017 情けは人のためならず?
会社を作るのって思ったより簡単(とはいえ書類は佐野さんにおまかせしたんだけど)そうだったけれど、面倒が多くてまいった。
事業目的とか、儲ける、じゃダメなの? あと定款ってどうやって書けばいいのさ、等々。
印鑑はいくつも作る必要があるし、書類は沢山あるし、なんかもう、設立者達の名前と実在証明とこれから会社やるからって届け出だけでいいじゃん、誰かを食わせるためにやたら複雑にしたんじゃないの?と疑いたくなるレベル。
「じゃ、後は法務局で登記しておくね。提出したら、大体1週間くらいで受領されるから」
「つまり、1週間後には、俺、社長?」
「提出したらね。会社の印鑑ができて、印鑑登録しないと登記できないから。税務署関連の開業届もこっちでやっておく?」
「お願いします。とりあえず現金は渡しておくから」
「おっけー。三好さんのところは、ほとんど節税対策みたいなものだし、出資者も一人で、社員も一人だから利害の調整もなくて簡単だよ」
結局、家具類を作ったり、いろんなものを輸入して販売する、メーカー兼インポーターみたいな会社にしておいた。
会社名? もちろん(株)アイリスだ。ざっと検索したところ、同じ区内に同じ名前の同業者はいないみたいでよかった。
さて、次は、形だけでも整えないとね。
irisなんて名詞のドメインはもう無いだろう(*1)と思ったら、カタカナドメインのコムとか、地域ドメインのyokohamaなんかはまだ取得できる。
新ドメインなら、iris.bar なんかも空いてたから、そう言う名前のお店は是非。iris.pub はなかったけど。
iris.business とか、iris.jewely とか iris.wine も空いていた。
結局、デュコテル商会のアイリスだから、d-iris でいいか。shopとbizとco.jpとtokyoの4ドメインを取得しておいた。
はー、無職なのに、仕事をしてたときより忙しい気がする。
何か疲れたので、ここはイチローにあやかって、ユンケルファンティー(*2)を奮発しておいた。ファンティーの文字フォントが実にファンキーな1本だ。
◇ ---------------- ◇
「こういう家具が作れるか、だと?」
「はい」
翌日、俺は向こうの世界の売り物をさがしに、ゲオルさんのところへ相談に来ていた。
とりあえずシノワズリの影響が強く出る前のチッペンデール様式や、ヘップルホワイト様式の椅子なんかの資料を大量に用意して。
「変わった形の足だな」
猫足ですね。
「そうだな、変わった仕事だし、木工のやつらもおもしろがるだろう。とりあえずいくつか作ってみるか」
「お願いします。アレンジされても結構ですから」
そういって、ゲオル工房を後にした。
◇ ---------------- ◇
店の近くまで戻ってくると、なにやら人だかりがしている。
覗いてみると、ヴィオラールくらいの女の子が倒れていた。え、なに? 事故?
「妙にふらふらしてたが、突然よろけて馬車にはねられたんだ。流行病かもしれんし、誰も近づけないんだよ」
と見物人が教えてくれた。いやそれどころじゃないでしょう。
はねられたって事で、動かしちゃいけなさそうだったから、アイリスにその場を確保して貰って、お店へ駆け込んだ。
「ヴィオラール。治癒魔法は使える?」
「治癒魔法は聖職者の役割ですから……」
体系が違うのだとか、あるんだそういうの。
「でも私は天才ですから、当然使えますわよ。……ちょっとは」
そう答えを聞くやいなや、俺は彼女の手を取って、さっきの現場まで連れていった。
ヴィオラールは「きゃっ」と小さな声を上げて、驚いていた。
そうして俺は、ヴィオラールに、彼女を助けて欲しいとお願いした。
「え、でも……」
何をためらっているのかと思ったら、治癒魔法は基本教会の仕事であり、聖職者がそれを使う場合は、必ず料金を取らなければいけない決まりなんだとか。
ただで行うと、秩序が崩壊するため、厳しい罰則があるそうだ。医者が医療行為をタダでおこなってはいけませんみたいな法律があるってことか。
でも……
「なーにいってんだ。ヴィオラールは俺の弟子で、聖職者じゃないだろ? だから大丈夫なんだよ」
「……あ、そうですわね! 『聖職者が行う場合は』対価を求めなければならないのですわ!」
「そうそう。だから全然平気なんだよ」
「わかりましたわ。お任せ下さい!」
たぶん法の意図的にはNGだと思うけどね。
おそらくこの法ができたとき、治癒魔法は聖職者しか使えなかったんじゃないかな。
ヴィオラールは、基本いい子だから、本当はこういうとき力を使いたかったんじゃないかな。だけどとてもまじめな子だから、法を犯してはならないという規範意識が強くて、葛藤があったんだろう。解放された感じで嬉々として呪文を唱えている。
女の子の傷がみるみるなくなっていき、周りの野次馬から、おおーという声が上がる。初めて見るけど、凄いな、治癒魔法。
「治癒魔法で、外傷や異常のある臓器などは治りますけど、失われた体力そのものは……」
と、ヴィオラールが申し訳なさそうに言っている。治せるけど体力の回復などはできないってことか。
どうするかな……しかたない、栄養ドリンクでも飲ませてみるか。
俺はその子を抱き上げて、野次馬をかき分けながら、旧店舗の2Fにある事務所へと運び込んだ。
途中マーサさんが驚いていたが、後で説明しておこう。
そして、取り出したのは昨日買ったばかりのユンケルファンティー。子供に全部のませたら不味いかもなぁ。とりあえず半分にしておくか。
「お師匠様、それは?」
「体力を回復させる薬、かな?」
「なぜ疑問系ですの」
あきれるヴィオラールを尻目に、俺はスニフターに半分くらいのユンケルを注いで、彼女の口元へ持って行った。
彼女は目を閉じたままそれを一口飲むと、突然動きを停止した。
え? え? 何かマズかった?
次の瞬間、ぱっちりと目を開くと、驚いたように立ち上がり、あたりを見回した。
「! さすがお師匠様のお薬ですわ。一瞬で回復させるとは!」
ヴィオラールが、感動の眼差しを向けてくる。
え、なに? 冬虫夏草って、こんなに効くの? それとも何かのファンタジー効果?
彼女の名前は、コロネ。
街の北側にある、孤児院の女の子らしい。
「助けていただいてありがとうございました。あの、でも……」
「気にしなくて大丈夫だよ。そっちのお姉さんは、困っている人を見過ごせないのさ」
ヴィオラールをさしてそう言うと、コロネは、
「おねえ、さん?」
と首をかしげる。うんうん、気持ちは分かるけどね。
「キー! ちょっと胸が大きいと思って、なんですの、その疑問系は。私はれっきとした19歳ですわ!」
「ご、ごめんなさいっ」
ヴィオラールをなだめた後、詳しく事情を聞いてみると、最近ちょっと忙しくて、ついふらっとと言った瞬間。彼女のお腹がぐーっと鳴った。
「あっ……」
と真っ赤になるコロネ。
来客用のお菓子くらいしかないけど、と、お茶とクッキーを出してあげたら、遠慮がちに一口食べて、
「あ、あの、これ、弟や妹たちに頂いて帰ってもいいですか?」
と聞いてきた。
「え? 構わないけど、何人くらいいるの?」
「私を入れて7人、あ、院長先生がいらっしゃるので8人です」
俺は8人分のお菓子を適当に詰め合わせ、あと、ミカンも16個入れて彼女に渡した。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
「あの、私、早く持っていってあげたいので、帰ります。本当にありがとうございました。お礼はまた改めて」
「気にしなくても良いんだよ」
「そういうわけには……あの、それと、ヴィオラール様も有り難うございました。さっきはごめんなさい」
「わかればよろしいのよ、わかれば」
ヴィオラールが真っ赤になりながらそんなことを言っている。こいつ感謝され慣れてないよな。可愛いやつ。
ぺこぺこ頭を何度も下げながら、彼女は走って戻っていった。
忙しくて、とか言ってたけど、あれって、お腹が減って、体力がなくなって、風邪でもひいて、よろけたんじゃないのかな。
アイリスによると、もともと孤児院は教会の関連施設だったそうだが、なんだか最近教会の支援が打ち切られたという噂を聞いたらしい。
袖振り合うも多生の縁っていうし、なんだか気になるよな。
彼女を見送った後、店に戻ろうとしたら、いきなり声をかけられた。
「あんた!」
は?
「あんたが、デュコテルの悪魔ね!」
悪魔? なんだそれ。ヴィオラールの時から更に悪化しているような気がする orz...
*1 irisなんて名詞のドメイン
2017年2月現在の状況です。
d-irisは同日、shop, biz, co.jp, tokyoの4ドメインは取得可能でした。comは埋まってた。さすがだw
*2 ユンケルファンティー
佐藤製薬が誇るユンケルのハイエンド、なんと定価は3000円。50mlだから、45000円級のワインと同じ……てか、ユンケルファンティーより高額なワインってゴロゴロしてたのか!
最高峰に4000円もするスターがあるが、最近全然見かけない。
数が多いことで有名なユンケルだが、ユンケルファンティーと、ユンケルファンティは別の商品だという、すでにわけの分からない状態になっている。
恐ろしいことに、ユンケルジュニアなんて小児用のドリンクまである。どんだけ疲れてるんだ、最近の子供。
なお、イチローはユンケルのCMキャラクターです。
*3 スニフター
90mlくらいの大きさのグラスの名称。クンクン嗅ぐという意味で付いた名前。蒸留酒のティスティンググラス。




