第56話 生きた証
12月25日。クリスマス。その日は雪だった。市街の賑やかさに比べて、スラムは酷く静かだった。
教会の前、喪服の女が座り込んでいる。凍え死んでもいいと言うかのように、彼女は薄着で、じっとしていた。
「……風邪引くぞ」
そう声を掛けるのは、喪服姿のローエンだった。女は顔を上げる。積もった雪が、金髪をするりと滑って落ちた。
「…………一人にして」
「外にいねェで中に入れ、ジーク」
「……ここがいいの」
ローエンは仕方なく、一つため息を吐いてジークの横に座った。
アクバール達の遺体は、警察に引き取られた。ローエンも一通り聴取を受けたが……相手がダミヤだった事もあり、すぐに済んだ。
『まぁな……あんま上もスラムの事にゃ首突っ込みたぁないねんや、やから俺なんかが任されてんねんけど……多分、これを機に足洗う言うんなら、逃しても何も言われへんで』
……と、彼はそう言ってローエンを釈放した。
そして今日、アクバールやグラナート、そしてルチアーノ達の分まで、ニコラス神父によって葬儀が執り行われた。ローエンが彼に、そう頼んだのだ。参列者はローエンとヴェローナ、ソニアとそしてジークリンデだけだった。広い礼拝堂は酷くがらんとして、寂しくまだ準備途中のクリスマスの装飾が飾られていた。
静かな温かいニコラスの声を思い出しながら、ローエンは雪が落ちて来る灰色の空を見上げていた。
「……私、妊娠してるの」
「!」
唐突に、ジークリンデがポツリと言った。
「……誰の子」
「グランさんの」
ジークリンデはうずくまったまま、そう答える。
「それ……あいつに言ったのか」
「今日の……プレゼントにするつもりだった」
ジークリンデは顔を上げ、腹をさすった。まだ変化は見えないが、確かにそこに新たな生命がいるのだろう。
「……伝えたらあの人どんな反応してただろう、って考えたら、分からなくって」
「…………」
「本当は、私、グランさんの事何も分かってなかったのかもって……」
ローエンは、そっと彼女の背に手を置いた。体温がスッと、ジークリンデの背に染み込んで行く。
「……きっと喜んでたよ、あいつなら」
ローエンは空を見上げてそう言う。灰色の空、彼の色だ。もしかしたら、彼女が心配で今日、見に来たのかもしれない……と、ローエンはそんな事を考えた。
「あ、そうだ」
「?」
ローエンは、ポケットから小さな袋を出した。それを、ジークリンデへ差し出す。
「……何?」
「グランから。……渡してくれって」
「!」
ジークリンデは、恐る恐るそれへ手を伸ばした。開けてもいいのかと、ローエンに目配せするので、彼は頷く。
中から現れた、一対の天使の羽が重なったチャームのついた金のネックレスと、「merry Christmas」と手書きで書かれたカード。それを見て、ジークリンデの目から涙が溢れた。
「……グランさん…………」
ネックレスを握りしめた手を額に当て、彼女は天に祈った。そして、彼女は涙を拭いて、微笑んでローエンに言う。
「ありがとう、ローエン」
「俺はグラナートの遺言を届けただけだ」
ローエンはそう言って肩を竦める。
「…………そっか」
ジークリンデは、ネックレスのホックを外して、自分で首につけた。不謹慎かな、と笑う彼女に、ローエンは首を振る。
「……私、決めたわ。……一人でこの子を育てる」
「!」
「だって、私とグランさんの繋がりだもの、彼が遺して行った子だもの。……ちゃんと、育てるわ」
「…………そうか」
ローエンは微笑む。
「なら一層、体冷やすんじゃねェぞ」
「あ、それはそうね」
と、ジークリンデは雪を払って立ち上がった。ローエンも立ち上がり、彼女に言う。
「何か困った事があれば言え。助けになる」
「……ありがとう」
「……俺の方こそ」
「えっ」
「グランは多分……お前と出会えて幸せだったろうから」
言った後、ローエンはハッとして照れ臭そうに頭を掻いた。
「ほら、早く入れ。中の方が温かいから」
「え、えぇ」
ローエンに促されて、ジークリンデは中に入る。だが、ドアを閉める寸前ふと、立ち止まり、振り返った。
外は静かに雪が降っている。真っ白な世界。その中に、グラナートが立っているような気がした。
『僕はずっと君の側にいるよ』……と、そんな声が聞こえたように思えた。
「……ありがとう、グランさん」
彼女はそっと、ドアを閉めた。温かい空気が彼女を包む。悲しみは拭いきれないけれど。前を向いて生きる決心は、ちゃんとついた。
「……これから、どうするつもり?」
夜、自宅に戻って来てローエンは一緒に帰って来たヴェローナにそう訊かれた。
「どうって……」
「殺し屋を続けるの?それともやめる?」
「…………それはやめるつもり。やってる理由も無い」
ダミヤともそういう約束にしてしまった。……まぁ、良い機会だろう。
「……じゃあ、新しく仕事するの?」
「んー、まぁ、それも考えてはいるけど」
ローエンは上着を脱ぎながらそう答える。やりたい仕事は少し考えている。だが、彼はヴェローナの方を見ると、少し照れ臭そうに言った。
「……主夫でも良いかなって……」
「え?」
ヴェローナは思わず訊き返す。と、ローエンは目を逸らし、何やらもごもごと言う。
「えーと、あー、だから、その」
「あんた働かないつもり?」
「……お前……何でそういうとこ鈍いんだよ」
「えっ」
ローエンは頭の上にハテナをたくさん浮かべているヴェローナへ近付くと、唐突に彼女へキスした。一応ヴェローナも応じるが、何が何だかよく分からない。
離れた時、ふとヴェローナは左手首に違和感を感じて目を落とした。そこには翡翠のブレスレットが。
「あら」
「……メリークリスマス、ヴェローナ。それは俺からの今年のプレゼント」
「ありがとう……嬉しいわ……って、待ちなさいよ、まだ全然説明になってないでしょ!」
「そういう所は鋭い」
「何よ」
「…………こんな事なら指輪にしとくんだったなぁ……」
「え?」
すう、とローエンは息を吸い込んだ。緊張する。簡単に言えると思っていた。だが、いざとなると違うものだ。
「……結婚しよう、ヴェローナ。俺は、お前のものになるよ」
「…………えっ」
「こんな時で何だけど。……こんな時だからこそ。……俺は一生、お前の為に生きる。お前を守る。……だから」
言葉の途中、ぶわっとヴェローナの目から涙が溢れた。突然の事にローエンは戸惑う。どうしていいか分からずにいると、ヴェローナが抱きついて来た。
「……私もあんたのものになるっ……」
「…………それって、OKてこと?」
「当たり前じゃないのっ!」
馬鹿ぁ、と涙声で言ったヴェローナは、くすん、と鼻を啜り上げてから小さな声で言った。
「……ずっと待ってたんだから」
ローエンも、そっと抱き返す。
「……ゴメン」
「でもタイミングが微妙」
「…………ゴメン」
「指輪も無いし」
「うっ……それは」
「冗談」
ヴェローナは、ハァ、とため息を吐いてローエンから離れる。ローエンは俯き、頭を掻く。
「…………もっと簡単に言えると思ってた」
「人生で一番大切な事を、簡単に言える訳無いでしょ」
「それも……そうか」
「あんたにしては少しダサかった感じがするけど」
「うぇっ」
「……でもその方が人間臭くて好き」
「…………そ、そっか」
今度は、ヴェローナからキスして来た。ローエンは首を曲げ、高さを合わせた。さっきよりもずっと深く、濃厚な…………
「くしゅっ」
「!」
小さなくしゃみの音に、二人はハッとしてその方向を見た。そこにはなんと、階段の壁の陰からこちらを覗いているソニアがいた。
「そ、ソニア、寝たんじゃなかったのか」
「……ごめんなさい」
「いや、怒ってはないんだが……」
ローエンは思わず口元を拭いてそう言った。その行動に思わずヴェローナはムッとする。
「ソニアちゃんに見られて気まずいのは分かるけど、その行動は些か不快だわ」
「うっ」
「おとーさんとおかーさん、結婚する?」
「!」
何だかおかしな言葉だ。まだ、夫婦ですら無かったのに。
「…………あぁ」
「そうね」
「……ソニアも一緒?」
「勿論!」
ヴェローナが答える。ソニアは顔を明るくして、二人の元へ走って来た。
「あのね、クリスマスだからお願いしていい?」
「お」
「なぁに?」
二人は期待してソニアを見下ろす。しかし、帰って来たのはあまりにも意外なものだった。
「ソニアね、兄弟が欲しいの!」
「…………え」
「だめ……?」
「いや、お前がいいならいいけど……」
実の娘か、息子。……それが出来たらソニアの事はどうなるだろうと、ローエンは内心不安でいた。だが、ヴェローナがそんな彼の肩を叩く。
「……心配なんか、いらないんじゃない?」
「!」
そう。もう、ソニアの存在はかけがえのないものになっている。大切なもの、守りたいもの。……血の繋がりなど、関係あるものか。
「……そうだな」
ローエンは笑う。……そうだ、まだ自分には大切なものがある。失ってはならないものがある。……絶望するには、まだ早い。
「……私、娼館辞めるわ」
「えっ」
唐突なヴェローナの言葉に、ローエンは驚く。
「人妻になる訳だし、そろそろまともな仕事に就かないとね」
「あ、アテはあるのかよ」
「実を言えば、オフェリアに前から誘われてたのよね。モデルやらないかって」
「モデル?」
「オフェリアのとこの会社が出してるファッション雑誌の」
「あぁ……」
「私、デザインも器用な事も出来ないから」
「あはは……」
ローエンは苦笑する。さて、生活ががらりと変わりそうである。
「それで、式は?いつにする?」
「……気が早いな」
「当たり前よ、何年待たされたと思ってるの」
「…………この時期だと、早くて来月かな……」
「そうね。ね、折角だからオフェリアに服頼まない?」
「それはいいけど」
「じゃあ決まりね、明日帰ったらオフェリアに伝えるわ」
「おう……とりあえず着替えろ」
「あっ、いけない」
二人とも喪服のままである。流れでプロポーズしてしまったが、どう考えても不謹慎である。
(……まぁ、ずーっと下向いてるよりはいいか)
はぁ、とローエンはため息を吐いた。死んだ友の事の事を思うと、胸がキュッとなり、穴が空いたような感じがする。だが、ヴェローナとソニアの存在が、その穴を優しく埋めてくれる。
「さ、着替えて寝るぞ。お前は早く寝ろ。明日は学校あるだろ」
「はーい」
「冷えたからお風呂入りたいんだけど……」
「んじゃ入れてくる」
「ソニアも入るー!」
「ハイハイ」
ネクタイを解きながら、ローエンは風呂場へ向かう。
この世は地獄だ。だが、その中にも一時の幸せはある。それを、大切にしようと、ローエンは強く思った。
翌日朝、教会の中はしんとしていた。クリスマスの飾りも撤去されている。一人、ローエンは礼拝堂の一番前の席に座っていた。時折アクバールがしていたように、彼はステンドグラスを眺めていた。
「……この教会、どうするかな……」
主はもういない。後を継げる者もいない。……この教会は、ここの人々も時折利用する。廃れさせたくはなかった。
(…………クリスマスは教会で、か。あいつの言う通りになっちまった)
ハァ、とローエンはため息を吐いた。不本意にも、葬儀という形で。折角のクリスマスだったが、日程的にそうなった。この国では、特にクリスマスが祝日という訳でもない。
……だが、出来ればそんな日は避けたかったものである。
ローエンが俯いていると、ふと傍らに誰かが立った。
「……俺が招待されなかったのは仕方ないとしてもさ、やっぱりちょっと寂しいよ」
「…………お前、葬儀の時ずっといたろ」
「いたけど。部屋に。隠れてたけど」
顔を上げないままのローエンに、その誰か……リアンは、口を尖らせる。
「……俺の事も警察に話したん?」
「お前は行方不明って事になってる」
「まーた面倒臭いことしてくれんね……」
「お前に楽させるつもりはない」
「……本当に許す気無いんだ?」
「は?」
「…………すみません聞いてみただけです」
ローエンに睨まれ、リアンは首を縮める。
「……ありがとな、仲間の分までしてもらって」
「一応、世話にはなったからな。ルチアーノとラファエルには」
ふう、とため息を吐くローエンに、リアンは腕組みをして言う。
「そんで?俺ちゃんだけ引っ張ってどうするんですかい」
「そうだな……」
「……何も考えてないとか無しよ」
「探偵、とか」
「ほう?」
興味ありげに、リアンは片眉を上げる。
「殺しはもうしねェけど、動かねェと体鈍るし。……主夫でもいいかとは思ったが、少しは持つ能力を役に立てたい」
「……俺ちゃんのスキルも役に立つ訳ですねえ」
と、そこでリアンは「ん?」となる。
「……“主夫”?」
「おう」
「…………まさか、結婚すんのお前」
「する」
「だっ、えっ、ヴェローナちゃんと⁈」
「人の婚約者にちゃん付けすんな。……あいつ娼館も辞めるって」
「えっ、えー……」
「大事なら辞めさせろっつったのはお前だ。まぁ、俺が無理に辞めさせた訳じゃねェけど」
「……羨ましい……俺よりずっと若い癖に……あんな綺麗な子貰っちゃうなんて……」
リアンは相当ショックを受けたらしく、上を向いて固まっていた。「実は狙ってました……」と呟く彼に、ローエンは言う。
「ていうかお前とヴェローナは合わない」
「何?セックスの相性の事?」
「……それ」
「ヴェローナちゃんから聞いたのそれ?うわぁエッチー、プライバシーの侵害で訴えてやるう」
「うるせ、誰も興味ねェよ人の性交の中身なんか」
そう言ってローエンはしっしと手を振った。リアンは「冗談だって」と笑って、話を戻す。
「……まぁそれはいいとして。……本当にやんの?探偵業。俺はいいけど」
「んー。まぁ、普通に良い事もしたい」
「じゃあ事務所かなんか立ち上げんの?名前は?」
「……まだそんな所まで決めてねェよ」
「何だよー、じゃあ俺がつけてやる」
「余程変なものじゃなきゃいい」
「……何?俺を何だと思ってんの?」
その質問にはローエンは答えない。仕方がないので、リアンはうーんと考える。
「……“ストレイン”、とか」
リアンはその名を口にする。ローエンは思わず眉を顰めた。
「は?」
「俺達に丁度いい。そう思うだろ?」
「…………そうか?」
「『はい、こちらストレイン探偵事務所です』……響きもなかなか良いじゃねェか」
「……そうか……?」
「何だよ文句あるか。別に変じゃねェだろ」
「……保留だ保留!第一ワード的に微妙だろ!正義寄りの組織の名前として!」
「……だからこそだろ」
「!」
「俺達は元々悪人だから」
リアンは、そう言って片眉を上げ、笑う。
「真っ直ぐな善人にはなれねェ。どう頑張ったって“歪”だ。俺とお前の関係も」
その言葉に、ローエンは何も言えなくなった。その隙を見て、リアンが手を叩いて言う。
「ハイでは異論なしと見てこれで決定」
「あっ、おい、勝手に決めんな!」
「何でだよー、今反論しなかったろ?」
「そっ、でもっ」
「となると、あと場所だなぁ、まぁそれは俺が調達するわ」
「おまっ……」
「あっ、大丈夫大丈夫、所長はお前だから」
「そういう問題じゃない!」
あぁ、やっぱりコイツ嫌いだな、助けなければ良かったとローエンは思った。だが、利用する価値はある。……だから、助けた。
「そいではこれからよろしくお願いしまっす、相棒サン」
茶化して、リアンは手を伸ばして来る。だが、ローエンはその手を取らない。
「……誰が相棒だ」
「およ」
「馴れ合うつもりはないからな」
「…………およよ」
リアンは手を下ろし、「あーあ」と頭の後ろで手を組んだ。
「散々馴れ合ってんのに何言ってんだか」
「はぁ?」
「そっちがその気なら俺もそうする!んじゃ帰るわ!」
「あぁそう、勝手にしろ」
リアンは今、人のいなくなったグラナートの家を使っている。ローエンが彼の手当てに連れて行ったのもそこだ。勝手に使わせてもらうのは悪い気がしたが、医療器具は一通り揃っているし、弾の除去くらいはグラナートにやって貰っていたのを見て多少は勝手が分かっていた。
「……んでこの教会はどうすんだよ」
リアンが去り、一人ローエンは元の問題に立ち戻る。ここを事務所にする案は無しだ。
「……こりゃまた世話掛けるけど、学長さんかな……」
ニコラスは、助けになると言ってくれている。……彼も神父であるし、教会を任せても問題ないのではなかろうか。
「…………また直接掛け合ってみよ」
ふう、とため息を吐いてローエンは立ち上がる。コツコツという足音が礼拝堂に反響する。
振り向けば、あの神父がいるような気がして。ローエンは出口の前で立ち止まり、後ろを振り返った。しかしそこには誰もいない。ただ、ステンドグラスから光が差し込んでいるだけだった。
外へと視線を戻すと、昨日の雪が残っている。眩しいほどの白銀の世界。その地面を踏めば、ザクザクと音がした。
「……寒いな」
そう呟いて、ローエンは再び歩き出す。静かな中に、ザクザクと凍った雪を踏む音だけが響いていた。
因果は巡り巡って、人々を歪に絡み合わせる。
歪なこの世界で人々は今日も、歪に生き続けている。
#56 END
Strain 完
ご愛読ありがとうございました。
「Strain」はここで完結しますが、春頃から続編と過去編を連載予定です。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。




