028 女衒じゃないぞ
明日に初めての休みを控えて、今日はウォルフに挨拶来ている。
クロエの話だと、先日持って行ったシャルロパンがとても気に入ったみたいだから、もう一度、と思ったがシャルムに取り扱いがなかった。マジ・シャンベルタンはあったが、あまりに味わいが違いすぎるしなぁ。
どちらかと言えば果実実豊かで柔らかいタイプか。洒落じゃないけど、フィリップ繋がりでパカレ(*1)のシャルム・シャンベルタンを用意してみた。
ピノ・ノワールで柔らかいのが良いんなら、わざわざシャンベルタンとかで探さないで、コート・ド・ボーヌ(*2)を買えと言われるのはわかっちゃいるけど、ヴォルネイとかまるきり違うしなぁ。ポマールの北側とか?
「それで、本日はどういったご用件で?」
「いえ、実は、IRISなのですが、下一桁が0の日と5の日はお休みにすることにしまして」
と、フロドロウの支配人、ウォルフにおみやげのパカレを渡しながらそう言った。
「そのご報告に」
「これはこれは、ご丁寧に」
と嬉しそうにワインを受け取ってから、
「そういえば、ご領主様と、なにやらお取引をなされたとか?」
と聞いてきた。さすがに耳が早いね。
「ええ、まあ、やむを得ませんで……」
「残念ですなぁ、うちにもおろしていただきたかったですな」
じっとこっちを見ながら、そう言った。バーニー、考えが漏れてるし。うう、圧力が……
「あー、グラスの件では大変お世話になりましたし、その、わずかでもよろしければ」
「もちろんですとも。いや、大変助かります」
今日はご挨拶に来ただけですから、具体的な本数や価格はこれからということで、いくつか面白そうなものもあるので、サンプルを持ってきますよと約束して別れた。
明日はアイリスとお出かけだし、丁度良いか。
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IRISに戻ってくると、道路の向かいの治療所の前に……あれは、グレイか? だから待ち伏せすんなって。
「なにやってんだ、お前」
「うぉ。なんだよ、ユーダイかよ」
「だから、お前、そのストーカー気質をどうにかしろって。サラに見つかるぞ?」
「いや、直接会ったことは無いはずだから、大丈夫だ」
会ったことないのかよ!
「いや、しかし、右側のデュコテル商会の店舗には、マリアもくるぞ?」
「それも、直接会ったことは無いはずだから、大丈夫だ」
こっちもかよ!
ふ、悪は姿を現さないものさ、って、何かっこつけてんだ。てか、悪だって思ってるのかよ!
「うちの商会のモットーは、『不本意な悪は許される』だからな」
いや、だから、なんでそんなドヤ顔なの……もう突っ込み所だらけで、どうしていいかわかんねーよ。
「いや、今日はユーダイに会いに来たんだよ」
「俺に?」
「ほら、昨日の絵」
といって、皮の袋を差し出してくる。なんだ、これ、と受け取ったら、金貨が沢山入っている。
あー、45枚の件か。本気にしたのか。まいったな。
「いや、俺じゃなくてサラに直接返せよ」
「それも考えたんだが、俺が直接返しに行ったら、ゾーン商会のものだって、ばれちゃうだろうが」
ばれたくないのかよ。
「いや、まあ、そうなんだろうけどさ。ここはマズいだろ」
「なぜ?」
「だって、お前と一緒にいるところを見られたら、まるで俺たちが一緒になってサラをはめようとしてたみたいに見えるだろうが」
「ああ!」
「絵は用意しておいてやるから、さっさと……」
「あら、ユーダイさん」
げっ
「こ、こんにちは、サラさん。早いですね」
「もうすぐ3の刻ですよ? でも本当にこんな時間でいいのですか?」
IRISの営業時間は、3の刻~6の刻だ。店員には大体3の刻前に来てもらっている。そして簡単な掃除なんかをして、3の刻にオープンする。
「もちろんですよ。朝早く開けても誰も来ないので」
隣の店舗は、早くから開けていますけど、と、笑っておいた。
「こちらは……お知り合いですか?」
と、サラさんがグレイのことを尋ねてきた。
「あ、こいつはグレ……グレンと言って、最近知り合ったんですよ」
「まあ、そうですか、グレンさん。私はサラともうします。よろしくお願いしますね」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いしましゅ!」
噛みやがった。ガチガチだよ、こいつ……
「ふふ。おかしな方。では、準備がありますので失礼しますね」
サラが去っていくと、グレイのやつから力が抜けて、がっくりしている。
「さ、サラしゃん……」
「おい、大丈夫か?」
「も、もちろんだ。だがグレンってなんだ?」
「グレイじゃ、正体がばれるかも知れないだろ」
「お、おお、そうだな」
それに、グレンにしておけば、正体がばれたときに、俺も知らなかったんだよと強弁できるはずだからな。悪く思うなよ。
「いいか、お前は俺と知り合ったときには、すでにグレン。気の良い金持ち平民のグレンだ。そして俺はお前の正体は知らない」
「ああ、わかった」
「じゃあどうする? 買い物でもしていくか?」
「い、いいのか?!」
「サラのお客になりたかったんだろ?」
「お、おお。ちょっとニュアンスが違う気もするが……」
「なーにニュアンスなんか気にするなよ。サラが貴族様でも使ってないようなグライプ酒用のグラスを売ってくれるぞ」
「そうなのか?」
「ああ、金貨45枚なら、もう少し足せば3セット買えるぞ」
「! たけぇよ!!」
「まあ、そういう店だからな。質は保証する」
「……デュコテル商会があっという間に危機を脱したわけが分かったぜ」
「しかし、届けさせる先がゾーン商会じゃまずいだろ」
「大丈夫だ、いくつかセーフハウスがあるから、そのうちのひとつを使うよ」
セーフハウスって、こいつと付き合ってて、本当に大丈夫なのか? カネを貸したやつが逆恨みして突っ込んできたりするの?
と思ったら、女としけ込むときに使う誰にも邪魔されない家なのだとか。まあそれもセーフハウスのうちか。
「お前な、節操がないとサラに嫌われるよ? ああ、もう手遅れだからいいのか」
「うるせぇ、これから改めるんだよ」
え、本気なの、こいつ?
……まあいいか。他人様の恋愛に口を出すとろくなことがないしな。
「ティーセットなんかを買うと、サラがお茶を入れてくれるんじゃないか?」
「ぐっ……またベラボーな値段なんだろ?」
「質は保証いたしますよ、お客様」
「くそっ、買うよ、買いますよ!」
そのとき、3の刻の鐘が鳴った。
「さあ、お店のオープン時間だ。叩けよさらば開かれん(*3)。今ならサラを貸しきりですよ、お客様」
と言って、グレイじゃなかった、グレンとIRISの扉をくぐった。
女衒じゃないぞ。
*1 パカレ
Phillipe Pacalet. フィリップ・パカレ。
2001年がファーストビンテージの最近できたドメーヌ。
そのワインは悪く言えば、薄いというか細いというか、そういう印象が強いのだが――いや悪く言わなくても細い感じが強いのだが、当たりに出会えれば、繊細で旨味があって、なかなか素晴らしい体験となる。
どのくらい繊細かというと、シャンベルタンなのに、赤黒いと言うより、もろに豊潤な赤い果実を感じることがあったりする。ケミカルな梅なんて突っ込みもあるけれどw
パカレのシャルムは、フレッシュな果実感と(シャンベルタンにしては)ものすごく柔らかい酒質、鉄と言うよりバラ園を手入れしているような香りに、いわゆるおきまりの「きれいな」酸ってやつ。ムツカシイ表現だよね。
「きれいな酸」と言われると、酸がバランスよく小さくまとまっていて、長期の保存には向かない感じがするイメージがある。
スッキリ上品な酸の場合「エレガントな酸」の方が好きだな。え、どっちも大差ない? ごもっとも。
フィリップ繋がりというのは、単に、シャルロパンの当主が、フィリップ・シャルロパンだから。
*2 コート・ド・ボーヌ
Cote de Beaune.
ブルゴーニュのコート=ドールの南側。北は言わずと知れた、コート・ド・ニュイ。
世界最高の白ワインを生産する地域のひとつだが、土壌の関係から、赤はコート・ド・ニュイよりも柔らかなワインが多い。
中部のモンテリや、南部のサントネの赤は、手頃な値段でタンニンも繊細なものが多く万人ウケするし、日本でも見かけることが増えてきたので、デート中にメインのお肉に合わせるワインに困ったら、この辺を選んでおけば大丈夫。ソースがあまりに尖っている皿は辛いかもしれないけれど。
ちなみにジュヴレ・シャンベルタンは、コート・ド・ニュイの中でも力強いワインが多い。
*3 叩けよさらば開かれん
新約聖書マタイ福音書7章7節にあるイエスの言葉。
ローマカトリック教会の公認標準ラテン語訳聖書のウルガータ(Vulgata)だと、次の一節の一部にあたる。
Petite, et dabitur vobis: quaerite, et invenietis: pulsate, et aperietur vobis.
「求めるのなら与えられるし、捜すのなら見つけられるし、叩くなら開けてもらえるよ」ってこと。
神さまはそうしてくれるから、あんたがして欲しいと思うことは、他人にもしてあげなさいということを言っているところの一部。
これが、財産なんかため込んだって、その状態で天国に行くのはラクダが針の穴を通るのより難しいよという有名なルカ第18章25節みたいなところに続くわけですね。
グレイの場合、叩いてもドアが開くだけで、サラは……どうかなぁ。




