020 治療騒動(後編)
「お久しぶりでございます」
「おお、ユーダイであったか。それで例のものは」
「もちろんご用意させていただきました」
一緒に持ってきたティニャネロと、ソライア、それにトラミンを何種類かと、フランツ・ハースのマンナ、それぞれ2本づつで、計12本と、グラスセットを2セットお渡しした。
「地下室などの涼しく温度変化が少ない、ある程度湿気のある場所で保管してくださればしばらくは大丈夫です」
「わかった。こちらが代金だ。ホーラハント」
控えていた初老のザ・執事が、恭しく皮の袋を渡してくれた。これって、すぐに確認して良いものなの? しかし確認しないのも何か違う気がするしな。
「確認させていただきます……確かに。お買い上げありがとうございました」
「いやなに、それとな……」
「はい?」
「時々は、そのワインとかいうグライプ酒を売ってもらえないだろうか」
気に入ったのかな。あんまり良くはないんだけど……しかし交換条件には使えるか。
「実は、私もご領主様にご相談がございまして」
「ほう。申してみよ」
俺は先日からの治癒騒動を、かいつまんで説明した。
「確かに、聖職者以外の治癒魔法を取り締まる法はない」
やった、領主様のお墨付きがでたぞ!
「が、教会はいい顔をせんだろうな」
ですよねー。
この世界の教会というやつは、良くも悪くも影響力を持っている。にらまれて嬉しいはずがないし、村八分にでもされたら商会どころではなくなってしまう。
「ふむ、そうだな。1期に40本。年120本の販売契約を結んでくれるなら解決してやらんでもないぞ?」
う。そう来ましたか。
なんとかして貰えないかと思って来たのは確かだけれど、できれば何本かお贈りする対価にそうして欲しかったな。
継続的な契約は、いつ履行できなくなるかわからないしな。
「それほど仕入れられるかどうかわかりませんし、ある日突然帰国命令が出るかも知れませんので、それまでと言うことでしたら」
「いいだろう。その代わりに、うちのグライプ醸造所で多少の技術指導をお願いするというのはどうだ。それなら手に入れられなくなっても困らないかもしれないぞ」
くっ、さすが領主。足元を見てくるね。しかし、ここは仕方がないか。
「承知しました。できるだけお力になりましょう」
「よし。ホーラハント!」
「はっ」
後ろでなにやら、ごそごそ書き物をしていたホーラハントさんが、さっと2枚の羊皮紙をニャル様に渡した。
それをざっと確認した後、さらさらとサインして、俺に渡してくる。
「さ、確認したらサインしてくれ。それで契約完了だ」
うえっ、この短時間に契約書まで作ってくるとは、素早すぎる。
俺はその書類を確認した。
「あ、あのー領主様?」
「なんだ?」
「こちらがお渡しするものはこれで結構ですし、対価である1本当たり金貨5枚というのも、少し苦しいですが問題ございません」
ちょっと大げさに言っておいた。
「ふむ」
「しかし、この『治療所を開設する許可を与える』というのは一体……」
「治癒魔法を使う大義名分が欲しかったのだろう?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
確かにどうにかして欲しかったのは事実だけど……よく考えてみれば、俺はいったい、どうして欲しかったのだろう?
領主が出した治療する許可があれば、確かに文句のつけられようはないだろうけれど……ええ?
「治療しなくて済むようにして欲しかったのですが」
「そのようなことは領主にもできん」
そりゃそうか。
教会にただで治療しろと言うのは越権行為だし、藁にもすがりたくてやってくる住民に、来るなと強要するのは統治上のマイナスが大きすぎる。
「でもヴィオラールは、いずれ帰ってしまうと思うのですが」
「ふむ。ではうちの地区の教会に丁度良い異端がいるから、そいつを押しつけ、あ、いや、派遣するよう教会に言っておこう」
いま、異端っていいました?! 押しつけようっていいませんでした?!
それって、体よく異端者を処理して、教会にも恩を売ろうってことじゃないんですか?!
くっ、領主コエー。
「そう心配するな、治癒魔法に関しては、なかなか優秀な若手らしいぞ」
それ以外に何かがあるってことですね、わかります。
◇ ---------------- ◇
商会に戻ってきた俺は、詳しい話をアイリス達にして、並んでいる人たちには、緊急性の高い人だけを残して、残りの人にはもうすぐ治療院ができることになったから、そちらへ来てほしいことを伝えて引き取っていただいた。
「治療院って、もう商会がやることじゃないような気がするんだけど」
「俺もそう思う。でも領主様が直々に命じられたことだしなぁ……」
「ヴィオラール様だっていずれは帰られるんでしょう?」
「まだしばらくはお世話になるつもりですが、いつまでもは無理ですわね」
そもそも仕事じゃなくて修行に来てるんだしなぁ。
「でもあの人体の理の本は凄いですわ! なにかまた階段を駆け上がっているような気分なのですわ」
と夢見るように言ってるから、まあしばらくはいいのかな。
「人員については、なんでも教会の人を一人回してくれるらしいよ。治癒魔法については優秀な人らしい」
「へー。でもおかしいわね。優秀な人なら、教会で治癒魔法を使わせたほうが、よっぽど教会に貢献しそうなものなのに、なんでわざわざ利害関係がぶつかりそうな治療院なんかに派遣するの?」
アイリス。それはものすごく正論だが突っ込んではいけないところだ。俺の直感がそう叫んでいるぜ。
「優秀な治癒魔法使いですか。早くお話ししてみたいですわね」
「それで、治療院ってどこにできるの? 誰が作るの?」
「さあ? すぐに分かるとか言ってたけど……」
「あ、領主様が作ってくれるのね? ならいいけど」
そのとき、ちりんちりんとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「こちらは、デュコテル商会の IRIS でしょうか?」
「はい」
「向かいの家のものですが、その家をIRISに売れと、領主様に言われまして……」
「はぁ?」
そんなことを強制して大丈夫なのか? 恨まれたりしないのか??
「ああ、代わりにもっと良い場所をいただけると言うことですので、うちとしましてもそれほどは問題はございません」
「買えと言われましても、いかほどで?」
「旧地区の土地はそもそも領主様のものですし、家は移転先にも用意されているそうですから、移転費用を持っていただければ……金貨20枚でいかがでしょうか」
「わかりました。ではこれを」
と金貨20枚を渡し、権利書を受け取った。明日には使えるようにしておきますとのこと。
ニャル様、仕事はぇえ。てか、そこまでするなら金貨20枚も払っておけよな。
「どうやら、向かいを使えってことらしいね」
「内装とかどうするのよ」
「治療院とはいえ、魔法で治療するだけだから、待合室の椅子と、寝そべるベッドくらいあればいいのかな?」
「まあそうですわね」
ご領主様命令じゃ、断れそうにないし。できるだけ楽しくやれるように工夫するしかないか。
◇ ---------------- ◇
「アシュトン侯爵様。この美しいグラスはどちらで?」
新酒の季節、グライプ酒の売り込みが多い季節だ。今日は最近大きくなってきたと評判のブラックウッド商会が、アラワヌーク産の最上級グライプ酒を売りに来ていた。
サンプルを持ち出してきたので、悪戯心がわいて、例のグラスを持ち出してみたのだ。確か酸の強いアラワヌーク産には、これだったな。
思った通り商会長のジョシュア=ブラックウッドは食いついてきた。
「最近手に入れたのだが、美しいだろう?」
「はい。このような透明で薄く、しかも輝くようなグラスは見たことがありません。グライプ酒がまるで液体のルビーのようではありませんか」
液体のルビーとは面白いことを言う。しかしもっともな表現だ。
「これを作って売りに出したのは、今、ヴィオラールが修行に行っている先だ」
「は? ヴィオラール様が修行? 教えるのではなくて、ですか?」
「修行だ。師匠の元に嬉々として旅立っていったぞ」
エドワード様にお仕えするのにふさわしいものになって戻って参りますとか言っていたが、そこは言わなくて良いだろう。
「これを作り、ヴィオラール様を弟子にとる? いったい何者ですか、その方は?」
侯爵は、最近だまされて、乗っ取られた商会の名前を口にした。




