【第16話】That Man -後編-
────それは僅か、ほんの刹那であった。
ついぞ眼前のその男へと、明確な答えが思い浮かぶ事のなかったブレイドは……
……いや。
答えなど最初から持ち合わせていなかったブレイドは。苦し紛れにも手持ちの拳銃より、三発の銃弾を放ったのだ。
……それは最早。照準すらも定まらぬ、苦痛に満ちた射撃。
故に。確実に男の急所のみを狙い撃つ事も叶わず、取り押さえる筈であった“ブツ”への被弾も構わず。
男の肩に、額に……そして鞄に。次々と着弾させていった。
その行為に“躊躇い”などという要素は、一切湧き上がっては来なかった。
ただ……一刻も早く、目の前に存在するこの“不条理”を。自らの視界より消滅させたかったのだ。
……そういう意味では。
その後に巻き起こった特大の爆発は、ブレイドにとって僥倖であったのかもしれないが。
◇◇◇
ドオォン、などといった実に子供染みた……それでいてありふれた爆発音の後。ブレイドの意識の連続は、暫くの間途切れていたようだ。
ふと目を覚まし、いつの間にか横たわっていた身体を起こすと、周囲には消防局所有の紅い機体……消火用歩行戦車の数機が。両肩に備えたキャノン型放水器を駆使し、ブレイドの目の前にて燃え盛る大火へと、果敢にも立ち向かっている最中であった。
さて。周りの騒めきや響めきなどには、全くもって意に関さず。
ブレイドはその場で大きく深呼吸をする。
然し、これは決して“気持ちを入れ替える”などといった無為な行為ではなく────
────“ブツ”の確保に失敗した代わり。“鞄の中身”を特定する為の、極めて意味の在る動作である。
……コンクリートが焼けた際の、鼻の奥に来る焦げ臭さ。周囲を漂う水蒸気などに、ひたすら邪魔をされはするが。
自らの嗅覚センサーはやはり、あの独特な芳香を頼りとして、ブレイドの当初の予想通りの結果を算出した。
『────“ニトログリセリン”。
食品添加物としても使われるアルコール“グリセリン”の一種にして、旧世より用いられし最もメジャーな爆薬。アルコール特有の酒気はない代わり、仄かに甘い香りを放つのが臭気的な特徴である。
強い爆発性を持つ故、保管方法には最新の注意を払わねばならない程に敏感である……』
……というのが、あくまでブレイドのデータベース上から叩き出された結論だった。
他の適合率の高い項目にも、同じくグリセリン種の物が無数に並んでいる事も間違いは無さそうである。
(危険物を手動で運ばねばならない程に、奴等も疲弊しているのか)
複数にも渡る水の砲撃を受け、断末魔の如き黒煙を上げる元・大火を見つめ。
ぼうっとその場にて佇むブレイド。
残された僅かな灯に照らされたその身は、見事なまでに焦げ付いていた。
……その証左に。
人影にようやっと気が付いたのか、漸くに駆け付けた消防局隊員が、背後よりブレイドへと声を掛けようとしたその時。あっ、といった短い驚嘆の声を思わず漏らしていた。
発せられた声に呼応し、咄嗟に声の方へと振り返るブレイド。
体の向きを転換すると同時に、焼け焦げたコートの内ポケットより取り出した、例の手帳をかざして見せた。
────然し、そこにあったのは恐怖の表情。
いや。Eraserの印が入ったこの手帳を見せつけられ、向こうが顔面蒼白となる事なぞ……特段、珍しい事でも何でもない。
それだけ自分は……人間に対して絶対的な力を行使できる、ネクスロイドという存在は。
生身の人間にとって、畏怖の対象として見られる事などは先刻承知済みであった。
だが、それを込みでも様子がおかしい。
少なくとも……消防局特有の、オレンジ基調の制服を纏ったあの隊員は。力に怯えるなどといった恐怖に由来して、立ち竦んでいるようには見えなかった。
まるで怪奇……幽霊や妖怪の類でも見たような。
そんな印象を抱かせるような、一風変わった佇まいであった。
「……一体どうしたというんだ?」
そう、ブレイドが右腕を動かそうと信号を送った時と。
隊員が恐る恐る顔面右側を指差したのは、ほぼ同じタイミングであった。
────右腕が、ない。
────顔面に於ける人工表皮が、半分ほど剥がれている。
前者は実際に右肩へと視線を送ることで。
後者は隊員の被るメットのバイザーガラスによる反射にて。
ブレイドは初めて……自身が負った数々の損傷を、はっきりと認知したのだった。
◇◇◇
……結局、要らぬ心配を大いに掛けられ。
ブレイドは勝手に呼びつけられた“対機械救命隊”へと、とりあえずその身を委ねる事とした。
他からの頼まれごと、他からの善意。これを容易には断れないというのも、ブレイドの悪い癖……謂わば、“個体的な欠点”である。
そして、消防隊員の通報から程なくして。
真夜中に響くあの音色とは違った、別の意味で聞き覚えのある“サイレン”が。が徐々に此方へと接近し、一台の紅白に彩られた車両が現場にて到着した。
……その後から今の“機械用担架”にブレイドが乗せられるまでは、実に円滑且つ迅速な救命活動であった。
まずは、車両到着と共に救急隊員が下車。速やかに、その特注ストレッチャーと共にブレイドの下へ。
その後は“一二の三”といったお馴染みの掛け声すら無しに、ストレッチャー付属のアームが作動。ブレイドを一気に、担架の上へと固定する……といった流れである。
それもそのはず。
今の御時世においては、人間だけでなく……人造人間でさえも。現場の人の判断で、この“対機械救命隊”を要請する事も珍しくはないのである。
これにも少なからず、あの“機械人権思想”が根底に根差している事は、最早言うまでも無いといったところだろうか?
……さて。
アームに担がれ、身を寝かせ。自らの視界をも横たえたブレイド。
ガラガラガラ……といった、如何にもノスタルジック且つ小刻みな振動、音色を感じ取りながらも、その視線の先はやはり────
嘗て、“その男が立っていた地”へと。
寸分違わず……突き刺さっていた。
……そして、次いで思い起こされるは男が遺した言葉の数々。
そんなブレイドの心情に呼応するかのように。自らの記憶回路は、先程にまで記録していた男の声紋にて。かの会話を脳内にて再現し始める。
────何の為に生きてるんだよ、お前……
────お前は狗だ、何処までもが狗に過ぎない……!
────お前さんの言う“正義”や“悪党”ってのは、誰かにとって都合の良い、ただの差別区分だったりしないか?
対してブレイド自身はというと、問いに抗うのが精一杯。クエスチョンに対するアンサーは、どれも的を得ていないと薄い物ばかり。
……終いには。言動での解答など放棄し、ただ有りっ丈を銃弾に込めたのである。
『「…………お前さん、本当に自分の意思で……動いてるのか?」』
同時にフッと、脳内に提示されるは。
あの暗夜にて対峙した人造人間……個体識別名「サンダース」が、戦闘中にてブレイドへ問い掛けたその言葉。恐らく関連検索か何かにでもヒットしたのだろう。
……大火に、夜に、返答。
その時も。ブレイドは銃を放ちこそしなかったが、答えは“無言”であった筈だ。
「自分は何一つ変わっていない」。
それが蓄積されしデータより叩き出された、たった一つの結論である。
いや、ブレイド自身もそれを望んでいた。
変化を来さぬよう、強く意識して行動をしていた。
それに関わらず沸き立った……このなんとも名状しがたき、後悔とも憎悪ともとれぬ“違和感”は一体何か。
己は間違いなく、“任務に忠実に”。今までの様々を処理し、今日まで動作を続けてきたはずなのに。
────遂に爆発での損傷が、思考回路にまで達したのであろうか?
違う。
これはそんな“外的要素”で発生した、不具合の類では断じてない。
声に出して叫ぶという、全くに意味の無い行動を取ろうとする程に。ブレイドは自らの思考回路が導いた要因を、自らで強く否定した。
であれば、これはなんだ?なんなのだ?
全くに答えの出る気配のない、この円周率のように終わりの見えない数式は。
解はどこにある?
紐解く為の公式は?方程式は?定理は?
見えない。見えない、見えない……その全てが、見えないのだ。
““果たして、本当の自分は今。何処にあるのだろうか?””
……この様なこと、時たま思案してしまう。
然し、少なくとも。今この“自分にある要素”では。
この命題に答えを出す事はおろか、“真”であるか。“疑”であるかも判別する事は出来ない。
精々無限小数の如く、どこまでも際限なく彷徨い続けるのが関の山であろう。
そんな最早螺旋に近い、未知の廻廊に囚われながら。
ブレイドはある“たった一つ事”を……唐突に思い浮かべる。
────彼女とであれば。この答えを導けるのでは無いだろうか?
……その時であった。
ストレッチャーが大きく揺れ動き、漸くに救急車両へと収容されたのは。