013 ヴィオラール=ファーレンホーフ驚く
「な、なんですの? これは!?」
そろそろ閉めようかと思っていたとき、暗くなりかけた外から、少女のような外見の女性がローブとつばの広い三角帽子をかぶって入ってきた。
「ヴィオラール様? 戻っていらっしゃったのですか?」
「もちろんですわ。弟子にしていただくとお約束したではありませんか」
アイリスの驚いた声に、冷静に答えるヴィオラール。
したかな、約束? 一方的に宣言されただけのような……
「それよりなんですの? このお店は?!」
「どうかされましたか?」
「あ、これはお師匠様。これからよろしくご指導下さいませ」
ぺこりと頭を下げるヴィオラール。
しかし、ご指導ってなにすりゃいいのさ。手とり腰とり、うにゅにゅにゅにゅ……って、アイリス、視線が怖いから。見た目小学生にそんなことしないから。
「それよりも、この扉ですの。まるで天国への入り口のようではありませんか」
天国への入り口。いいなそれ、さしずめここは天国か?
ヴィオラールは、周りをきょろきょろ見回して、
「しかも火の力はどこにも感じられないのに暖かく、光の力も感じられないのに明るい部屋。一体どうなっているのです?」
と言った。
そうか、ヴィオラールは世界を魔力の流れで捉えているから、何の魔力も使われていないこの店で、暖かかったり明るかったりするのは驚嘆に値するわけだ。
俺が魔法に驚くのと同じことが起こってると考えればいいんだな。
「これはね、電気という、魔法とは違ったエネルギーで動いているんだよ」
「電気……」
「これから少しずつ教えてあげるよ」
「はい! よろしくお願いします」
それからヴィオラールは、照明に驚き、ガラスのパーティションに驚き、シャンデリアに驚き、入れた紅茶の香りに驚いた。
「はー、なんといいましょうか。ここは本当にサイガ王国なんですの?」
俺とアイリスは、顔を見合わせながら笑うしかなかった。
「それで、私は、いったいなにをすればよろしいのでしょうか?」
「え?」
不意にそう聞かれて、何も考えていなかった俺は言葉につまった。
「いえ、弟子というものは、お師匠様のお世話をするものなのですわ」
「お世話?」
「はい。常にお師匠様のお世話をして、その技を伝えていただくものなのです」
そう聞いたアイリスがいきなり立ち上がって、
「だ、ダメダメダメ! 昼も夜も一緒なんて、絶対ダメだからね!」
と言い出した。
1日中ずっとくっつかれてるとなると、俺も困るな。なにしろ向こうの生活もあるわけで……彼女はいい子だと思うけれど、実際の所はまだよく知らないわけだし。全部打ち明けるのにはちょっと早い。
「ヴィオラールはさ、何が知りたいの?」
「それはもちろん、魔法の技術ですわ」
そんなもの教えようがないだろ。
「魔法の技術だったら、もう誰にも負けないくらい持っているでしょう?」
「でもグラスは作れませんでしたわ」
彼女は、残念そうにうつむく。
「あれを作るにはね、魔法の技術とは別の……そうだな、言ってみれば『世界の理』を知ることが必要なんだよ」
「世界の理?」
不思議そうな顔を上げた彼女は、そうつぶやいた。
「そう、例えば、なぜガラスは透明になるのか、とか、なぜ、薄く美しく輝く――屈折率が高いって言うんだけど――ようになるのか、とかね。そういう理を知ることで、強くイメージが固まって、難しいものでも作れるようになるのさ」
「確かに。確かにそうですわ。私には、あのグラスの成り立ちがイメージできていませんでしたわ!」
興奮したようにそう言った後、自分の手のひらを見つめながらつぶやいた。
「魔法には、結果をイメージする力が重要。そして、それを強化するために理を知らなければならない。私はこんな簡単な原理を忘れて、魔法の技術ばかりを研究していました」
そりゃ、理なんか知らなくても、魔法技術の向上でどうにかなってる社会なんだから、いまさらそんなものを突き詰めようとは思わないだろうな。
「そう。だから、それを少しずつ教えてあげるよ。最初は概要かな。その後は、ヴィオラールが知りたいことを」
「ほんとうですの?」
「もちろん」
原子分子の概要からはじめて、物性物理の基礎かなぁ。個体物理と物理化学でとりあえずものを理解できるようにはなるんじゃないだろうか。
「わかりましたわ。でも、教わってばかりではいけないと思いますの。お世話もダメとなりますと……何かできることがあればお手伝いしますわ」
できることかー。うーん。
あ、そうだ。宝石のカット。こっちでは魔法でやるとか言ってたよな。
「ヴィオラールは、宝石のカットとかできない?」
「宝石のカットです? ディメンションカットは一応使えますが」
「ディメンションカット?」
「はい。その昔、どんな硬い物体でも、空間ごとずらしちゃえばカットできると考えた魔法使いがいたのですわ」
「そりゃ凄い。どんなものでも切れちゃうわけだ」
「そうです。でも空間をずらすなどと言う作業には、とんでもない魔力が必要になることが分かって、結局誰にも扱い切れませんでしたの。今では極小領域で、非常に硬い――例えば宝石のような――もののカットに使われているだけなのですわ」
「でも何でも切れるんなら、敵の急所だって切り裂けるわけで」
「そんなこと、剣にだってできますから」
あー、そりゃそうか。同じことができるのにわざわざコストの大きい方法でやることはないもんな。
それに、対象に触れるくらい近づいて、視認する必要があるそうで、見えない内部を切り裂くなどと言うことはできず、ほぼ役に立たないそうだ。
「じゃあ、明日からそれを試しにやって貰えるかな。カット方法の資料は明日持ってくるから」
「わかりましたわ」
「うわー、寒いと思ったら、雪ね」
とドアを透かしてアイリスが言った。へー、降るんだ、雪。
「降るわよ。積もったりすることは滅多にないけど。さあ、帰りましょうかって、ヴィオラール様、どこに泊まられるんです?」
「お師匠様の家に押しかけようと思っていたのですが」
「だ、ダメダメダメー!」
店の外はもう暗い。
まばらに歩いている人たちが、閉じたドアの向こうから、なにやらどたばたと聞こえてくる音に振り返っていた。
店の中の灯りが、扉のガラスを通して柔らかで暖かそうな光を投げかけ、スポットによって浮かび上がる扉の天使がハローに包まれて人々を見守っているようだった。そして、いつしかそれは、天国の扉と呼ばれるようになるのだった。




