【第9話】昼下がり、聖都の片隅で
『ああ、大丈夫だとも……これが、私の選択だ』
その言葉を最後として、彼からの通信は途絶えてしまった。
通信機から出た言霊は、未だこの狭き道に木霊している。
────彼は本当に……この“国家”に対して、謀反を起こすつもりだ。
これを吹聴したのは他ならぬ自分自身である……それに対する責任と、少なからぬ後悔の念が“少女”を襲ったが、これも“彼”の為である。
聖都がまさに“紅白く”染まった、あの十三日の金曜日。
たった独りの少年を起点に、巻き起こったささやかな叛逆から二年と五ヶ月。
……“彼”を見つけ出して、二年と五ヶ月。
少女自身、その持てる全てを費やして。
それでも足りぬと他人からも借り受け。
来るべき一日それだけに注ぎ込んできた。
……そして昨夜、計画通りにサンダースは死に、命を以てバーンズへとその“呪いのバトン”を渡した。
最初に送り出したのも、最後に行き着くであろう先も少女自身。
だが、もし……もしこれで、どんな形であれ“彼”がこの手に戻ってくるのなら。
少女自身、呪われたって構いやしなかった。
残るは“彼”が本当に、少女自身の知っている“ブレイド”であるか、という疑問。
この最大の不安要素は、彼の身体に触れれば……必ず分かるはずだ。
少女は手首に嵌めている……無骨な銀色のブレスレットに目を遣る。
……大小各部に差異あれど、これはあのバーンズが付けている腕輪と同じ物だ。
その昔、とっくに壊れて……いや、壊してしまった物ではあるが、今となっては少女と彼の、大切な思い出のカタチの一つ。
淡く黄色いその長髪に、添えられた流星の髪飾りと同じように。
────あと少し、あと少しなんだ……
五年ぶりの再会。
そう……彼の命の刻限である“五年”は、とうに過ぎているのに。
なぜ人造人間である彼がまだ生きている原理など、少女は敢えて……考えたくはなかった。
その胸に複雑な心境を抱きながらも、通信機をポケットにしまおうとした──その時だった。
「やぁお嬢ちゃん、こんなところでトランシーバーごっこかい?」
今日も変わらぬ人造の空。聖都の只中……決まって手袋をその手に嵌めた、幾多もの人間が為す奔流の中には機械が一人。
黒いコートに身を包んだそれは、ただ呆然と、外壁越しに薄っすら浮かぶ宇宙を見上げていた。
夜は宇宙が透けて見えるが、昼間の映像は数パターンのバリエーションのみ。
良い意味では安定、裏を返せばなんの面白味もない、偽りの空だ。
今も上空で輝く太陽も、コンティネント外部で採集された僅かな光を、集約して作られた擬似的なものに過ぎない。
天候の変化は殆どない。
予告された雨が定期的に降るだけで、それ以外は常に晴れ。
雪なんてものはあの日以来、一度も実行はされていない。
霙、霰、雹に突風。
これら四つについて、ブレイドは生まれてこの方経験が一切ない。雷に至っては辛うじて、数回試験的に行われた程度である。
少し目線を上に傾けた先には、ビルの外壁に据えられた街頭モニターが。トピックスでは昨日の火災……基、放火事件に関するニュースや、最早聞き慣れた内容ではあるが、軍で発生している“輸送船団連続失踪事件”についてなどが、頻りに報じられている。
モニターの横隅には決まって天気予報ならぬ“天気予告”が表示されているものの、やはり天候は規則的。目立った変化は見られなかった。
……そんな“約束された好天”の下で始まるは、突如割り当てられた半日の休暇。
擬似太陽がブレイドから見て丁度真上に位置している事からも分かる通り、時刻はだいたい昼時に差し掛かっている、
勿論、この休暇は望んで申請した訳ではない。バーンズから取るよう懇願されたのだ。
気になるその理由はというと、“極端に休みが少ないから”……本当にたったそれだけである。
ブレイドは大きく溜息を吐き、その諸々を呪った。
が、バーンズに怒っても仕方がない。怒りの矛先を向けるならば、あの憎っくき“機械人権思想”である。
……“機械人権思想”。昨今の世間に浸透しつつある、出所不明の新たな事の考え方。
これはあくまで“自律機械に関する思想”の総称であり、内実は極めて多種多様。
“意識のある機械に対して、残虐な行為を行わせるのは如何な物か”。“余りにも多用に酷使し過ぎてはないか“……などの初歩的な良心に基づくものから、“意識ある機械にも参政権を与えるのは当然だ”という前衛的なものまで。
……まぁ後者に至っては、“意識など製造元に左右されるのでは”……という尤もな意見が殺到した為に、現在は下火になりつつあるが。
然し、自律機械の代表格たるネクスロイド、ブレイドに言わせてみれば、こんなものは枷にしかならない。
何故なら意識があろうと無かろうと、機械はただ、与えられた目標を達成する為の道具に過ぎないからだ。
それをやれ可哀想だ?やれ非人道だ?冗談ではない。人間にやらせればそうも批判が起こるから、自分達機械が責任を持って、事の対処に当たる……この行為は機械にとって、一種の誇りと捉えてもらっても相違はない。
その“誇り”と感じている行い自体に、今更難癖をつけられては事が立ち行かない……というものだ。
つまるところ、このままではブレイドがまともな休暇を取らないが為に、バーンズ自身が狂気の思想論者と化した部下に弾圧されかねないので、どうか休んでくれ……という訳である。
……馬鹿馬鹿しいにも程がある。人間といえど、同じEraserの一職員であるならば、機械達の役割などとうに理解し切っているだろうに。
まず第一に、そんないきなり“休みを取れ”などと言われても、俗世に疎いブレイドには、行きたい場所など一つも思い浮かびやしなかった。
……先程から右へ左へ、通りかかる者達の肩が当たる。
それもそうだ。混雑極める聖都の大通りで、ただぼうっと突っ立っているのだから、ぶつからない筈はない。
が、通りかかった人々、迫りくる人々は、呆然と立ち尽くすブレイドを誰一人として見向きはしない。
何をやっているのだろう、何かあったんだろう……と、気に留める事すらもない。
余程自分に忙しいのだろう。他人など気にかけている余裕は、彼らにはないのかもしれない。
果たしてこれが“サーバー”の影響よる機械的な物なのか、それとも人間として当然の反応なのか。
機械であるブレイドには分からない。
……いや、ただ分かりたくないのかもしれないが。
そんな社会の冷たい姿勢に、ブレイドは一抹の寂しさを覚えながらも、取り敢えず大通りからは逸れよう……それだけを心に決めた。
……そんな時である。
────ちょっと、離してください、離して!
雑音入り乱れる人混みの渦中。
“初期型”譲りの過敏な多目的センサーは、確かにその“声“を捉えた。
……年齢は大方十七程。
ブレイドが言えた質ではないが、年端のいかない少女の声。
その周りには三十前後の男声が二種類、少女へ執拗に絡みついているよう響いてきた。
どの声も僅かな反響が確認できた事から、恐らく場所は大通りに繋がる、狭く小さな脇道だろうか。
(誘拐の線もある……か?)
事実、昨今のレムリア国内では、詳細不明の失踪が相次いでいる。それは自ら警察勤務時代にて、この肌で感じてきたものの一つであった。
元・警官のカン……とでも言うのだろうか。
即座に決断したブレイドは、人の流れを突っ切りながらも、叫びのする方へと走り出した。
然し、その声に近づけど近づけど……周囲の流れに変わりはない。
ここまでくれば、人間の聴力であっても聞こえるはずなのに。
ブレイドはその怒りを噛み殺し、最後の人だかりの濁流を潜り抜けたのだった。




