第54話 冥界の果実
逃げ回るハル、それを追うローエン。どんどん奥へ入って行く。ハルの投擲の攻撃によってローエンは徐々に傷を負い、体力を削られていた。
「ンのやろ……」
「あはははっ」
ハルの手が、不自然に動く。と、ローエンは反射的に手にしたナイフで空を切る。プツンという微かな手応え。こうして身を守るのも集中力が持たない。
「正々堂々と来い!」
「嫌だよ、それは僕の戦い方じゃないしー」
ハルはぴょんと並んだ木箱の上へ跳ぶと、手をつき逆さまになって、空いた手でナイフを投げた。ローエンが目で捉えたそれは嫌に滑っていた。
(……毒)
それを躱し、彼は木箱の上へ続く。
「待ちやがれっ!」
「嫌だって言ってるじゃん!」
通路のようになった木箱の上を逃げるハル。自身の素早さに、ローエンが付いて来れないのを見て彼は笑う。体力には自信がある。このまま逃げ回り、ローエンが疲弊した所を仕留めるつもりだった。
だが、彼は忘れていた。ここが、長い間放置されている場所だという事を。
「おーにさんこちら!」
と、彼がくるりとローエンの方を振り向いた時だった。
バキ、とハルの足元が突然抜けた。木箱の板が、朽ちていたのだ。
「わ」
当然その隙をローエンが逃すはずもなく、追いついた彼はハルの鼻面を右拳で思い切り殴った。
小柄な体は簡単に吹き飛ぶ。並んだ木箱の列を通り過ぎて、ドラム缶の群れの中へ突っ込んだ。ガラガラと、廃倉庫中に響くような音がした。
「うぅ……痛い……」
ローエンは木箱の横を歩いて彼の元へ行った。ハルは鼻血を出し、脚から血が出ていた。破片が刺さったようだ。
見下ろすローエンに、ハルは鼻を押さえて笑う。
「あははは、ざまぁないねこれは……」
「さっきまでの威勢はどうした」
「……痛みで裏人格が引っ込んじゃった」
ハルはそう言って笑う。
「お兄さん、僕を殺すの?」
「まぁ、そうなるな」
ローエンはため息を吐き、しゃがむ。
「…………その“お兄さん”て呼ぶのやめろ」
「何で?……僕相手の男の人はそうやって呼ぶんだ」
「……そりゃまた何で」
ローエンがそう訊いた時、不意にハルが手を突き出して来た。それをローエンは掴んで止める。ハルの手の甲の陰から刃が伸び、鼻先で止まっている。
「…………年下ぶった方が油断してくれるから」
「なーるほどね、確かにそうだ」
「小さい体に生まれて良かったよ。このお陰で色々得した。たくさん殺した。……あの人に拾われて良かった」
「……皆んなその、グランの親父の事が好きなんだな」
「好きなんてものじゃないよ、大好き。恩人だもの。行き場の無かった僕達に、居場所を与えてくれたんだ」
ハルは笑う。まだ、腕は掴まれたままだ。
「君の恩人は、アクバールさん?」
訊かれ、ローエンは考える。
「……さぁ。そうかもしれないし、違うかもしれない」
「よく分からないんだ」
「そうだな」
「僕らも彼についてはよく分からない。……悪い人じゃ無いけど、いい人でも無い」
「完全に善である聖人なんてどこにもいない」
「言えてるね」
ハルは、力なく笑う。
「君は、いい人でありながら、悪い人だね」
「……そうかもな」
ローエンは、手に力を込めた。ミシリ、とハルの腕が軋み、やがて嫌な音がした。
「………っ‼︎」
「叫びを上げないたぁ大したモンだな。こういうのにはもしかして慣れっこか?」
ローエンは折れた手を離して笑う。ハルは荒い息の中、言う。
「……やめてよお兄ちゃん……どうして、こんな酷い事をするの……」
「!」
「ごめんなさい、殺さないで。痛いよ、怖いよ……」
ハルは震えていた。演技では無いように見えた。だが、ローエンは、静かにその首に手を伸ばした。
「やめて、ごめんなさい、やめてよ、嫌だ、死にたくない」
呪詛の様に繰り返すハル。だが、ローエンは冷徹な目をして手に力を込める。緩やかに、細い首に力がかかる。
「か……は……」
苦しそうなハル。しかし、抵抗する力は残っていない様だった。
「……っ」
一気に力を入れる。首がゴキリと音を立てる。途端に、小さな体はビクリと震えて、それきり動かなくなった。
「悪いな」
ローエンは、開いたままになったハルの瞼を閉じる。
「……ガキは嫌いなんだよ、俺は」
彼はそう吐き捨てて立ち上がると、いつの間にか入り込んでしまった迷路の出口を探して歩いた。
休みなく動き続ける間、ルチアーノの脳裏に記憶が過ぎる。自分が憧れたあの人の面影が、今目の前で戦う男と重なる。手にしていた得物は違えどその姿はまるで、生前の彼のようだと思えた。
“白の冥王”の子、“白の死神”。名はウィリアム・ビアンキ、否、今はグラナート・カテドラルだ。
(……冥王の子に“柘榴”とはまた笑えない洒落を……)
正真正銘、彼はアルヴァーロの後釜になり得た存在だ。アルヴァーロがそれを望んでいたかどうかは分からない。だが、教えられてはおらずとも、この戦闘センスは間違いなく彼のものだ。長い間、彼を見ていたルチアーノが思うのだから間違いない。
……だからこそ、ルチアーノは自身の死を予期していた。アルヴァーロにはまだ及ばない、だが、勝てる確証も無かった。
グラナートが双刃を振り下ろした。ルチアーノは下がって避け、銃を構えて撃つ。跳ね上がってきた刃がそれを容易く弾く。……しかし、その集中力は摩耗して来ている。それはルチアーノも同じだった。
刃が首を狙って飛んで来る。彼はそれを掻い潜る、が、反った勢いを支え切れずに後ろへバランスを崩した。それを機と見てグラナートは足を払った。
「!」
転んだルチアーノ。その胸にグラナートが刃を突き立てようとする。間一髪のところで、ルチアーノは転がって躱し、立ち上がった。
「……ハァ……くそ……」
回った勢いでクラクラとする。グラナートも、コンクリートに突き立てた刃を杖にして、ゆっくりと体を立てていた。
「……そろそろ……終わりにしようか」
グラナートが荒々しい息の中言った。ルチアーノは額から噴き出る汗を腕で拭いて、答える。
「……そうだな」
銃を構える。この様子なら、いくらか撃てば当たるだろうか。いや、もうそれ程弾数も残っていない。
グラナートは支えを解いて、しっかりと二つの足で立った。
「立ってるのがやっとだろ、お前」
「君もね」
「……馬鹿言うな」
先に踏み込んだのはルチアーノだった。まっすぐ、グラナートへと突っ込む。それをグラナートは双刃で迎え撃つ。左右交互の二連撃を躱したルチアーノは、姿勢を低くし、地面に手をついて上へと蹴り上げた。勢いのついた蹴りがグラナートの顎を打つ。
「っ!」
意識が揺らぐ。だが、まだ倒れるわけには行かない。グラナートは持ち堪えたが、直後地面へ激突した。
「……ハァッ……ハァ……。……っ‼︎」
ルチアーノが撃った弾を無造作に刃を振り、防いだ。ルチアーノが舌打ちする。グラナートはなんとか起き上がる。だがしかし、構え直す前にルチアーノがその腹に拳を叩き込んだ。
「ガハッ…!」
重い。痛みが体中に響いた。それでもまだ倒れない。力を振り絞る。
「……っああああああ‼︎」
「!」
気迫。一瞬、ほんの一瞬だけルチアーノは動きが止まった。止められた。時がゆっくりと過ぎた。鈍い光を刃が放つ。脳裏に浮かぶのは走馬灯か。……ほんの一瞬先の、己が運命を予知したように。
「……!」
気付けば、刃はルチアーノの心臓を貫いている。それを認識し、彼は死を実感した。……だが、まだ、このままでは終われない。
「…………テオドラ‼︎」
グラナートの腕を捉え、最後の力で血と共にそう叫んだ。一瞬の出来事だった。それを唯一、客観視していた神父は困ったような笑みを浮かべた。
「……おやおや」
グラナートは、突如背後から襲った痛みに振り向いた。体と共に振り切られた刃が、背後にいた何かを捉える。舞い散るのは紅、斬り裂いたのは女の柔肌だった。彼女が握っていたのは大ぶりのナイフ、その先端は自身の胸から飛び出ていた。
「…………くそ……」
グラナートは血を吐き、どっと倒れた。刺さっていた刃は、テオドラを斬った勢いで抜けた。手にした刃につられ、ルチアーノも倒れる。
ルチアーノとテオドラは既に息はなかった。血溜まりの中で唯一、グラナートは浅い呼吸を繰り返し、虚ろに天井を見上げていた。
「……グラン‼︎」
丁度その時、迷路から抜け出したローエンが戻って来た。彼はグラナートの様子を見て蒼白になる。あぁ、そんな、嘘だ、と無意識に弱々しい声が漏れた。
「…………やれやれ、いざ死ぬとなれば呆気ないものだな」
「……!」
アクバールが、グラナートの頭上へと歩いて来て、彼の顔を覗き込んだ。グラナートの視界には逆さまになったアクバールが、ぼんやりと映っている。その顔に、彼は文句を言う。
「……くそったれ……君になんか、看取られたくないよ……」
「悪態を吐く元気は残っているようだね」
アクバールはそう言って苦笑する。
「グラン!」
ローエンが駆け寄って来て、グラナートの体を抱き起こした。彼の顔を見て、グラナートは微笑む。
「……君は……無事に勝ったのか。良かった……」
「良くねェよ、良い訳あるかよ……」
「……心残りは無いよ……ふふ、これは天罰なんだ。……仕方ないんだよ」
皮肉げにグラナートは笑う。力なく、弱々しいその笑みに、ローエンは必死に訴える。
「無いってお前!……ジークの事は、どうするつもりだよ!」
「……あぁ……そうだ……彼女に、渡しておいてくれるかい、あのプレゼント……僕から渡せなくてゴメンって」
「おい!」
「悔しいな……あはは。死んでもいいって思ってたのに。悔しいよ……」
ポロリと、グラナートの目から涙が零れ落ちた。
「……ありがとう、ローエン。君と友達になれて良かった。本当に……色々君から貰った」
「…………グラン」
「さよなら、ローエン。……またきっと……来世で、会おう…………」
グラナートの体から力が抜けた。しばらく、ローエンは何も言えずにそのまま座り込んでいた。手が支える重みは、覚えのあるものよりもずっと軽い。
声もなく、彼は泣いた。心がズキズキと痛み、ぽっかりと穴が開いたようだった。その穴から、何かどす黒い感情が湧き出て来た。
「……嫉妬するじゃないか」
「!」
アクバールの声が、沈みかけていたローエンの意識を呼び覚ます。見上げた先でぶち当たった目は、これまでに見た事のないくらい、冷たく、尖ったものだった。
「ワタシには別れの挨拶の一つも無しかね」
「……アクバール」
「さて、君はどうする。ここにはワタシと君しかいない」
「……」
ローエンは、グラナートをそっと床に下ろして立ち上がり、後ろへ三歩退がった。
「…………お前はどうする気だ」
「質問に質問で返さないでくれたまえよ。……まぁ、そうだね。ワタシの使え得る駒は、君しかいなくなった訳だが」
アクバールは顎を撫で、変わらず冷たい目をして首を傾げる。
「君は最早、ワタシに従う気など毛頭ないだろう」
「……当たり前だ」
「やれやれ、どこで計算が狂ったのやら。お陰で全てが滅茶苦茶だ」
その声には、怒りが篭っていた。彼が今までに一度も見せた事のないような、静かな、純粋な怒気がそこにはあった。
「君のせい、とは言わんよ。いや、やはり君のせいかね。君が堰を切った。ワタシが築いておいた壁を、君はワタシを裏切り、壊した。…………腹立たしい事この上ない。こうなると知っていれば、君が“ウィリアム”の事を聞きに来た時点で消しておくべきだった」
「!」
「……過ぎた事は過ぎた事だ。ワタシがとやかく言えど、神がどうにかしてくれる訳でもない。その事は忘れよう。だが、ケジメはつけなければならない」
「…………ケジメ……だと?」
「そう。……即ち、これまでの縁を断つ。だが、人の縁とは奇妙なもので、一度繋がると中々切れない。腐れ縁という奴だね。……君とワタシの間には、それがあると見た」
「……だから?」
ローエンは、薄々答えが分かっていながらも訊いた。何故なら、信じられなかったからだ。アクバールから発せられるこの気配。間違いない。殺気だった。
そして、アクバールは予想通りの答えを返して来る。
「君が死ぬか、ワタシが死ぬかだローエン。勿論、君がグラナートを追いかけて自ら死んでくれるのも構わない。それならば、手間は省けるからな」
さらりと、聖職者らしからぬ言葉を吐くアクバール。いや、彼は元より聖職者などでは無かった。悪が成った仮初めの正義を振りかざした偽善者だ。そして、自分もその同類。
「…………お前は、もし一人になったらどうする」
「自分が死んだ後の心配かね?無駄なことを」
「また一からやり直すのか」
「……そういう事になるかね、いや、まだ残る人脈があるだけマシというものさ」
フッ、とアクバールは笑う。不敵な笑み。
「……少し、昔話をしようか。冥土の土産とでも思ってくれたまえ」
「?」
「ワタシの話だ」
アクバールは腰の後ろで手を組み、いつものような笑みを湛えて言う。
「君は、知りたがっていたんじゃないかね」
「!」
「折角だ。邪魔者もいない。最後に残った者への褒美として特別に話してやろう」
誰にも話して来なかった話。アクバールが、この20年近くずっと、自身の心の中にしまい込んでいた話。
彼は、少しだけ懐かしそうな、そして悲しそうな顔をして、その閉ざしていた口を開いた。
#54 END




