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腐乱裁判  作者: 花南
3/5

03

◆◇◆◇

 さて、一週間後、この裁判は始まった。

 傍聴席は井上被告の判決を一目見ようと生徒でごった返している。

 河野は裁判長の席に座ると、木槌を振り下ろした。

「これより同人誌名誉毀損訴訟の民事裁判を始めたいと思います。戸浪、冒頭弁論を」

「彼女は広報部に所属しています。五月の処女作からすでに学生としてあるまじき記事を執筆。以後週刊学園の学校の有名人コーナーで大活躍。自分自身、有名人の仲間入りをしています。井上園子と聞いたら大半の人は顔を引きつらせるでしょう。そんな彼女が一番取り上げているのが被害者の加藤竜弥、鈴木北斗のスキャンダルです。以上」

 戸浪が淡々と読み上げて着席した。

「よろしい。では原告側、どうぞ」

 陸ががたり、と立ち上がってからこう言った。

「被告人の文章はともかくいわれのない内容について書かれているわけよ。この内容を聞いて本当に学校の実情だと思うかについて考えてちょうだい」



――週刊学園より、北の僻地より愛をこめて……


 鈴木と加藤と西園寺で旅をしていたら、大きな氷河にぶつかって沈みかけたところ、西園寺の奥底に眠る愛のパワーが覚醒め、三人は南国の無人島にワープした。だが、西園寺はパワーを使いすぎて力尽きた。

 残されたふたりは呆然と西園寺の墓の前に佇んだ。

「西園寺……なんでこんなことに」

「俺がいけないんだ、俺が舵を右にきらなかったばかりに……ごめん、ごめんね西園寺!」

 加藤はうずくまってわっと泣き出した。

「よせ、泣くなよ! 最期に西園寺が言っていた台詞を忘れたのか? 『しょっぱいよ』って言ってたじゃあないか! これ以上泣いたら西園寺が可哀想だろ! 俺たちは西園寺のぶんまでしょっぱくない生き方をするんだ! 生きろ、そなたは美しい!」

「鈴木……うん分かった。俺、泣く時は甘いイチゴの味になるように頑張るから。俺、西園寺のかわりに甘い人生生きるよ! 鈴木のアイコラも作るよ!」

鈴木は感極まって泣きながら加藤に抱きついた。

「加藤ー!」

「鈴木ー!」

 ガシッと抱き合ったふたりを夕暮れがやさしく包む。

「鈴木、鈴木の涙もしょっぱいよ」

「だって涙が出ちゃう、女の子だもん!」



「ごらんのとおり、この文章では鈴木と加藤と西園寺が出てきますけど、事実無根の内容です」

 陸が着席したところ、空乃が「異議あり」と手をあげた。

「それ、『女の子だもん!』って書いてあるところを見ると鈴木北斗とちゃうん、ちゃいますか? 全校生徒の中に鈴木という名の女子がどれだけいるか調べてつかぁさい」

「屁理屈よ空乃! アイコラ作る西園寺はひとりしかいないじゃない」

「じゃあ陸ちゃん質問しますが、劣くんには秘められた愛のパワーが眠ってるんですか? そがんことはなかろう。あいつにえっと眠っておるんは愛のパワーではなくアイコラのパワーじゃ」

「被告の異議を認めます。西園寺勝に愛のパワーは眠っていません。そのお話はフィクションであり、原告を揶揄する内容ではなかったとします」

 河野が最初の証拠は被害の対象ではなかったと判断した。海馬が立ち上がる。

「じゃあ、もうちょっとヘビィな内容も聞いてもらうわよ?」



――十月号冊子、生徒会より愛をこめて


 誰もいない放課後、鈴木は加藤を生徒会室に呼び出した。加藤は少しおびえたように子犬のような目をして、鈴木を見る。

「鈴木……俺、もう、お前とそういうことするのは……」

「何言ってるんだ? 加藤。お前のほうだぜ? 俺のことを好きって言ったのは」

 どん、と加藤をソファの上に突き飛ばすと、上から圧し掛かるようにして鈴木は言った。

「今更、逃げるなよ? お前もいい思いたくさんしただろ?」



「異議あり!」

 森下が今度は立ち上がった。

「生徒会室は常ににぎわっています。放課後に鈴木と加藤がふたりきりになるはずがない。それは同姓同名のフィクションです」

「オホホホホ、森下、ところがどっこい。この十月号の途中の描写に、ゴーグルのゴムで加藤の手首を縛るシーンがあるのよ。これは被害者加藤竜弥のことを暗に示しているものだとアタシは踏んだわ」

「ぐっ……」

 森下が引き下がろうとした瞬間、空乃が立ち上がった。

「異議ありじゃのう。十月号の中に書いてある加藤くんが水泳部だったとしたらどうする?」

「十月に泳ぐ水泳部はいないわよ」

「原告側の主張を認めます。十月号の内容は原告側の名誉を毀損した内容である」

 河野がそう言いかけたとき、森下が手をあげて「質問」と答えた。

「裁判長、この場合の名誉毀損の定義を教えてください」

「被害者たちの名前を不名誉に流布したことと定めています」

「不名誉とは具体的にどのような?」

「事実と違う内容を報道しているという意味です」

「つまりこれは真実の報道であると証明すれば、井上被告は無罪になるわけですね?」

 森下の言葉に放送部がざわついた。井上の書いた記事が虚言に満ちていることなど明白である。森下、どうひっくり返すつもりだ。

「できます。飯島副生徒会長を召喚してください」

 冬姫は証言台に静かに座った。

「どうする気じゃ? 森下」

「要は鈴木がホモだって証明すりゃいいんだ」

 あまりに無慈悲すぎる森下の発言に空乃があんぐりと口を開いた。

 証言台に腕をつくと、森下は言った。

「副生徒会長、あなたは鈴木生徒会長とお付き合いなさってますね?」

「はい。それが何か?」

「それは本当に副生徒会長が好きで付き合っているのでしょうか?」

「もう一度言ってごらんなさい」

 冬姫にぎろりと睨まれて、森下が視線をそらしながら言った。

「ええと、副生徒会長、落ち着いて」

「私と鈴木が愛し合っていないと言うつもりですか? 森下先輩」

「ええと……はい、そうです」

 森下は意を決してそう言った。

「失礼ですが、お付き合いを始めてからどれくらい経ちますか?」

「二ヶ月が経っています」

「手はつなぎましたか?」

「はい」

「キスはしましたか?」

「ええ」

「一線を越えたのはいつですか?」

「学生の間は清い付き合いをするつもりです」

「つまり鈴木生徒会長とは、二ヶ月経った今でも肉体関係がないんですね?」

「それがどうかしましたか?」

「さて、ここでお聞きしますが、一般的な男女の付き合いの場合、二ヶ月何もないことがどれくらいあるんでしょうね? 僕は少なくとも一ヶ月以内に食べるけど」

「そりゃお前がすけべじゃからじゃ。森下」

 後方から空乃が応援でないメッセージを投げかけた。

「まあ、鈴木生徒会長が副生徒会長のことを愛しているとしたら、なぜ手を出さないのでしょうか?」

「大切にされているからだと思っています」

「本当にそうでしょうか。たとえば……彼には女性に興味がない、あるいは女性相手には機能しないということは考えられないでしょうか」

 場が騒然とした。冬姫は森下を睨みつける。

「それは森下先輩であって、鈴木ではないのでは?」

「なかなかきつい切り替えしをしてきますね、副生徒会長。でも、あなたは鈴木の言葉を信じている。しかしずっと信じ続けていられますか? この先、一年後、二年後、三年後、それ以上……鈴木があなたの肌に触れなかったとしたら、あなたはそれを大切にされているからと認識できますか? いつまでそう認識できますか?」

 森下、言いすぎだ。空乃が後ろからそうジェスチャーをした。しかし背後からなので、もちろん見えない。

「鈴木くんは本当に、あなたを愛しているから何もしないのでしょうか? たとえば原告との関係のカモフラージュに副生徒会長を利用している、そうは考えられませんか?」

 鈴木の殺気に満ちた顔が横目に入った。しかし森下は鈴木に睨まれるのには慣れている。どうせ陸が鈴木側につくことが多いということは、森下は汚れ役の弁護士になることが多いのだ。

「これは、あくまで可能性の話です。僕はあなたたちカップルのことを危惧しているなんて御節介なことは言いませんが、飯島さんは考える必要があると思いますよ。いつまで鈴木と加藤がべったりなことを許すべきか」

 冬姫が奥歯をかみ締めているのがわかった。鈴木は冬姫が何かを我慢するときに、奥歯をかみ締めることを知っている。森下は「以上です」と言った。

 場が静まりかえったあと、加藤が大声で聞いた。

「なんか俺、姫と鈴木の邪魔なわけ?」

「加藤くん、森下の言うことなんて間に受ける必要ないわよ」

「そうよ、今のはアタシも言い過ぎだと思う」

 陸と海馬が森下の言いすぎ発言を認めた。傍聴席もさすがに言いすぎだと思っているらしい。加藤はそれでも言った。

「でもさ、この先俺がいることで、姫と鈴木がずっとこのままなら、やっぱり問題じゃね?」

 たしかにそのとおりなのだ。森下の言った問題は言いすぎのようだが、その実鈴木と冬姫の関係を加藤が邪魔しているという事実、確信の部分を証明してしまったのだ。

 冬姫は傍聴席でうつ向いた。鈴木は静かにその手を隣からつかんだ。

「は、話を元に戻しましょう。加藤と鈴木の関係は正常な友人関係です。ですから冊子に書かれている内容は事実無根の内容……」

 陸がそう言いかけて、森下と目が合う。森下はにっこり笑うだけだった。本当に、この一年で笑顔だけはとてもきれいになったと思う。だけどその中身は腹黒というべきで、そしてその言葉はたまに確信を突くのである。

「加藤くんが邪魔じゃのぅ」

 ぼそっと全員が思っていたことを空乃がつぶやいた。

「そうか……俺、やっぱり邪魔なのか」

 加藤がしゅんとしたようにそう言う。鈴木ががたん、と立ち上がり、言った。

「加藤!」

「鈴木」

「俺は……お前のことを、」

「邪魔だと思っているんだろ?」

 ふっ、と加藤がそう呟いた。その瞬間である、井上が立ち上がった。

「そんなことないよ加藤くん! 鈴木くんは、加藤くんのこと大好きだよ。私が知ってるもの」

 井上園子。この後に及んでさらにかき回すつもりか。

「ええとええと、私うまく伝えられないけれども、加藤くんと鈴木くんが並んでるだけで萌えるの。加藤くんと鈴木くんはこんなこと話しているんだろうなとか、休日はこういうところにいるんだろうなとか、ふたりきりのときにはあんなことしてるんじゃあないかなとか、そんなことを妄想してね、でもね、私やっぱり腐女子だけど、嘘は書いちゃいけないと思っているの」

 あれだけ虚言を書いている井上の作品のどこに真実が隠れているのだろうと誰もが思ったが、井上はきっぱりこう言った。

「鈴木くんは、加藤くんのこと大好きだよ。あとはフィクションだけど、それは真実。園子嘘つかないもの」

 森下はしてやったり、と立ち上がってこう言った。

「井上園子が真実に基づいて報道していたことを証明しました」

 森下のこじつけとしか思えない、そのくせ真実めいた言葉に全員が唖然とした瞬間だった。


「ええと……」

 河野はコメントに困り、そして隣の戸浪に助けを求めた。戸浪が口を開く。

「井上さんは真実に基づいて報道をしていると被告側は言っておりますが、原告はこれについて異議がありますか?」

「異議が……」

 ある、と言いたいところだが、ここで下手なことを言おうものならば、鈴木と加藤の友情に罅を入れる結果となりえない。

「ありません……」

 陸は悔しそうに認めた。

「どうする? アタシたちもう攻撃する手札がないわよ?」

「判決を出していいですか?」

 海馬と陸が耳打ちをしているところに河野がそう聞いた。

「裁判長、最後にひとつだけ弁論をお許しください」

 陸は立ち上がると、静かにこう言った。

「森下の弁護はいつも完璧だわ。たしかにそう、鈴木くんは加藤くんのことが大好きよ。それはお友達としてだけど、それは認める。だけどね……私はこの事件、井上を訴えたくてやっているわけじゃあないのよ。この学校に根付く、腐敗の根源であるナマモノを絶つためにやっているの! 二次やオリジナルは許すとしても、生きている人間が不快な思いをするものを許すわけにはいかないわ。井上園子はその諸悪の根源よ!」

 びしっ、と井上を指差し、陸はそのまま人差し指を上に突き上げた。

「この勝訴はただの1かもしれない。だけど東雲高校の歴史を変える1になるわ」

 以上です。と陸は着席した。空乃が向こうで立ち上がる。

「これは井上園子が有罪か無罪かを決める裁判じゃ。そがぁなことを持ち出して規模を拡大したらあかん。これはたったひとつの事件じゃ。勝っても負けても、歴史に残るような事件じゃあないんじゃ」

 カンカンカン、

 木槌が鳴って、河野が声を張り上げた。

「判決を下します。井上園子、有罪。原告側の申し出を引き受け、謝罪と不名誉な冊子をこれ以上書かないこと」

 最終的には、このような結果に落ち着いた。

 森下は負けたかったし、空乃も別に同人誌全般が廃止されたわけではないので特に問題はない。陸も海馬もみんなが納得する形で幕を閉じた……ように見えた。


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