表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Strain   作者: Ak!La
7/56

第7話 父

「………アクバール、戻ったぞ」

 時刻は午前十時、スラムの教会。ローエンはいつものワイシャツにベストという出で立ちで現れた。

「………あぁ、ローエンか。ご苦労さん」

 箒で掃除をしていたアクバールは、彼に気付いて顔を上げた。

「………その頭の傷は?」

 アクバールが自分の額の右側を、指で小突いて問う。

「ぶつけた」

 ローエンは真顔でそう答えた。

「…………そうかい。大丈夫そうだね」

「ソニアは」

「まだワタシの部屋で寝ているよ。……昨日中々眠らなくてね」

「………そうか」

「寝付かせるのに苦労したよ」

 と、アクバールはそう言って苦笑した。近くの長椅子に箒を立て掛け、歩いて来るローエンを迎えた。

「で、どうだったかね、仕事の方は」

「……幹部は全員殺した。捕らえられてた奴も逃した」

「そうかい、それは良かった」

 満足そうに頷くアクバールに、ローエンは小切手を押し付けた。

「………これは?」

「やる」

「?………って、おい、これは……」

 100,000と書かれた小切手。振出人がローエン名義になっている。それと、ローエンの顔を交互に見て、アクバールは戸惑う。

「……君が稼いだのだろう、どうして……」

「いくら稼いでも、俺の好きに使っていいんだろ」

「!」

「それの十倍貰ったから気にすんな」

 と、それだけ言ってローエンは、アクバールの部屋へとスタスタと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を見て、しばらくアクバールは唖然としていたが、不意にふっ、と笑った。

「………らしくない事をするじゃないか、悪魔め」

 小切手を懐にしまうと、彼の後をついて行った。




「ソニア、起きろ」

「………うにゅ…」

 アクバールのベッドの上で眠りこけているソニア。ローエンが声を掛けても、布団を抱きしめ丸まってしまった。

「………おい……帰るぞ」

 体を揺すってようやく、ソニアは薄っすらと目を開けた。そしてその目がローエンを捉えた途端、ぱちりと大きく見開かれた。

「おとーさん!」

「だっ、おいっ、だからくっ付くなっ‼︎」

 飛びついて来たソニアを引き剥がそうとした所へ、アクバールがやって来た。

「昨日の夜、君がいないのが不安だったみたいでねぇ」

「………何でだよ」

「すっかり懐かれてしまったね、ハッハッハ」

「………」

 懐かれても困る、とそう思ってため息を吐いた。

「おかえり!」

「……まだ家じゃねェし」

「おやおや、そこは『ただいま』で良いのだよ、ローエン」

 と、アクバールがにやにやとしながら言うので、ローエンは眉間に皺を寄せる。

「何笑ってんだよ」

「………あぁ、いや何、面白くてねえ……」

「正直か」

「おとーさんおとーさん」

「………んぁ」

「お腹すいた」

 ソニアがローエンの服を引っ張ってそう言った。そうだな、とローエンは頷き、そしてアクバールに言う。

「………じゃあ世話になったな。また何かあったら言ってくれ」

「あぁ。………ソニアちゃんもいつでもおいで」

「………」

「……お前はあまり懐かれてなさそうだな」

 ソニアの様子を見てローエンがそう言うと、アクバールはやれやれと肩を竦める。

「一晩で少しは慣れてくれたかと思ったが、やはり君には代えられんようだね」

「お前の顔が怖いんだろ」

「おや、君よりはマシだとは思うがね」

「………なんだと」

「フフ。………まぁ良いさ。気を付けて帰りたまえよ」

 ベッドから降りたソニアが、ローエンの手を握った。ローエンは一瞬戸惑ったが、払いのけはしなかった。

「………帰るか」

 ローエンがそう言うと、ソニアはホッと安堵したように微笑んだ。




「………」

「……何だよ、早く食べろよ」

 ローエンの家。食卓の上の卵焼きと睨めっこしているソニアに、ローエンは頬杖をつきながらそう言った。

「……また卵…」

「あン」

「卵ばかりやだ!」

「何でだよ、卵美味いだろ」

 栄養もあるし、と付け加えるローエンに、ソニアはぷくりと頰を膨らませる。

「ちがうもの食べたい」

「今はこれしかねェぞ」

「………じゃあ今はいい…」

 むすっとしながら、ソニアは卵焼きをひとくち口に入れ、そして、しばらく固まるといつもの様にがっつき始めた。

(…………結局美味いんじゃねェか……)

 そう思って、ふん、とローエンはため息を吐いた。

 別に他にレパートリーが無い訳では無いのだが、ソニアが何が好きか分からないし、下手に作るよりはこういうものの方がいいと思ったのだ。………単純にローエンが卵料理が好きだというのもあるが。

「………じゃあ何が食べたいんだよ」

「ハンバーグ!」

「…………わぁったよ、材料買って来る」

 と、買うべき材料を数えていてふと、ある事を思い出した。

「……お前昨日風呂は」

「入ってない」

「…………よくアクバールが許したな」

「入んなくても平気!」

「ダメだ、今から湯張ってやるから入れ」

「えー……」

「えーじゃない」

 ローエンは立ち上がり、机に手をついて言う。

「今まで入れなかったから平気なのかもしれねェけど、衛生的にも良くねェぞ」

「………」

「臭いのは嫌だろ」

「…………臭いのきらい?」

「あぁ」

「………………分かった」

 そういや連れ帰って来てからまだ一度も入れてやってないなと、気付いた。自分はシャワーを浴びてはいたが、ソニアの事は放って置きっぱなしだった。

 ぐるりとソニアの後ろに回って、髪の毛先に触れた。……あまり気にしていなかったが、傷んでいる。

(………あんな環境にいたんだし、当たり前か)

「………なぁに」

 ソニアが怪訝な顔をして見上げて来る。

「………別に」

 湯船に湯を沸かそうと、ローエンはバスルームへと向かう。水を流しながら軽く掃除をした後、適度に温度を設定し、水が温かくなったのを確認して、栓をした。

「おとーさんも入る?」

 いつの間にかすぐそこまで来ていたソニアが言った。

「何でだよ」

「一人じゃできないー!」

「………はぁ?」

「体洗って!」

「……………はぁ」

 困って、ローエンは頭を掻く。……勿論そんな経験はない。

「……一緒には入らない」

「えー」

「洗うのだけは手伝ってやるから」

 渋々そう答えた。流石に一緒には無理だ。しかしそれでも、彼女は少し嬉しそうだった。




「おとーさん、いたい」

 風呂上がりのソニアの頭を拭いていると、彼女にそう怒られた。

「…………悪い」

「優しくして!」

「…………」

 そっと力を抜くが、よく加減が分からない。立ってするのはしんどいので、ソニアの頭の高さに合うように膝をついた。

「……………こうか」

「ん」

「…………」

 ローエンは難しい顔をして、手を動かす。………何せ初めてなのだ。どうすればいいかなど分からない。

「……ふう」

 大体いいか、とタオルを外すと、髪が乱れてしまっていた。とりあえず手櫛で直す。初めよりはましだが、やはり毛先の傷んでいる所は治らない。

「………勿体無いな」

「ん?」

「……………いや、何でもない」

 切ってやろうかと思ったがやめた。自分ですら切ったことが無いのだ。傷つけてもいけない。切るなら美容院に連れて行ってやった方がいいだろう。自分だって散髪屋に行く。

 心の中でやる事リストに一つ加え、ローエンはソニアの体にタオルをかけた。

「早く服着ろ」

「……………」

 行こうとすると、ソニアが何か言いたげな顔で見て来た。

「………何だよ」

「……………手伝って」

「…えぇ…………ったく」

 一人で出来ないのか、と半ばうんざりしたが、ごねられても嫌なので仕方なく言う事を聞くことにした。




 新しい、子供らしい服を着たソニアはローエンの前で自慢気にくるくると回る。

「見てー!」

「はいはい」

 疲れたローエンは、適当にあしらって自室に引っ込もうとした。が、その服の後ろを、ソニアが手を伸ばして掴む。

「…………何」

「一緒にいて」

「……なら来い」

「うん!」

 元気に答えるソニアに、ローエンはため息を吐く。やはり苦手だ。元気さに追いつけない。

気怠げに階段を上って行くと、その後ろをソニアがついて来る。部屋のベッドにダイブすると、視線を感じて顔を上げた。こっちを見ているソニアと目が合う。

「………何」

「…寝ちゃうの……?」

「…………いいだろ別に、疲れてんだよ……」

 何せ仕事の後なのだ。まだ時間的にも娼館に遊びにも行けないので、寝る他無い。

 再び伏せて目を閉じた途端、ぐい、と髪を引っ張られた。

「いててててて!」

 がば、と顔を上げると、ソニアが手を後ろへ引っ込めた。

「何すんだよ!」

「遊んで!」

「嫌だ!一人で遊べ!」

「一人じゃ出来ないもん!」

「…………じゃあ寝ろ!」

「眠くない!」

「………あぁぁもう」

 何で子供との言い合いに負けるんだと、思わず頭を抱える。……しかしよくよく考えてみれば、今この状況で悪いのは自分の方なのである。

 そう結論が出たので、仕方なくローエンは体を起こした。

「…………で、何がしたいんだよ」

「………何がある?」

「…………」

 何がしたいのか分からずに言ってたのかよ、とうんざりして頭を掻く。子供の好きな遊びなど………いや、かつては自分だって子供だったのだ。

 しかしローエンは、自分が子供の時何をしていたかを考えようとして、やめた。思ってみればまともな思い出などない。十二歳を過ぎてからは毎日喧嘩ばかりしていた。……それ以前の事は思い出したくもない。

「……おとーさん?」

 ソニアの声で、ハッと我に帰った。ゆっくりとソニアに視線を戻す。

「…………あー…そうだな、トランプでもするか」

「とらんぷ?」

「……何だ、知らねェの?」

「うん!」

「…………はぁ」

 ローエンはベッドから一旦降りて、机からトランプの箱を出して来て、元の場所に座った。箱からカードを出して手の中で広げていると、ソニアが隣に座った。

「これがトランプ」

「……とらんぷ」

「基本的なのは………まぁババ抜きかな。同じ数字のを二枚ずつ揃えて出してくんだけど………」

 ちら、とソニアを見ると、何やら険しい顔をしていた。

「………何だ、難しいか?」

 そう訊くと、ソニアは手を伸ばして、トランプの角を指す。

「……………これなぁに?」

「………“2”」

「に?」

「一、二の“2”………」

 と、そこでローエンの中に一つの嫌な予感が駆け抜けた。

「…………あのさ」

「…うん」

「もしかして、文字読めねェのか」

「うん」

「…………」

 はぁー、と思わず掠れた長いため息が出た。

 考えていなかった。教育も受けられた訳がない。字を覚える余裕など無かったかもしれない。普通に言葉が通じるだけで満足していた。

「……自分の名前も書けないのか?」

「うん」

「…………そうか」

 ローエンはまた立ち上がる。そして机の前の椅子に座り、ソニアの方へ振り向いた。…………少し考えてから、手招きして自分の膝の上へ誘った。

「なぁに?」

 ひょい、とソニアが乗って来て、机の上を覗いた。

「“T.H.O.N.I.A”……これがお前の名前」

 と、メモに書いて見せる。

「………ソニアの?」

「そう。俺は“L.O.H.E.N”」

「ろえん」

「だからローエンだってば………」

「ろー…」

「ローエン」

「ろーえん!」

「………少し違う気がするけどまぁいいか」

 ふう、とローエンは頭を掻いた。そして順に文字を書いて行く。

「A.B.C.D.E.F.G.H.I.J.K.L.M.N.O.P.Q.R.S.T.U.V.W.X.Y.Z。これが全部な」

「…………うん?」

「…まぁ、すぐには覚えられねェか」

 どうしたら良いかな、とローエンは頭を悩ませる。上手な教え方など分からない。…………アクバールなら出来るだろうか……。と、ふとそんな事を思った。彼は確か、貧しい子供達に勉強を教えたりしていたはずだ。

「使うのが一番だからな………まぁまずは文字だけでも覚えた方がいいな」

「……えーびーしー?」

「そう」

 ソニアはローエンのメモを手に取ると、まじまじと見つめた。

「……ソニア、ろーえん」

「…………あぁ」

「あのおじさんは?」

「アクバール?」

「うん」

 ローエンはソニアの手からメモを取ると、自分の名前の下に“Acberl”と書き足した。

「こう」

「………ふうん」

 再びソニアはメモを手に取った。そして、ローエンの顔を見上げて言う。

「これ持ってていい?」

「…………別に構わないが……覚えるのなら本でも買ってや……」

「これでいいの!」

「……そうか」

 何だか良く分からないが、ソニアはそれが気に入ったらしい。じっとそれを見つめてぶつぶつ言っていた。

 そんなに熱心になるなら本でも買って来てやろうか、と思い立った。ついでに昼と夕飯の食材も買いに行きたい。

「………俺ちょっと買い物行って来るけど、待ってるか?」

「うん」

「そうか」

 ひょい、と一度ソニアを抱き上げて自分は立ち、ソニアは座らせる。

「待ってろ」

「うん」

 ソニアはローエンを見てそう答えると、またメモの方に視線を戻してしまった。ふう、とため息をくと、ローエンは下へと降りて行った。

 部屋の時計を見る。11時。12時には戻ろう。そう決めて、コートを着て外へ出た。


#7 END

読んで頂きありがとうございます。

よろしければ感想などお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ