小さな物語たちより
Wordで4ページ半程度の短い文です。暇つぶしになれば幸いです…。
ここは街外れにある一つの喫茶店。
決して特別なお店、というわけではありません。きっと探せばどこかにはあるだろう、少し歴史を重ねた、そんなお店です。
そのお店で働いて、もう何年でしょうか。忙しすぎず、けど退屈ではない、そんな日々を私は過ごしています。
日々働く中で、私はたくさんの出会いと別れ、そして気付きがあります。
よくいらっしゃる常連さん、たまにお見かけする方々に、その日限りの一見さん。もっと細かくいうなら、それこそすぐには語れないほどのたくさんの人たちがいらっしゃいます。
定型的な挨拶だけで終わることもあれば、簡単なお話をすることもあります。もしくは何も話すこと無く帰られることも。
けど、私はその一つ一つがかけがえのない時間だと思うのです。
この世界には、人の数だけ物語があるのだと思っています。その一つ一つは小さく、もしかしたら明日には忘れてしまうような出来事かもしれません。けど、その物語が生まれたことで、次の一歩を踏み出せる方もいるのです。
そして私は、何度かその様な物語に出会ったことがあります。
それは本当に小さな、きっと人によっては大したことない、と言うこともあるかもしれません。でも、私にとってそれらは、とても大切な物語。その物語たちに触れられたことは、何よりも幸せでかけがえのないことなんです。
だから、私は今日も笑顔でいられます。
クラシック音楽が静かに流れる店内に、小さな鈴の音が響きました。お客様のご来店です。
昼下がりの今の時間帯、今日は珍しく誰もいらっしゃらず、今いらっしゃったお客様が唯一の方です。
「いらっしゃいませ」
ドアの方を向き、静かにお声をかけます。
いらっしゃったのは、一人の高校生、女の方でした。
非常に暗く、元気がありません。私の方に目を向けていますが、声をかけてくださることはありません。
「こちらへどうぞ」
ですが私はいつものようにお客様への接客をします。それは働く者としてのマナーですから。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
お冷やをそっと出し、テーブルの脇に置いてあるメニューを差し出します。
「あ、あの……」
しかしお客様はメニューを取らず、私の方を見て、小さく声を発しました。
「ホットコーヒー、を……」
「はい、かしこまりました」
小さく会釈をし、私はその場を後にしました。
一つ、私は気付いていたことがあります。あの方は、常連さんです。
ですが、ここ半年ほどはいらっしゃっていませんでした。
元々静かで、決して活発な印象ではありませんでした。いつも一人で来て、コーヒーを飲みながら静かに読書やお勉強をしていました。
ですが、決して暗く、悲しげではなく。私が淹れたコーヒーを美味しく飲むそのお顔はとても可愛く、素敵でした。
しかし、今日は違います。明らかに元気が無く、落ち込んでいるように思えます。
現に、先ほどお出ししたコーヒーは一口しか飲んでおらず、本を読んでる姿に落ち着きは無く。勉強に切り替えても筆は一向に進んでいません。
そんなご自身に思うところがあるのか、俯き、じっとテーブルを見ています。
……人には、様々な出来事があります。ですから、不用意に私が介入するのは、良いことではありません。
……ですが。
「どうぞ」
「え?」
「ガトーショコラです」
「いえ、その……、頼んで……」
「勝手な事だとは承知しております。これは私からの差し入れと思って頂ければ」
「え、と、……どうして、ですか?」
「勉強に集中できていないご様子でしたので。こういう時は甘いものを取るのが良いかと思いまして」
半分は本当ですが、もう半分は口実です。少しでもいいので、私はお客様とお話をしたかったから。
「……」
「では、失礼致します」
「あ、あの……!」
離れようとしたその時、お客様のその強い声に、足が止まりました。
「……」
私は静かに待ちます。きっと、お客様から話すことが大事だと思えたから。
「……笑ったり、馬鹿にしてくれてもいいです、ので、聞いてくれませんか?」
「はい」
静かに返事をし、私は向かいのソファに腰をかけます。
「その、付き合ってた人がいたん、です。けど、振られちゃいました……」
意を絞って発した声は小さく、顔は俯いたまま。けど、言うに至る決意は、きっと私が思っている以上に強いものでしょう。
「去年の今頃、です。あっちから言われて。暗くて、友だち少ない私のこと好きって言ってくれて、嬉しかった……」
「はい……」
「好きでした。でも、上手に付き合えなかったんだと、思います……」
「……」
「どうしたらいいのか、うまく分からなくて。その、知識では色々知っていても、そうなるのが、怖くて。それに……」
言いかけ、口を閉じます。小さく可愛らしい拳をギュッと握り、彼女なりに声を出そうと勇気を振り絞っているのが伝わってきます。
「彼と一緒に過ごす時間が、とても心地よくて、それでいい、て思ってたんです……。でも……」
先ほど握った拳の力が、増しています。そして、その上に、小さな雫が落ち始めました。
「彼はそうじゃなかったみたい、です……。だから、この前、言われたん、です。俺のこと本当に好きなの?て……」
流れ始めたその雫は止まること無く、彼女の手を、テーブルを濡らしていきます。
「うん、て答えました……。けど、彼は、どうしても……。そうして、別れ、切り出されて……」
私は何も言いません。彼女を見つめながら、彼女の言葉を待ちました。
「そしたら、この間、他の、子と、いるの、見て……。楽し、そう、でした……。私とは、全然、違う感じ、の、明るそうな、子、で……。だから、これで、いいんだ、て……。でも、そしたら、私……」
言う度に、感情が乱れます。それでも、発すべき言葉が、今ここにあるのです。
「なんで上手くできなかったの!?なんで、もっと考えられなかったの!?なんで自分の事しか見えなかったの!?なんで、こんなに後悔ばっかりなの!?……自分で、自分の事、分かんないです……」
「そう……」
全てを言い切ったのか、彼女は顔を両手で覆い、今は溢れる涙を頑張って抑えようとしています。
だから私は、そっと腰を上げ、彼女の側へ寄りました。
「……店員、さん……?」
そして、優しく、彼女の頭を、頬を撫でました。
「私は、お客様がとても可愛く、魅力的な方だと思います」
「……どうして、今、そう……?」
「あなたはとても優しい方です。誰かを決して責めず、現実を必死に受け止めようとしています。けど、優しすぎます。だから、痛みや苦しみを抱えようとしてるんです」
「……」
「でも、それもあなたの、かけがえのない魅力なんだと、私は思います」
「……でも」
「だから、今は泣いていいんです。苦しくて、辛くていいんです」
「え……」
「時間が流れていく中で、今の痛みは少しずつ癒えてきます。でも、もしかしたら完全には消えないかもしれません」
「……そしたら、どうすれば」
「そっと目を閉じて、思い出してみてください」
「へ……?」
「だってそれを思い出すとき、あなたは……」
「今以上の、魅力的な女性になっていますから」
「……」
「少しずつ、歩いて行きましょう……」
言い終え、私はそっと彼女から離れました。
まだ涙は消えていませんが、先ほどとは違った表情を浮かべています。
だから、これで良かったのだと、私は思うことにしました。
「コーヒー、お取り替えしますね」
「え……?あ……」
「今日だけ、ですよ」
「……はい」
その一声は、とても優しく、可愛らしかったです。
「ありがとうございました」
レジで会計を終え、小さく会釈をします。
あれから再び涙を流すことは無く、いらっしゃった時と比べ少し楽な表情をされていました。
お節介だな、ともちろん思いましたが、それでも、と……。
「あ、あの……」
「はい?」
ドアノブに手をかけた彼女は、そのまま私の方に振り向き、声をかけました。
「ここって、アルバイトの募集って、してますか……?」
「今は行っておりません」
「……じゃあ」
「はい」
「もしアルバイトが必要で、その時、私が可愛くなっていたら、……来てもいいですか?」
少し不安げに、でも、決して視線を逸らすことない強さで、私を見る彼女は、既に先ほどより可愛く、強く。
だから、元気いっぱいに答えます。
「はい!いつでもお待ちしております!」
日々過ぎていく時間、その一つ一つがとても温かく、切なく、だからこそ大切なんだなと思えます。
これから語られるのは、小さな物語の数々。
きっと大したことないと思う方もいらっしゃるでしょう。でも、その物語を綴る人たちにとってそれが次に繋がる一歩になるのなら……。
私はまた知りたいな、と心から思います……。
久しぶりに書くにあたり、無理なく書こうと思い、短い文章にしました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。