう。
そんな私を見て、クレマンは無邪気に笑うのだった。
そして、あっという間に時間は流れ、今日は約束の最終確認の日だ。
私とクレマンは、グルナ国の王宮に来ていた。
クレマンも緊張しているようで、いつもの軽口がなかった。
「クレマン、大丈夫よ。クレマンの作った服とても素敵だったもの」
私は笑顔でクレマンを励ます。
そう告げると、クレマンも笑顔で頷いた。
応接間に通された私達を迎えたのはリシャールとフローラだった。
「御足労ありがとう。早速見せてもらおうか」
「私、この日をずっと心待ちにしていたんです」
「はい、早速、着ていただきましょう」
クレマンは、王宮のメイド達に指示を出し、リシャールとフローラを別室に連れて行き、試着をすることになった。
クレマンはリシャールの試着に、私はフローラの試着を見守ることにした。
私は、遠巻きにフローラが着飾れるのを眺めた。
やはり、ローズピンクのドレスはフローラの肌に合って、良く映えている。
着替えが終わり、鏡を見たフローラは、少し驚いた顔をした。
「へぇ…案外やるじゃない」
フローラは、ぼそっと何かを呟いた。
何か原作のヒロインらしくない表情をしていた気がするが、気のせいだろうか。
着替えが終わり、リシャールとフローラは互いの姿を見て、嬉しそうに微笑んでいた。
「良いデザインだ。パーティで、貴方のブランドを宣伝させていただこう。これからもよろしく頼む」
リシャールの言葉に、クレマンは恭しくお辞儀をした。
クレマンの努力が報われた。
私も自分のことのように嬉しくなる。
暫くして、リシャールとフローラは、パーティの打ち合わせで、退席した。
私達はというと、ティールームでお茶をいただいてから、帰ることになった。
「良かった。クレマン、おめでとう」
「レティシアのおかげだよ。ありがとう」
私は、大したことをしていない。
全てはクレマンが頑張ったからだ。
私達がゆっくりとお茶を楽しんでいると、ティールームの扉が開いた。
目を向けるとそこには、クリストファーが居た。
「クリストファー…」
クリストファーは少し苦い表情をして、クレマンの方を見ていた。クレマンはというと、珍しく冷酷な表情でクリストファーを見つめていた。
「警戒しなくていいですよ。挨拶をしにきただけですから…」
「わざわざ、ありがとうございます」
クリストファーの言葉に、クレマンは少々棘のある言葉で返した。いつも余裕たっぷりのクレマンらしくない気がする。
「クレマン様、久しぶりです。ご機嫌いかがですか?」
「数分前までは、良かったですよ」
この2人は相変わらず犬猿の仲だ。
2人がかち合うといつも険悪なムードになる。
原因は私だと分かっている。
私は去年の寝込んだあの日に、とても苦しい思いをした。もう、あんな想いをしたくない、とエゴイストな私の主張を拒むことができず、2人の関係をなあなあで済ませてしまっている。
クリストファーが原因なのだから、クレマンと付き合えばいいじゃないか、と思うかもしれないが、10年以上の想いをそう簡単に打ち消すことは出来なかった。
一方で、クレマンとの仲を壊したくない私はクレマンの告白を断ることも出来ない。
タイミングよく馬車の迎えが来た私は、今日もまた、その現状から逃げるように、2人と別れた。
数週間後。
いよいよ、今日はリシャールとフローラの成約パーティだ。
これだけ、逃げ出したいと思ったのは婚約破棄されて以来だ。
ゲームが終了しているから、破滅しない、と自分に言い聞かせながら、私は王宮に向かった。
余程、緊張していたのだろう。
王宮で出迎えてくれたクリストファーは訝しげに私の方を見た。
「もしかして、具合が悪いのか?」
「い、いえ…少し緊張してしまって」
本心は口が裂けても言えないので、ふわっとしたニュアンスで伝えた。
すると、クリストファーは私の肩を抱いた。
「臆することはない。何かあったら、私が助けてやる」
クリストファーの頼もしい姿に、私は笑顔で応えた。
応接間に着くと、そこにはリシャールとフローラの姿があった。
私は思わず身体を強張らせてしまう。
クリストファーが固まる私の背中をそっと叩き、私はハッとなる。
「兄上、この度は御婚約おめでとうございます。フローラ様、はじめまして。弟のクリストファー・ウィルソンです。彼女は私の幼なじみである、レティシア・アングラードです」
私は慌ててお辞儀をする。
そんな私達にリシャールは興味なさそうに、ああ、と呟いた。
ふと、フローラと目が合う。
フローラは妖艶に微笑んだ。
あれ、ヒロインってこんな表情したかな。
可憐で無邪気なヒロインはこんな美魔女みたいな笑い方しなかった気がするんだが。
私は思わずぎこちない笑みを返した。
すると、フローラは私に駆け寄り、興奮したような表情で私に話しかける。
「レティシア様、私一度貴女にお会いしてみたかったんです。私、アンジェ・テイラーの商品が大好きで…倒産しかけているアンジェ・テイラーを復興させたのは、レティシア様とお伺いして。憧れの令嬢ランキング第1位になるだけではなく、商才もおありなんて…尊敬してます」
あの謎ランキング、フローラも見ていたのか。
キラキラした目を向けられ、私は困惑しながらも、ありがとう、と答えた。
「良ければ、今度うちにいらしてください。ゆっくりお話したいんです」
フローラは微笑みながら、尋ねてくる。
グルナ国第1王子の婚約者の願いだ。無碍にはできない。行きたくない気持ちをぐっと堪えて、私は頷いた。
数日後。
私はローレンス男爵家に訪れることになった。
ローレンス男爵家は街外れの閑静なところにあった。
辿り着くと、その家はドールハウスのようにこじんまりとしていて、可愛らしい建物だった。
門扉には、笑顔のフローラが立っていた。
「今日はようこそいらっしゃいました。中庭にアフタヌーンティーの準備をしているんです」
馬車から降りるとすぐに、フローラは私の手を掴み、中庭へと案内した。
気のせいか、私の手を握る力は強い気がする。少し痛いくらいだ。
言おうか迷っている間に、中庭に辿り着いた私達は席に着く。
「そういえば、クリストファー様の話を聞きたいわ。婚約されていたのでしょう?」
お茶会が始まるや否や、フローラは急にそんなことを聞き始めた。
ほぼ初対面の人物にそんなことを尋ねるのはマナー違反ではないか。
私は注意するか迷い、やめた。
変な誤解を招いて、悪役令嬢として扱われたらたまらない。二度目の婚約破棄など御免だ。
「私の母と王妃様が仲良しで、私とクリストファーは幼馴染だったんです。婚約破棄は、齟齬が生じてしまって…でも、今は幼なじみとしてお付き合いさせていただいております」
内容が内容だけに、少し素っ気ない返し方をしてしまっただろうか。
ヒロインとの会話はどこに破滅フラグが潜んでいるか分からないので、内心ドキドキしてしまう。
思わず紅茶の水面をじっと見つめてしまう自分に気がつき、慌てて私はフローラの方を向いた。
一瞬、フローラがこちらを睨んでいた気がした。だが、フローラは、すぐにいつもの笑顔に戻り、仲がよろしいのですね、と返した。
「私、入学前からずっとクリストファー様を慕っていたんです。いつかお近づきになれたらいいなぁって…」
仮にも第一王子の婚約者なのに、その発言はどうなのだろうか。
私は恋する乙女のような表情をするフローラに複雑な気持ちになった。
そんな私の気持ちなど、御構い無しにフローラは話を続ける。
「私、ずっと前から、ここでの学園生活を楽しみにしてたんです。辛いこともあるけれど、きっと素敵なご縁に恵まれるって…」
カシャン、とフローラはティーカップを無造作に置いた。
私は思わず吃驚して、フォークを落としてしまった。
急にフローラの纏う雰囲気が変わったのだ。
「なのに、全然思い通りに行かないんだもの。クリストファー様は貴女のことで頭いっぱいみたいだし、貴女がいないせいで、いじめの対策も出来ないし、今だって続いてる…」
話し口調も砕けている。
急なフローラの変化に戸惑いながらも、私は一つの心当たりがあった。
この子はもしかして…
「貴女も転生者なんでしょう?自分の破滅フラグが怖くて逃げ出しちゃった悪役令嬢さん」
日本語で話し出したフローラは嘲笑うかのように、私に告げた。
額に汗が滲む。
ヒロインも転生者とは、予測していなかった。よく考えれば、私が転生しているということは、他の人だって転生する可能性はあるのだ。
私の他に転生者がいるなんて、今まで考えたことがなかった。少なくとも、この転生者は私のことを良く思っていないのだけは分かった。
私が黙って固まっている姿を見て、痺れを切らしたのか、フローラはダンマリですか、と挑発するような目つきをしながら言った。
これは、肯定すべきか否定すべきか。
少し考えて、私は頷いた。
こんな会を設けるくらいだ。きっとフローラは私と腹を割って話したかったのだろう。
私はそれに応えることにした。
それから、フローラは私の知らないこの世界でのゲーム期間のことを話してくれた。
『ジェム・ランコントル』の攻略対象は4人。フローラは全員と知り合いらしい。
フローラの婚約者であり、第一王子のリシャール、私の婚約者である、第二王子のクリストファー、公爵家の息子であり、サフィール国からの留学生のアダム、伯爵家の息子であり、ヒロインのクラスメイトのシャルル。
私はアダムとシャルルには会ったことない。
通っている学校が違うこともあり、舞踏会でも見かけないことから、全然接点がないのだ。まぁ、これは破滅フラグを回避すべく、意図的にやっているのだが。
フローラは前世の頃からクリストファー一強というほど、クリストファーが好みだったらしい。
だから、攻略をするのもクリストファーにしようと決めていたらしいが、婚約破棄したはずの悪役令嬢に未練タラタラなクリストファーを見限り、リシャールと付き合い始めたのだとか。
なんて、強かな女性なのだろう。
庇護欲を唆るか弱いヒロインの設定は何処へ。
そして、肝心の私に敵意を向けている理由。
一つ目の理由は、虐めの対策が出来ず、身体的にも精神的にもダメージが大きく、チートが全然通用しなかったこと。
二つ目の理由は、原作では悪役令嬢であるレティシアがヒロインのフローラを虐める主犯格だったので、ゲーム終了時にレティシアが処罰を受けることによって、見せしめとなり、虐めがなくなるはずだった。
それが、私が敵前逃亡したが故に、ゲーム終了した今でも虐めは続き、第1王子の婚約者となった今では、さらに悪質なものとなっているらしい。
「要は、貴女がのうのうと生きているのが気に食わないの!私はヒロインとしての役割を果たしてきたのに、敵前逃亡なんてして。おかげで、そのツケが私に回ってきているのよ。逃げた分だけ、責任取ってもらうからね!」
「せ、責任とは具体的に言うと…?」
「私が原作のヒロインみたいに幸せになるよう手伝いなさい!」
そんなアバウトな。
少なくとも、学園の虐めは他校生の私にはどうしようもないし、結婚相手も自分の手でゲットしている。
となると、舞踏会などのイベントでの虐めから助けることや、フローラの評価を周りに吹聴することくらいか。
ゲーム要素の中で、特にヒロインとは関わりあいたくなかった。
しかし、ここではYES以外の答えは求められていなさそうだ。
私は渋々頷いた。ああ、NOと言えない自分が情けない。
それからというのも、私は事あるごとにフローラのお願いに付き合わされた。
なんでも、悪役顔の私と一緒に茶会に行くと、虐めが減るだけでなく、自分の評価が上がるらしい。完全な引き立て役だ。
ゲームでの悪役っぷりのツケが、世界線を越えて、今のレティシアに来てしまった…
しかし、このフローラのことが、私は憎めない。確かに可愛げはないし、引き立て役なんて要らないくらい強かな女性だが、引き際も分かっている。本当に無理なお願いはしてこない。それに、なんだかこの不器用さがクリストファーと重なって、すっかり絆されてしまった。
…私って都合の良い人間かな。
外面は完璧なのに、不器用で残念な性格に、つい世話を焼きたくなってしまう。
前世からのお節介気質は、現世にも受け継がれている。こんなところを前世の幼馴染にでも見られたりしたら、呆れられるだろう。
『子供っぽい相手にはこっちが大人になるんじゃない、そいつが大人になるように、あえて突き離して、成長させてやるんだよ!』
前世の私が人間関係で悩んでいた時に、幼馴染が告げた言葉だ。
幼馴染よ、相変わらず私は人を甘やかす癖があるみたい。
「ちょっと、何ぼうっとしてるのよ」
前世のことを思い出すと、どうしてもぼうっとしてしまう。フローラが小声で私にだけ聞こえるように注意を促した。
ごめんなさい、と言うと、フローラは別に、と返した。
「そこ、段差あるから気をつけなさいよ」
フローラに言われて、ハッとする。
もう少しで、足を挫くところだった。
…なんだかんだ言って、このヒロインも優しいのだ。
数週間後。
今日は久しぶりにクリストファーと、庭園でゆっくり過ごしていた。
「最近、疲れてないか?」
ふと、クリストファーが心配そうに尋ねてくる。ぼうっとしてしまっていたのか、私は慌てて否定する。
そんな私の反応にクリストファーは納得がいっていないのか、待っていろ、とどこかに消えてしまった。
暫くして、クリストファーはトレイにティーポットとティーカップを載せて、戻ってきた。
「これでも飲め」
ぶっきらぼうに言われて、差し出されたのは
ラベンダーのハーブティーだった。
私はハーブティーを飲み、ほっと息をつく。
そういえば、ラベンダーはリラックス効果ぎあると聞いた。
クリストファーは、もしかして私に気を遣って持ってきてくれたのだろうか?
思わず私はクリストファーの顔をまじまじと見てしまった。
すると、どこか落ち着きのないクリストファーが自分のカップにハーブティーを注ぎ、一口飲む。
「口に合わなかったか?メイドがいつも淹れてるように淹れてみたんだが…」
「クリスが淹れてくれたの?」
私は驚いてしまう。
王子が紅茶を淹れることなんて、滅多にないはずだ。
私がありがとう、と言うと、クリストファーは少し迷った後、ぎこちない手つきで、頭を撫でた。
「私はプライベートで人を励ますことなど、滅多にないから勝手が分からん。でも、お前が困っているなら、いつでも助けになりたいと思っている」
ちら、とクリストファーの顔を覗こうと目線を上げると、クリストファーは耳を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
相変わらずのクリストファーの様子に私は可笑しくて笑ってしまった。
すると、クリストファーは、何がおかしい、と抗議してきた。
相変わらずの不器用なクリストファーに癒された後、クリストファーは急遽執務が入り、迎えが来るまで、王宮にある図書館で時間を潰すことになった。
図書館で一冊の本が読み終わった頃、扉の音がして、目を向けると、そこにはリシャールがいた。
リシャールもこちらに気づき、私の向かいの席に座った。
しまった、顔を上げなければよかった。
図書館ということもあり、より一層気まずい沈黙が流れた。
「最近、フローラが貴女を連れ回していると聞いた…迷惑をかけてすまない」
二冊目の本のプロローグを読み終わった頃、リシャールはぽつりと呟くように私に言った。
不意の出来事で、私は大きく首を振ってしまい、その拍子で本を落としてしまった。
リシャールは、私が落ちた本を拾い上げ、私に渡した。
「…面白い人だな、貴女は。フローラが気に入った理由が分かる」
原作でも滅多に笑うことのないリシャールの無邪気な笑みに、私は思わずドキッとしてしまった。
というよりも、フローラに気に入られてるとは。完全にいびられているようにしか思えないのだが。
本を受け取り、高鳴った胸を鎮めようと、深呼吸をしていると、鋭い視線に気がついた。
視線の方を辿ると、フローラが恐ろしい形相でこちらを見ていた。
フローラは、私が動揺しているうちに、息を巻いて、図書館を出てしまった。
なんだか、やらかしてしまった気がする。
顔面蒼白になった私に気づいたリシャールが不思議そうな顔で、どうした、と私に尋ねた。
「フローラ様を怒らせてしまったみたいで…」
すると、リシャールは気にするな、とだけ言って、本を読み始めてしまった。
あの後、私は気になってしまい、フローラの後を追った。こういう齟齬は早めに解決しなければ、クリストファーの二の舞になってしまう。
途中で見失ってしまい、私は探すのに手間取り、数十分経ってしまった。
フローラはクリストファーの執務室の前にいた。そこには、執務が終わったであろうクリストファーが困ったような表情を浮かべながら、涙しているフローラを慰めていた。
私は飛び出すのを躊躇い、一旦、柱の陰から2人の様子を見ることにした。
「フローラ様、どうされたのですか?」
「レティシア様がリシャール様と見つめ合っていたんです…とても良い感じだったので、私不安になってしまって…」
抗議したい気持ちをぐっと抑え、私は2人の様子見を続けた。
「フローラ様の思い違いでは?兄上はフローラ様のこと大切に想ってますよ」
「そうでしょうか…」
今のフローラは原作のヒロインそのものだった。
まさか、まだクリストファーを諦めていないとか?
私は嫌な予感に胸がざわめいた。
変な言いがかりをつけて、破滅させられたら困る。いや、今は婚約者じゃないから大丈夫か?
私は突然の展開にハラハラしながら、2人の様子を伺った。
「そうですよ。冷血そうに見えますが、兄上は、ああ見えても家族想いの良い人です。フローラ様のことも家族の一員として、大切にされていますよ」
クリストファーがそう告げると、フローラはクリストファーに抱きついた。
私は声が出そうになるのを必死に堪えた。
「私、不安なんです…リシャール様の妻としてやっていけるのか」
そんなフローラをそっと離し、クリストファーは優しく微笑む。
「兄上に見初められたのです。自信を持ってください。それに、初めから完璧な人間なんていません。困ったことがあれば、王宮一同、貴女の助けになりますよ」
「クリストファー様…」
頬を赤く染め、嬉しそうに微笑むフローラ。
これは、やばい。下手したら、リシャールとも揉めてしまうのではないか。
私が内心ヒヤヒヤしていると、リシャールが姿を現した。
「フローラ。あまり弟を困らすな」
そう言うとリシャールはフローラをぐいっと自分の方へ引き寄せた。
「クリストファー、迷惑をかけたな。執務が終わって、レティシア様のところに向かう途中だったのだろう?」
「ああ…構わないけど」
執務を終えてからの急展開についていけないのだろう。クリストファーは生返事をした。
クリストファーが呆気にとられているうちに、2人は去ってしまった。
…フローラはリシャールに任せていいかな。
リシャール、しっかりしてそうだし。
2人の姿が見えなくなった頃、私は今着いたように装って、クリストファーのところに向かった。
「クリス、執務は終わったのかしら?」
私に声をかけられたクリストファーは、ハッと我に返り、こちらに向き直る。
「ああ、今向かうところだったんだが…フローラ様と何かあったのか?」
「図書館で迎えを待っていた時にリシャール様にお会いして、私が落とした本を拾ってきただいた時にフローラ様がいらして、勘違いをされたみたいです」
そう言うと、クリストファーはそうか、と納得したように頷いた。
「信じていただけるんですか?」
昔のクリストファーなら、疑って、周辺調査をして、裏付けを行なったりしたはずだが。
社交界での付き合いで、男性と話しただけでも、浮気を疑うような人だった。
婚約破棄もそんなクリストファーの勘違いが膨らんだ結果だ。
拗らせ王子がこんな素直に納得するなんて、と私は思わずそう尋ねてしまった。
クリストファーは訝しげな表情をする。
「お前の言ったことを信じるのは当たり前だろう?」
昔のクリストファーに聞かせてやりたい。
それほど、クリストファーの言葉は、昔のクリストファーの考えと180度変わっていた。
婚約破棄の一件以降、コミュニケーションと相手を思いやる気持ちの大切さを学んだ私達の信頼関係は、気づかぬうちに強くなっていたようだ。
私は思わず笑顔が溢れる。
そんな私にクリストファーは不思議そうな表情をする。
ゲームのキャラクターでも、ちゃんと人間として成長することができるのだ。
ゲーム終了後、思わぬところでヒロインと遭遇することになったけれど、大丈夫。
だから、今はちゃんと2人との関係をなんとかしなければ。
私は決心を胸に、クリストファーと歩き始めたのだった。
…ゲームが終わっていないことも知らずに。
〜とある男の独白〜
この世界は何かおかしい。
俺は、幼い頃から妙な既視感に苛まれていた。
その既視感は歳を重ねていくうちに、一つの確信に変わった。
俺には前世の記憶があるのだ、と。
その結論に至ったのは、この世界で暮らして数年が経ったある日。
噴水広場で1組のカップルのプロポーズシーンを目の当たりにした時だ。
俺は、ふと幼馴染のアイツが見たら、はしゃぎそうだな、と思ったのだ。
今世の俺には幼馴染がいない。
では、幼馴染のアイツとは誰だろう、と記憶を辿っていくうちに、それは今世の記憶ではなく、前世のものだと気がついたのだ。
幼馴染のことを思い出した俺は、この世界全てが幼馴染が好きだった乙女ゲームの世界に見えてきてしまった。
1人の女があらゆる性格の男達を攻略していく恋愛ゲーム。正直、男の俺には何が楽しいのか分からなかったが、いつも仕事に疲れていたアイツがゲームの話をしている時だけは嬉しそうにしていたのを覚えている。
俺じゃなくて、アイツが此処に転生してくれば良かったのに。
女向けの恋愛ゲームの舞台のような場所に連れてこられても、正直全然嬉しくない。
それに、自分の名前は前世でアイツがやっていたゲームのキャラクターにいた気がする。
興味がなかったので、うろ覚えだが、この俺がアイツがやっていたゲームのように女に砂の吐くような台詞を言える気がしない。きっと気のせいに違いない。
俺の通っている学園内では、玉の輿に乗った女の話がシンデレラストーリーとして語り継がれているが、それも偶然だろう。
何しろ、アイツが言っていたヒロインとやらは、庇護欲を唆る愛らしさが特徴だと言っていたが、あの女は妖艶さはあるものの、可愛らしさなど一切なかった。寧ろ、周りの女とバチバチ闘っている強かな女だった。
アイツのことを考えると、嫌でもアイツとの最期を思い出してしまう。
仕事に疲れたアイツを励まそうと思って、有給使って、アイツと映画を観にいくことにしたんだ。
乙女ゲームの映画化なんて、男の俺が見るには苦痛でしかなさそうだったが、アイツの笑顔が見れるならとチケットを買ったのを今でも覚えている。
だが、結局そのチケットを使うことはなかった。映画に向かう途中、俺とアイツは交通事故に遭った。
最期に覚えているのは、トラックとぶつかった衝撃と、幼なじみを庇おうと思い切り公園の方に突き飛ばしたこと。
俺はその事故で死んでしまったから、アイツが生きているのか、死んでしまったのかは分からない。
もし、生きているのなら俺の分まで幸せになってほしい。
もし、俺と同じく、死んでしまったのなら、この世界にアイツも居て欲しい。
アイツが仮に同じ世界に転生していたとしても、どんな姿になっているのか分からないし、記憶もないかもしれない。
でも、この世界ならアイツはきっと幸せになれる気がするんだ。
前世のアイツは毎日仕事に追われ、暇な時間があれば、現実を忘れる為に、二次元の世界に没頭していた。だから、きっとゲームのような世界で暮らせば、アイツも喜ぶんじゃないかな。
「アイツ、どうしているかな…」
男の呟きは虚空に消えた。
この男が薄々、察している通り、ここは乙女ゲームの世界であり、男は攻略対象である。
しかし、悪役令嬢に転生したが故に、乙女ゲームの要素と出来るだけ関わらないようにしている幼馴染とこの男が出会う日は果たして来るのだろうか。
その未来は誰にも分からない。
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