【第12話】灼熱の残滓
摩天楼などとうに消え。人影は軒並み姿を消し。
辺りは“黒く”……様変わりしていく。いや、未だに“焦げ付いている”といった方が早いだろうか。
──────コンティネント・レムリア極東地区。
いつかの暗夜にて、ブレイドとサンダースによる激戦の繰り広げられ……地区の全域に渡って大火に包まれた、言うなれば“生贄”となった一帯である。
その歴史は一国の首都たるセイクリッド・シティより古いが、実態は極低所得者達の居住区域。スラム街とまでは行かないが、この近辺の住居は異様なまでに密集しており……それ故に。火の手が人の手では食い止められなかった。
……火災も火災、大火災である。
昨晩から明け方に掛けて行われていた、レムリア消防局による決死の消火活動の甲斐もなく……その生活の痕跡など殆どは、今や見る影も形もない程に焼失している。
そも、政府もこの土地の民など既に見限っていたのか。この一件での正確な死者数など、頑として報道をしないといった有様であった。
では何故。何の為に、ステラはこんな“終焉の地”を訪れようというのだろうか?
疑問に思ったブレイドは徐に……横目にも、ステラの座する方を垣間見る。
それ以前に“エスコートしろ”などと言われたものの。正確な位置座標も何も、指定されてはいなかった。
ブレイドは前を見据えながらも、本意を悟られぬよう慎重に。
隣の彼女に届くよう、それとなく自然に言の葉を紡ぐ。
「ところで……僕はどこまで君を運べば良い、御客様?」
五秒……十秒……なかなかあちらからの応答は返ってこない。
再度ステラの方へと視線を遣ったが、彼女はただ物憂げに……硝子の外に広がる一面の焼野原を。自らの視線にてなぞるだけであった。
車内に漂うは沈黙のみ。道も焦げ付いたが為に荒れているのか、先程からエレカは小刻みに揺れ続けている。
焦れるブレイドの内心を代弁するかのように、一つ大きな燃え滓を踏み……車体はガタンと大きく縦に揺れる。
そして。車の窓にて寄り掛かっていたステラの態勢が、予期しない振動によって崩された。
……ようやっと、此方の視線に気がついたのか。
気になる彼女の表情はというと、あいも変わらず何かを憂いだままではあったものの。先程に投げ掛けた問いに対しては、細細といった感じで答え始めた。
「この前の火災の火元まで……理由は貴方になら、わかるよね?」
────何故だ?
了承の言葉が出るより先に、新たな疑問符が口から飛び出す。
それを承諾しない訳ではないが、やはり、今更原因となった場所に行ったところで……どうなるのだ、と。
他にも気になる点が一つある。一体全体に何の確信を持ってして、ブレイドに“その理由が判る”などと踏んだのだろうか?
……然し。彼女はただ、ブレイドの横にて微かに笑うのみ。
その真意を計り取るよりも前に、二人を乗せたエレカは目的地へと辿り着いてしまった。
◆◆◆
ステラは真っ先に車から降り、乱雑にも張りたくられた規制線を越え。気が付けばその先の開けた空間にて、ぐっと大きく背伸びをしていた。……それはリラックスしているようにも見えれば、逆に彼女の抱いているであろう”憂い”に対して。最早、自棄になっているようにも見える。
ブレイドも次いで外へ出たはいいが、とてもではないが、そんな事をする気持ちにはなれなかった。
だがしかし……その中でも、口だけは。未だ動くのを止めようとはしない。
「さっきの質問だが──────っ?」
またもや、ブレイドの問いは遮られた。
今回は“物理的な”障害に、だが。
……ステラのその身が唐突にも、ブレイドの身体へと縋り寄って来たのである。
ブレイドはわざわざ感触を確かめるような、それこそ先のMPの如き行動は決して取らないが。
ステラの柔らかくも暖かい……その身体を。計らずとも肌で感じてしまう。
思考回路の稼働が追っつかない中、彼女はブレイドの胸中にて、時々声を擦れさせながらも懇願し始める。
「ごめん……ブレイド、暫くこのままでいて……お願い」
……そうも言われれば、動く訳はない。
いや。そもそもが、動けないのだろうか?
そのうちも彼女の小さな手は、ブレイドの脇腹をなぞって背中へと至り。ようやっと感覚を掴んだかのように、その後ぎゅっと抱きしめる。動けないと思わせるまでに強く、硬く。ステラはブレイドを離さない。
先のように、その息遣いにはまだ嗚咽が混じる事はなかったが……やはり、服を通じて涙を感じる。
彼女の体温がそのまま伝播するかのような、感情を持った温もりの涙だ。
ステラはブレイドに顔を埋めたまま、ようやくにも問いに答え始めた。
「私ね……この前の火災で……」
段々と嗚咽が混じり始める。無理をするな──ただそう背中を摩って、短い言葉を投げる事ぐらいしか。ブレイドの小さな……本当に小さな思考回路には、行動選択肢が提示されなかった。
……灼熱の跡地に、少女と機械。
規制線が張り巡らされた禁足の地で、暫く。
どれくらいの時が流れたかはわからないが、木霊する鴉の喚声と、差し込む橙色の陽光から……辺りは少しずつ。“夜”へと足を踏み入れつつあるという事は理解ができた。
ステラが埋めた顔を上げ、ゆっくりとブレイドにその澄んだ眼差しを傾けていく。
涙の跡が陽の光に照らされ、その中で輝く彼女の笑顔は……まるで夕立ちの雨上がりのようである。
もう先程までの嗚咽はない。ステラは再び、件の問いに答えるつもりなのだろう。
ブレイドにとってその話題は、既にわけない事に成り下がってはいたものの、折角彼女が言おうと言うのだ。聞かないわけにはいかなかった。
「私ね……“おじさん”を一人、亡くしたの。この前の火災で……」
「……親族か?」
「ううん、血は繋がってないけど……育ての親。私、小さい頃に両親居なくなっちゃってさ。十五の頃からずっと……“おじさん”と一緒だった。無駄に馬鹿で、無駄に力持ちで、無駄に丈夫で……でも、ほんのちょっとだけ頼もしくて」
仲が良かったんだな────少し会話を遮るように、ブレイドは言葉を返した。
正直に言うと、ブレイドは本当に気が気で無かった。何故なら、その“おじさん”を……彼女の親代わりを、火焔に呑ませて殺めたのは。他の誰でもない自分自身に相違ないのだから。
……あの時、特殊弾頭など使っていなければ。
否定的な考えがちらと脳裏に過ぎったが、それでは今のブレイドは確実に存在しない……無情にも、自身の思考回路はそれしか結論を見出しはしなかった。
それにあの人造人間……基、テロリストは更なる悪事を企てて。聖都は勿論、レムリア国内その全土へと、何らかの形でまたぞろ混乱を齎すに違いないのだ。
────俺はお嬢の……いや!この地球圏に渦巻く悪夢を終わらせる為に!動いている!
────お前さん、本当に自分の意思で……動いてるのか?
脳裏に思い起こされるは、今は亡き者が遺した言の葉の数々。“言霊”とでも言うのだろうか、ブレイドの思考回路に絡み付いては離れず、今日もまた……絶えずに残響し続けている。
……昨晩を思い返してみれば。あれは本当に排除すべき存在だったのだろうか?
特殊弾頭を用い、街を焼き。そうまでして、殺すだけの意味は────
「……ブレイド?」
怪訝そうに様子を伺うはステラの蒼眼。ブレイドの蒼眼とはまた違った、突けば弾けてしまいそうな……そんな美しくも瑞々しい目だ。
眼の黒きに揺らぐのは、まるで蜃気楼のように佇む一機のネクスロイド。実際問題、その心境はふとした瞬間に消えてしまいそうなような、実態なき虚像に近しかった。
そしてその虚像は。少女の方へとゆらりと動く。
今度は彼女がやったよりも強く、けれど優しく。今一度身を寄せ、抱き締めた。
特に言葉を交わすわけでもない。濃くも短い……ただ無言の抱擁である。
そして程なくして、ブレイドはステラを解き放ち。再び視線を真っ直ぐに合わせて呟いた。
「そろそろ……帰ろうか」
◆◆◆
帰路は特段渋滞などに引っ掛かる事なく、案外すんなりと車は走った。
三十分としないうちに二人のエレカは、目的地である“南東部”に到着する。
「大通りの端に止めてくれればいい」。そう指示されたブレイドは、その言葉のまま、エレカを通りの側にて停車。
ドアを閉める音に気付けば、既に彼女の姿は隣に無く。ブレイドの座する運転席の外にて立っていた。
「今日は……ありがとう、ね」
半分開けたガラス窓越しに。街明かりと混じった夕焼けを背景に……ステラは少し恥ずかしげにも礼を述べた。
ああ、といった曖昧な返事しか出来なかったが、それはブレイドにとっては概ね好意の現れであった。人造人間であるからかなど、その理由は定かではないが……ブレイドは元来、決して人付き合いが得意な個体ではない。
帰りは宿泊先であるという、セイクリッド・シティ郊外の南東地域。郊外でありながらもある程度繁栄した地区だというのは、周囲に煌めくネオン光……又は、絶え間無く流れる人の川から、推して知るべしというものである。
「……何であれば、宿の正面まで送って行ったが」
余程、ブレイドの言葉が意外だったのだろうか。
ステラはそれを聞くや否や、多少面食らったような表情を見せたものの……ブレイドの発した“ぼやき”に対する返事をするまで、そう時間は掛からなかった。
「ううん、大丈夫……車じゃ入れない路地裏の方だから。気持ちだけ受け取っておくね」
「そうか」
《Receiving Message……Receiving Message……》
《メッセージ受信中……メッセージ受信中……》
……名残惜しいが、そろそろお別れの時間のようだ。
自身の抱える、“五年”という短い命の刻限のうち。これ程にも自らの職務を呪う事など、後にも先にもないのだろう……ブレイドは、隊長から届いたメールを自らの回路内にて投影しながらも、今まで味わった事のない奇妙な感覚に包まれていた。
「またいつか、逢えるだろうか?」
「そうね……そう遠くないうちに、きっと」
クスッと此方へ微笑んだと思えば。
ステラはスカートの端を少し摘み上げ、まるでどこかの御嬢様のような挨拶をして……元気良くブレイドの下から駆けていった。彼女の金色の髪が無意識に、どこかそういった印象を与えるのだろう。
もう昼間のように絡まれるんじゃないぞ──そんな拙い捨て台詞も、もう彼女には届かない。
既に視界に姿は無く……ステラは行き交う人混みの中に、まるで幻のように消えていってしまった。
「次はもう少し……優しく話しかけられれば良いな……」
自らの回路へと言い聞かせるように。ブレイドは車で独り、黄昏れながらにそっと呟く。
“そう遠くないうちに”。それが一体いつになるかなど、全くに想像は付かないが。
だが、少なくとも。これからの“人生”とやらにおいての、ささやかな指標にはなりそうだ……ブレイドは自らの胸の内に、仄かな安らぎを感じていたのだった。
《Incoming Call…… Incoming Call……》
《着信……着信……》
────ピッ。
「はい、こちらブレイド……」
然し。現実はどうにも……ブレイドをこの小さな小さな幸福にさえ、浸り続ける事を許さないようである。遂にはメール文だけでなく、直々の呼び出し電話が。ブレイドの脳内へと直接鳴り響く。
勿論これを拒否する権限など、部下であるブレイドには存在しない。すぐさま回路にて受信を選択、自らの視界の只中に、電話の主たるカーティスのホログラムが浮かび上がってくる。
────仕事だ、ブレイド。
「…………了解、隊長。」