【第5話】自意識交響曲
────誰かの呼ぶ声がする。
声は聞こえども視界は無く。瞼を閉じた時のような、一面の暗黒が広がっている。
感じた声の音は確かに、隊長の渋声ではない。また、“局長”の嗄れたあの声ですらもない。
まだ幼い少女が発したかのような……叫びにも似た悲痛な音色だ。
────ブレイド、と呼ぶ声がする。
しかし、それはハッキリとは聞こえない。
まるで硝子の向こう側から聞こえるかのような、くぐもった微かな声。その証左と見ていいのだろうか、先程からの声の中には、何度も壁を叩くような打音が混じっている。
────然し。
この声に応じてはならない。決して、気に掛けてはならないのだ。
ブレイドは心のうち、このような謎の決心を固めていた。理由はてんで分からないが、自分はそうしなければならない……そうするように作られたのだ、という使命感だけが、思考回路中に駆け巡っていた。
嗚呼、これは夢なのだな。なんとも我ながら趣味の悪い……
現実の自意識はそう割り切り、事の決断を泡沫の自意識に委ねる。何よりこれは夢にのみ出た、もう一人の自分の思念体。それだけで、十分信頼に値するとみていたのだ。
行動決定権の委託を行うや否や、夢の中の自分は唐突に瞼を開ける。
すると視界に映ったのは、カプセルのような何かに入れられた、二人の金色の髪を持つ兄妹。正確には薄黄色ではないかとブレイドは踏んでいたが、夢の中では認識機能などない為に詳細は不明であるが。
兄は何故だか俯いているが、妹は必死に此方へ向かって、ガラス越しにて叫んでいる。
どうやらここは何処かの施設内のようで、眼前の宇宙用脱出カプセルか何かに、二人は容れられている。状況は依然として飲み込めないが、少女の呼び掛けに構いもしないところを見るに、どうやら自分はこれに入る意思はないと見た。
……しかし何故。こうも自分は一瞬にして、二人が兄妹だと分かったのだろうか。
二人ともしゃんとは立っていないが、身長差は殆ど同じ。性の隔たりはあるものの、何処となく顔つきも似ている気が……? 然し、それらより推理を巡らせる暇も無く。身体はもう一つの意思決定に基づき、次の行動を実行に移していく。
────壁に取り付けらた射出レバーを、一思いに降ろしてみせたのだ。
ブレイドの行動に、少女は今更驚かない。予めこの結末を、当然の如く分かっていたかのように。
自身を呼ぶ声は、木霊しながら徐々に遠ざかっていく。
カプセルは射出用のレールに乗せられ、所定の位置に固定され。
その間も少女は必死に呼び続けるが、遂には兄である少年に……抑えられた。
……任せたぞ。
無意識のうちにも、そうブレイドは確かに呟いた。
それは間違いなく“もう一つの自意識”の仕業ではない。
その言葉を聞き届けたかのように、カプセル後部のブースターに……ぼうっと蒼い炎が灯った。
「強く生きろよ……二人とも」
そう笑顔で言い残した途端、突如背後から湧き出した、無数のアサルト・フレームに身を縛られ。
途端、意識は急激に遠のいていった。
────────────瞼を開けると、刺すような光が網膜を襲った。
気がついた頃には、辺りはすっかり見覚えのある風景……
相変わらずの殺風景ではあるが、そこは確かに自身の自室だ。
首からコードを引っこ抜き、誰かに掛けられた毛布を跳ね除けると、焦燥気味にベッドから起き上がった。
半ば焦りを感じながらも、自らの身を節々まで見回していく。
更に全身を触って回ったが、感触に至っても特段異常はない…………
──────そう、異常が無くなっていたのだ。
自らの身体にはさも当然のように、新しい「右腕」が据えられている。
……先程の夢は、この暗示だったのか。
焦燥の次、ある一種の不安に駆られ。
部屋を出た先……廊下に設けられた、洗面台の鏡の前へと立ち…………目前に映る己の姿を、恐る恐る覗き込む。
知っている顔だった。
少なくともそれは……自らに記憶されている限りは「ブレイド」の顔であった。
一時の安堵感。
だが、不安の色は消えなかった。
──────自身の風貌など…………己を表すにはなんの証拠にもならないのだから。
◆◆◆
……再びベッドの上で横たわってからというもの、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
ブレイドはふと、白い壁に掛けられている、真紅の掛け時計を視界に入れた。しかし残念ながら、この掛け時計は数ヶ月前から壊れたままだ。時刻は零時キッカリで静止している。
結局は己の内蔵時計を表示すれば良いのだが……どうも癖なのか、掛け時計を見てしまうのだ。果たしてこれが、掛け時計による心理的影響なのか、それとも……ブレイドには分からない。
ブレイドはまたもや内蔵時計を見ず、枕元に置いていた目覚まし時計に眼を遣った。隊長からプレゼントされた、ヒヨコの形をした特異なデザインの物だ。
アナログ表示その時計は、長針が十時を指し示している。少々寝過ぎたか。
そしてヒヨコの嘴に当たる部分。何か小さな紙片を咥えている。
ブレイドは寝たまま紙を取ると、二つ折りにされたその小さなメモ用紙のような何かを開いた。すると……
「本日昼までに、司令部まで局長に顔を出しに来るように!」
カーティスより……後にそう綴られていたその用紙は、御丁寧にも開くと猫のような何かが立体的に浮かび上がる、所謂“飛び出すお手紙”であった。地味に可愛らしい丸文字が、これでもかとそれにマッチしている。
ヒヨコといい、メモといい……
細かい手作業を、特殊部隊本部のデスクにて行う、強面のネクスロイド。これを考えただけで、ブレイドの口元からは自然な笑みが溢れ出した。
血の金曜日事件以降、ずっと“これ”である。以前は身も心も強面であったのに対し、あの事件以来……まるで人が変わったかのように、隊長は優しくなった。それだけ人間はおろか、機械にも多大な影響を与えた出来事だったのである。
……ともかく、ただ叱責を受けに出頭するよりも、これで幾分か気が紛れるという物だ。
────また、してやられたな……
一抹の悔しさと、隠し切れない感謝の意と共に。
ブレイドはいよいよ身体に力を入れると、勢い良くベッドから起き上がった。
白いレースカーテンの掛けられた窓からは、心地よい擬似太陽の光が差し込んでくる。カーティスが働き詰めであるブレイドを気遣い、敢えてこの南向き且つ遮蔽物のないこの一室を押し付けたのだ。
当初は嫌々ながらに住み込み始めたブレイドであったが、今になっては悪くない……そう思い始めているのだから、カーティスという男は中々の切れ者である。
……起床し、一番にカーテンを走らせ、窓を開け。
毎日真っ先に、外の空気に触れることにしている。
広がる景色は住宅街の白き列と、所々効果的に設けられた、自然公園の緑。
遠くにはセイクリッド・シティの摩天楼が映っている通り、都心からは北西に位置している、“ベッドタウン”とも云われる郊外地域である。
ここ一帯はブレイドのような政府関係者のみならず、一般市民も生活を営んでいる。
ブレイドの住む1Kの一室は、11階建マンションの地上八階……三つあるうちの三号棟にあたる。因みに二号棟にはカーティス、アローが同じく居を構えており、常人と何ら変わらぬ生活を送っている。
だがブレイドは今日のように、この家に帰る事は殆ど無い。
……というよりも、ブレイドのみが、仕事に効率的でいようとするが為に、滅多なことでは帰宅を行わない訳ではあるが。
今一度ざっとではあるが数えてみると、実に三週間ぶりの帰宅であった。
再度洗面所へと赴くと、ブレイドは蛇口を捻り、両手に水を掬い。
半ば無造作に顔へと打ちまけて、これまた乱雑に擦る。
「………………」
また、鏡の中の自分を見つめる。……いや、見つめられているのだろうか?
ひたり、ひたりと落ちる水滴など、回路に寸分も気に止めることなく。まじまじと二人は視線を重ねる。
────お前は本当にブレイドか?
同じ顔であるのに。写身でしかない存在であるのに。
鏡の向こうの自分は、どこか怪訝そうな面持ちで、やはり自分を睨んでいる。
勿論、今の自分が昨日と自分と同じ、“連結した意識体”であるなどという保証はない。
目が覚めれば気付かないうちに、真新しい右腕が取り付けられている。帰った覚えもない自宅にて、いつのまにか覚醒した。
つまるところ、自分はブレイドだと思い込んだ赤の他人……そうである可能性も、決して否定は出来ない。
しかし、それでも。
今の自分の出す答は一つ。
それを示す証左は何も無いが、周りが僕を“ブレイド”と呼ぶのならば────
────例え別個体だったとしても。きっと今日は少なくとも……僕が“ブレイド”その人なんだろう。
そう鏡に言い切ると、向こうの僕は笑っていた。
ブレイドも笑う。そこで改めて……“これはやっぱり鏡なのだ”と気付くのだった。
ブレイドは軽い足取りで、ベッド横のクローゼットへと向かう。
開けると中には何着もの黒いモッズコートが、商品棚に並ぶかの如く綺麗に陳列されている。
端には“局長”より贈られた、厚手の赤い防寒パーカーなども確認出来るが、ブレイドは決まってこのコートしか着用しないでいた。
寝巻き用のインナーにそのまま羽織り、下部の収納からジーンズを取り出し……履く。
年がら年中何一つ変わらぬ、ブレイドにとってはある種のルーチンワークである。
後は乱雑に投げられたバックパックを拾い上げ、外出準備は完全に整った。
ちなみに、朝食の類は一切摂らない。人間で言うところの頸辺りに設けられた箇所からコードによる充電を行う事よって、ブレイドの身体は100%のパフォーマンスを発揮できるからである。
恐らく夜間中に充電が為されていたのは、大方カーティス辺りがベッドに運び込む際、お節介を焼いたからであろう……アルコール分解機能が追い付かず、酔い潰れたカーティスをアローと運んだ時の事を、ブレイドはふと思い出す。
「行ってきます」
誰に言う訳でもない。
ただ呟くように、言葉を発しただけだ。
グレーのスニーカーを履き、部屋の中の電気を消し。窓を閉めてきちんと戸締りを済ませ。
ブレイドは勢い良く、ドアを開けて出て行った。
【メカニック名鑑:ネクスロイド(後期量産型)】
初期型が原則上“132機”しか現存せず、製造方法も半ばロスト・テクノロジーと化してしまったが為に作られたデチューン・モデル。一般的な呼称は“量産型”。
故に、オリジナルである初期型に対して絶対的に性能面で劣っており、サーバーの範囲外にて単独行動を行う際に、初期型に比べて極めて機械的な動作を行ってしまうなどの欠陥を持つ。
が、それでも“常人の動きを予測できる”という一点と、機械譲りの高い反射速度は維持しており、きちんと司令者の指示を仰いで行動することによって性能を十分なまでに底上げする事が可能である。
こちらはレムリアの資源・生産能力の許す限りに大規模量産が実施されており、軍部の戦力としては勿論の事、人々の生活を支える民生機としても日夜活躍している。