婚約破棄された悪役令嬢ですが、王子の文通相手をしています。
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短編として投稿している「婚約破棄された悪役令嬢ですが、王子の文通相手をしています。」を結末のみ変更して投稿しております。
それは、私ことレティシア・アングラードが6歳の頃。
私は運命の出会いをした。
その相手は、グルナ国の第2王子である、クリストファー・ウィルソンだ。
その出会いをした瞬間、私の全身に電撃が走ったような衝撃を受けた。
私は気がついたのだ。
ここが、前世の私が愛していた乙女ゲーム『ジェム・ランコントル』の世界だと。
目の前にいるクリストファー・ウィルソンは攻略対象の1人。
…そして私、レティシア・アングラードはヒロインを虐める悪役令嬢だった。
私は衝撃のあまり、その場に倒れてしまった。
今思えば、吊り橋効果だったのかもしれない。
それでも、私はあの時からクリストファーのことが大好きだった。
悪役令嬢なので、正直ゲームのハッピーエンディングは私にとっては、全然ハッピーエンドではない。
婚約破棄、国外追放、処刑…リアルに考えたら顔面蒼白モノだ。
本当は破滅フラグを断ち切るべく、ゲームの舞台から速やかに退場すべきなのだが、クリストファーに一目惚れした私は彼の婚約者として幸せになる道を探した。
ヒロインに関わらないように、ヒロイン達とは別の学校に通ったり、あらゆる分野の勉強を怠らず、多岐に渡るコミュニティに参加し、あらゆる情報収集を行った。
勿論、悪役令嬢とは程遠い人間になるべく、分け隔てなく誰にでも優しく接した。
その血の滲むような努力の結果、私は憧れの令嬢ランキングという謎のランキングで1位を誇るほどの評価を得る有名な令嬢となった。
そして、いよいよ明日から乙女ゲームの舞台が始まろうとしていた、15歳の誕生日。
「レティシア。私はお前との婚約を破棄したい」
順調に結婚予定日に近づいていると思っていた彼との婚約はゲーム開始前に呆気なく破棄されてしまったのだった。
え?嘘でしょう?
頭が真っ白になる。
しかし、クリストファーの深刻そうな表情はそれが事実だと主張していた。
1度目は出会った時、そして今度は婚約破棄された時。
私はクリストファーの目の前で、倒れた。
それからというのは、私は暫く部屋に引き篭もり、何も食べず、悲しみに暮れた。
まさか、不戦敗とは。
万全に準備し、フラグを回避した結果、婚約破棄されるとは夢にも思っていなかった。
どこの小説でも乙女ゲームに転生した人は、なんとか丸く収まるじゃないか!
理不尽な想いで心がぐちゃぐちゃになりながら、布団にくるまって、昼夜問わず泣き寝入りしたある日。
2人の女性が私を訪ねた。
普段、適当に遇らうメイドの言葉もこの時ばかりは無視できなかった。
なぜなら、王妃であるカミーユ・ウィルソンと王女でありクリストファーの姉のセシリア・ウィルソンの訪問だったからだ。
私は慌てて身支度を整え、何日かぶりに自室から出て、応接間に向かう。
「お待たせして、申し訳ございません」
そういうと、2人は首を振り、心配そうにこちらに駆け寄って、私を抱きしめた。
クリストファーに婚約破棄された今、私と2人の繋がりはもうなくなってしまったと思っていた。私は2人の温もりに思わず涙が出そうになってしまった。
どうやら、2人にとっても婚約破棄は青天の霹靂だったようだ。
2人揃って、クリストファーの愚痴をこぼした。
話を聞いていくうちに、2人の用件は私を慰めることではなく、別の用事があることに気がついた。
それは、セシリアが隠し持っていた紙を読んで、確信に変わった。
そこには、太字で『アニエス・アンジェ、男爵令嬢』と書かれ、その後もその人物の詳細が書かれていた。
「ねえ、レティシア。クリストファーと文通をしてみない?」
セシリアの突拍子もない提案に私は目を丸くした。
「勿論、レティシアとしてではなく、そこに書いてあるアニエス・アンジェとして」
普段から想像力豊かな人だったが、今回は流石に理解が追いつかず、頭にいくつもの疑問符が浮かぶ。
「このまま、一方的にクリストファーと離れるなんてレティシアも納得していないでしょう?正体を偽って、あの子の本心を探りましょうよ!」
そんなの馬鹿げている、と思ったのが本音だった。それでも、心の何処かで彼のことを諦めきれていない自分がいた。
そして、私は思わずカミーユとセシリアの手を取ってしまった。
伯爵令嬢、レティシア・アングラードとしての自分は嫌われてしまった。
だから、今度は男爵令嬢、アニエス・アンジェとして、文通をして、王子に好かれてみせる、と私は謎の決心をしたのだった。
数日後。
私は机に向かって、一通の封筒を開いた。
いよいよ、クリストファーとアニエスの文通が始まったのだ。
カミーユとセシリアの協力もあり、アニエス・アンジェとしての設定もばっちり作り込まれている。
私はドキドキしながら、クリストファーが書いた社交辞令であろう内容に返事を書いた。
初めは、他愛もない会話だった。
なにより、つれない態度をするクリストファーの気を引くべく、剣やお菓子、本の話を中心に会話を膨らませた。
数年間、クリストファーを追い続けたのだ。好みは把握しきっている。
クリストファーに擦り寄せるような話題を自然に振ることで、次第にクリストファーはアニエスに心を開くようになった。
そして、何通か手紙を送った頃、クリストファーから何故、自分と文通をするのかと尋ねられた。
確かに、婚約破棄された男爵令嬢と婚約破棄した王子が文通なんて、相手が違うとはいえ、変なシチュエーションだ。
アニエス(私)は、最近、婚約破棄をされたばかりで、自分の何がいけなかったのか知りたいと思っている。婚約破棄した貴方と文通をすることで、自分の欠点を改めたい。だから、男心を知るべく、これからも自分と文通をして欲しい、と書き記した。
いつもより、核心に迫った内容を書いたせいか、いつも以上にドキドキしながら、私はクリストファーからの返信を待った。
…昔と変わらないな。
そんな自分に思わず私は笑ってしまう。
クリストファーと会ったあの日から、私の頭はクリストファーのことでいっぱいなのだ。
そして、数日後、これからも文通を続けてくれるという了承の返事が来た。
私はその手紙を大事に持ちながら、口元を緩ませた。
性懲りも無く、クリストファーとの繋がりが続いていることに嬉しさを感じる一方で、これがレティシアではなく、アニエスとしての繋がりなことに少しの寂しさを抱いた。
了承の旨だけではなく、クリストファーは貴女の婚約者はどんな方だったのか、という質問も記されていた。
私は少し考えた後、私が考えるクリストファーの性格を書き連ねた。
眉目秀麗、才色兼備、文武両道…そんな言葉が似合う完璧な人でした。社交的でしたが、本当の彼はプライドが高く、不器用で本心を言う事が苦手で、口下手で、独りよがりな人でした。でも私はそこが可愛らしくて、好きだったんです。
私はまるでラブレターを書いているような感覚に陥った。
恥ずかしさに顔を赤らめながら、メイドに手紙を渡した記憶がある。
そして、しばらくして返ってきた返事には
こんなに貴女から好かれている婚約者は、さぞ幸せだったでしょうに。彼は勿体ないことをしましたね。
と記されていた。
自分のことを揶揄する王子に私は思わず笑ってしまう。
婚約破棄されてから、頭が真っ白になり、笑うことなんて無いと思ったが、まさかこんな形で笑う日が来るとは。
ふと、2枚目の手紙を読むとき、1枚のハガキが床に落ちた。
手に取ってみると、それはグルナ国で主催される仮面舞踏会への招待状だった。
慌てて、2枚目の手紙を読むと
今度、私の国で仮面舞踏会が開かれるんです。良ければ、貴女もいらしていただけませんか?
私は少し迷った後、断ることを選択した。
いくら、仮面舞踏会とはいえ、声や容姿でバレてしまうと思ったからだ。
返事を書き記し、メイドに手紙を渡した時、メイドから招待状を受け取った。
どうやら、レティシアとしても、招待状が届いたようだ。
手紙の裏を見ると、送り主はカミーユだった。
思わず期待してしまった自分の諦めの悪さに改めて苦笑いしてしまう。
私は、久しぶりにクリストファーの顔が見たいと思い、レティシアとして参加する意を示すのだった。
舞踏会当日。
久しぶりの華やかな場所に思わず私は圧倒される。
そういえば、婚約破棄されて以来、こういった場を断り続けてきたので、とても久しぶりなのだ。
私は思わず辺りをキョロキョロと見回す。
確か、乙女ゲームには仮面舞踏会の描写はなかったから、ヒロインは居ないだろう。
まぁ、乙女ゲームの本編開始前にシナリオから逸れている私には関係のないことだ。
ダンスを申し込んでくれた男性と踊り終わった頃、ふと、鋭い視線に気がついた。
その視線の先を辿ると、クリストファーが鋭い目つきでこちらを睨んでいることに気がついた、
仮面を通しても自分の存在に気がついてくれる喜びも束の間、クリストファーは足早にこちらに向かい、怒りに顔を歪ませながら、私に迫った。
「何故、レティシアがこんなところへ?」
クリストファーの言葉に、私は顔を見たくないほどに嫌われてしまったのか、と改めてショックを受けた。
「王妃様に招待されたんです…」
そう告げると、クリストファーは苦い顔をして、そうですか、と答えた。
そして、侮蔑に満ちた目でこちらを見つめる。
「噂で聞きましたよ。あれから色んな男性に婚約を申し込まれているとか」
相変わらず、人を誑かすのがお上手で、とでも言いたそうな冷え切った目に、わたしは思わずムッとしてしまった。
確かにお見合いの話はいくつか来ているが、今でもクリストファーしか見ていない私には全く興味のないことで、全て断ってしまった。
それに、今までのクリストファーに対する私の気持ちも否定されたようで、私は怒りだけではなく、悲しみに感情を支配され、泣きたい気持ちになった。
すると、タイミング良く1人の男がクリストファーに話しかけ、クリストファーは私を一瞥した後、その場を離れた。
その後、誰とも踊る気にならなかった私はバルコニーで独り、落ち込んでいた。
幸いここには誰もいない。
私は先程の出来事を思い出し、思わず顔に一筋の涙が伝った。
すると、後ろの扉が開き、誰かが入ってくる気配を感じた。
私は慌てて、涙を拭い、夜空を眺めるふりをした。
「可憐なお嬢様。そんなところで何をされているんですか」
振り向くと、先程の男性がハンカチを差し出してくれた。
私は急な出来事に思わず戸惑ってしまう。
男はその動揺が不審者と勘違いしたと解釈したのか、慌てて自己紹介を始めた。
「申し遅れました。私はクレマン・アンジェと申します」
仮面舞踏会は自己紹介をする必要はないのだが、余程私は不審そうな顔をしてしまったのだろう。
少し申し訳なく思いながら、話を聞くと、クレマンはディアモン国から来た男爵子息だと言う。
アニエス・アンジェと同じ姓に遠い国の男爵の爵位…
私は偶然の出会いに驚き、ついクレマンの自己紹介を復唱してしまった。
そんな私にクレマンは笑う。
「俺を知ってるんですか?」
急に砕けた口調で話しかけられ、顔を上げると、仮面越しでも分かる人当たりの良い笑顔を浮かべたクレマンがいた。
「もしかして、便利屋のクレミーとしての俺を知っているのか?」
そう尋ねられ、私はピンと思い出す。
以前、変装をして、情報収集の為に、街へ出かけた時、『便利屋のクレミーは何でも出来る。困った時は彼を使うといい』と商人の男が言っていたのを思い出した。
私が頷くと、クレマンは嬉しそうに光栄です、と言った。
思えばこの時の私はクリストファーに冷たくされ、冷静さを欠していたのだろう。
私は自分がクリストファーと婚約破棄をしたレティシアだということ。そして、カミーユとセシリアとの3人の秘密だったクリストファーの文通相手、アニエスの話をしてしまった。
その話をする際、クレマンは驚く様子もなく、話を聞き、話を聞き終えた後、得意げに頷いた。
「便利屋のクレミー、これでも口は堅いんです。その代わり、それなりの報酬はいただきますよ?」
そう言ったクレマンに私は大丈夫、と告げた。
舞踏会から帰宅した私は、父にお願いをした。
思えば、これが両親にお願いした初めてのことだ。
今まで、破滅フラグに繋がると思った私は両親にワガママなど言わなかった。
今や破滅フラグに等しい婚約破棄をされたのだ。形振りなんて、構っていられない。
私が父にする初めてのお願いは、アングラード家から、クレマンの実家が経営しているアンジェ・テイラーに融資をしたいということだった。
初めは、右肩下がりの業績のアンジェ・テイラーへの融資に苦い顔をした父だったが、前世の営業スキルを活かして、馬車内で考えたプレゼンを行なった結果、条件付きで了承を得ることが出来た。
その条件は
1.社会勉強も兼ねて、アンジェ・テイラーの復興を手伝うこと。
2.1年経っても復興の見込みがなければ、融資は断ち切ること。
だった。
許可を貰った私は翌日、まだグルナ国に滞在しているクレマンを呼び出し、融資の話を持ち出した。
「確か、貴方のお祖父様の代までアンジェ家は商人の家だったのよね? 貴方のお祖父様の商才が買われて、爵位を貰ったそうね。爵位を貰った後も、アンジェ・テイラーという仕立て屋を続けていた。でも、今はお祖父様は亡くなり、有能なご両親は過労で病に伏せていらっしゃる…ここまではいいかしら?」
クレマンは突然の話に戸惑いながらも、頷く。
「そこで、アングラード家はアンジェ・テイラーに融資をするわ。業績や経営方針を見たところ、改善点はありそうだし…その代わり、事業復興に私も少し携わらせて頂きたいの。これで、相応の報酬になるかしら?」
そう尋ねると、15歳のご令嬢に、と何かを呟きながらも、暫く考えたクレマンは私の手を握った。
「なかなか良い報酬だ。その話、乗った!」
クレマンの言葉に、私は契約成立の喜びを噛み締めた。
これで、アニエスの存在に信憑性が生まれる。
とても濃い仮面舞踏会が終わり、アンジェ・テイラーへの投資や経営指導に向けて、バタバタしたせいで、クリストファーの手紙を読むのが遅くなってしまった。
封を開け、内容を読むと、いつもは聞き役に徹するクリストファーが珍しく今回は自分のことを書き記していた。
この前、仮面舞踏会で元婚約者に会った。
その文面に思わずドキッとしてしまう。
私は恐る恐る文面を読み進める。
彼女と少し話したが、やはり彼女とは添い遂げられないと思った。
その言葉に私の身体に冷たい氷が突き刺さったような感覚を覚えた。
あの時は一方的に詰め寄られた記憶しかないが、そう思われていたのか。
私はまたクリストファーの言葉に鋭利なナイフでも突き刺されたように胸を抉られるのだ。
かなりの精神ダメージを追いながらも、震える手で返事を書き連ねる。
どうして、貴方は婚約破棄をされたのですか?彼女とは話し合ったのですか?
連日の精神的ダメージも相まって、私は心ここにあらずの状態だった。
ついに、クリストファーの核心に迫るのだ。
そして、数日後に届いた返信には、こう書かれていた。
話し合う必要などない。彼女と居ると自分も彼女も幸せになれないと思ったまでだ。
その文面を見て、私は思わず手紙を床に落としてしまった。
私の何がいけなかったのだろう。
しつこいほど、クリストファーを拘束した記憶も、ヒロインを虐めた記憶もないのに。
あらゆる分野の勉学にも積極的に打ち込み、徹底的に努力をしたのに。
素っ気ない言葉に私は返事を書く気力も湧かず、泣き伏した。
もうすぐ、私はアンジェ・テイラー復興の為、3ヶ月間、ディアモン国に渡航し、現地調査を行う。
今はそれに没頭しよう。
そうすることで、この辛い気持ちに蓋をしよう、そう思ったのだった。
数日後。
ディアモン国に渡航し、アンジェ家に辿り着いた私が馬車から降りると、アンジェ一家が出迎えてくれた。
今回はお忍びの現地調査ということで、敢えて宿泊先はホテルではなく、アンジェ家。
その方が、作業工程も見れて、現地調査も捗るだろう。
その為、護衛も小規模なものにしてある。
クレマンは工房を案内してくれた。
アンジェ・テイラーは、すべて手作業で製作を行う為、作業効率が悪く、大量生産が出来ないことが判明した。質の良さは流石、かつて王室が愛用しただけの物はある。
私は何か付加価値を付けようと、クレマンと一緒に街へ出た。
ディアモン国はグルナ国と違い、前世でいう風水や天文道といった占星術が流行しているようで、辺りには色とりどりの花や蝶に象られた置物や飾りがあった。
それを見た私は閃き、クレマンと一緒にアンジェ家へ足早に戻った。
「ラッキーカラーを作って、付加価値を作るのはどうかしら。例えば、金色は金運、青色は仕事運、桃色は恋愛運とか。デザイン性と質には問題がないのだから、後は流行に見合った付加価値をつけたら、きっと売れるわよ」
前世でもブームがあった。
世間は、神社などのパワースポット巡りだけではなく、ファミレスに売ってある色とりどりのストラップまで、験担ぎをしていた記憶がある。
「でも、ラッキーカラーなんて風習はこの国にはありません。どうやって浸透させるのでしょうか…?」
クレマンの父が恐る恐る尋ねる。
15歳の小娘にこんなことを言われたら、不安になるだろう。
私はクレマンの方を見て、その質問に答える。
「アンジェ家には良いインフルエンサーがいるじゃない。広告宣伝として、便利屋のクレミーのツテを使って宣伝すれば、口コミとしては充分よ!」
自信満々に告げる私とは対照に、アンジェ家は半ば疑いながらも、その案を受け入れた。
しかし、1ヶ月後、試作した商品は、口コミもあってか、販売前から予約が殺到し、発売後は飛ぶように売れた。
こうして、ラッキーカラー戦法は無事成功し、アンジェ・テイラーの業績は改善したのだった。
在庫切れを起こさぬように、追加製作に追われ、帰国日直前まで忙しい日々が続いた。
中庭でぼうっとしていた私にクレマンが声をかけた。
いつものおちゃらけた雰囲気とは裏腹に真面目な表情をしたクレマンは私に跪いた。
「レティシア様、貴女のお陰で、久しぶりに業績が回復しました。これで亡くなった祖父も浮かばれます。本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をするクレマン。
余程、クレマンは家族を大切に思っているのだろう。
私は感心してしまい、反応が遅れてしまった。私はクレマンに顔を上げるように促した。
「レティシアでいいわ…貴方はそう言ってくれるけれど、私が凄かった訳じゃないわ。アンジェ・テイラーの商品は元々質もデザインも素晴らしい物だった。何よりこれは、貴方がアンジェ家を復興したいと強く願い、努力した結果よ。親想いの素敵な御子息を持って、貴方のご両親は幸せ者ね。きっとお祖父様も喜んでいるわよ」
そう告げると、クレマンの瞳から一筋の涙が零れた。
すみません、と慌てて涙を拭い、取り繕うクレマンはきっと、今まで孤軍奮闘してきたのだろう。
破滅フラグに独りで躍起になって闘ってきた自分と重なったのか、私は思わずクレマンを抱きしめた。
「本当に、ここまでよく頑張ってきたわね。おめでとう、クレマン」
そう言うと、クレマンは涙声で、本当にありがとう、と呟いた。
帰国日。
クレマンは見送りの際に、私の手の甲に恭しくキスをした。
「いつでも辛かったら、俺のところにいらしてください。俺はいつでも貴女の味方です」
妖艶な笑みを浮かべるクレマンに、思わず顔を赤らめてしまい、恥ずかしくなった私は足早に馬車に乗り込んだ。
グルナ国に着くと、メイドからクリストファーが私に宛てた手紙を何通も渡された。
それはどれも謝罪や機嫌伺いの手紙だった。
きつい言い方をして、気分を害してしまったでしょうか。貴女の立場も考えず、感情的になってしまい、申し訳ありません。
そういえば、アニエスは婚約破棄された男爵令嬢という設定だった。
どうやら、クリストファーはアニエスが機嫌を損ね、無視をしていたのだと思ったらしい。
不敬罪にしないあたり、アニエスのことを友人として扱ってくれているのだろう。
私は複雑な感情を抱きながら、返事を書き記した。
返信が遅れてごめんなさい。兄が久しぶりに帰ってきて、手紙を書く時間がありませんでした。私は気にしていませんから、貴方もどうかお気になさらず。
早速、クレマンの名前を借りることにした。
思えば、この3ヶ月間、初めてクリストファーのことばかり考える時間という物がなく、充実した時間を過ごしていた気がする。
…まぁ、これを始めたのはクリストファーと文通を続ける為だったのだが。
何はともあれ、前世の職業も相まってか、私は意外と経営に携わる仕事が好きなのかもしれない。
封筒に自分の印を捺し、私はぽつりと呟いた。
「そろそろ、潮時かな…」
婚約破棄されてから、数ヶ月。
悪あがきはやめにして、お伽話のような非現実的な妄想から覚めて、現実を見なければいけない。
ここは、乙女ゲームに酷似した世界であって、そのものではない。
そして、私の理想通りの世界でもないのだ。
〜クリストファーの独白〜
私、クリストファー・ウィルソンはグルナ国の第2王子だ。
そんな私はある2人の女性のことで、悩んでいた。
1人目は元婚約者のレティシア・アングラード。
私は、レティシアのことが幼い頃から本当に大好きだった。努力家なところ、優しいところ、可愛らしいところ…そして、時々何かを懐かしむような寂しげな表情でさえも。
幼い頃から婚約者として、ずっと側にいた。辛い時も楽しい時も分け合ってきた。
グルナ国の第2王子であるという、プレッシャーと第1王子への劣等感に苛まれる私を支えてくれたのは、紛れもなくレティシアだ。
大人びた考えと寛容さを持つ彼女を支えたいと思い、今までひたすらに努力をしてきた。
しかし、その願いは歳を重ねていくことに実現不可能であることを実感した。
いつからだろう。
彼女と居ると、幸せよりも苦しみを感じるようになったのは。
幼い頃は良かった。
彼女が褒められれば、私も嬉しかったし、彼女が悲しめば、私が悲しみを拭った。
でも、歳を重ねるにつれ、彼女が誰かに褒められれば、不快になるし、彼女が悲しめば、その原因を潰したくなった。
私は年々醜くなる自分の心を制御出来なかった。遂には、彼女の心を動かすのは自分だけだ、他のものなど必要ないと囁く、悪魔のような自分の声が聞こえてくる始末だ。
このままでは、レティシアを傷つけてしまう。
そう思った私は婚約破棄という形で、彼女との縁を切った。
今思えば、それは愚策でしかなかった。
日に日に後悔の念は増し、彼女が他の男と婚約を結ぶことを考えると、その男を捻り潰したくなった。
とはいえ、冷静に考えれば考えるほど、婚約破棄をしたのは自分だという手前、今更彼女と会っても何を話せばいいのか。そもそも、自分にはもう彼女に会う資格などないという現実を突きつけられる。
この前だって、仮面舞踏会で1人だけ輝いていた女性がレティシアだとすぐに分かったし、彼女がどこの馬の骨かも分からぬ男と踊っていたのを見て、嫉妬に狂いそうになってしまった。
あの時は、感情的になってしまったが、よく考えれば、全て自業自得なのだ。
臆病になり、自分も彼女も傷つけるような選択肢を取った自分が悪い。
離れて、私には彼女が必要なのだと、改めて痛感した。
2人目は、アニエス・アンジェだ。
彼女は母の友人の娘であり、最近文通を始めた女性だ。
最近、彼女は大好きだった婚約者に婚約破棄されたらしい。最初はレティシアのことが大好きだった母からの当てつけかと思い、適当にあしらおうと思ったが、趣味嗜好が合い、つい会話が弾み、今でも文通が続いている。
自業自得とはいえ、レティシアを失い、ぽっかりと穴が空いた心を埋めてくれたのは彼女だった。
仮面舞踏会の時、レティシアに会い、動揺した私は思わず感情的になり、アニエスに愚痴をこぼし、連絡が来なくなった時は本当に焦った。
何度も手紙を送るのは、催促のようで失礼だとは思ったが、送らずにはいられなかった。
私にとって、アニエスは想像以上に大切になっていたのかもしれない。
婚約破棄を言い放った相手であるレティシアと、会ったこともない文通相手のアニエス。
最近の私は、彼女達のことで頭がいっぱいだ。自分は一体何がしたいんだろうな。
独りで悩んでいると、部屋の扉がノックされた。入室の許可をすると、姉のセシリアが会わせたい人がいると言って、男と一緒に入室した。
その男はクレマン・アンジェという男だった。
最近、ディアモン国のファッション業界で絶対的地位を築き上げ、一躍有名となったアンジェ・テイラーの代表取締役でもあり、アンジェ男爵の一人息子だそうだ。
アンジェ・テイラーの商品が気に入った母と姉はアンジェ・テイラーをグルナ国の王室御用達ブランドにするそうだ。
今回はその契約で訪れており、挨拶をしにきたらしい。
私は社交辞令を済ませて、執務に戻ろうとしたが、姉の言葉で、その考えは打ち消された。
「アンジェ・テイラーはアングラード家が融資をしていて、彼は貴方の文通相手のアニエス様のお兄様に当たる方よ。とても貴方にご縁のある方だから、丁重におもてなししてね」
私が思わず驚いた顔をして、クレマンの方を見ると、クレマンは悪戯めいた表情でお見知り置きを、と言った。
私は直感で思った。
コイツとは分かり合えないな、と。
〜クレマンの独白〜
俺はクレマン・アンジェ。商人上がりの男爵家の一人息子だ。
祖父は一流の仕立て屋だった。
アンジェ・テイラーとして、店を構えた後、ディアモン国の国王に気に入られ、王室御用達ブランドになり、爵位まで与えられた凄い人だ。
しかし、祖父が亡くなり、日々の大量注文に応じていた両親は過労で倒れた。
さらに、国王が変わり、国王の嗜好が変わったことにより、王室ブランドを外され、1番の得意先を失ったアンジェ男爵テイラーの業績は右肩下がりの一途を辿った。
幼かった俺は、大好きな祖父と両親の努力の結晶が脆く崩れていくのを、ただ黙って見ることしか出来なかった。
それが凄く辛く、俺は働ける歳になってからすぐに、店の手伝いだけではなく、便利屋としてあらゆる技能を身につけた。
そうすれば、祖父の伝統的意志を守りつつ、別の角度からアンジェ・テイラーを立て直す兆しを見つけられると思った。
しかし、俺の努力も虚しく、試行錯誤をして数年経っても、持続性のある業績回復は見込めなかった。
俺は自分の無力さを噛み締めていた。
そんなある日のこと、縁もゆかりもないグルナ国から仮面舞踏会への招待状が来た。
何かの罠か、それともアンジェ・テイラーの良さを認めて招待をしたのか。
何はともあれ、行ってみなければ分からない。
そう思った俺は両親の代わりに参加をした。
早めに会場に着いた俺は名前を告げると、何故か別室に案内された。
案内された応接間にいたのは、グルナ国の王妃と王女だった。
俺はマナーを意識しながら、彼女達の応対をした。
俺をはるばる遠国のグルナ国まで呼び寄せたのは、便利屋として俺に依頼があったからだ。
その依頼は、レティシア・アングラード及びアニエス・アンジェの助けをすることだった。
どうやら、レティシア・アングラードという令嬢は、架空の存在を作り、婚約破棄されたグルナ国第2王子のクリストファー・ウィルソンと文通をしているらしい。
だから、アニエス・アンジェの存在に信憑性を持たせるべく、一役買って欲しいとのこと。
余程、この2人は令嬢と王子の縁を戻したいのだろう。
最近の貴族というのは変わっているものだ。
その時の俺は他人事のようにそう思っていた。
頑張り次第では、アンジェ・テイラーの支援することを条件にされ、俺は二つ返事で引き受けた。
会場に戻り、コネ作りの為、様々な人と話していた時、1組の険悪なムードになっている男女が目に留まった。
女の方は先程、王妃と王女が言っていたレティシアの特徴そっくりだった。
背丈、髪色、好みのドレスの色…
俺は一か八かの勝負で男の方に声をかけた。
やはり、こいつがクリストファー・ウィルソンだ。
俺は適当に社交辞令を述べて、彼女を王子から解放させた。
こんな険悪な雰囲気になるなら、別れて正解じゃないか?
俺はそんなことを思いながら、女の様子が心配になり、女が向かったであろうバルコニーに向かった。
女はバルコニーに佇み、ひっそりと涙を流していた。そんな彼女があまりにも寂しい背中をしていたから、俺は思わず彼女にハンカチを差し出していた。
すると、彼女は不思議そうな顔をしたので、警戒心を解くために、敢えて自己紹介をした。
自己紹介をすると、仮面越しでも彼女が驚いているのがよく分かった。
復唱するくらいだから、余程驚いたんだろうな。
この令嬢は遠い国の同姓の男爵家を探すほど、王妃と王女に愛されている。
興味本位で近づいた俺の気持ちを知ってから知らずか、彼女からもアニエスの兄として振舞って欲しいと依頼された。
彼女の一途な想いは、両親が大恋愛の末、結ばれた馴れ初めを思い出して、胸を打たれた俺は了承してしまった。
まぁ、その分報酬は弾んでくれるみたいだから、バレなければいいか。
しかし、この令嬢は俺の想像を上回ることをした。
彼女はアンジェ・テイラーに融資をするだけではなく、俺が何年も試行錯誤しても改善できなかった業績を回復させ、あっという間に復興させてしまったのだ。
正直、所詮俺は、名ばかりの経営者でしかないのだと、自信を無くしてしまったが、彼女には心から感謝した。
すると、彼女は俺の努力があったから、ここまで辿り着けたんだと言ってくれた。
ここまで、長い道のりを思い出した俺は初めて人前で泣いてしまった。
そして、それを優しく抱きしめ、慰めてくれた彼女に密かに恋をしてしまったんだ。
だからか、俺は思わず第2王子に言ってしまったんだ。
「伯爵令嬢、レティシア様には大変お世話になっています。彼女は本当に投資家としても、経営指導者としても、女性としても魅力的な人ですね」
俺がそう告げると、王子は眉を顰めた。
俺と王妃達及び彼女の契約は、あくまで文通相手の存在を裏付ける立ち回りをするだけだ。
王子と彼女の仲を取り持つのは、契約外のことだ。
拗らせているうちに、奪っちゃいますよ?
王子様。
暫くして、クリストファーからアニエスの兄に会ったと連絡が来た。
私は驚いて、思わず文章を二度見してしまった。
あれから数ヶ月。
潮時だと思っていたのにも関わらず、彼との文通はズルズルと続いている。
しかも、最近はアニエスのプライベートについても執拗に尋ねてくるから、上手く躱すのに、一苦労している。
アニエスとクリストファーの親密度が上がるにつれて、私の罪悪感は増すばかりだ。
一方で、アンジェ・テイラーの業績は安定しており、グルナ国だけでなく、再びディアモン国の王室御用達ブランドとなり、最近では、新たに工場を建設する話も出てきている。
その影響か、クレマンとは月一回のペースで会っている。
アンジェ・テイラーの経営指導をしながら、令嬢としての社交界参加や勉学も怠らずに行なっている為、なかなか休みが取れない。
やっと珍しく1日休みが取れた時には、私の16歳の誕生日まで、あと数日になっていた。
本来は私の16歳の誕生日で、クリストファーと結婚をするはずだったが、今や結婚の気配はない。
珍しく取れた休日はカミーユとセシリアにアフタヌーンティーへお呼ばれしている。
王宮に着くと、私を迎えたのは、なんとクリストファーだった。
私は戸惑いながらも、王子の手を取り、階段を上る。
久しぶりに見るクリストファーの背中にノスタルジーを覚えながら、中庭に辿り着く。
離れる時に、クリストファーは何か言いたげな表情を見せた。
私は首を傾げると、クリストファーは間を置いて、尋ねた。
「…最近はどうですか」
私はその質問を、アンジェ・テイラーのことだと判断した。
順調です、と答えると、クリストファーは複雑そうな顔をして、そうか、と短く呟き、その場を離れた。
中庭に入ると、アンジェ・テイラーの新作を身に纏ったカミーユとセシリアが出迎えてくれた。
紅茶やお菓子をいただきながら、アンジェ・テイラーや最近の他愛もない話をした後、2人はそわそわとした表情で尋ねてきた。
「それで、例の文通はどうなっているの?」
興味津々に尋ねる2人に私は答えた。
「それが…やめようと思っていて」
私がそう告げるとカミーユとセシリアはとても寂しそうな顔をした。
それでも、惰性でクリストファーと偽りの身分を使って文通をするのは違うと思った。
前から薄々感じていたのだ。
もう潮時だということを。
クリストファーを愛しているからといっても、このまま彼を追い続けても、きっとお互いが傷つくだけだ。
何の解決にもならないし、事態は一向に悪化するだけだろう。
私の意志が固まっていると感じた2人は反対もせず、受け入れてくれた。
そして、今日私はクリストファーに真実を打ち明ける手紙を書くことにした。
十数年間の想いをこの手紙を書き終わったら、断ち切るのだ。
そう思って書いたからだろうか。
午前中から書き始めたはずだが、書き終わった頃には夕暮れになっていた。
アニエス・アンジェとレティシア・アングラードは同一人物であること。
未練が断ち切れず、クリストファーに架空の存在を使って文通を始めたこと。
クリストファーを騙したことの謝罪ともう関わらないという誓いを立てた文を書いた。
いつもはメイドに頼むけれど、今回は自分で投函しに行った。きっと、普通のポストで王宮に届けるには、いつもより相当な時間がかかると思うけれど、私はそうしなければいけないと思った。
私は雨の中、濡れないように手紙を投函した。
ポストに投函した音は、やけに耳に残った。
これで、終わり。
そう思った瞬間、私の目から溢れんばかりの涙が零れ落ち、私は膝から崩れ落ちた。
身体は雨でびしょ濡れだった。
そのせいで、数日間風邪で寝込んでしまった。
風邪で寝込んでいた時、私は今まで思い出さなかった前世の記憶が蘇っていた。
思えば、クリストファーと出会ったことで蘇った思い出はとても断片的なもので、私は何歳で亡くなったのか、など詳しい記憶は思い出せてなかった。
ゲームの世界に転生した衝撃で、あまり違和感を感じていなかったが、私は前世の自分のことをあまり分かっていない。
そして、蘇った記憶の殆どにいた幼なじみの存在を思い出した。
辛い時も楽しい時もいつもそばに居てくれた幼なじみ。
私は彼にだいぶ助けられていた。
彼は今どうしているのだろうか。
彼に会いたい。叶いもしない恋に身を焦がし、ボロボロになった私を勇気付けて欲しい。
そんなワガママがもう二度と叶うことがないと分かっている私はさらに悲しみに暮れたのだった。
失恋や新たな記憶を取り戻すなど、精神的ダメージが大きかった私が持ち直したのは1ヶ月かかってしまった。
しかし、私の苦悩はこれでは終わらなかった。
やっと持ち直した矢先に送られてきたクリストファーからの手紙。
宛名は連名でレティシアとアニエス宛と書かれていた。
未練が出ると読まずにこっそり捨てようと思っていたのに、私はその宛名を見て、思わず中身を確認してしまった。
クリストファーは私の手紙を読んで、何と返したのか気になってしまったからだ。
親愛なる アニエス・アンジェ様、改めレティシア・アングラード様
レティシア、君を悲しませ、こんなことまでさせてしまうほど、悩ましてしまった私の愚行を謝罪させてほしい。本当に申し訳なかった。
私が婚約破棄を言い渡したのは、君を狂おしいほどに、愛していたからだ。
このまま、君が私の側に居たら、私は君をいつか壊してしまう、そう思って、あんな短絡的な行動を起こしてしまった。
今思えば、稚拙な考えだった。
私の問題を君に押し付けてしまっていたんだ。
こんなこと、今更気づいても遅いのは分かっている。ただ、君と誤解が生じたまま、離れたくなかったんだ。
すぐに、よりを戻そうなんて言っても、また君に無理をさせてしまう。
だから、私は君を幸せにできるような男になってみようと思う。
それまでに君は他に良い男を見つけてしまうかもしれない。
それでも、私は変わることを決意したんだ。
君は魅力的な人だから、また君と添い遂げるより前に、私よりも良い男を見つけてしまうかもしれない。
ただ、この愚かな僕の決意を君に聞いてもらいたくて、連絡した。
私はいつだって君のことを想っている。
それだけは忘れないでくれ。
君の幸せを願って。
クリストファーより。
それを読み終わった時、私は涙が出た。
ずっと、クリストファーから待っていた「愛している」の言葉。その五つの文字を見た瞬間、私の涙腺は崩壊した。
嬉しさでも悲しさでも悔しさでもない、表現しがたい感情が込み上げてきたのだ。
「本当に…馬鹿だわ…」
子供っぽくて、一方的なクリストファーも、そんな彼に未練のある私も。
今の私達では、お互いが成長出来ない。
そう思った私は二度と書くことがないと思っていたクリストファーへの手紙を書き綴ることにしたのだ。
婚約者ではなく、今度は友人として。
数日後。
私はアンジェ・テイラーの新規プロジェクトの話し合いで、ディアモン国を訪れていた。
「そういえば、ついにクリストファー様と別れたんだってな」
ミーティングが終わり、クレマンが淹れてくれた紅茶を飲んでいると、不意にクレマンが話題を振った。
思わず、紅茶を吹き出しそうになり、堪えて、噎せてしまった。
クレマンは、悪い、とちっとも悪びれた顔をせずに詫びた。
そういえば、私はあんなにクレマンに迷惑をかけたのに、お礼の一言も言っていなかった。
私はクレマンに向き直り、深くお辞儀をする。
「彼に真実を打ち明けた手紙を書いたわ。だから、もう貴方に嘘を吐いてもらう必要もないわ。今まで私のワガママに付き合ってくれて、ありがとう」
そう告げると、クレマンは軽く私の肩を叩いた。
「顔を上げてよ、レティシア…もうクリストファーのことはいいのか?」
クリストファーという言葉に思わず涙が溢れそうになる。
だが、クレマンに心配をかけたくない私はぐっと涙を堪えて、頷いた。
「全然良くなさそうじゃないか…しょうがないな、仮初めのお兄さんが可愛い妹を慰めてやる!」
そう言うと、クレマンは私の髪の毛をぐしゃぐしゃにするような頭の撫で方をした。
「もう!髪がぐしゃぐしゃになったじゃない」
ごめんな、と無邪気に笑うクレマンにつられて、思わず私も笑顔になってしまう。
「ありがとう…ずっとクリストファーを追ってきたから、まだ心の整理がついていないのが本音。だけれど、私がこうやって決心出来たのは、貴方のお陰でもあるのよ、クレマン」
そう言うと、クレマンは思い当たる節が無いようで、首を傾げた。
「きっかけはクリストファーに近づく為だったけれど、貴方と出会って、アンジェ・テイラーの復興の手伝いが出来て、初めてクリストファーと過ごす以外に楽しい時間を過ごせたの」
だから、これからもたまにアンジェ・テイラーを手伝わせてくれないか、とお願いをする前に私はクレマンに抱き締められた。
急な出来事に私の頭は思わずフリーズしてしまう。ただ、服越しに、じんわりと彼の熱が伝わり、これが現実なのだと実感した。
「クリストファーを忘れる為でもいい…俺と付き合わないか?」
耳元で囁かれ、私は思わずドキッとしてしまう。私は声にならない声を上げる。
戸惑う私からゆっくり身を離したクレマンは今まで見たことのない真剣な表情で私を見ていた。
「冗談じゃないよ。身分も俺の方が下だし、レティシアが居なければ復興も出来ないくらい商才も君より劣ってる俺だけど、レティシアのこと幸せにしてみせる」
私の髪を一房取り、そっと口づけをした。
髪からは唇の感触なんて、伝わるはずないのに、顔が熱くなる。
私がキャパオーバーしたのを感じたのか、クレマンは苦笑いし、解放してくれた。
「クレマンの気持ちは嬉しい…きっと、貴方と一緒だったら幸せになれると思うけれど、もう少し時間が欲しい」
私がありのままの気持ちを伝えると、クレマンは優しく微笑んで、先程とは違い、優しい手付きで、私の頭を撫でた。
「勿論だよ、レティシア。待ってるから」
私は、そんなクレマンに思わずドキッとしてしまった。
クリストファー以外の男性にときめくなんて、と自分の気持ちに動揺を隠せない。
失恋したと思っていたクリストファーの想いを知って、ビジネスパートナーだと思っていたクレマンからの告白に、私は思わず気が遠くなる。
原作のシナリオが終わる頃、悪役令嬢のレティシア・アングラードは予測不能なルートに向かっていた。
果たして、レティシアの未来は如何に。
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