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006 ユーダイ・ミヨシは眠れない

眠れん。


3度目ともなると、少し慣れてきたおかげで、隣の彼女を実存として大変大きく感じるわけで。

寝息の音が、身じろぎによるベッドのきしみが、なんだか良い匂いが、いやもう、無理、眠れませんて。

うわー、さわりてぇ、抱きしめてぇ……いやだって、これ、もうOKってことでは?


なんて勘違いしそうになる身をぐっとこらえて、こりゃ、もう一つベッドを買っておかないと死ねる、などと考えながら、明け方にちょっとうとうとしたら、電話の呼び出し音で起こされた。


「あ、三好さんのお宅ですか? 代引きでお荷物が届いていますので、これからお伺いしてもよろしいでしょうか」

「あ、はい。よろしくお願いいたします」

「では、すぐ伺います」


きたきた、次々と運び込まれるグラスの箱で、俺の部屋はあっという間に埋まっていく。40口+最初に注文した4口に分けて発注しても、一度にまとめて来るんだな。

料金は、全部で 6,981,120円。僕が経験した代引きの最高額ですねと宅急便の兄ちゃんが笑っていた。


部屋中グラスだらけで足の踏み場もない。宅急便の兄ちゃんが帰ってすぐに、二人で事務所に移動させているが、結構大変だ。


そうこうしているうちに、また電話の呼び出し音が鳴った。


「あ、三好さんのお宅ですか? お荷物が代引きで届いていますので――」


まずい。23ピースのダンボールって、多分でかいぞ。せめて玄関まわりの箱だけでも事務所に移動させて……ここにティーセットを置こう。

4つの23ピースセットを受け取ったら、もううちにはなんにも入りません。


◇ -------- ◇


「うわっすごいね、これ」


事務所に積み上がったグラスの箱の山を見てアイリスが声を上げた。

流石に現代の技術で印刷された紙箱のままじゃ、やっぱり拙いよな。なにかこれを入れる木箱のようなものを用意しないと。


午後にはフロドロウにプレゼンにいくから、実演する機会もあるかと、駅ビルのワインショップにワインを買いに行こうとしたら、私も行ってみたいとアイリスが言い出した。


よれよれのTシャツとジャージじゃあんまりだから、とりあえずYシャツと裾を折ったジーンズを着せて、スタジャンを着せてごまかしてみた。あとは、出先で服を買えばいいだろう。

靴だけはどうにもならなかったので、サイズを計って、先に近所でローファーを買っておいた。皮靴は向こうにもあるが、スニーカーは絶対なさそうなので今回は避けておいた。


交通ルールのことを何一つ知らないアイリスは、とても危険なので、手を繋いでエスコートする。なんて見た目リア充。


とりあえず先に彼女の服を買った。ノースリーブの、バックドレープリボンのワンピース。んー、ぎりぎりコタルディ(*1)と言い張れば言えるかな、なんて言いながら選んでた。


それだけじゃ寒いだろうから、ノーカラーで袖口にファーのついた白いコートと、ロングブーツを一緒に買った。ストッキングも必要かな? しかし彼女が一番目の色を変えたのは下着だった。着心地が全然違うんだって。


ショーツとブラとキャミソールっつーかベビードールつーか、それを見せられて、どう?って聞かれても困るだけなので、好きなだけ買っていいよと言って通路のベンチへ逃げ出した。


その後、何着かこっちでの着替えを買ってから、目的のワインショップでルロワのブラニー(*2)とシャルロパンのシャルム シャンベルタン(*3)を購入した。


アイリスは沢山買えてご満悦。途中でレストランに寄っても良かったのだけれど、結構な荷物になってしまったし、時間もおしているので又今度にしよう。


帰りに買った鯛焼きを、アイリスはことのほか気に入ったご様子。あ、向こうには甘いものってあんまりないのか。売れるかな、鯛焼き。


部屋に帰ると、グラスを数セット取り出して、あちらの箱に詰めていく。緩衝材に新聞紙とかプチプチってわけにはいかないから布でくるんだ。

あとティーセットのカップ&ソーサーも必要になるかどうかわからないが、一応サンプル用に包装しておいた。

あらかじめ開栓しておいたワインも、軽くコルクを差し込んで静かに鞄に入れておいた。


さあ、商売の時間だ。


◇ -------- ◇


「お時間を割いていただき、ありがとうございます」


アイリスが丁寧にお辞儀をしている相手は、フロドロウの支配人で、ウォルフというらしい。

ちょっとプリティ・ウーマンの時のヘクター・エリゾンドに感じが似てるな。つい『ハイ、バーニー(*4)?』とか声をかけちゃいそうだ。


「それで、本日はどういったご用件でしょうか」

「実はフロドロウで是非ご使用いただきたいアイテムをご紹介させて頂こうと思いまして」


と、俺が引き取る。


「ほう。しかしうちではすでに最高のものだけを取り扱っているという自負がありますが」

「時代は移り変わるものですよ。昨日の最高が今日も最高でいられるかどうかは誰にも分かりません」

「なかなか仰いますな。それでは拝見させていただきましょう」

「こちらです」


と俺は木箱から、グラスを1セットを取り出し、テーブルの上に静かに並べた。


「これは……手にとっても?」

「どうぞ。ステム、その足の細い部分を軽くお持ち下さい。折れそうに見えますが強く握りしめなければ大丈夫ですので」


ウォルフはおそるおそる、ステムをつまんで持ち上げる。


「……軽いですな」

「極限まで薄く加工してあります」


光にかざしたり、角度を変えて透かしたりしながら、しばらくグラスを眺めた後、テーブルに戻してため息をついた。


「これは、どちらで?」

「商売上の秘密、と言いたいところですが、他言されないとお約束いただけるのでしたらお話ししましょう」


数瞬、目をつぶって考えたあと、目を開けてこういった。


「……お約束しましょう」


そこで俺はあらかじめアイリスと打ち合わせしてあったでっち上げをぶちあげた。

曰く、これらは(と箱を指さす)俺が作った(箱は俺が作った。嘘じゃないぞ)こと。

非常に制作が難しいので、誰かにそれを伝えることは難しいし、今のところ弟子をとるつもりもないこと。

製作者が知られると命に関わりかねないので、絶対に秘密にして貰いたいこと。

今のところデュコテル商会の専売で世に出したいこと。


とまあ、そんな感じだ。


「これらの――ワイングラスと呼ぶのですが――は、主にグライプのお酒を飲むために利用します」

「グライプの? ゴブレットと比べて何か違うのですか? いやもちろん見た目の繊細さや美しさは比べものにならないでしょうが」

「もちろん味も変わります」


「メイベル!」


と、ウォルフが声をかけると、ものすごくできそうなメイドさんが部屋に入ってきた。


「メイベル。グライプ酒を1本持ってきてくれないか。アラワヌーク(*5)産の上物とゴブレットをふたつ頼む」


すっと頭を下げるとメイドさんはすぐに退出していった。


「今、最高の1本をお持ちしますので試してみましょう」


◇ -------- ◇


アラワヌーク産の赤ワインは、素焼きの(かめ)に入った、なんというか、シラーのプリムールに酸をくわえたような酒だった。

熟成させたら良くなりそうだが、現時点ではスパイシーで酸の強いワインといえるだろう。

ジンファンデル用か、酸の感じからピノノーワル用かな。


「これでしたら、こちらの一番小さいグラスか、こちらのボウル――液体を入れる部分のことです――が、膨らんだタイプのものが良いでしょう」


そういって、瓶から100mlくらいのお酒を注いでみた。


「これは……ゴブレットに比べると、香りが際だちますね」

「そうです。ボウルの形状が香りを留めて、鼻に届けてくれるのです」

「なるほど。……んぉ、まるで酒が直接口の中に注がれるようだ」

「リム――口をつける部分のことですが、そこが薄ければ薄いほど、そのような感じを受けると言われています」


「これは、これは素晴らしい。是非扱わせていただきたい」

「ありがとうございます」


ウォルフは酒を口に含みながら陶酔している。

俺とアイリスは顔を見合わせて、なんとか借金返済の第1歩を歩み出せた喜びで、微かに笑い合った。


「それで、代金ですが」


ウォルフが実務的な話を始める。


「それですが、まずはどの程度の数が必要でしょうか」

「そうですね、逗留される貴族の方の食事に限定すれば、1食12セットもあればまかなえるでしょうが、晩餐会ですと60セットくらいが必要になると思われます。ですから当面60セットくらい欲しいところなのですが、ゴブレットですら少し良いものは金貨1枚を越える価格になりますから、このレベルになりますと……」


最低で60セットくらいは入れたいが、単価が金貨数枚になってしまうと、へたをすると240脚で金貨1000枚(1億円)くらいの価値になって、急な仕入れとしては困ると言ったところだろう。


「そこでご相談があるのですが」


俺がそう切り出すと、ウォルフが眉を上げて、なんですか?と言った顔をする。


「もし、このグラスを使用して、自分も欲しいと思われる貴族の方がいらっしゃった場合、その方にデュコテル商会を紹介していただけるのでしたら、今回はゴブレットと同程度の金額でお譲りしましょう」


「ほう。アイロッサ・フロドロウを宣伝にご利用されるおつもりか」

「いえいえ、目のある方が、このグラスについていろいろ知りたがるのは必定。でしたらその面倒をデュコテルが引き受けて差し上げましょうということです。いわばアフターサービスですよ」


「はは、ものは言いようですが、お互い損になることはなにもなさそうだ。それでお願いしましょう」

「では、早速後ほど60セット240脚を、金貨200枚でお届けさせていただきます」

「240枚では?」

「最初のお客様へのサービスですよ。ただし、このことはご内密に」

「はは、承知した」


ウォルフと俺は、立ち上がってがっちり握手を交わした。


最後にそのグラスで試してみて欲しいと、持ってきていた2本のワインを取り出して置いておいた。もちろんエチケットは剥がしてある。が、これが後の騒動の引き金になるとはこのときは思いもしなかった。


◇ -------- ◇


「ユーダイー」


フロドロウを出ると、アイリスが涙目で笑いながら俺の腕に抱きついてくる。


「良かったな。とりあえず私財を投じれば、白の月を乗り越える算段はできたぞ?」

「え? でもそれだとユーダイの取り分が……仕入れだってあるのに」

「心配するな。ほら、アダマンを買って貰ったときの借りがあるだろ? こっちの服だって買ってきて貰ったし。余った分はあれの利子だよ」

「……ありがとう」


これで貴族部門がスタートしたわけだけれど、呼びつけられるのならともかく、ご足労頂くのに、あの庶民の店舗では少し都合が悪い。

グラスの木箱も、なにかちょっと高価な感じにしたいしな。なにしろ実際に高価だから。


「なあ、アイリス。すぐに仕事をしてくれる木工職人って心当たりがあるか?」

「え? うん。昔から、うちの仕事をしてくれてた工房があるけど」

「じゃあ、そこに行って、今すぐ内側が1mの半分、0.5mx0.5mx0.5mのこぎれいで高級そうな木箱を4つ作ってもらってくれないか? グラスの納品に使うから」

「わかった。ユーダイは?」

「俺はちょっと緩衝材を仕入れてくる」

「緩衝材?」

「グラスが割れないようにするためのものだよ」

「へー」


「将来的には12セット入りの木箱と6セット入りの木箱と1セット入りの木箱を作ってもらって、なにかデュコテル商会の紋章の焼き印でも押しておきたいね」

「なんか格好いいね」


いわゆるブランド化だな。


「じゃ、後で商会の事務所で。夕方までにはフロドロウに納品だ。それとデュコテル商会の紋章が分かるものを持ってきてくれ」

「わかった、また後で」


アイリスは、木工職人のところへと元気にかけていった。


◇ -------- ◇


緩衝材は難しかった。


現代の緩衝材は、プチプチに代表されるエアクッション系と、コーンスターチとポリプロピレンから作られるつぶつぶ系が主流だ。大変便利で優秀だが向こうで使うには素材が謎すぎる。


ペーパークッションもこんな素敵ペーパーはないそうなので問題がありそうだ。

デュコテル商会で上質または中質紙を売り出せば、それを取り扱っている店なので納得して貰えそうな気もするが、今は無理。


そうすると結局ウッドパッキンになるわけだが、これが1kg4000円もする上に、余り売ってないという……

とりあえず勢いで市内のウッドパッキン全部買い占めた自信があるね。


この時代、馬車での運搬に耐えるような何かを、まじめに考案しないと運べないな、これは。



その夜、フロドロウへの納品を終わらせた後、俺の部屋で先日買った部屋着に着替えてコタツに潜って、にへらーと笑ってるアイリスがいた。

目の前には金貨が200枚。泥棒が怖いから、俺の部屋に置いておくんだと。まあこれだけでもとりあえずは生き延びられることになったんだから嬉しいのはわかるけどさ。


「それでさ、もし注文が入ってくるようになったら、貴族部門向けの商談用の事務所が欲しいんだ」

「その事務所じゃダメ?」

「こちらから出向くときは良いんだけど、お貴族様がいらっしゃるには、あの庶民向け店舗では少し都合が悪いんだ。ほら、貴族って見栄で生きてる生物(いきもの)だから」

「あー、そうだよね。印象が良くないか……それだと貴族街のほう?」

「その店舗の隣や向かいだと楽なんだけど、この辺じゃダメか?」


「この辺りはグリッグスの最も古い時代の中央街だから、貴族向けの店があってもぎりぎり大丈夫だと思うけど」

「隣の趣味のいい小さな店。ずっと閉まってるんだけど、やってないなら借りられないかな」

「ああ、サリナおばさんのお店ね。可愛い小物を売ってるお店で、子供のころ凄く良くしてもらってたな。おばさんの体が弱ってから休みがちみたい」

「いいね。もし店を閉めて隠居するようなら、買い取ってもいいし、それよりも充分生活できるくらいの家賃を支払ってもいいかもな。いままでのお礼を込めて」

「そうだね。聞いてみるよ。あ、そうだはいこれ」


コタツの上のミカンをもぐもぐしながら、アイリスが商会の紋章が書かれた羊皮紙を渡してきた。


「これ、美味しいよね。みんなにも食べさせてあげたいし、ちょっとだけうちで取り扱ってもいいかな?」

「ミカンか? うーん、将来的に向こうで代替えできない食品は、あまり持ち込みたくないんだけど……ま、客は近所だけだし、ちょっとくらいならいいか」

「やったー。いくらくらいなの?」

「こっちでは何個かまとめてそっちの銅貨6枚くらいの価値かな。そっちでは食べたことないものだろうし、2個で銅貨1枚くらいで良いんじゃないか?」

「うん、それならみんな試しに食べてくれるね」

「じゃ、美味しそうなところを後で買ってきておこう」

「ありがと」


アイリスは、シャワーを浴びると、今朝買ったワンピとコートに着替え、素敵なコタルディとシュールコー(*6)に見えるわねなんていいながら、そのまま帰って行った。流石に4日連続外泊は避けるようだ。

え、それで大丈夫なの? とちょっと不安になったが、本人が気に入ってるんなら、まあいいか。てか、下着置いていくなよ。


俺は、商会の紋章をスキャンして、ベクタデータに変換すると、ネットからカドゥケウス(*7)の画像データをダウンロードしてきて、それを適当に合成してみた。

んー、なかなか格好いいな。ちょっと複雑だけど焼き印に出来るかな? これを貴族部門のマークにしよう。

デュコテル商会の紋章に、カドゥケウス――二匹の蛇が巻き付いた杖。商業のシンボルだ――を追加した紋章を、オリジナル焼き印を作成している会社に4-5cm角くらいでお願いしたいとメールしておいた。

同じものをプリンタで出力して、明日アイリスに見せてみよう。


ふと見ると、昨日ラフ査定をお願いした業者から返信が来ていた。

なになに、是非一度お会いして確認させて欲しい?……うーん、めんどくさいことになるのはちょっとな。とりあえず今はスルーしておくか。と返事はださなかった。


そうだ、ミカンを買って来なきゃ。ついでに飯を食って、クレカも使いそうだから少し入金してくるかと外出した。


アイロッサ・フロドロウ(ホテル名) airotsa frodlaw


*1 コタルディ

13C-14Cに流行した、それまでより体にぴったりした衣装。はっきりとした定義はなく幅広いデザインが普及した。


*2 ルロワのブラニー

ルロワはブルゴーニュの名門ドメーヌ。

ブラニーは、ムルソーにあるプルミエクリュの畑。


*3 シャルロパンのシャルムシャンベルタン

単にシャルロパンと言えば、フィリップ・シャルロパン・パリゾのこと。

今は、以前シャルロパンで白ワインを担当していた、フィリップの息子がやっている、シャルロパン・ティシエができたので注意。

シャルムは、シャンベルタンにあるグランクリュの畑。

シャルロパンのシャルムは、比較的若いうちから開く偉大なグランクリュだけど、余り若いと樽が強すぎることも。新樽比率が高いため、スモークやバニラ香に特徴がある。


*4 バーニー

プリティウーマンに登場するビバリーヒルズ・ウィルシャーの支配人。美味しい役でしたね。

ビバリー・ウィルシャー・ビバリーヒルズはフォーシーズンズブランド。


*5 アラワヌーク(産地)arrawannooc


*6 シュールコー

いわゆるサーコート。コットやコタルディの上から着る外出用の上着。


*7 カドケウス

二匹の蛇が向かい合って巻き付いたデザインのヘルメスが持っていた杖で、商業のシンボルとなっている。


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