空から落ちて来た女の子
プロローグ 夢の中に出てくる絵本
『私ね、絵本を描くのが好きなの。私が描いた絵本見てくれる?』
最近よく夢に出てくる女の子が言った言葉だ。その女の子には羽があって、浮いていた。さすがは夢だ・・・。夢を見ている僕はそう思った。夢の中の僕は、驚きもせずに女の子の絵本を見ていた。その絵本の内容は、とても悲しかったというのを僕は目覚めた時も覚えている。なぜなら、必ず僕は泣いていたから・・・。内容は、よく覚えていないのだけど、絵本に出て来た一つのフレーズは覚えていた。
“もしも、魂が空にいってしまった人にもう一度会えたとしたら貴方はそれを望みますか?”
「望みます」そう答えたらいけない気がした。だから、夢の中の僕は、「望まない」そう、答えていた。僕は、絵本を閉じて女の子に返した。女の子は大事そうに絵本を抱きしめて言ったのだ。
『これで完成だと思う?』と。
僕は完成だと思った。なんて悲しい結末なのだろう、と。
『完成じゃないよ。まだね、続きを描くの』
僕は、その続きはハッピーエンドなのか、変わらずにバッドエンドなのか女の子に聞いてみた。
『ハッピーエンドでもバッドエンドにでもなるわ』
ハッピーエンドにするの?僕は、女の子にそう聞いた。
『この続きは、私が描くのではなく、貴方が描くの』
そう言って、女の子は僕にスケッチブックを手渡した。僕は、わけがわからないままそれを受け取った。この悲しい結末から、僕はどうしたらハッピーエンドに持っていけるのか、何度も見る夢の中で僕は女の子に問うんだ。だけど・・・
『 』
目覚めた時、決して僕はその重要な部分を覚えていない。もちろん、手元にスケッチブックがあるはずもない。女の子が描いた悲しい結末の絵本、その続きは僕が描く。いつ、描くのだ・・・?夢は、毎回毎回ここで切れて続きを見ることはない。女の子は僕に、ハッピーエンドを描いてもらいたいのか、バッドエンドを描いてもらいたいのか、リクエストはしない。僕は、悲しいお話は好きではないから、ハッピーエンドにしたい、そう思っている。
第一章 空から落ちて来た女の子
「また、泣いている・・・」
もうずっと理由の知らない涙に悩まされている。目が覚めた時、必ず瞳に残っているのだ。僕は、溜息をつきながら布団から出た。あの時、散々泣いたというのに僕はまだ涙が出るのか。それが信じられなくて、むしゃくしゃした。
僕の名前は中田太陽。湘南の高校に通う二年生だ。実家は東京にあるが、高校入学と共にこちらでひとり暮らしを始めた。東京の人ごみ、高いビル、都会ならではの夜の夜景、すべて彼女を思い出してしまうから、僕は逃げた。彼女の面影が残る街で生きていたら僕の心は押しつぶされてしまうから、僕のことを誰も知らないこの静かな土地に来た。ここはとても良い所だ。耳を澄ませば波音が聞こえて、風に乗って潮の匂いがする。学校の屋上からは、海が見える。電車は一つの線路を走っていて、民家との距離が近い。そして何より、昔ながらの街並みで街ゆく人は、穏やかだ。東京から引っ越してきた当初はすべてのことに驚いていた。
一人の朝は気楽でいい。顔を洗って、朝食を食べて、ゆっくりと家を出る。坂道を降りて、長い橋を渡る。夕方は観光客が歩いているけど、朝は地元民しか歩いていなくて、この時間帯がとても好きだ。電車に乗って、行きたくもない学校へと向かう。人と関わるのはもう疲れた。一人でひっそりと生きて行きたい。だけど、人は誰かと関わらずに生きて行くなんて無理で・・・。僕は、毎日仕方なく学校へ行く。なるべく人と関わらないようにして、授業中以外は教室にいない。僕のお気に入りの場所は、中庭。中庭は人が少ないのだ。人が少ないところは好きだ。何も考えずにぼーっとしていられるから。
退屈な授業を受けて、昼休み、僕はお気に入りの中庭へ牛乳とパンを持参して定位置のベンチに座って昼食を食べ始めた。僕がこうやっていると何故か必ず動物が近寄ってくる。今日のお客様はネコのようだ。
「見つかったら、怒られるよ・・・」
わざとらしく僕は溜息をついて、すり寄ってきたネコに少しパンをあげた。ネコは好きだ。生まれ変わったらネコになりたいといつも思う。
牛乳を飲みながら僕は、空を見上げた。嫌になるほど青い空。もう、何日も雨は降っていない。春の日差しは暖かくて、気持ちいいけど僕は、雨の日の方が好きで、太陽は少しくらい休養を取った方がいいと思う。そんな馬鹿なことを考えながら空を眺めていたら、飲んでいた牛乳は空っぽになった。パンも食べ終わったし、授業が始まる。そろそろ戻ろうと思った時だった。
青く果てしない空の上から、何かがこちらへ向かって落ちて来たのだ・・・
空からものが落ちてくるなんてことあるのだろうか?僕は茫然と落ちてくるものをみていた。だんだんと近づいてくるそれに自分の目を疑った。と同時に、僕の体はすぐに落ちてくるものの下へと急いだ。
どすんと大きな音が鳴り響いた。
僕の上に落ちて来たものは、“人間”だったのだ。落ちて来た人間は長い髪の毛にパーマがかかっていて、くりくりとした大きい瞳をした女の子だった。女の子は、ぼーっと僕の上に座っていると思ったら突然、僕の上から離れた。そして、辺りをきょろきょろと見渡して、おそるおそる空を見上げる。
「う、そ・・・。え、私・・・」
女の子の顔はどんどん青くなっている。自分がどこにいるのか、何が起こっているのかまだ理解しきれていないらしい。
「ねぇ」
僕は、女の子に話かけた。女の子は不安そうな瞳で僕のことを見て来た。
「ここ、どこ・・・?」
震えた声で女の子はそう聞いてきた。
「地上だよ」
普通なら“学校だよ”そう答えるだろうけど、女の子が求めている回答はそんなものではない気がした。空から落ちて来た女の子には、こう答えるのではないかと。
「ち、じょう・・・?空じゃないの?」
「君、空から落ちて来たんでしょ?」
僕がそう問えば、女の子はスローモーションのように、ゆっくりと倒れた。僕は、慌てて女の子のことを支えた。気を失ってしまったみたいだ。
「僕のせい?」
言ってはいけないことを言ってしまったのか。僕は、深く溜息をついた。
「とりあえず保健室・・・」
女の子を抱えてようやく女の子の服が短い丈で、生地の薄い白いワンピースだということに気が付いた。目のやり場に困った僕は、駆け足で保健室へと向かった。保健室の先生にどう言い訳をしようかと考えながら・・・・中庭から保健室ってこんなに遠かっただろうか?暑いわけでもないのに汗が出ている。僕は、汗をぬぐい保健室のドアを開けた。
「失礼します」
「どうぞー。どうしたの?ってえ、誰その女の子?」
先生は嫌なものを見る目で僕のことを見て来た。沈黙はよくない。もっと悪い方向へ行くだけだ。僕は深呼吸をした。
「この子、校門の前で倒れていたんですよ。気づいたのにほっとくのもよくないと思ってここに連れてきました」
別に変な嘘ではないだろう。
「そう。早くベッドに寝かせてあげて。その子すごい薄着だからジャージ借りて来るわ」
先生はそう言うと、保健室を出て行った。女の子をベッドに寝かしつけた僕は、近くにあった椅子に腰を降ろした。・・・こんなに疲れたのは久々だ。何で僕が、こんな想いをしなくてはいけないのだろうか。
人と関わるのが嫌な僕でも授業をさぼったことは今まで一度もないのにさぼってしまったではないか。朝の占いは見ていないがきっと悪かったに違いない。
「君は、いったい何者なんだ・・・?」
すーすーと寝息を立てて眠る女の子にそう問いかけた。女の子の反応を見る限り、好きで空から落ちて来たわけではないのだろう。空から落ちて来たってことはこの子は人間ではないのだろうか?見た目は人間と同じで言葉も日本語を話していたけれど。そんなことを考えていたら保健室の先生がジャージを持って戻って来た。
「私、用事があるから出るけど、その子起きたらこの服貸してあげて。返すのはいつでもいいからって」
「はい。ありがとうございます」
「お大事に」
先生は、そう言うとバッグを持って保健室を後にした。再び、保健室は僕とこの謎の女の子の二人っきりになってしまった。女の子はまだ、起きる気配はない。謎とはいえ、女の子。こういう風に女の子と同じ空間にいるのは、東京の彼女がいなくなって以来初めてだ。女の子と二人っきりというのはこんなにもどきどきするものだっただろうか?この胸の高鳴りは、初めて恋をしたあの瞬間と似ている。
「って何考えているんだ、僕は・・・」
何か飲み物でも買って来ようと思った時だった。
「ん~」
女の子の目が覚めたようだ。僕は、静かに女の子に近づいた。
「飲み物買ってくるけど何がいい?」
「・・・・牛乳」
女の子は小さくそう答えた。
「じゃあ、買ってくるからちょっと待ってて。あ、そうだ!君のその服じゃ薄着すぎるからこっちに着替えといて?」
僕はそう言って、ジャージを渡した。女の子は不思議そうにじっとそれを見つめている。
「これに着替えるの?」
「うん」
僕がそう言えば女の子はこくんと頷いた。僕は、保健室を出た。女の子の口からまさか牛乳が出るなんて思っていなくて、驚いた。牛乳が好きなのかな?そうだとしたら僕と同じでちょっと嬉しい。
「嬉しいってなんだ?」
自分が想ったことなのにわからなかった。僕は、保健室から一番近くにあった自動販売機で女の子の分と自分の分の牛乳を一つずつ買って戻った。保健室に入ると、女の子はさっきの服とは言えないワンピースからジャージに変わっていた。僕は、ほっとした。
「この服重い・・・」
ぼそりと女の子はそう言った。
「君がさっきまで着ていた服が軽すぎるんだよ」
女の子に牛乳を渡しながらそう言った。
「この国の人はみんなこんな重い服を着ているの?」
“この国の人”女の子のその言葉は、女の子がこの国の人ではないということを明らかにした。まあ、空から落ちて来た時点で僕と同じ人間だとは思わなかったけれど・・・。
「ねぇ、君はどうして空から落ちて来たの?」
質問をされたのは僕なのに、その質問に答えず僕はそう聞いた。
「・・・わからない」
そう答えた女の子の声は、震えていた。僕がここは地上だよと言った時と同じように。
「そっか・・・。それじゃあ、質問変えるね。君はどこから来たの?」
「私が住んでいた場所は天涯・・・空の果て」
空の果て・・・それは、僕たちがよく見上げているあの空よりももっと遠くの空のことなのだろうか。
「空の果て、か・・・。想像もつかないや。そう言えば、まだ名前を聞いてなかったね」
空の果てから落ちて来た女の子は、きっとこの後すぐに空の果てへと戻れることはないだろう。そうなると自然と僕が女の子の面倒を見ることになる。そしたらいつまでも君と呼ぶのはよくないだろう。なんて非現実的なことが起きているのに冷静に考えている自分に驚いた。
「私の名前は、ツキよ。貴方は?」
「ツキちゃんね。僕の名前は、中田太陽」
「太陽、君。私はツキで貴方は太陽!何だか素敵ね」
ふわりと女の子は笑った。初めて見たその笑顔は、とても美しくてこの世のものとは思えないほどだった。
「私、すぐに帰れそうにないの。どうして来たのか、どうやって来たのかもわからないの。私・・・」
「それ以上は言わなくてもわかっているよ。しばらく僕の家に置いてあげる。一人暮らしだから遠慮しなくていいよ」
そうは言ってみたものの年頃の男女二人が同じ家に二人で住むというのはいかがなものだろうか。あまりいいものではないような気がするが、かと言って女の子・・・ツキちゃんをこのままほおっておくわけにはいかない。
「いいの?」
「いいよ。ツキちゃんのこともっと知りたいし」
ここまで関わって、このままさよならをしてしまったら、モヤモヤした気持ちのままだ。
「お言葉に甘えて、これからよろしくお願いします」
ぺこりとツキちゃんはお辞儀をした。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
僕も慌てて頭を下げた。何だか可笑しくて二人して笑った。
「あ、」
ツキちゃんは突然大声を出した。そして、慌ててベッドから飛び降りた。
「どうしたの?」
「私、大切なモノ忘れて来ちゃった・・・!!」
どこに?と僕が聞く暇はなく、ツキちゃんはもう保健室の外に出ていた。僕は、よくわからないままツキちゃんの後を追った。考えてみれば今は授業中だ。授業中に校内を走っていて、教師に見つかってしまってはめんどくさいことになる。僕は、中庭に急いだ。中庭には、必死に大切なモノを探すツキちゃんがいた。
「ツキちゃん、大切なモノってどういうモノなの?」
僕は、そう聞いた。ツキちゃんの大切なモノを僕も一緒に探してあげたいと思ったからだ。
「スケッチブック」
その単語に僕の胸は高鳴った。
僕の頭の中に自然と映し出されたものは、最近ずっと見る夢の中に出てくるものだった。
“君が続きを描くんだよ”と手渡されるスケッチブック。悲しい結末の絵本。ツキちゃんが探している大切なモノというのはもしかして・・・
「ないよー」
ツキちゃんは疲れてしまったのか、地面に座り込んでしまった。
「本当にここに忘れたの?」
「うん。落ちてくる前、スケッチブックに絵を描いていたもの。そしたら急に地上に落ちて来ちゃって・・・」
あの時、僕はあまりの非現実的な出来事にツキちゃんの持ち物にまで目は行かなかった。だから、本当にツキちゃんがスケッチブックと一緒に落ちて来たのかわからない。
「どうしよう・・・」
「もしかしたら、忘れ物箱に入っているかもしれないから見に行ってくるよ」
そう僕が言った時、授業を終了するチャイムが鳴った。
「保健室で待ってて」
「うん」
僕はツキちゃんを保健室へ送ってから、忘れ物箱が置いてある所へと向かった。
「あ、」
目の前に行かなくてもすぐに見つけた。
「これ、だよね」
ツキちゃんが探していた大切なモノ。僕は中身が気になった。人の物を勝手に見るのはよくないとはわかっている。だけど、気になって仕方がないのだ。僕は、恐る恐るスケッチブックを開く・・・
「やっぱり・・・」
一ページ目を開くと描かれていたイラストは見覚えのあるものだった。はっきりと夢の中の絵本を覚えているわけではないけれど、途中のページで、これが夢の中の絵本と同じだと確信した。
“もしも、魂が空にいってしまった人にもう一度会えたとしたら貴方はそれを望みますか?”
印象深いこのセリフ。それを見つけたからだ。僕は、スケッチブックをそっと閉じて、保健室へと向かった。最近ずっと見ていた夢、そして空から落ちて来た女の子のツキちゃん、スケッチブック。僕は、その三つを頭の中に並べて整理しようとしたが、頭が破裂しそうになったのでやめた。
続く