【第1話】Night Down
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────西暦2037年。
人類が初めて宇宙に降り立ち、早半世紀……
地球環境の極端な悪化、埋蔵資源の枯渇。
化石燃料などが次々と姿を消す一方で、際限なく増加する世界人口。
疲弊した諸国は互いに手を取り合い、国際連合、地球連合を経て超巨大国家『地球連邦国』を設立。
増え過ぎた人類の居を月へ、宇宙居住施設『コンティネント』へと移していく。
月で、地球で、コンティネントで。
人類はこれまで経験したことのない未開の“大地”において、新たな「生」を切り開いていくこととなる。
…………やがて環境の違いが軋轢を生み、永遠の戦火となる事など知りもせずに。
時は流れ、西暦2208年。
13基存在する内の最も新しいコンティネント『レムリア』…………
────その中枢たる都市の暗夜を、一つの『影』が飛翔する。
飛翔……というよりは自由落下に近いそれは、ただ黙然と風を斬り裂き、音も無く夜空を駆け抜けていく。
影の名は『ブレイド』。
頭から足の先まで厚い装甲を"身に纏っており"、ヘッドギアに残された僅かなバイザーから、その乾いた蒼い双眼が覗くのみである。
その眼からは、降下に対する恐怖などは全く窺えない。
しかしそれは経験からなる余裕でも、肝の座った性分から生じたであろうものでもない。
ただ単に、何も感じてはいない。そういった印象を、彼を見た者に抱かせるだろう。
それはそうだ。まず第一に、彼は人間ではないのだから。
正確にいえば、「半分は人間であり、半分は機械」……などと言った方が聞こえは良いかもしれないが。
レムリア製次世代型人造人間……それが彼の正式名称なのだから。
旧来の人造人間とは一線を画す“ネクスロイド”と雖も、機械である事には何ら変わりはなく……特に外見などは「個」を表す証明にはならない。用途・任務・環境によって、外装は換装されるからだ。故にネクスロイドは、自身の風貌などに執着しない。
自らを示すは内部機構に刻まれた型式番号と、鋼の身体に与えられた唯一の名である「ブレイド」という単語のみだからだ。
……依然として垂直降下を続けるブレイド。
落下速度など構いもせず、自らの思考回路を経由して全領域対応装甲の複合補助システムを起動させた。
起動信号を受け取るや否や、ヴンと小気味の良い音が木霊する。
システムは脳内の思考回路に絡み付き、情報処理を始めとしたありとあらゆる機能を拡張していく。
降下中のブレイドの意識は、途端に情報の海へとトリップした。
System Start up………… Please Wait…………
System Start up………… Please Wait…………
System Start up………… Please Wait…………
止めどない数式の羅列。
全ての法則の始祖にして原点。
押し寄せる原初の荒波は、容赦無くブレイドを飲み込んでいく。
溺れる──といった感覚に、ブレイドは突如として襲われた。
沈む。沈んでいく。
身体は鉛のように重く、捥がく事すらままならない。
……しかし不思議と恐怖は感じなかった。
ブレイドはただ仰ぐように、ゆっくりと辺りを見回す。
一面の計算式。それだけが視界に映った。
縦横無尽に数は駆け、式は今も尚描きたくられていく。
心地良かった。
ただ、ひたすらに。
幾つもの数式と定理の果てに、ネクスロイドの思考回路は鼓動を重ねて続けている。
人造人間であるブレイドにとって、数とは母だった。
────いつまでも揺り籠で……という訳にはいかないか。
ブレイドはそう小さく呟くと、頭上に現れた『光』に向け、手を伸ばした。
触れた、と思えば光は解け、散らばった数多の数式と複雑に交差を繰り返す。
やがて生き物のように蠢くそれは、“ある物”を形造った所で鳴りを潜めた。
Simulation Start.
宇宙連邦国家レムリア首都、セイクリッド・シティ。
先程見た聖都の暗夜が、全く同じ位置から見えていた。それはまるで、ブレイドの身体がポカンと宙に浮いたような感覚である。
(嗚呼……なるほどどうして素晴らしい再現だ)
実際には紛い物に過ぎない仮想世界だが、ブレイドはこの世界に感嘆を覚えていた。
ただその対象は綿密に再現された摩天楼でも、まるで本物のように動く人間でも無い。
────人、機械、建造物に至って、其れらは唯の一色にのみ染まっていた。
白。
白。
一面の白。
透き通る事も無ければ穢れもなき純白。
黒く染まった暗夜すら忘れさせる、生気の無い“白”。
夜道を歩く人影も。街道を往く車両の群れも。
生命の無い……淡きモノクロ。
人々の笑み。人々の涙。人々の苦悶。
人間特有の感情であるそれらさえ、規則に則った機械的な動きを感じさせる。
そんな乏しいキャンバス上に、揺れる光点が唯一つ……人の営みなど微塵も感じない、旧市街の狭い路地裏に。
今も尚鼓動するそれは、実に色彩に溢れている。
情熱。忠誠。正義感。
そして僅かながらの憎悪を滲ませ。
この世界の人間とは違った『色』を、その者は放ち続けていた。
だから。だからこそ。
こ れ は こ の 世 界 に 不 要 な 色 だ
思考回路を介す間も無く、言の葉は機械の喉を飛び出していた。
その透き通った声色は、どこか青年のようだが……やはり人間味は感じられない。
System Completed.
Moving on to the next stage.
彼が視た世界は急速に崩れ始め、視界にはやがて“現実”が映り始める。
平穏と安定に包まれた、変化の望まぬ聖都の夜が。
対象を視認した事により、システムが自動的にシャットダウンされたのだろう。
ブレイドは改めて高度を確認したが、あれを視る前とそう変わりはない。
意識の中では実に長い時間だったが、現実世界では瞬きのような合間だったようだ。
ふと自身の腕を見てみると、右腕部装甲に取り付けられたロケット・ランチャーを目標へ向け構えている。
腕を上げた覚えが無い事も踏まえると、実質ブレイドは無意識のうちにそれを行なっていたようだ。
果たして感情がそうさせたのか。
複合補助システムによる干渉なのか。
……例えどちらであったにせよ、ブレイドにはどうでもよかった。
御誂え向きにも、既に照準は定められている。
後はコンティネントに働く重力の誤差を修正するのみだ。
────ゴトンッ。
回路越しから数値の入力を終えると、ランチャーの振動から安全装置の解除を確認した。
ブレイドはゆっくりとサイトを動かし、発射態勢を整えていく。
《Lock-on》
《標的視認》
発せられた電子音声と共に、ターゲットに対しての自動追尾機構が起動する。
追跡精度はかなり高度なものではあるが、向こうも脳無しの機械歩兵ではない。人間だ。
サーモカメラは遠距離越しでも確かに「熱」を示しており、人造人間や機械歩兵のそれとは違う事が見て取れる。
「コース修正。『ルートS-05』から『ルートS-09』へ修正を」
《Roger》
《了承》
人間による“読み”を考慮し、ブレイドは早急に対策を講じる。
要は、少し“人為的”に細工を施したのだ。
本来人間であれば手動での緻密な操作が不可欠ではあるが、“装甲”と一体化したネクスロイドの手にかかれば、ただ己の“イメージ”を回路上に思い浮かべるだけでよい。
一度回路に乗せてさえしまえば、その想像が疑似神経を駆け巡り、装置に直接流れ込んでいく。
機械音声からコンマ一秒程にして、コース変更は確定された。
後は矢を放つだけ。
ブレイドは脳内の撃鉄を起こし、右腕のトリガーを静かに引いた。
「地球へ還れ、糞野郎が」
空を駆ける一筋の光。
放たれた矢は紅の尾を引き、徐々に軌道は『蛇』を描き始める。
先に見えるは巨体の男。
男は避ける素振りすら見せず……擲弾は身体に吸い込まれていった。
──────直撃。
弾頭から漏れ出た爆風と閃光の後、辺りを覆うは大輪の業火。
焔は華開く蕾の如く咲き誇り、熱風でひしゃげた廃屋をも巻き込んでいく。
『……ったく、なんの前置きもなくこんなもんブチ込みやがってからに……』
姿なき声。
ヘッドギアのバイザー兼モニターには「Curtiss」と書かれた発信元と、低く揺れた音声波長が表示された。
青年のようなブレイドの声色とは異なる、抑えの効いた漢の声だが……元を辿れば、彼もブレイドと同じ。この世に132機のみ現存する、“初期生産型ネクスロイド”。通称“初期型”のうちの一機である。
周辺被害を憂慮する隊長とは相反し、隊員は火災など気にも止めない。
『文字通りの火消しを、消防局の野郎に手配するこっちの身にもなりやがれ……常人とは違って炎熱で死ぬ事は無いにしろ、お前の損傷で技術部の奴等に俺がドヤされるのは良い加減わかっているだろう……?』
「責任を取るのが隊長の役割なのでは?それに自分達“初期型”に課せられた使命は、五体満足に帰還する事じゃない。人間や、今までの人造人間では性能的・身体的に不可能だった……高度な目的を達成する為に存在するはず」
“地球系テロリストの完全なる殲滅”……この崇高なる目標を達する為であるのならば、自分は喜んでこの命を差し出そう……
……そうブレイドが豪語してみせても、ホログラム上に浮かぶあの渋顔は、決して冴えた表情にはならなかった。
『ブレイド…………特殊弾頭を持ち出したのも、実質命令違反のうちに入るんだぞ? これを所長へ報告する事だって、決してあり得ん話じゃあないし……』
……命令違反。
カーティスはブレイドを抑え込む為に発したのであろうが、理想に燃える彼にとって、それは正に“火に油”であった。
「命令違反? これのどこか命令違反なのか説明を求めるところですが。第一我々、対テロ特殊部隊Eraserに課せられた命令は『速やか且つ確実な危険分子の排除』。浮き出たシミは即座に消し去り、その拡がりを防がねばならない……それならば、より高威力であり高性能である装備に切り替える事など必然です」
『目的の為なら周囲の被害を鑑みないなどというバカがどこに──』
────プツン。
カーティスの説教を聴き終える前に、ブレイドは通信システムを全て切断した。
叱責から逃れる為ではない。万全な状態で着陸に臨む為だ。
……尤もブレイド自身には、考えを改めるつもりなど毛頭なかったが。
《Preparation for landing》
《着陸準備》
上空500m通過を告げるアラート。
高度低下は勿論の事、高温注意のアラートも唸っている。
眼下に見ゆるは一面の大火。幾多の建屋が、柱が……燃えている。
ここ一帯はコンティネント建造時に急造された住居群の一つだが、現在は廃れ、その生活の痕のみが残されていた。
そのうちの廃屋に眠るガス管に引火したのか、中規模の爆発音が絶えず響き渡っていた。
────姿勢制御。
思考回路は指令を発し、身体に張り巡らされた擬似神経を駆けていく。
やがて指令は神経を抜け、装甲へダイレクトに伝播する。
胸部二基、背部四基のスラスターは各々の方向へ向け、青き炎を灯らせていく。
高まる温度。近付く地表。
烈火の穂先は不規則に、天へ向かって生えては枯れる。
そんな炎の蔦を縫い、花弁の舞い散るが如くブレイドは堕ちていく。
未だ火の手の及んでいない、残された僅かな着地点────。
────火の海に浮かぶ小さな孤島へ向け、その脚は下ろされていった。
《Shockabsorber starting》
《衝撃吸収装置 起動》
地面に接するコンマ数秒前、脚部のスプリングを瞬間的に解放。
大腿から脚先に内蔵されたショック・アブソーバが、バネの要領で衝撃を吸収する。
勿論これは、“初期型”固有の強度を基準に考慮された吸収率だ。デチューン・モデルたる後期量産型……基“量産型”や人間等が使用した場合、たちまち“すり身”が出来上がる。
これに痛みは伴わないが、件の装置からは悲鳴に近しい駆動音が響き渡る。
いけ好かない技術部連中には舌打ちしたい気分だったが、今のブレイドは彼らを信じるに他なかった。
着地の際に巻き起こった猛風は、辺りの火炎を一息で縮めていった。
が、次第に何事も無かったように火は蘇り、上へ上へと酸素を求めて伸びていく。
『……ブ……レイド、着陸……の方はどうだ?』
ブツ切りになった不快音混じりの声。
焼け落ちる、という表現に相応しい音の中、ブレイドは自らの隊長の言葉を聞き分ける。どうやら着地の衝撃でロックが外れ、偶然にも回線が開いてしまったようだ。
無論、着地には成功した。
……だが報告したい内容はそんな実験結果よりも、自らが着ている「不良品」へのクレームの方が勝っていた。
「技術部の奴らには言っておいて下さい。“こんな危険な降下は二度と御免だ”と」
心の底から出た苦情だったが、カーティスは無視を決め込んだのか返答しない。
“個人的な理由”でこの装備にしたとはいえ、やはり試験運用役というのは気持ちの良いものではなかった。
現に脚部装甲は滅茶苦茶にひしゃげ、着地が終わっても尚アラートが止まらない。
この惨状を見るや、本装備のコンセプト「降下から無換装での直接戦闘」には程遠い事が容易に理解できた。
だが、技術者は口を揃え「こんな筈ではなかった」とか「計算に狂いはなかったのに」だの何だの抜かす事だろう。ブレイドは内心強く毒付いていた。
現場は。戦場は。
そんな単純な方程式で推し量れはしない。
如何に優れた技術者・科学者が計算しようと、決してその解の通りに事が運ぶとは限らない。
……ブレイドは目前に迫り来る“影”を一目見ると、はっきりとそれを再認識した。
ブレイド自身、弾頭の直撃で事は済むと思っていたので驚きはしたが、テロリスト産の違法改造機種であれば有り得ぬ話ではない……取り敢えずはそう仮定するしかない。
ならば完膚なきまでに滅するまで。たったそれだけである。
何故なら自ら……“Eraser”に課せられた任務は。宇宙連邦国家レムリアに盾突く、諸々の殲滅に他ならないのだから。
「こちらA-203より『司令者』……命令の実行を開始する」
────Download finished.