030 ジョシュア=ブラックウッド
今日もグレイ……じゃないや、グレンのやつが来ていた。
早い時間ならサラを貸し切りできるのに味を占めたかな。あんまりしつこいと引かれるぞ。
しかし毎回テーブルウェアを買っていくけど、大丈夫なのか?
「あ。あの人? 大丈夫じゃない?」
「そうなの?」
とアイリスに聞くところによると、セットじゃなくてC/Sを1客ずつとか買っているそうだ。なんと。せこいぞグレイ。
もっとも一番安い、オールドカントリーローズでも、金貨2枚近くするけれど。
そのとき、ドアベルが鳴って、見たことのないお客様が入店されてきた。
貴族……という感じでもないな。身につけているものはいかにも高価そうだが、派手さはない。
「いらっしゃいませ」
とアイリスが対応する。
「こんにちは。こちらはデュコテル商会のお店でよろしいですかな?」
「はい。どういったご用件でしょうか?」
「はい、私はブラックウッドと申しますが――」
話を聞くと、アシュトン公爵のところで非常に素晴らしいグラスを見て、こちらを紹介していただいたとのこと。
奧の応接室へご案内して、いつも通りオールドカントリーローズでお茶を出した。
「お茶もさることながら、このティーセットも素晴らしいですな」
「そちらも売り物ですよ。よろしければご検討下さい」
「なんと!」
なんてやりとりをしながら、グラスのサンプルや、各ティーセットのC/Sなどをお見せしていたが、ブラックウッド氏は手に取ったグラスをテーブルの上に置くと、改まって、
「全部頂きたい」
と言った。
「は?」
「今店にある、そのグラスや、ティーセットの類を、全て売って欲しいのです」
全部?! いったいこいつは何者だ? 失礼かとも思ったが、横から口を出した。
「全部と申されますと、在庫もでしょうか?」
彼はこちらを見て、きっぱりと言った。
「もちろんです」
マジデスカ。何か金額を勘違いしているんじゃないのかな。
ティーセットまで全部とか言ってるけれど、ワイングラスと同じ原価率に設定したら、アストバリーブラックなんか、ええと……金貨3470枚くらいになるぞ。
「例えばそのグラスセットですと、200セットほどございますので、金貨3200枚となってしまいますし、ティーセットは最も高価なものですと、1セットで金貨3470枚にもなってしまいますが」
金貨1000枚って、1億円相当だぞ?
「結構ですよ。ただし商会間取引でお願いします」
商会間取引?
「し、少々お待ち下さい」
そう言って、アイリスを2Fに連れていく。
「商会間取引ってなんだ?」
「ええっとね、商会と商会の間の取引で、支払がその場じゃなくて決められた日になるの。例えばうちが問屋の商会からものを仕入れると、その支払が――」
「緑の1日なるみたいなものか」
「そう。今日は白の56日だから、慣例だと緑の1日か55日ね」
「なるほど、テンバイヤーか」
なにしろまだまだこの製品群は広まっていない。
グラスなら、アシュトン公爵やテップ伯爵はともかく、フロドロウへ宿泊した方々がそれなりに買っていくくらいだ。
最初にアシュトン侯爵が、購入されてからまだ20日くらいだから、噂が拡がるのはこれからだろう。
ティーセットにしたところで、ラムレイ子爵のお嬢様が口コミでご紹介下さっているが、一度にお茶会に参加するのは10人未満だし、毎日やっているわけでもない。
ただし、出席された方の購入率は、今のところほぼ100%なのだが。
全在庫を買い取って、より高額で自分の顧客に売りさばくチャンスってわけだ。
「どうするの?」
とアイリスが聞いてくる。
「ブラックウッド商会って知ってるか?」
「うん。最近勢いのある商会だって聞いてる」
ふむ。つまりあれだな、より上層に食い込むためにうちの商品を利用したいわけか。
「この世界って転売に関するタブーとかないのか?」
「転売って何?」
「Aで売ってるものを仕入れて、もっと不当に高くBに売ること、かな?」
「? どこかから仕入れて、どこかに売るのが商人でしょ? 不当って、買い手がいるならなるべく高く売るのはあたりまえだよ?」
そうか。考えてみれば、転売行為って説明するのがものすごく難しいな。
まあ、要するにタブーはないってことか。
「近々どっかで貴族の大きなパーティとかあるのかな」
と、思わず口にしてしまった俺の言葉に、
「あるよ」
とアリスが答えた。
白の80日。つまりヴォルプリが近づくとあちこちでいろんなイベントが行われるけれど、最大のものは王宮で行われる晩餐会じゃないかなとのこと。
あれだ、テップ伯爵がダイヤモンドと名付けたアダマンを王様に献上する会場だ。
ははぁ、ブラックウッド氏の狙いはその辺か。
「それで、どうするの?」
「少量なら、即日仕入れできるし、大量ならどうせ送るわけだし、仕入れは2日くらいでできるからお店としては問題ないな。それにブラックウッド氏が宣伝してくれるというのなら、200セットくらい売り飛ばしてもいいかな」
「わかった。ユーダイがいいなら、私も構わないよ」
そう言ってアイリスが笑った。
「おまたせしました」
「それで、どうですかな?」
「商会でブラックウッド様と仰ると、今破竹の勢いだという?」
「地道に商売をさせていただいているだけですよ」
「なるほど。店の在庫全てを商会取引で買われるということですが、ひとつ条件があります」
「ほう?」
「どなたかに仕入れ元を聞かれた際は、デュコテル商会だと隠さずに仰っていただけますか?」
「ほう」
ブラックウッド氏は少し考えていたが、すぐに、
「いいでしょう。仮に私のところで取り扱ったところで、仕入れはそちらにおまかせするしかないのですからな。その代わり――」
もし王都にお店を出される場合は、その後、大体同じ価格で販売しても利益が出るよう少し割り引いて卸してほしいというのが彼の要求だった。
情報伝達や輸送がしっかりしていないこの世界では、産地から離れるほどに価格は大きく上がっていくから、グリッグスにいる間は気にしないが、自分の主力の土地に店を出されるときは、それでは困るということか。
「お約束しましょう。もっとも仕入れをそのままに、販売価格をそちらに合わせるかも知れませんが」
そう言うと、彼は笑って手を出してきた。
「結構」
「ではお支払いは、緑の1日で?」
「それでかまいません。白の59日にとりに来ますので、運び出せるようにしておいて下さい」
「かしこまりました。ああそうだ」
ん? とブラックウッド氏が首をかしげる。
「首尾良くヴォルプリの晩餐会に食い込めることをお祈り申し上げていますよ」
というと、ブラックウッド氏はニヤっと笑って、後ろ手に手を振った。




