【第15話】That Man -中編-
行き交う幾百の足音と、落ち行く幾千、幾万の雨粒によって。
それらがアスファルト上にて景気良く弾け、頻りに一つの旋律を奏で続けている。
────然し。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
その……あくまで“規則的な旋律”を。只管に乱す者が唯一人。
人々の流れを掻き分けるように、“その男”は。ただただ聖都のど真ん中にて突き進む。
黒ずんだコートを羽織り、異様な重量感を放つ手提げのバッグを引き摺りながら。
腰には未だ熱の冷めやらぬ、白銀の拳銃が見え隠れ。肩には数発の弾痕と共に、今も滔々と血が溢れ……本当に“如何にも”といった風貌であるが、やはり行き交う人々は、誰一人として気づく事はない。
何故ならこの群勢にとってその男は、ただ進行の妨げとなる“障害物”程度に過ぎないのだから。
「ここまで来れば……追っては来ないだろう……?」
余りに差し迫った状況、そしてそれから来る焦燥が故に。男の心中の呟きなど、もはや当たり前のように外へと漏れ出ていた。
咄嗟に背後を振り返り、その先々までをじっと眺めるも……視界に映るはやはり、人、人、人。雨降る聖都の摩天楼を背景に、止めどない人間の濁流が。ただ悠然と、ただ無情に、粛々と流れて続けているだけである。
「幾ら鬼悪魔のEraserといえども、所詮は秘匿部隊だ……流石に人の目には触れたくなかろうて……」
現状とりあえずの安全に、思わずほっと胸を撫で下ろそうとする男。
然し、その考えはやはり……甘かった。
旋律を乱す、もう一つの足音に気付き。再びに正面へと視線を戻した男だったが……
────バァン、といった炸裂音が聞こえたと思えば。
既に右脚……その膝には穴が空き。二度目の炸裂音が聞こえた後、同様に左膝も穿たれていた。
気付けば周囲の人波は、銃弾を受けた男を起点に。蜘蛛の子を散らすかの如く、一気にサァっと引いていく。
まるでその銃声を耳にしたことで、ようやっとその男の存在を認知したとでもいうように。
こうしてその場に残されたのは、痛みに悶えて地面に這い蹲るその男と……たった一機の“人型”のみとなった。
顔を細かく見るまでもない。やはり男を追って来たのは、先程対面した若年のネクスロイド。
男はそのネクスロイドへと跪く格好となったが、そんな惨めな男の姿を嗤う訳でもない。ただただ無表情で、ただただ無言で……不気味なまでに静かに、男の頭上で佇むのみである。
……そんな静寂に抗うかの如く。
男は矢継ぎ早にも言葉を紡ぐ。どのみちこの体たらくでは、もう武力では十分に抵抗など出来やしないのだから。
満身創痍のその身に残るは、“精神的には負けたくない”……といった。子供のようなプライドのみであった。
「おいおい人造人間さんよぉ……見えない上層部に操られながらも……自分のやりたい事も出来ずに……ヒト殺しとはどういう気分なんだ……?」
男はその軽快な口調とは裏腹に、言葉の随所へ息切れが見える。
それもその筈、右肩・左右の膝を悉く射抜かれると共に、そこから絶えず流血を強いられているが為。既に体内の酸素が不足し出し、喋れば喋る程に苦しくなっているのだ。
言うなれば痩せ我慢……いや、最期の強がりといったところであろうか。
然し、そんな決死の抵抗も虚しく。
あいも変わらず、眼前のネクスロイドはひたすらに無言を貫くのみ。
Eraserの擁する“次世代型”であれば、多少心の通った意思疎通なども出来るはずなのに、である。
……なんとも癪に触る。
破れかぶれな心情も後押ししたのか、次第に男はムキになり、悪戯に口数を増やし始めた。
その行動が、自分の死期を早めている事に気付くこともなく……ただ、ここに捨て置かれるのだけは耐えられない。男はそんな心境に見舞われていたのだ。
「いや……?違うな……自分のやりたい事すら見つけられないものな……?ただ操り人形になっても何も感じない……今の今みたく人を屠っても……なんら感じやしない。一体全体、何の為に生きてるんだよ……お前……」
然し、言葉を吐き出せば吐き出す程に。
嘲りが次第に憐れみへと変わっていっている事に、男も……人造人間もが気が付いた。
それの証拠に、ここに来て初めて。眼前にて立つ人造人間の、表情が微かに揺らいで見えたのだ。
「……違う。断じて、断じてやりたくてやっている訳ではない」
遂に口を開いたネクスロイド。明らかにその顔色が指し示すは、常人が見てもわかる「苦悶」の色であった。
しめた──そう内心にて快哉を叫んだ男であったが、例の如くに時間はもう残されていない。幸い、喋れない程に呼吸は荒くはないが、自らも顔色が悪くなっていることは見ずとも理解していた。
然し、男が返しを発するより早く。目の前の人造人間自身が、その口を開く。
「僕にだって、やりたい事の一つや二つぐらい……ある。望んでこんな任務に就いている訳ではないし、上層部の言いなりになっているつもりは……」
「ほぉ、それなら現実を見てみろ……!お前は狗だ、何処までもが狗に過ぎない……!埋め込まれたチョーカー・システムがある限り……稼働している限りに、お前は正しく司令者の為すがままの……!」
「自分の司令者は上層部じゃない、局長だけだ!それ以前として、僕は狗じゃない。正義の名の下に追従している、ただそれだけだ!貴様のような悪党なぞにとやかく言われる通りなど……!」
……不思議なものである。
言葉を発すれば発する程に、仲間の仇たるあの憎っくきネクスロイドが。
こうも本来の人間らしく……哀しい存在に見えてくるとは。
今の男の心を占めるのは、もう最早構って欲しいなどといった自己満足ではない。また、弾痕から絶えず響く筈の痛みですらない。
究極なまでに純粋な……今前に立つ“独りの青年“に対する、“一人の大人”としての憐れみのみであった。
「……なぁ、少年。お前さんの言う“正義”や“悪党”ってのは……誰かにとって都合の良い、ただの差別区分だったりしないか?」
……その言葉を発して以降、男の意識は唐突に途絶えた。いや、“弾け飛んだ”と言ってもいい。
そして悟った。この銃弾が彼の返答であったのだ、と。