【第10話】少女と機人と
「こんな薄汚い通りん中、お嬢ちゃん一人じゃあ心許ないってもんだろぉ?」
「俺達は善意でエスコートしてあげようって言ってんスよ?嬢ちゃん」
男性二人に、少女一人。
反応は全員、青。どうやら人間同士の揉め事のようだ。
あまり認めたくはないものだが、男二人は上から下まできっちりと、レムリア軍警察の正規装備に身を包んでいる。絵に描いたように盛りのついた、“チンピラMP”その物であった。
それらが口にした「お嬢」というワードに、ちらとサンダースの一件が頭を過ぎる。
……が、この雄二匹からあの信念の塊のような感覚は、人間ながらも微塵も感じさせてはくれなかった。
「触らないで!便所の床より汚いような貴方達に、私は興味ありませんから!善意の押し付けは迷惑ですっ」
……半ば声を震わせながらも、必死にその手を払い除けるは金色の髪を持つ少女。
いや、厳密に言うなれば、髪色は“薄黄色”として、ブレイドの思考回路は認識している。
流星を象った二条の髪飾りが印象的だが、未だ幼さが抜け切れていない……身の丈160cm前後の、やや痩せ気味の中背といったところだろうか。年頃の少女としては相応である。
因みに当のブレイドは、これより少し高い程度であり、特段高身長に作られてはいない。
「言わせておけばいい気になりやがって……!」
「兄貴ぃ、もうこの際ヤっちまいましょうよぉ!」
その言葉を感知した瞬間、ブレイドは一気に走り詰めた。
大通りから現場までは軽く30mは離れているが、駆動系の発する僅かな機械音以外、何一つ音も立てずに接近する。
やがて軍警二人の背後へと至ると、腕一本につき一人ずつ。ひょいとその場で掴み上げた。
「な、なんだなんだなんだ!?」
男達は虚空を掻き、慌てふためき必死に捥がくも、ブレイドの人工筋肉はビクともしない。
身体能力で人間に負ける項目など、少なくともネクスロイドには何一つないのだ。
地面からはほんの少しだけ、振動が伝わってきた。
どうやら突然の出来事に、少女は驚愕で腰を抜かし、その場にへたり込んでしまったようだ。男を目前に捉えている為に、その表情は窺い知れないが。
「あ、貴方は……誰……?」
「テメェ、一体何様のつもりだ!?俺達を軍警と知って……」
双方の問い掛けに、同時進行で応えることは出来ない。
残念ながらそういった機能は持ち合わせてはいないからだ。
ブレイドが軍警達を掴むのをやめると、二人は乱雑に硬いコンクリートへと落下した。
「いてててて、オイコラァ!この腕力、さてはネクスロイドだな……どこの差し金だ!?」
未だ反抗するはサングラスのMP。携帯していた自動小銃……ロビンソン・アームズ社謹製“Super CONDOR.25”を構えてみせ、正面切ってブレイドを威嚇する。
見たところ髭は整えられておらず、言うなれば一種の無法地帯。
此奴は最初に拾った会話以降も、頻りに少女へふしだらな誘いを投げ付けていた。
「こ、この紋所が目に入らないっスか!?」
そう言って、胸から取り出した軍警手帳を見せつけるは出っ歯のMP。
背は“サングラス”よりは少し低く、滲み出るその性格から見るに、“サングラス”の舎弟か何かとして行動を共にしているらしかった。
決して、自らの権力を誇示するつもりではないが……
ブレイドはコートの内ポケットから、Eraser特有のおどろおどろしい手帳を。前方の二人の眼前へと提示した。
Earth.Rebel.Assault.Special. Execution.Regiment……Eraserを構成する全ての要素が表紙にて刻印されている為、一目見ただけでも判断が出来る。
組織に関する詳細な情報は、“サイレン”によって削除を受けてはいるものの、軍警や国家警察、消防局でもその存在だけは伝達されている為に、目前の二人もこれを理解することは出来たようだ。
……そして同時に、震え上がった。
「イ、イレイザー……?あのテロリスト特化部隊がなんでこんなっ……!?」
「ど、どうか、ぃ命だけは御助けをっ……!」
二人はその場で膝を折り、必死にブレイドへ赦しを乞い始めた。
まぁ無理もない。本来こんな街中の路地に、Eraser構成員が訪れる事など無いに等しい。
……訪れるとしたら、誰かを抹殺する任務の時ぐらいという物だ。
「職務質問……には見えないが。巡回中とお見受けした」
ここは私が引き継ごう──そうブレイドが発するが早いか、二人は軽く敬礼をした後、一目散に逃げていった。
彼らが大通りの人混みに消えていったのを確認すると、視線はやがて反対側に戻されていく。
少女は未だ、地面に座り込んでいる。
何やら口をパクパクさせ、此方を見つめているも……発した音声は聞き取れなかった。
「軍警察官も、あんな輩ばかりではないのです……どうか、御気を悪くしないでください」
本来人間を敬うのがネクスロイドの常というものだが、流石に先程の蛮行は擁護のしようがない。
彼女当人にしてみれば、その場で望まずにレイプされる危険まで感じていたはずだ。
ブレイドはプリセットされていた“営業スマイル”など使わず、自分の思いつく限りの優しい表情で、自らの手を差し伸べる。
上手く微笑んでいられているかは分からないが、少なくとも“作り物の表情”よりは、よっぽど良いはずだ……それは機械らしからぬ、感情的な結論ではあるが。
少女は恐る恐るに手を伸ばし、やがて……ブレイドの手を掴んで立ち上がった。
「その表情……どこか可笑しい」
余程、作った面持ちが変だったのだろうか。
少女はブレイドの顔を見ると、静かに微笑して見せた。
これが本当の“笑う”という表情なのだろう。
しかしブレイドに湧き上がった感情は、いつものような“感心”ではない。
……恥ずかしながらにこの少女を、回路のどこかで“愛らしい”と認識していた。
少女は半ば木偶と化した、赤面直前のブレイドを見据えると、また少し笑ってこう言った。
「私……ステラ。ステラ・リリーホワイト。ありがとう、優しいネクスロイドさん……」
自らの名を告げた後、ステラという少女は突然、どっと倒れ込むようブレイドへ抱き付いた。
ブレイドの鉄の胸の内……動力炉の鼓動が一気に跳ね上がる。
だか、哀しいかな。
ブレイドにはこれが、“自分の感情が高まっている”とは、やはり認識出来てはいなかった。
緊張の糸が一気に解けたのか、次いで泣き崩れるステラ。
それはそれは怖かったろう。彼女が先程まで置かれていた状況を鑑みるに、抑えていた感情が溢れることなぞ必然だ。
だが。自分は勿論に人間ではないし、女型として作られた訳でもないのだから……その心境の全てをを窺い知る事はきっとできない。ブレイドはそれが、悔しくてならなかった。
そうするうちにもブレイドの服を通って、彼女の涙が。体温が。徐々にブレイドの素肌へと滲んで来る。
「あぁ……あぁ……」
喘ぐように時々小さく嗚咽を漏らし、ブレイドの肩にて泣くステラ。
その身体は微かに揺れ。垂れかかった長い髪が……こちらのコートにて幾度も擦れる。
……泣いている、泣いているのだこの少女は。
ブレイドは大いに戸惑った。
自らに刻まれた数多のデータベースには、これに対応し得る項目がひとつもない。
何をどうしたらいい?どうすれば正解なのだ?
いや、そも答えなど無いのかもしれない。
極限まで高まった己の動力炉が、ただ早鐘のように鳴り続けている。
……きっと彼女も、この音が聞こえているのだろうか。
ブレイドは無意識のうちにステラの背中へと手を伸ばし……不慣れな手付きでその背中を摩ってやった。
「大丈夫。もう、大丈夫だ……」
掛けるべき言葉さえ判らない。また……“ぎこちない”と笑われるかもしれない。
だが、これで笑ってくれるのならば、自分も本望だ。
自らは戦う為に作られた殺戮器官に過ぎず、誇りさえ感じていたブレイドだったが。
この時、この瞬間だけは……自らの生まれを憎んでいた。
……もし、そうでなければ。僕は彼女を癒す術を知っていたのかもしれない。
そう、思ったから。
やがて、その嗚咽が少しずつ取れ始めてきた頃。
ステラはゆっくりと顔を上げ、正面からただ真っ直ぐにブレイドを見つめる。
────蒼眼。
ブレイドと同じ、深みのある蒼が。そこにはあった。
しかしそこには潤いがあり……突けば弾けてしまいそうな、そんな“活力”に満ち溢れていた。
……ステラの口元が少しずつ解け、ブレイドへ向け言葉を紡ぎ出す。
「貴方の……お名前は?」
「……ブレイドだ」