【第7話】Coffee Break
ツイン・ポリスビルより直下1.5km地点にて……
直通エレベータの出口。その先は司令部へと通ずる、ガラス張りの細い直線通路にて扉は開かれた。
靴先が床の白きに触れる度、奏でられた響きは小気味良く木霊していく。
現状ブレイド以外には人も機械も往来しておらず、音を遮る物もありはしない。
ブレイドから見て向かって右、司令部からは北東部に位置する場所には、AFなど多数の兵装が保管されている第二兵器庫が。
左側、南西部にあたる方面には、国家警察本部の裏手に繋がる、専用の大型運搬エレベータが。
運搬を執り行う作業用の歩行戦車や、演習に励むAFなどは散見するものの、特段いつもと変わらぬ風景である。
──────何故ならここはEraser本部。
世間一般には存在しないモノでありながら、その“質”は正規軍をも上回るといわれた隠密特殊部隊……
「本部」といえど、実態は「本部“基地”」なのだから、たとえAFが闊歩しようが歩行戦車が動き回ろうが、何ら不自然なことではない。
ブレイドは何と無く、後方……南東部に存在する“未開発地帯”の様子を遠目に見据えながらも、やはりただ通路を進むしかなかった。
……起床してからというもの、あのヒヨコメモの他。ブレイドのHUDにも伝言があった。
宛先は局長。内容は至極簡潔。
「本日昼までに、司令部まで顔を出しに来るように」……たったこれだけである。
やはり特殊弾頭を持ち出した件……或いはそれに生じた火災の件であろう。
起きた当初から今の今までは、そのカーティスの巧妙なやり口のお陰か。
特に何も考えずにここまで来てしまった。
しかし冷静に考え直してみれば、前日の件に関しては局長からは勿論の事、毎度怒号を響かせる隊長からも、未だに叱責や懲罰の類いを受けてはいない。
……完全に乗せられた。ブレイドは今になって大きく後悔の念を抱いていた。
しかし歩き続けれていれば、自ずと終着点に着いてしまう。
目の前には遂に、司令部への自動式のスライディング・ドアが姿を現した。
ブレイドはいざ扉を前にすると、やはりその歩みを止めてしまう。
ドアは強化スモークガラス製である為、当然、中の様子を窺い知る事はできない。
……ドア横に据え付けられた認証装置に触れれば、たちまちこれは開かれる。
が、この隔壁の先には間違いなく、以前データにて参照した“シャイニングの双子”よりも遥かに年老いて……怒気に塗れた二人の“鬼神”が待ち受けていることだろう。
────本の中の絵……とはいかないか……
ブレイドは一つ大きく溜息を吐いた後、ようやっと装置に手を伸ばしたのだった。
体感おおよそ○、◯二秒。
音も無く開いたドアの先には、これまた殆ど音の無く、静まり返った空間。
四十坪にもわたる巨大な司令室ではあるが、響く音は小刻みなタイプ音と、防音壁から僅かに漏れ出る、オペレーターの微かな声音のみであった。
段々状に設けられた、幾多もの箱型通信席では、今も人の手での職務が続けられている。
かつてはここにも“量産型”ではあるものの、やはりネクスロイドが使われていた。然しながら、三年前に大規模なハッキングを受け、運用方針を変更したのだ。
幾ら技術が進歩しようとも、要所に於いてはやはり、“人間”なのである。
そして、このひな壇の最上部に設けられた席にはやはり、あの白髪混じりの御老体が身を据えていた。
そんな予感はしていたものの、最上段の隅辺りには呼出主であるカーティスの姿も見えた。あいも変わらず、その無精髭は剃られてはいない。
入り口から局長席までは一直線。まるで玉座にでも至るように、ブレイドは一歩一歩壇を上っていく。
だが、自らの職務に集中している為に……これを見る職員は誰一人としていない。
逆にブレイドは遠巻きに、箱の隙間からその幾つかを垣間見たが、実に充足し……任務への満足感の伺える表情のみが、その中にはあった。
(僕とは大違い……か)
そしてやがてブレイドは、デッドエンドとも言うべき終着点に登り着いた。
目前の机上には、「局長 バーンズ・エルドレッド」と銘打たれた卓上プレートが。
“局長”の二文字が銘打たれたデスクに座するその男は、じいとブレイドを凝視すると、徐に口を開いた。
「ここでは何だ……カーティス、ブレイドを連れて局長室に来い」
……といっても、局長室は目と鼻の先。
“局長席”から見て左側、司令室直結の小部屋である。
一面白く染まった内壁の只中で、明らかに“浮いている”古風なドアが目を引くが、これといってバーンズの趣味という訳ではない。
というのも、“局長室”自体が前局長……もとい、初代局長であるグレンザ・アードルングなる男が遺した、過去の遺物なのである。
ブレイドがEraserに配属された当初は、彼はまだ存命ではあったものの、今のバーンズと違って顔を合わせる機会など殆どなかった。
が、局長室があったこのスペースは、元々配電盤が位置していたという事だけは、ブレイドの脳内には微かに記録されていた。
◆◆◆
「生憎紅茶しかないが……いいかね?」
部下からの返答を聞き入れる以前、既にバーンズはIHコンロに火を点けていた。
その最新式のコンロの上にて煮えるのは、如何にも古風な白いケトル……なかなかどうして時代錯誤である。
例えブレイド達が飲まずとも、沸かした分は全て自分の喉に通してしまおうという魂胆なのだろう。
彼が生粋の紅茶好きである事は、本部にいる誰もが知る常識であった、
…………局長の機嫌を損ねた場合、取り敢えず紅茶を用意しておくのは最早お決まりとなりつつあった程に。
「じゃ、俺はコーヒーを」
対面のソファにどっすと座り込むと、カーティスはお構い無しに“裏メニュー”をオーダー。
こじんまりとしたこの部屋の主人は、早速にも不機嫌を露わにした。
「紅茶しか無いと言っておろうに……安物の不味いのしか持っとらんからな?」
「わかっとりますよぅ……」
バーンズは不承不承といった表情で、コンロ頭上の棚からコーヒーメーカーとコーヒーを取り出した。
……まずは豆を煎り、紙製フィルターをセットし……注ぎ込む。
あとはメーカーからコーヒーが滴れるのを待つのみ。
それは実に手練れた様子で、それでいて繊細で。
分量などはわざわざ計りもせず、あくまで目分量……さっさとやるべき工程を済ます。
白髪混じりの御老体である所為か、ブレイドは彼を誤認した程に、バーンズのマスター姿は板についていた。
「で?ブレイドお前はどうする?」
「紅茶で」
即答だった。
これだけあの姿に見惚れていても、ブレイドには何となくではあるが、バーンズはそれ以外の返答を許していないように感じていた。
ケトルの湯も、コーヒーメーカーも。
沸き上がるにはまだ時間がある。
バーンズはコンロを後にして、カーティスとはまた対面のソファに腰を落ち着けた。
「……ブレイド、いい加減座ったらどうだ?」
──────────あっ。
そう言われるまで、忘れていた。
局長の一言を聞くや否や、ブレイドは焦ったようにカーティスの隣に腰を下ろす。
……姿勢をきっちり直角で固定して。
ブレイドから見て右隣と正面からは、ほぼ同時に溜息が漏れ出た。
「全く……君というヤツはいつもこんな感じで困るな」
「気にしないでやってください、これが恐らく、“彼なりのリラックス”でしょうから」
違う。リラックスなどでは断じて無い。
ブレイドは恐れていたのだ。目の前の“局長”を。
「まぁ……そうかもしれんな。なに、そのまま聞いてくれ、ブレイド」
性格こそ穏和そのものの昼行灯ではあるが、肩書きは歴とした“局長”。
つまり、このEraserの長である人物である。
「今更特殊弾頭の使用については咎めん。あの火災についても同様だ」
人の記憶にすら足跡を残さぬ、百戦錬磨の暗殺部隊。
その頭ともなれば、本性は推して知るべきだろう。
噂に聞く所、先代局長であるグレンザは、三年前の“血の金曜日事件”関連において、突出した武力行使を行なったが為、秘密裏に消されたという。
「これに関しては消防の尽力と政府の隠蔽に感謝してだな……」
ならばこの男も……
ここで自分を自害させる事など十分に……
「ブレイド!聞ぃとるのか貴様!」
ハッ────────
「すみなせん!紅茶の方今日は品切れてまして……」
……
…………
………………やってしまった。
思考が錯乱を極めた結果、思ってもない事を口にしてしまった。
しかも、「すみ“な”せん」とはこれ如何に。
この発言を機に、ブレイドの表情は一気に赤面。
他の一機と一人は大笑いである。
「ハッハッハ、なぁカーティス。君ら次世代型人造人間ともなると、羞恥の感情から赤面まで習得しているのか?」
「さぁて、どうでしょうなぁ?ハハハ」
カーティスに至っては“豪笑”とも表現出来るほどに、見事な笑いを見せつけてきた。
ハハハというよりは「ガハハ」が適切か。
「こんな腹の捩れるのはいつ振りか……涙が出てきたわ」
バーンズはこさえた小粒の涙を拭うと、ゴホンと一つ咳払い。
その暗黙の合図を以ってして、御遊戯の時間は一旦終いとなる。
ブレイドもすぐに顔を上げ、ただ静かに、自らの“局長”である男の顔を見据えた。
「特殊弾頭の無断使用、またそれに伴う火災の発生。これについてはもう咎めん。結果だけ見れば、“サイレン”の前に目標を仕留めたのだから文句はない」
先程までの声質とは違う、冷徹さを秘めた“長”としての声。
やはり、違う。
ブレイドはただ短く、「はい」と答えるだけだ。
カーティスはただ、そのやり取りを見守り続けている。
「ただし……“命令違反”という側面においてだけは看過できん。あまり言いたくはないが、私とお前の関係は、敷き詰めれば『チョーカー・システム』による“司令者”と“従者”の間柄だ、これが何を意味するかは言わんでもいいな?」
ブレイドはその言葉を聞くと、自然と首に手が伸びた。
実際には“埋め込まれている”というのに、無性に。
……チョーカー・システム。
ヒトがネクスロイドに括り付けた、一種の首輪のようなもの。
起動認証を行った者を“司令者”として認識し、専用端末を以ってすれば強制的にも命令を実行させる事もできる、絶対の法則。
例えその命令が、“自己の殺害”であっても……その法則は崩れない。
「私とて、この世に132機しか存在し得ない、君達“初期型”のうちの多くを預かる身だ。先代のように即刻、首を落とさせるような真似はしたくない」
その後、幾秒か言の葉は途切れた。
しかし、ブレイドにはこの“間”の意味は分かっていた。
──────成長してくれ。君達は成長しない、ただの機械ではないのだからな。
これが長……バーンズの心からの“願い”であった。
このバーンズという男は、どこまでも優しい。
自ら“局長”という要職にいながらも。誰も彼もを意のままに操れる……その実権を握りながらも。
今までその“権力”を行使した事など、一度もない。
これが先代との最大の差。
これが彼の好かれる、最大の理由。
表面ではこうも脅していようとも、本心は“殺す”のこの字も命令出来ない、飛び切りのお人好し。
ブレイドがこれを知らなくとも、その横に座する部隊長は。
外で勤務する幾多の職員は……それをよく分かっていた。
しかしブレイドは何も返さない。
まだ彼はその、“言葉の裏の真意”を汲み取るには、まだまだ思考が青かった。
「さて、長くなったが……何かこの際言っておきたい事などはないか、ブレイド?」
特に無くても構わんのだが……バーンズはそう付け加えたが、時既に遅し。
ブレイドは記憶の隅々から、“今聞くべき事”をピックアップし始めた。
────自らの搭乗機の配備状況?
────未開発地域地帯の進捗状況?
────違う。そんな些細な事ではない。もっと重要な、議論の意義のある……
………………そうだ。
その声が、喉から出たかは分からない。
だがブレイドはその瞬間、決して忘れてはならない一件を、思い出した。
……自らの右腕の感触から、思い出した。
「……局長、一つ……いいでしょうか」
言葉と共に、ブレイドの目線が少し下がった事に、バーンズは気がついた。
横にて座するカーティスも、場の空気の変化を感じ取ったように見える。
「……教えて下さい。僕達は、いや僕は、一体何の為に戦っているんです?一体何の為に奴らを殺し、今ここに存在するんです?」
ブレイドの口調は一見、極めて落ち着いているように感じられる。
それこそ先日の戦闘中においての“彼”とは比較にならない程だ。
だがやはり、カーティスの慧眼はその全てを見抜いているようだ。
本質は、あの日のアイツと何も変わっていない……そう訴えるように、静かにその眼が局長に向けられていたからだ。
だが、ブレイドはその目線すら気にかける事なく、次第に論調を強めていく。
「……時々、奴らを見てるとわからなくなるんです。あれは明確に、己が意思を持って
戦っている……それが例え、ネクスロイドの紛い物レベルのものであったとしても、“自らの意思”で動いている。……対して僕はなんだ?やれ治安維持だ、やれ国家のためだ。そう命令を受けて出撃して、人を殺して。だがいつまで経ってもテロリストは殲滅できず、その根拠地すら探し出せていない!」
……限界だった。いや、とうに限界など踏み越えていた。
己の物でもない不確かな何かの為に、他人の確固たる信念や、その思想までを破壊することに。
────────そして何よりも、自分自身を“騙し続けて”戦うことに。
今まではまだ、かろうじて耐える事ができた。
どれだけ残忍に、人を殺めようとも。
どれほど情けも無く、同種を破壊しようとも。
何も思わなかったなどとは口が裂けても言えないが、まだ……耐える事ができた。
だが、それを崩す決定打となったものこそが……この右腕だった。
「僕はね、今度の出撃で右腕を喪くしました。その次の朝になったら、ご覧の通りに戻っていましたとも。でもね、僕は怖かった。起床してからというもの、まず一番に鏡を覗き、自分が自分である事を確かめたぐらいに……!」
「ブレイドっ、その辺にしておけ!」
「煩いッ」
最早隊長の静止すら、ブレイドは受け付けない程に激昂していた。
例えここで自害するよう命令が下ったとしても、この勢いは止まらないだろう。
対して、バーンズは静かに聴き込むだけ。
喰い入るように熱弁するブレイドとは、全く対照的である。
自ら言葉すらも挟まずに、じっと目の前を見つめ続けるのみだ。
しかしブレイドは何故か、この目線に既視感があった。
そして同時に、思考回路のどこかに“憤り”という物も感じつつあった。
……それもそのはず。
今向けられているこの視線は、あの日に向けられた憐みの眼と、何ら変わりはないのだから。
遂にブレイドの苛立ちは頂点に達し、立ち上がった末に大きく机を叩きつけた。
だが口調は…………まるで“助けてくれ”と懇願するように、どこか物悲しげな音に変わっていた。
「局長……もう一度教えて下さい。僕達は何故、戦っているのですか?そして……この戦いに、終わりはあるのでしょうか……」
……
…………
………………
……………………ピーーー!
重く苦しい空気を裂くように、突き抜けるような高音が部屋を駆け巡った。
IHコンロにセットされていたケトルの湯が、ようやく沸いたようだ。
局長はチラとコンロを見た後、静かにブレイドへ微笑んでみせた。
「とりあえず……茶でも飲もうか」




